第五話:呪文詠唱(注文)
すると、程なくして既読が付く。それから矢継ぎ早に、短いメッセージが数個、送られてきた。
『もうすぐ着きます!』
『え、もう着いてるんですか?』
『すみません、すぐ行きます!!』
あの子は一体、どんな速度で文字を入力しているのだろう。そう疑問に思ってしまうほど、連続で送られてくるメッセージに対し、わたしはその都度、返信の文面を送ろうと入力しては、消してを繰り返しながら、そんなことを思っていた。よもや、パソコンのキーボードで打っているわけでもあるまい、あくまで片手、それも親指だけで入力しているはずだというのに。
流石は現代っ子。スマホの操作については、わたしよりもかなり熟練しているのだろう。
ともかく、早く着いてしまったことを悩み、危うく街路樹で首でも括ろうかと、演目の死神よろしく物思いに耽っていたわたしは、これで、近くのコンビニからロープを買う必要はなくなったらしい。安堵の溜息を吐くと、了解の旨を返信して、スマホをカバンに戻した。
それから数分後。本当にすぐ来た奈野さんは、極力通行人と目を合わせないように、何故か罪悪感すら憶えながら、街路樹の側で、木に一体化しようとしているわたしの元まで駆け足で来てくれた。別に遅刻しているわけでも何でもないし、むしろわたしが早く着き過ぎただけなのだから、ゆっくりと歩いてきてくれたらよかったのに、本当に急いできてくれたらしい。小脇に抱えている上着へ、寒そうに袖を通しながら、やや息を切らす。
「えへへ、お待たせしました」
「……本当に走ってきたの?!」
「え? ……はい!」
そう言って屈託のない笑みを浮かべる奈野さん。わたしは思わず、そのあどけなさに物理的な眩しさすら感じて、目を反らしてしまう。
「だって、折角、こんなお洒落なカフェ、ご馳走してくれるんですもん、わたし嬉しくて!!」
うきうきですよ、うきうきっ! そう言ってはしゃぐ。
少なくとも昨日は、わたしの生き返った姿を見たり、不用意に伸ばした指を怪我してしまったり、色々と迷惑と心配をかけていたせいで、彼女もすっかり気を張ってしまっていたのだろうが、少なくとも今、こうして話している分には、まるっきり普通の女の子というか、とても昨日の様に、戦いなれた、フリフリドレスの魔法少女、という面影は感じさせない。
わたしは、昨日の恩と、これからお世話になることも伝え、今日は好きなだけご馳走すると、そう伝えたことを思い出した。だが、まさかここまで喜んでくれるとは思ってもいなかった。一応、値段はホームページで調べてみたが、それほど高くもない。しかしまあ、なんにせよ、これほど喜んでくれるのなら、奢り甲斐もあるというものだ。
「ほら、早く入りましょう! タピオカがわたしたちを呼んでますよ!!」
「幻聴じゃない?」
言われて、手を引かれるまま、わたしは店内へ入った。
正直、こういったお洒落なカフェは、あまり得意ではない。というか、はっきり言って、一人で来ることはないし、誰かと一緒に行くことも、人生で数えるほどしか経験がない程、苦手だった。勿論、こういったお店の、落ち着いた雰囲気とか、かわいらしいパンケーキのデコレーションは、わたしもときめくものはあるのだが、しかし何というか、どうにも場違いな感じがしてしまう。わたしなんかが、こんなお洒落空間に居てしまって申し訳ありません。なんて気持ちになってしまうのだ。
どう考えても被害妄想の類だし、早急に心療内科の受診を検討するべきだ。いわゆる陰キャが、医学的に治療できるのかどうかは別として。
そして案の定というべきか、わたしの手を相変わらず引きながら、すっかりテンションがあがっているらしい奈野さんは、そのままずんずんと店内へ歩みを進める。そして、レジカウンター越しに、店員さんの前まで来てしまった。
にこやかに笑う、綺麗なお姉さんを前に、わたしは思わず視線を下に落とす。
「いらっしゃいませ、お持ち帰りですか? それとも、こちらで召し上がられますか?」
