第九話:ちゅ~るは人気

 わたしは、何も言えなくなった。いや、本来ならそれでも、子供に手を上げるなんて最低だ。くらいのことは、言った方がよかったのかもしれない。

 勿論、わたしも口で言って分からなければ、時には体罰も必要だと思う人間ではある。そして、その考えが、このご時世、凡そ古臭い、受け入れられない考えであることも、分かっている。だが、それにしたって、彼女の傷はいくら何でも、まともではなかった。

 つまり、お父さんに、成人男性に、何度も殴られた。それも、どうやら傷の具合からするに、拳で、あまつさえ手加減もなく。いくらそれが、魔法によって捻じ曲げられた感情で、仲良しとは言えない母親と仲良くしてしまうストレスを抱えていたとして。それでもやっぱり、いくら何でもやりすぎ。と、わたしは思わざるを得なかった。

 明らかに体格で、力で、年齢で劣っている奈野さんを捕まえて、するような所業ではなかったし、たかだか学校で居眠りをしたくらいで、娘にするよう仕打ちでもなかった。

 それくらい、奈野さんの顔に出来た傷は、酸鼻を極めるものだった。

「……人の、それも昨日知り合ったばっかりのわたしが、家庭環境にいちいち、口を出すのは良くないことかもしれないわ。でもね」

 わたしはポケットの中に入っていた小銭入れを開け、自販機で缶コーヒーとカフェオレを買うと、奈野さんにカフェオレを渡した。冬場には、いささか冷たすぎるその缶が、握った手に痛い程だ。

 だが、心はもっと痛む。

「どうせ魔法で治せばいいから。なんてのは、間違ってると思うの」

 勿論、魔法は便利だ。それこそ、これほどの傷でも、そして奈野さんのように、人並み、もとい魔法少女として平均的なリジェネでも、一晩で治癒出来てしまうほど、使い勝手がいいし、協力だ。だが、だからといって、それは誰かに酷いことをされて、良い理由にはならない。

「それ、飲む前に、傷を冷やしておくといいわ。きっと、本当はまだ、痛むんじゃないの?」

「……お見通しですか」

 肩を竦め、頬に当てた缶コーヒーに冷たそうな声を上げながら、奈野さんは笑う。

 それから、再び歩き始める。勿論、二人の間に流れる雰囲気は、凡そ和気藹々としたものとは程遠い。何せ、あんな話をした後だ。とても楽しくお話が出来るような状態では、ない。

 わたしは話を続けるべきか悩むが、しかし、今のわたしに出来ることは、それこそ奈野さんの話を訊くくらいのものだった。

「ミネットと契約してから、本当に、お父さんとお母さん、仲良くなったの?」

「いや、そりゃあもうっ。今日も今頃、二人で映画でも見てると思いますよ? なんというか、まるで新婚の夫婦みたいに、わたしのことなんかあまり見えてないみたいに仲良くなって。まあ、わたしも、その方がいいんですけどね」

「……どうして?」

「決まってるじゃないですか」

 奈野さんは少し歩みを早め、わたしの前へ出る。

「だってその方が、わたしもパトロールに、家を出やすいですからね。高校生にもなるっていうのに、これまでは、門限も夜の9時とかで、凄い嫌だったんですよ。9時ですよ、9時! 友達と遊びに行こうにも、なかなか遠くまではいけないし、早く帰らないといけないから、遅くに帰ることも出来ないし」

 門限。それはわたしにとって、懐かしい響きだった。それこそ、わたしが学生であった頃は、わたしもお父さんとお母さんに、門限は決められていた。といっても、流石に9時、なんてことは無かったが、それでも日付が変わって遊び続けるのは、止められていたような覚えがある。

 しかしまあ、わたしの場合は、あくまで友達と遊ぶため。それに引き換え、彼女は陰ながら、人知れずお父さんとお母さんの中を取り持っている。そんな彼女に9時の門限だなんて、余りにも酷だ。

 だからといって。

「今なんてむしろ、わたしがいつも11時から日付を超えてパトロールするのを、お父さんとお母さんは、むしろ歓迎してるくらいですからね。全く、困ったものですよ」

「……」

 言葉を失う。

 なんと返せばいいのだろう。

 まさか、第二子が生まれるのも時間の問題だね、なんてことは言えない。

 というか、彼女はそもそも、それを理解しているのだろうか。いや、高校生にもなって、よもや子供がコウノトリさんによって運ばれてくる、なんて迷信を信じているわけではなかろうが。

