第3話 学ぶ娘
「新近効果が、短期記憶の証明になることの説明が、難しくって出来ないんです」
開口一番そう告げた彼女に、困惑の、しばしの沈黙が答えた。
『えっと、学問の話ですか』
「そうです。息抜きに本を読んでいたんですけど、自由再生におけるって文が最初にありました」
『なんの学問の本です?』
「心理学です」
『ああ、なるほど……すみません、ワタシにはどうもわかりません』
「残念。こんな街の管理AIなら、詳しいかと思いました」
『
かけていた眼鏡をはずし、そのレンズを拭きながら彼女は、小さく呻いた。
「いろんな物に手を出さないと、自分を見失いそうで。大学の四年間が終わったら、何も残らないなんて怖いじゃないですか。就活だって、怖いです。今時は、もう入学してすぐに就活を視野に入れた勉強の話をされるらしいんですよ」
『そうなんですね』
「こんな話、大学に合格もしてないのにするなんて、おかしなもんですね」
『いいえ、まさか。未来のヴィジョンを考えるのはよいことです』
机に積まれて、今にも崩れそうな参考書の山を見やってから、彼女は頬杖をついた。使い古され、何枚もの付箋がはみ出ていた。
「大人ってどうやってなるのか分かりません」
『大人のなりかたですか』
「成人したらすぐに大人になれるとは思えないんです。いまだに子供みたいな言動する人、多いじゃないですか」
『そうですね』
「どっかの国の民族で、成人の儀式みたいな、通過儀礼をやるって昔聞いたことがあるんです。これに成功したら、成人だ、って証」
『成人式なら日本にもありますよ』
「ただオシャレして、話かなんか聞くだけでしょ? 私が言うのは……例えば、一人で狩りをしてくるとか、遠い洞窟の中にある物を取ってくるとか、そういった、自らちゃんと行動するタイプの奴です」
『狩りなら、石器時代などはそうだったかもしれませんね』
「そう。昔は、年齢とか気にしていなかった時代は、ミッション基準に成人かどうか決めてたんだと思うんです、私」
ガタリと立ち上がり、彼女はこぶしを握り締めた。立ち上がった反動で、本が数冊崩れた。手づくりの英単語長が床に落ちた。
「乳歯が全部抜けるとか、何歳になったらとか、本人が特別行動しなくても起きることを区切りにするんじゃなくて、本人が自ら行動するようなものを基準にすべきだと思います。あと少しで成人だから、覚悟しといてね、なんてひどいですよ! 20歳なんて数字に、深い意味なんかあるとは思えません」
溜まっていた不満を吐き出すように、彼女は一息で話した。
「進路だってそうです。だって、間に合うわけないじゃないですか。人生は長いんですよ。それなのに四分の一もいってないのに、自分のこれからを決める重大な決断ができると思います!? …………でも、仕方ないんです。やるしかないから、勉強しておくしかないんです。自分がどの道を途中で選びたくなったとしても、ある程度は平気なように」
『頑張り屋さんです』
「…………でも、こんなに必死なの私くらいじゃん、って時々馬鹿らしくなります。バイトに明け暮れたり、悠々と実家で暮らしている同級生や年上の大学生を見ていたら、私、バカみたいって」
『そんなことはありません。皆、それぞれに事情があります。皆、同じように悩んで、過ごしています。バカみたいな人なんか一人もいませんよ』
「大人はずるいと思います」
『なぜ?』
「私たちが今悩んでいることは全部、もう解決しているんでしょう。そんなに心配しなくてもいい、たいしたことないよ、なんて、不安と苦しさからは離れた所から言うんでしょう。私たちは、そこに行く方法が分からなくて苦しいのに」
ぽたぽたと涙を机の上に落としながら、か細く彼女は言った。
「私って何ですか、高校生でもない、大学生でもない。私の肩書は何ですか。無職ですか? 浪人生って、何ですか」
__ただの19歳ですか。
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