「はい、こちらで頂きますっ」
わたしの代わりに、ハキハキと答えてくれる奈野さん。なんというか、こういう時はやはり、年上として、むしろわたしが彼女を引っ張っていくくらいでないといけない。そう頭では理解しているのだが、現実は真逆である。
「かしこまりました。では、ご注文がお決まりでしたら、どうぞ」
落ち着いた笑みを浮かべる店員さんは、そう言って、手でメニューを示す。
「えー、どうしようっかなあ。……あっ、お先にどうぞ!」
そういってわたしに、先にメニューを示す奈野さん。勘弁してください。わたし、そもそもこんな早口言葉か呪文みたいなメニュー、どれにしようか悩む以前に、何が何の味なのか、それすらわかってないんです。
「え?! あっ、そ、そう? じゃあ、お先に……」
しかし。
ここでもまた、わたしの悪い癖が出ていると言っても過言ではない。
見栄っ張りな性格。
それが出てしまっているのだ。
こういう時、本来なら、それこそ何が何だかさっぱり分からないのであれば、それを正直に奈野さんへ伝えて、適当にわたしの飲み物も見繕ってもらうのが、最善かと思われる。だが、わたしはこの期に及んで――魔物に襲われて尻もちをついたり、飛び降りようとしたところで腕を掴まれて助けられたり、奈野さんの張った罠である、極細の巣を触って、指を怪我したり――奈野さんの前で、何故かお姉さん振ろうとしているのだった。
無理だって。
手遅れだって。
PUPAとか、BLUE notEとか、あんな感じの大人びたお姉さんにはなれないって。
強いて言うなら、この店員のお姉さんが、一番大人びてるわ。
事実。
わたしが実は、こういうお店に来るのが苦手で、実際店内へ、奈野さんによって引っ張り込まれて入店したことから、色々と推理してくれたのか、あるいはただの偶然なのか。それは分からないが、とにかく。
店員さんは、何かを悟ったような笑みをわたしに一瞬向けると、すぐにメニューを手で示す。
「ちなみに、今のオススメは、こちらの宇治抹茶を使った、タピオカドリンクでして。甘いものが苦手な方にもおすすめな、ほろ苦さがこの秋、とても人気なんですよ。いかがですか?」
言われてわたしは再びメニューを見る。なるほど、最近の目玉商品なのか、これだけメニューの上の方に、かなりのスペースを取って書かれている。これなら、確かに甘いものをあまり嗜まないわたしでも、美味しく頂けそうだ。
「じゃ、じゃあ、すみません、これを一つ……」
「ありがとうございます。サイズは、如何致しますか?」
サイズ。
なるほど、そういうのもあるのか。
これが例えば、スタバだったら、やれグランデだ、トールだ、ベンティだ、いろいろとややこしいのだが、幸いにもここのお店は一般的な、Small、Medium、Large表記である。わたしは胸を撫で下したい気持ちになりながら、まあ長居するであろうということで、Lを注文した。
それから、次に注文は奈野さんの番。しかしなにやら、黒蜜がどうこう、抹茶がどうこう、ほうじ茶がどうこうと、とてもわたしには理解できない言語かと思うような言葉で店員さんと盛り上がっていたので、良く分からなかったが、辛うじて分かったのは、ほうじ茶ラテのタピオカを多め、ということだった。
あとは知らん。
そして、そんなやり取りが行われ、店員さんとタピオカ談義で盛り上がっている横で、わたしは店内を見渡す。どうやら、休日のこの時間は、店内で飲食する、というよりも、テイクアウトして、飲みながら歩く方が主流らしい。そのお陰もあって、席はいちいち空いているところを探さなくてもいいくらい、広々としていた。
それにどうやらこのお店は、ケーキも売っているらしい。正直、先ほどまではそんな余裕、一切なかったので、全く気付かなかったが、すぐ隣のショーケースには、何種類かのケーキやスコーンなどの、かわいい見た目のスイーツが並んでいた。
まあ、折角店内で食べるんだし、買ってみてもいいかもしれない。
「では、ご注文は以上でよろしいですか?」
