私が殺し損なった男の話

朝霧

出逢い

 あなた達がこれを聞いているということは、私が完全に狂ったということなのだろう。

 そうなった時にこのデータを確認してくれと頼んでいるので、そのはずだ。

 もしもちょっとした好奇心でこのデータを開いたのであれば、どうかこの先は聞かないでほしい。

 今更いうのもなんだけど状況によっては国に消されかねないこともこれから話す予定だから。


 続きを聞いているということは、きっともう本当にどうしようもないということなのだろう、残念だ。

 それでは、話をしよう。

 ……本当に切羽詰まっている場合は最後の方まで飛ばしてほしい、一番重要なことはそこで話す予定だから。

 それでも少しばかり余裕があるのなら、もしくは全てが終わった後であるのなら、これから私が話すことを聞いてくれると嬉しい。

 ……といってもさっき言ったように状況によっては国に消されかねないことも話すから別に聞かなくてもいいけれど。


 ……前置きはこのくらいでいいだろうか、それではそろそろ本格的に話を始めようと思う。

 今から話すのは、私が殺し損なった男の話だ。

 あの男は正直言ってろくでなしだと思う。

 だから死んだ、だから死ななければならなかった。

 だから、私が殺そうと思った。

 けれども結局殺し損なった、去年の春にはしぶとく生き残ったくせに、1ヶ月前に右手を残して呆気なく死んだらしい。

 右手以外行方不明、生存は絶望的。そんな噂を小耳に挟んだ時、真っ黒で果てのない穴の中に突き落とされたような最悪な気分になった。

 あの男を殺すのは私のはずだった。

 一方的だったとはいえそう誓ったし、だからこそあの男は去年の春にしぶとく生き残ったのではないかと思っていた。

 それなのに、勝手に死んだ。

 だからこそ私は狂気に陥る羽目になった。

 そう、今の私には自分が狂っているという自覚がある。

 それでもきっともう止められない。

 それどころか自分が狂っているという自覚すらそのうちなくなって、いつの日か完全な狂人に成り下がってしまうかもしれない。

 だから、一度話をしようと思ったのだ。

 自分が狂っていると自覚している間に、狂ってしまったすべての原因を。


 私があの男と出会ったのは今から十四年前……私がまだ十歳くらいの頃だった。

 室長と出会ったのが確か十二歳の時だったはずだから、その二年前の話だ。

 その頃から私は、今と同様に昏夏時代にのめり込む歴史オタクだった。

 千年も前に滅んだ世界に恋い焦がれるように当時の私は昏夏時代に関する書籍を片っ端から読み漁っていた。

 学校の図書館だけでは飽き足らず、市の図書館にも通い詰め、それでも足りないと嘆いたこともあった。

 ちょうどそんな時期に私はあの男と出会った。

 出会ったのは市の図書館だった、どこかの学校が試験期間だったのか、普段はそれほど混んでいない閲覧室の席がほとんど埋まってしまっていたのを今でも何故かよく覚えている。

 私はその時もいつも通り昏夏時代に関する本を読んでいた、確か昏夏時代に食べられていたとされる料理に関するものだったような気がする。

 そんな私の隣の席に座ったのが、あの男だった。

 普段は隣の席の誰かが何をしているかだなんて気にしないのだけど、その時は偶然そいつが読んでいる本の内容が見えてしまったから思わず声をかけてしまった。

 あの男が読んでいたのは、昏夏語の基本的な読み書きを学ぶための薄っぺらい学習本だった。

 あの男はうんうんと唸りながら難しい顔で、怨敵でも睨むような目つきで問題を解いていた。

 自分と同じ年頃の子供が、自分には簡単に理解できるものとそんな顔で向き合っているのが少しおかしかったんだ。

 ……今思うと、だいぶ性格が悪いなと思う。

 実際話しかけたら、一瞬すごく嫌なものを見る顔で睨まれたし。

 当時の私はなんでそんな顔されるんだろうって思ったけど……必死に解読している内容をいきなり隣の席の変人から「そこ、ことわざだから直訳のままだとペケくらうぞ」だなんてダメ出しされたら面白くもなんともないと今の私ならわかる。