「その間に、喧嘩とかしてなかったらいいんですけど」

 そう言った彼女の言葉に、わたしは相槌を打ちながら、内心安堵する。1よかった。変な方向に話が進んでいったらどうしようかと、内心びくびくしていた。

 閑話休題。

「ところで……変身について、色々聞いてみたいんだけど、良いかな?」

「へ? ……ああ、そういえばそうでしたね、教えないと、色々分からないですもんね」

 わたしは頷く。実際、本当に分からないことだらけだ。それこそ、どうやって変身をするのか、という極めて初歩的な所から、奈野さんで言うところの糸、のような、それぞれが持っているオリジナルの魔法についても。

「まず、変身の方法について、なんだけど……具体的にどうやるの? 何か、呪文でも唱えたりするのかしら?」

 わたしは至って真面目に、そう質問する。しかし奈野さんは、少しの間きょとんとした顔でこちらを見返し、それから顔を背けた。

 肩がふるふると震え、手で押さえた口元からは、小さく笑い声が漏れている。

 え?

「いっ、いやっ、ふふっ、すみません……! その、いやなんでもないですっ」

「あるわね。ていうか、きっと、面白がってるわね」

 いやだって、魔法少女の変身って言ったら、大概はグッズ、それこそ魔法のステッキだとか、そういうものによって変身するものだ。あとは、呪文か、魔法陣か。精々、その程度の知識、それも、アニメや漫画の知識だが、それくらいしか想像が付かない。

 奈野さんは、それからしばらくの間、最早声を抑えるのも忘れて、けらけらと笑い続け、やがて涙を拭いながらこちらを見る。

「綾瀬さん、やっぱ魔法少女の適正、あるんですね」

「なんだろう、この流れで言われると全く嬉しくないわね」

 子供っぽいって言いたいのか。

「いやいや、でも確かに、そうですね。わたしも初めは、呪文か何かなのかな、なんて思――ってはなかったですけど、でも思いますよね」

 おい。

 言葉の棘が凄いな。びっくりしたよ、わたし。

 ギンピー・ギンピーかよ。

「ちなみに、変身の方法についてなんですけど」

 それからようやく、彼女はわたしを一通り傷つけ、満足したのか、相変わらず半笑いで説明をしてくれたところによると。

 どうやら、変身にそれこそ、大した儀式は必要ないらしい。むしろ、フルオートとのこと。

 例えば、魔物が一匹でも現れる。そして、その魔力を身体が感知する。すると、自動的に変身してしまうらしい。そして、同じように、意図しての解除も出来ない。それこそ、魔物を全て倒し切るか、あるいは逃げるか。そのどちらかで、魔力を感知しないような状態を作らない限り、ひたすら魔法少女としての姿を保ったままだという。

 あまつさえ、そうして変身をしたり、変身したままの状態だと、これまた魔力が持続的に減っていってしまうらしい。奈野さん曰く、それは魔法を使う時同様、大した消費量ではなく、正直気にするほどの物でもない、とのことだったが、もう一つ、そんな微々たる魔力の消費より、もっと気にしなけらばならないことがあるらしく。

 どうやら、そうして魔法少女の恰好でいると、かなり疲れるし、もし仮にその姿を一般人に見られてしまった場合、カフェで奈野さんが言っていたように、ミネットが記憶操作魔法をかけてくれるらしいが、それもただではないらしい。都度都度、供物を捧げる必要がある。とのことだった。

 それを聴いて、わたしは改めて、ミネットが契約、という言葉を使った理由について、考える。

 なんというか、ほんと、魔法少女って言う割に、色々と融通が利かないというか、なんというか。もうちょっと、魔法の力らしく、何でもありにはならないのだろうか。

「ちなみに、供物って、何なの? 生贄的な?」

 ネズミの死骸とか言わないで欲しい。

「いや、そんな物騒な話じゃないですから、大丈夫ですよ」

 奈野さんは、笑いながら顔の前で手を振る。

「別に、ただのキャットフードとかで大丈夫ですから。ほら、なんかちょっとお高いキャットフード、たまにコンビニとかで売ってたりするじゃないですか。あれを上げたら、ちゃんと魔法掛けてくれますよ」

「……え、あいつ、そんなの食べるの?」

 なんか、アルプという種族がどうこうとか、契約がどうこうとか、大層なことを言っていたはずだが。

 ……え? キャットフード? それも、ちょっとお高めの?