奈野さんの注文を終え、微笑む店員さんに、わたしは奈野さんの横合いから声をかける。
「あっ、ケーキも追加で注文したいです。ほら、奈野さん、どれか好きなの選んで」
「え、えっ、良いんですか?! でも……」
結構お高いですよ。なんて、わたしに気を遣って言おうとしたのだろう。だがわたしはそれを制する。
「あはっ、いいわよ。遠慮しないで、何でも好きなの選んで?」
ちなみにわたしは、何故か店員さんに見抜かれた通り、甘い物は嫌いではないが、あまり大量に摂取すると、胸やけをしてしまう年だ。何故か、25歳を超えた辺りから、急にそうなってしまった。歳だろうか。死にたいな。
「じゃあ……すみません、このザッハトルテを一つ……」
それからわたしは、お会計を済ませて席に着く。どうやら、店員さんが運んできてくれるらしく、渡された立て札を、良く見える位置に置いた。
足元を見ると、どうやらこういうカフェは、机の下にカバンを入れておくカゴまで置いてくれているらしい。わたしはカバンを肩から降ろすと、その中に入れた。
奈野さんの様子は、お店に入る前、自分でも言っていた通り、うきうきとしているのだろう。椅子にお行儀良く座ったまま、嬉しそうに身体を揺らしている。その口元は、明らかに緩んでいた。
かわいい。
「……そんなに、楽しみなの?」
わたしは笑いそうになるのを堪えながら尋ねる。すると奈野さんは、今まさに店員さんが作っているところへ向けていた顔を、勢いよくこちらへ戻した。
「いやっ、そりゃあもう! 楽しみも楽しみですよっ!」
聞けば、先ほど彼女が頼んでいたザッハトルテ。あれはこの店に来るたびに気になっていたケーキではあったのだが、しかしあの値段的に、どうにも手が出せずにいたらしい。確かにわたしも、お会計の時は少し驚いてしまった程だ。
しかしまあ、味は言わずもがな、店内の雰囲気だって、かなり凝っている。これほどお洒落な空間でゆっくり過ごす分の値段だと考えれば、むしろ安い程だ。
「あーっ、楽しみ……! めっちゃ美味しそうでしたよね! それに、タピるのも久しぶりだから、いやほんと嬉しいです、ありがとうございます!」
「いやいや、昨日はわたしも色々と助けられたんだし、これくらいは当たり前のことよ」
命の恩人である。
というか、タピる……?
え、何、新しい日本語?
タピるってなに?
「お待たせしましたー」
そこへ、店員さんが注文の品を持ってきてくれた。そしてわたしの前に、注文した抹茶ラテタピ――なんとかかんとかを置いてくれる。
ねえタピるって何よ。
……なるほど、大きなコリンズグラスに入れられた、タピオカと、抹茶ラテ。更に上からかけられた、たっぷりの生クリームに、その更に上から抹茶の粉末。大き目の氷が数個、その抹茶ラテと生クリームの境目で、浮かんでいるのが見える。
そして隣へ添えられているのは、どうやら専用のストローらしい。なるほど、これでタピオカを吸い上げるのね。
少なくとも、会社勤めだった頃は、こんなお洒落なカフェに出かける時間すら久しくなかったので、そういえばわたし、タピオカミルクティーを飲むのは、これが初めてであることに、今気づいた。
ちなみに奈野さんが注文したものは、ほうじ茶のラテの上に、同じく生クリームがフロートされており、違いと言えば、いわゆるトッピング、だろうか。その上からチョコソースが掛かっていたり、グラスの内側に添わせるようにして、黒蜜?が垂らしてあったり。なるほど、あの呪文詠唱のような、最後の注文にはそういう意味があったのか。
てっきり店内に魔物でも居たのかと思った。
というか甘い飲み物に甘いソースをふたつもかけて、生クリームにザッハトルテ。見ているだけで胸やけを起こしそうだ。いや、美味しそうではあるけれど、それでもこの量は……。
若いっていいなあ。
てかタピるって何なの?
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