天邪鬼は人

第1話 殺し

「っっっ!!」

 ばっと、跳び上がるように身体を起こした。

 午前二時。草木も眠る丑三つ時。夜空に朝の気配はない。


 嫌な夢を見た。

 Tシャツがべっとり貼り付いて気持ち悪い。着替えるために、寝床を抜け出す。


 天野あまのごんは最近、悪夢に悩まされていた。不愉快なちょっとしたただの夢。

 べったり貼り付いた髪の毛をかき上げる彼の横顔を、月の明かりがうっすらと照らす。軽く目を閉じて、深く息を吐いた。


 それは、友人を殺す夢。


 ごんは昔から気が強く、何てことのないいさかいから、取っ組み合いの喧嘩になることも少なくなかった。

 ただ、彼ももう中学生。自分の意見を飲み込んで、こらえることを覚えていた。争いは当事者だけでなく、周囲も巻き込むものだと気づいていたから。

 しかし、腹が立つことに変わりはない。


 そう。最初はただの回想だった。


 とあるひとりのクラスメートとほんの少しそりが合わなかった。それはよくある相性の不一致。ちょっとした気持ちの行き違い。

 そこに不運な腐れ縁が絡みつき、ふたりは衝突することがほんの少し多かった。


 そんなある日。ごんは彼との諍いを夢で繰り返してしまう。自分本位な彼ともう少し距離を置こうと考えていた最中さなかだった。

 内蔵が煮えくりかえるような過去の怒りが蘇り、飛び出しそうになる拳をぐっと握りしめる。それはもう目を覚ましてしまうほどに。掌に血が滲むほどに。


 目覚めの悪い朝だった。枕も布団も、ごん自身でさえベッドから、転がり落ちていた。

 その日だけなら、それで済んだ。

 しかし、その夢は何度も何度も続く。毎回、同じというわけではない。日中の出来事が影響する。彼と衝突した日の夜は必ずうなされた。

 当然のごとく、彼の不満と怒りは積み重なっていく。


******************************


「…そう。

 じゃあ、彼のことは嫌いなの?」

 ごんの話を聞いて、占い師の女は尋ねた。


 部活の帰り道。

《占い☆今日だけ無料です☆》

 という見慣れない怪しげな看板に、る虫のようにフラフラっと引き寄せられてしまったごん。心身ともに疲れていたのだろう。


「いえ…彼にも良いところはあると思うので、仲良くしたい気持ちはあるんですけど…」

「我慢できない部分もあるってわけね!…ふむ」

 右手を載せた手のひらサイズの水晶をチラッと見てから、彼女は彼の手をひっくり返して、わざとらしく眺める。

「…ふんふんふん、ふん!オッケー!」

 軽々しい口調の後、深い藍色のフェイスベールの上に並んだ薄紫の瞳が、じぃっと見つめた。

「…あなたの心の声に従いなさい」


 何の解決にもならない答えだった。

 だが、淡い瞳があまりに自信に満ちていて、言葉を失う。やっぱり時間の無駄だったのかもしれない。

「…ありがとうございました」

 そう言って、力なく鞄を持って立ち上がる彼を、彼女は綺麗な銀色の長髪をもてあそびながら、愉しげに見つめる。


「まいどあり!また来てね☆」


******************************


 そんな占いが彼の心を穏やかにするわけもなく、その後も悪夢は続いた。

 そして、彼の苦悩など知らずに、奔放な行動を繰り返すクラスメート。ごんは彼が視界に入ることすら、苦痛になり、高校を休むようになっていた。

 それでも、悪夢は止まらない。


 ある日、彼はとうとう考えてしまう。

『俺ばかり苦しんで、あいつは悠々と毎日を過ごすなんて、不公平ではないか』

 夢の中でくらい、一度くらい、ちょっとぐらい良いのではないかと。


 積もりに積もった怒りはすこしの緩みで弾け飛ぶ。

 気づけば、ごんの指は彼の細い首を押さえつけていた。手の甲を彼の爪がガリガリと掻きむしる。その痛みが垢を剥ぎ取られるようで、厚いベールを捲られているようで、ごんは心地よく感じた。

 赤黒く染まった顔をしたクラスメートは、しばらく叫ぶように口をパクパクさせていたが、そのうちにだらんと脱力して、動かなくなった。

 虚ろな目をした彼が真っ白な顔で横たわる。生前の毒が滲み出たように醜く歪んだ顔で、虚ろな双眸そうぼうが月明かりを反射する。そこには不気味に微笑むごん自身が映っていた。

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