第十話:似てないから

 わたしは、腕の中で冷たくなっていく奈野さんの手を握りながら、しかし、喋らなくていい、なんて言葉はかけられなかった。

 少なくとも、奈野さんが内蔵錯位症候群でもない限り、肝臓は間違いなく抉られているし、そうであったとしても、並大抵の人間は疎か、魔法少女だって、この傷で耐えられるはずもない。リジェネだって、先ほど奈野さんが公園で語っていたように、顔の痣すら一晩を要するほどだ。

 勿論、今すぐ病院に担ぎ込んで、輸血でもしながら、即座に傷口を塞ぎでもすれば、あるいは。とも考えたが、しかし肝臓や、傷口からはみ出る、生気のない千切れた腸を見るに、やはり助かる術はないのだろう。

 そうしている間に、奈野さんの手からどんどん力が抜けていく。

「ドラマとかでよく見るんだけどさ」

 わたしは話しかける。

「死ぬ間際に、最期まで喋る人って、いるじゃない」

 わたしは言葉を続ける。

「あれって、現実だと有り得ないらしいけど」

 鼻を突く、血の匂い。内臓の匂い。

「本当なんだね」

 だらりと力の抜けた腕から手を離しながら、わたしの目はしかし、奈野さんの方を向いていなかった。

 その目はただ、憎しみを込めてだとか、恨みを込めてだとか、そういうのでもなく。

 あくまで警戒するように、奈野さんの肉を貪り食う、魔物の姿を見据えていた。

 形容しがたい見た目。それでも例えるなら、その魔物は犬や狼のように、血の滴るとがった牙を持ち、四つ足で歩いていた。しかしその顔面は、まるで何かの冗談であるかのように、人の見た目をしていた。

 いや。正確には。

 奈野さんの頭部をしていた。

 分からない。いや、もしかしたら、わたしが錯乱していて、何のことはない獣の顔を、そう見てしまっただけなのかもしれない。それでも、やはり何度目を凝らしても、四つ足で歩く、地面から1メートルほどの獣。その頭部は、大きな奈野さんの顔を、そこに映していた。

 魔法少女として変身した時の、副作用なのだろうか。わたしはしかし、至って冷静な、我ながら不気味に思うほどの冷めた感情を抱きながら、立ち上がった。

 その時、奈野さんの、どんどん熱を失っていく身体がどさりと地面へ落ちるが、それにはもう、目もくれない。

 わたしの魔法。

 一体、どうしてこれまで、これを忘れたかのように、知らなかったのか、そう不思議に思ってしまうほど、今こうして変身した時に、その記憶は説明を受けた通り、流れ込んできた。

 わたしは、その記憶に従うように、両手をゆっくりと、正面で肉を未だ貪り食う魔物に向ける。

 口の端から血を垂れ流し、ぐちゃぐちゃと汚い音を立てて、食べ続ける魔物。

 わたしはイメージする。手から魔法がにじみ出る感覚を。それを細く、細く想像する。まるで、糸のごとく、細く。

 蜘蛛の巣のように、その魔法の感覚を編み上げていく。

 不幸にも、この辺りに大した障害物は存在しない。それこそ、電灯がぽつりぽつりと伸びている程度の、なんてことはない、大通り沿いの歩道。しかしそれでも、目に見える限りの、巻き付けられそうな場所全てに、この糸を巻き付ける想像を加えて。

 そして一気に、全身の力を指先に込めた。

 次の瞬間、両手の指、全てから伸びた糸。それは昨日、奈野さんがそうしていたように、瞬く間に音も立てないまま伸びていき、電柱や、電灯、それらが無い場所には、糸を地面にめり込ませ、その糸へ別の糸を絡ませるようにして、無理矢理に伸ばし続ける。丁度いいところに自動販売機もあったので、今度はそこにも糸を伸ばしていく。

 10本の指から伸びる、10本の糸。それぞれが絡み、もつれ、キリキリと甲高い音を立てながら、そうして数秒で、巣が形成された。

 その音に驚いた様子で、魔物は口にしていた肉を落とし、わたしへと改めて、視線を向ける。

 だがもう遅い。

 次の瞬間、わたしはその糸同士が絡んでいるところを弛ませると、絡んでいるところを滑らせる。それは甲高い音を発しながら、瞬く間に魔物の方へと滑っていき。

 高速で引かれ続けた糸は、まるでチェンソーのような切断力を持って、魔物の腕を切り裂いた。

「……チッ」

 わたしは軽く舌打ちをする。魔物を見ると、確かにその腕はかなりの深さまで切れたらしく、古びたドアを無理矢理に開けた時のように、耳障りな声を上げながら、かなり悶え苦しんでいるらしい。だが、あくまで苦しんでいる程度。少なくとも、致命傷ではないらしい。