「ちゅ~るでもいいのかしら」

「あ、良いと思いますよ。わたしも前に、それ上げたらすごい喜んでましたし」

「……へえ~」

 なんか、思ってたのと違うな。

 ともかく。今はそれどころではない。

「次の質問、いいかしら」

「ん、はい、どうぞ!」

 勿論、変身のことも気になってはいた。それこそ、服装がダイレクトに変わるわけだし、そういう意味でも気になってはいたのだが、何よりも、その仕組みに対して、気になっていたのだ。

 そして次に、わたしが気になったこと。

「奈野さん、それこそ昨日、公園で、凄い魔法使っていたじゃない。わたしも、ああいう魔法、使えるのかしら」

 自分を起点に、そこから目測ではあるが、凡そ180度に迫る距離で、まるで蜘蛛の巣よろしく飛ばした糸が、瞬く間に電柱や遊具などを支点に、張り巡らされたあの技。きっと、あの技を編み出し、習得するのにかかった時間を思えば、あそこまでは望んでいなくとも、それでもわたしだって、まさか死なないだけ、では話にならない。魔物と戦えないままでは、それこそわたしの不死性だって、時間の問題だ。ならば、わたしも何か、いわゆる固有魔法、魔物と戦えるだけの力。それを使うための方法を、知っておきたかった。

 奈野さんは、そこで思い出したように顔を明るくする。

「あっ、そうそう、それなんですけど、わたしも気になって、ミネットに訊いてみたんですよ。やっぱり、魔力の量が桁違いらしいから、何か強力な魔法でも使えるのかなーって思って!」

 どうやら。

 魔法の出し方については、それこそ魔法少女としての、本来の恰好に変身してしまえば、自ずと解る。と奈野さんは答えた。それから、わたしの固有魔法についても、その時に、分かる。と、ミネットはやけに適当な説明をした。と、奈野さんは語った。

「でもほんと、どんなの何でしょうね……。きっと、強い魔法であることは、確かだと思いますよ! いやあ、見てみたかったなー!」

 ほんと、どんな何でしょうね!

 そういって、まるで自分のことのように、はしゃぐ奈野さん。

 わたしは最後に、もう一つ、質問を付け加えた。

「……これはさっきから気になってた、質問なんだけどね」

「ん、はい……ど、どうぞ?」

 なんだろう、と身構える奈野さんに、わたしは構わず質問をする。

「……わたしの治癒スキルって、他の人にも、応用出来たり、するものなのかしら」

「…………あはは、もしかして、わたしの傷、治そうとしてくれるんですか?」

 なかなか、そんな魔法少女はいないですよ。大概の魔法少女にとって、自分以外は全員、ライバルですからね。と、彼女は語る。

「それこそ、魔物の量だって、それほど大した数はいないですから。だからわたしもこうして、毎日、パトロールしてたわけで」

 本来、魔法少女にとって、怖いのは、魔物なんかより、他の魔法少女ですからね。

 言われて、わたしは想像通りの返答だと、納得してしまう。

 分かっていた。それこそさっき、身体が瞬く間に変身してしまったと同時に、魔法少女としての本来の姿へとなったと同時に、そんなことは、すっかり理解していた。

 死にたくない。そう願ったわたしの魔法が、まさかこんな能力だとは、すっかり思いもよらなかったが、しかし、まるでこれまで忘れていたかのように、脳みそに流れ込んできた、技の使い方。魔力の使い方。しかしそのどれにも、人を治癒するような魔法は、存在しなかったのだ。

 少なくとも。

 わたしが魔法少女として変身を遂げた次の瞬間、後ろから不意を突くようにして、横腹を抉られた奈野さんは、明らかに手遅れとしか思えない量の血を、アスファルトに垂れ流しながら、最期の力を振り絞って、わたしの質問に答えてくれていた。

 助からない。それが分かったと同時に、冷静に、思考回路を切り替え、聞き出せる限りの情報を奈野さんから仕入れようとしたわたしは、悪だろうか。本当ならもっと、この一晩、そしてお昼のカフェでの出来事、更にはわたしを助けてくれようとした彼女に対して、感謝の言葉を伝えるべきではなかったのだろうか。

 しかし、そんなことを切羽詰まったこの状況で、最善の判断が出来る訳もない。

 事実、わたしとて、供物の話をしている途中で急に具合を悪そうにし、その場へ頽れた奈野さんの身体を抱き留め、後ろから抉り取った脇腹を、口で咥え、その先で貪り食う魔物、その姿に目を奪われていたほどだ。むしろ、咄嗟に現実的な、利己的な判断が出来たことを自画自賛したいくらいだ。

 願わくば。

 そんな利己的な判断が出来ないような、人を第一に慮れるような人間に、なってみたかった。

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