約束
……それじゃあ、話そうか。
ここまではまだ序盤、ただあの天才と呼ばれた男と私の間にほんの少し縁があったという誰にとってもどうでもいい情報だ。
だけど、ここから先は命に関わる話をする。
知っているだけで命を狙われるような、そういう類の……酷い話だ。
だから、この先は聞いても聞かなくても構わない。
概要だけはここで話しておく、ここから先は私があいつを殺そうとそう決意した時の話だ。
ただそれだけの話だから、ここだけは飛ばしてもらっていい。
だけど、それでも聞いてくれるのなら……どうか笑ってほしい。
あいつではなくて、結局なにもできなかった私のことを。
それは、あいつと私が出会ってから大体六年くらい経った頃に起こったことだ。
私達は十六歳になっていたけど、代わり映えのない日々を送っていた。
少なくとも私はそう思っていた。
特に会話もせずに隣り合った席で本を読んだり勉強して、三時になったら二人でふらっと外に出て菓子を摘んで、閉館時間になったら別れの言葉も告げずに席を立つ。
世間話をしたり些細なことで喧嘩をすることもあったけどそれは本当に稀で、喋っている時間よりも黙っていた時間の方がずっとずっと長かった。
そういえば一回だけ、あいつから家族に関する愚痴を聞かされたことがある。
弟も妹も頭の悪い出来損ない、父親は頭の固い頑固者で他人が自分の思う通りに動かないと癇癪を起こして、母親はそんな父親の言いなりのくせに時折ひどいヒステリーを起こして自分や弟妹に当たり散らす。
けれど自分は優秀な長男だから、家族全員にいい顔をしてやらなきゃ駄目で、それがすごく疲れる、って。
お前家族にも猫被ってんのかって聞いたら『生まれた時から、ずっと』って。
優秀な天才勇者候補様は大変そうだな、そのうちストレスでハゲるぞって言ったら、無言でデコピンされた後、頭をぐちゃぐちゃに撫でられた。
家族の話はこれきりだったけど、似たような感じの会話は何回かしたことがある。
その度にこいつやっぱり性格悪いただのクソガキだな何が天才勇者候補だ、って思ってた。
時々なんでこんなのと無駄話をだらだらしてるんだろうともよく思った。
けど居心地は悪くはなかった、あいつがどう思っていたのかは知らないけど……同じように思っていてくれたのなら、私は嬉しい。
そんな日々が六年も続いたのだから、この先もずっとそれが続くのだろうと思っていた。
だけどあの日、閉館時間を告げるアナウンスを聞きながら帰る準備を始めた私に、珍しくあいつが話しかけてきたんだ。
この後何か予定はあるか、って。
なんでって聞き返したら、少し話したいことがあるから付き合ってくれないか、って。
何事だろうって思った、天才勇者候補が私なんかに改まって何の用だろうって。
あいつはにこにこといつも通りの胡散臭い笑顔を浮かべていたけど、何やらただならないものを感じた。
ものすごい、今まで生きてきた中で一回も感じたことがないくらいの嫌な予感がした。
聞いちゃ駄目だ、って思った。
だから首を横に振った、遅くなると親に心配されるから話があるならまた日を改めて、って逃げようとした。
そうしたらあいつは顔から笑みを消して、思いっきり舌打ちをしてから私の腕を引っ掴んで無理矢理引きずった。
抵抗しようとしたけれど、淡々とした声で『うるさい。黙ってついてこい』って。
あんまりにも冷たい声だったから、それで抵抗する気が失せてしまって、その後はおとなしくついて行くことにした。
そうして連れて行かれたのは人通りが一切ない暗い路地裏だった。
こんなところまで連れてきて一体なんの話だ、って聞いたら『夜明けまでにはこの国を出て行くから、別れの挨拶を』と。
月明かりに照らされたあいつの顔にはいつも通りの笑みが貼り付けられていた。
私は少し考えて『ただ挨拶をするためだけにここに連れてきたのか?』って聞いた。
どこにどういう理由で行くのかとか、いつ帰ってくるのかよりも、まずその疑問が口から溢れた。
だって、ただ挨拶をしたいだけならあの図書館にいる間でよかった。
それなのに何故こんな人通りのない場所をわざわざ選んだ?