 それを認めた次の瞬間、わたしは更に追撃へとかかる。

 右手の薬指と、中指。その二指を曲げ、更に小指と人差し指を反らす。

 すぐにまた、空間を切り裂くような音が鳴り響き、今度は魔物の両足付近にあった糸が、高速で引き戻されながら、迫る。

 どうやら、この糸は、魔力で出来ているからなのだろうか。その糸自体が、他の糸の鋭さに負けて、途中でぷっつりと切れることはまずないらしい。今だって、咄嗟に糸同士を絡ませて攻撃を行ってみたのだが、精々が金切り音にも似た、不快としか言えない音を響かせるくらいだ。

 物を切断する力は、その一点にかかる摩擦力と、その面積の小ささ、それに左右される。事実、コピー用紙で指が切れてしまうことがあるように、大きな摩擦力が、小さい面積に掛かれば、どれほど強度の弱いものであろうと、その剪断力は強くなる。

 ましてやそれが、こんな強靭さを誇る、魔法の糸ともなれば、その威力は計り知れない。

 事実、魔物の両後ろ足は、次の瞬間には今度こそ、わたしの狙い通りに切り落とされたらしい。糸が一瞬、その足に引っかかったような感触を指に感じた後、次の瞬間には、ぴんと張り詰めた様な音が鳴る。そして、一瞬藻掻いた魔物は、両後ろ足を付け根から失い、その場へと、倒れ込んだ。

 声にならない悲鳴のような轟音を上げ、もがき苦しむ。強いて不快なことがあるとすれば、その魔物の顔は、何かの悪ふざけか悪戯のように、奈野さんの顔を、未だにそこへ映していて。おまけにその表情は、わたしの攻撃を受け、酷く歪んでいた。

 きっと、かなりの激痛を感じているのだろう。当たり前だ。いくら鋭い、鋭利な糸によって切断されたとはいえ、それでも両後ろ足を、人でいうところの、太ももあたりから切断されたのだ。痛くないわけがない。きっと、かなりの苦痛を感じているのだろう。

 だが、わたしは奈野さんの表情が、まるで化け物かと見紛う程、汚く歪んでいる様を見ながら、思わず鼻で笑ってしまった。

「……似てないわね」

 右手の親指、人差し指、中指を今度は軽く引き絞る。それと連動して、空気をひゅんひゅんと引き裂く音が鳴り響き、魔物の首に糸が、三方向から絡みつく。それらは互いに、わたしの狙い通り、お互いがお互いに絡みつき、今度こそ、明確に動きを止めた。

 魔物にしてみれば、きっと動きたくても動けないのだろう。何せ、包丁が首に押し当てられた状態で、不用心にも首を動かせないように、その行動一つが、死へと繋がると、分かっているからだ。それくらい、この糸は鋭い。そして、それはわたしとて、身を持って、体験していた。

 あの時、公園で不用心にも、その糸へ指を近づけたわたし。その指が、大した抵抗力も見せず、真っ二つに裂けたほどだ。

 目を凝らすと、魔物の首に絡みついた糸が、赤く染まり始めている。どうやら、押し当てただけでも皮膚へと食い込み、血をじんわりと滲ませているのだろう。

 感覚からも分かるように、先ほど切りつけた両足と違い、その首は、大した強度も無いらしい。想像するに、人の姿を模している分、強度が落ちているのだろうか。

 だが。

「似てないのよ」

 わたしは、そんな状態になってしまった魔物へと、嘲るように改めて口を開く。

 目の前で、動きを封じられた魔物。その首から先を、奈野さんに似せた魔物へ向けて。

「残念だったわね。……奈野さんは、たとえお父さんから、謂れのない暴力を受けても、こんな魔法少女なんて立場に身を窶しても、腸をアンタみたいな魔物に抉られて、もうすぐ死ぬって状況に陥っても」

 苛立ちから、無意識に指先へ力が籠る。魔物はぎぎぎと気味の悪い音を立てながら、逃れられない首の糸を必死に、残った前足で引っ掻く。

 その苦悶に満ちた表情を浮かべる、奈野さんの顔。それに向かって、わたしは吐き捨てるように言葉を続けてから。

「少なくとも、わたしの前で、そんな表情、一度だって浮かべたこと、無かったわよ」

 だから、似てないのよ。

 わたしは最後に、切り飛ばした魔物の首の元へ近づくと、そう吐き捨てて、片足を上げて。

 持てる限りの力と憎しみを込めて、踏み潰した。

 奈野さんの真似事を、この期に及んで繰り返す、その頭部を。

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