あいつはただにこにこと笑っていた。
それがなんだか恐ろしかった。
あいつは笑ったまま『なんで俺がこの国を出て行くのかは聞いてくれないの?』って。
咄嗟に首を縦に振っていた。
多分、それを話すためにあいつが私をここまで引きずってきたのだろう事はわかってた。
でも、聞いたら何もかもが終わる、とそう思った。
あいつは顔から笑みを消して『馬鹿のくせにこういう時だけは勘が働くんだな』って。
何も答えられなかった、あいつはそんな私を見て大きく舌打ちをした。
『聞きたくなくても話してやる。だから大人しく聞け……大人しくしろよ痛い目に会いたいのか?』って言いながらあいつは私の首に手をかけた。
折られる、って思った。
だから黙った。
黙り込んだ私を見て気を良くしたのかあいつは笑った。
いつもと全然違う、胡散臭くはないけど怖い顔で。
そうしてあいつはどうしてあいつがこの国を出て行かなきゃならないのかを話し始めた。
少し長い話だったし、所々要領を得ないところがあったので、短くまとめる。
曰く、この国の勇者は神託ではなく国の権力者によって決めたもの。
曰く、勇者が必要とされる厄災のうち五割が現在の勇者制度を維持するために、そして娯楽のために作られた人災。
曰く、あいつは勇者としては完璧すぎるが故に“厄災”として表沙汰では処分できない国にとっての不穏因子を虐殺し、七年後に“厄災”として本物の勇者に打ち倒される役目を背負わされた。
曰く、あいつが殺せと命じられたのはあいつの弟と妹を除いた親族全員と、国の上層部の人間を五十人、それとカムフラージュの為に本当になんの罪もない無辜の一般人を百五十人。
……そんな話をあいつは笑いながら私に話した。
嘘だろうとか冗談言うなよとか言いたかったけど、あいつの様子から嘘でも冗談でもないんだろうなってわかっちゃって、だからこそなんも言えなかった。
あいつ、ずっと笑ってたんだ。
笑うしかない、みたいな笑い方で。
話してる途中も私に話しているっていうよりも時々自分に言い聞かせてるような口ぶりになった。
やめたくてもやめられないんだよどうせやめたって別の“厄災”が俺もろとも全部殺すだけなんだ。
結局死ぬんだ、ならあいつらのお望み通り全部殺してやる、だったら七年はお望み通り“厄災”として生きてやる。
馬鹿みたいだろうどうせ憎まれるくせにあいつらには死んで欲しくないんだ、あんな俺の足元にも及ばないクソガキ二人、どうなってもいいと思ってたのに。
なんでこんなことを? 死んだ方がましなんじゃ? でもやらなきゃだから生きなきゃ。
逃げても無駄、そもそも逃げられない、生きてる限り俺は一生“厄災”の役からは降りられない。
いっそ死ねたらどれだけ楽だったか。
けど、やらなきゃ。
こんな感じのことを時々譫言みたいに口走りながら、あいつはすべての話を終えた。
黙り込んだあいつに、私はこう聞いたんだ。
私はお前に殺される予定の百五十人のうちの一人か、って。
奴は何も言わずに、笑顔のまま首を横に振った。
じゃあなんで私にこんなことを話したんだろうって思ったけど、きっと大した意味なんてなかったのだと今は思う。
きっと吐き出さずにはいられなかったんだろう。
その吐き出す対象が私になったのは、私が赤の他人で部外者だったからなんだろうと思ってる。
あいつは壊れたような笑顔で私を見ていた。
私が何を言うのかを待っているかのような顔だった。
その顔を見て、私はこう言ったんだ。
なら、私がお前を殺してやる、って。
……死にたくなるほどやりたくないのに、お前がどうしてもそれをやらなければならないと決意してしまっているのなら、誰かがそれを止めればいい。
死ぬことでしか止まれないというのなら、私が殺せばいい。
私がそう言うと、あいつは随分と長い間黙り込んでいた。
その顔は笑ってはいなかった、ただ呆然としていた。
本気だ、こんなこと冗談で言うものか、って言ったらあいつはこちらを心底蔑むような顔で笑った。
お前に俺が殺せるわけがないだろうとあいつは言った。
そうだろうな、今は無理だ、って答えたらまるでいつかは殺せるみたいな口振りだなって。
できることなら今すぐ殺してやる、それができなくともお前が”厄災“として殺される前に私が殺すって。
お上の思い通りの“厄災”として死ぬよりは多少マシだろうって言ったら『どこが?』って呆れられた。
確かにどこがマシなんだか。それでもあいつの全部が他人の思い通りっていうのは私が嫌だったんだ。
……わかってる、わかってた、あんなの間違ってた。
普通に止めてやればよかったんだ、“厄災”になんかなる必要ない、私が全部なんとかしてやるって、そう言えれば一番よかった。
でもそんなの絶対無理だった。
だから、ほんのひとかけらでも可能性のある方に掛けたかった。
あいつ一人を殺すのだって私にはすごく難しいことだ、だけどあいつが抵抗する事を諦めて大人しく“厄災”にならざるを得ないような状況に追い込んだ奴等を全員相手にするよりも、勝率はずっとずっと高かった。
だから、絶対に殺す、約束だ、って言った。
あいつは世界で一番の愚者を見るような目で私を見ていたけど、約束だって言った直後に大声で笑い始めた。
気のせい、だったと思うのだけど笑っているくせに泣いているように見えた。
けど、すごく楽しそうな顔にも見えた。
暗くてよく見えなかったけど、それだけは多分見間違いではなかった。
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