 でも当時の私はそういうことには無頓着な駄目な子供だったので、一瞬嫌な顔をされた程度じゃなんとも思わなかったけど。

 あの男との出会いはそんな感じだった。

 その後こちらから声をかけることはなかったし、向こうから声をかけてくることもなかった。

 それだけで終われば私はこうはならなかったのだろうなと今まで何度も考えたけど、後悔はしていない。


 私にとっては思い出すことも難しいような、あの男からするとおそらく最悪に近い出会いを経て、多分二週間くらい経った頃だと思う。

 詳しくは覚えていない、だって当時の私にとっては日常に数多く存在するどうでもいいことの一つでしかなかったから。

 その時私は確か……あ、だめだ思い出せない。

 昏夏に関する何かを読んでいたはずだけど、内容までは覚えていない。

 周りの人とか音とかがどうでも良くなるくらい集中していたのだけは覚えてる。

 それで軽く肩を叩かれたんだ。

 本から顔を上げるとあの時の子供がすごい胡散臭い笑顔でこう言ってきた『お隣いいですか?』って。

 多少拙かったけど、それでもちゃんと昏夏語だった。

 私は周囲を見渡した、席は結構空いていた。

 なんで空いてるのにわざわざ人の隣に座ろうとするんだろうって思ったけど、別にどうでも良かったので『どうぞお好きに』とだけ返して視線を本に戻した。

 この時はそれだけだった。

 それ以上特に会話はなく、閉館のアナウンスが鳴ってさあ帰ろうと思った時にはもういなくなっていたし。

 まともに会話をするようになったのは、確か……これと似たようなやりとりを大体三、四日毎に五回くらい繰り返した後だったと思う。

 その時になってあいつの方から会話を続けてきたんだ。

 いつものやり取りの後に『昏カ語がトクイなんデスか?』って。

 私は『昏夏語というよりも昏夏時代そのものが好きなんだ。なんでもできたくせにそのせいで滅んだ時代とか超面白いでしょ』って答えた。

 あいつは少し考えて、多分頭の中で私が言ったことを必死に現代語訳して、いつも通りの胡散臭い笑顔で『そうですか。スゴイですね。ボクとそうカわらないトシなのに』って。

『すごくはないよ。ただの趣味だしこれ以外はからっきり。それに実は大した事はまだ知らないんだ。昏夏語だって標準語の日常会話レベルまでしかわからないし、難しい専門用語とか方言とかはまだまだ意味わかんない』って答えたら、しばらくあいつは考え込んだ。

 それで数秒後くらいにすっごい機嫌が悪そうな顔で一言。

『イヤミか?』って。

 当時の私にはその意味がわからなかった。

 けど今ならわかる。

 忘れがちだけど昏夏語って習得が難しくて、一説によるとありとあらゆる時代に存在した言語の中でも最も難解な言語だって言われてるわけで。

 そんなのを十歳の子供がこともなさげに話していて、その上で「大したことない」とか言うんだから確かに嫌味っぽい。

 ひと昔前に流行った「私なにかしちゃいました?」系の大衆小説みたいなセリフだよなとも思う。

 ……と、今なら思い当たれるのだけど、当時の私は頭がそれほどよくなかったのでそこまで考えつかなかった。

 どういうことだろうってきょとんとしてたらあいつは大きく溜息を吐いて『もういイ』って。

『どういうこと?』って聞いたらすごい顔で睨まれたから、意味わからないけどこれ以上火に油を注ぐのもどうかと思ったから黙った。

 で、嫌われたっぽいからもう関わることもないだろうって思ってたら、予想に反してちょいちょい絡んでくるようになったんだよね。

 大体向こうから世間話っぽく昏夏に関する話を振ってきて、最終的に向こうが機嫌を悪くして会話を打ち切ってくるっていうのが大体一年くらい続いた。

 あいつ私にマウント取ろうとして失敗して機嫌悪くしてたんだろうなって今なら思い至れるけど、当時は何がしたいんだろうって思ってた。

 一年くらいでそれをやめた理由はよくわからない、当時の私が知らなかった話をすることができて満足したのか、それとも面倒になったのかのどっちか。

 ちなみにその私が知らなかった話っていうのは昏夏時代を終わらせ、星すら殺しかけた兵器のうちの一つ、ギャラルホルンについての話だった。

 私は昏夏を終わらせたものに昔から興味を持っていたけど、残っている資料が少ない上にその資料のほとんどが閲覧禁止の第二禁忌指定物だったから、知りたくても知ることのできなかった。

 そんな話をされたから私はものすごい食いついた、根掘り葉掘り聞いたし、メモもとった。

 ……そういやあいつ、昏夏を終わらせた兵器に関する資料なんてどこで見たんだろうな。

 あの時はコネで見せてもらったって言ってたけど、どういうコネを使ったんだ?

 確かにあいつの家はそういうコネ持ってそうだけど……

 まあいいか。

 それで、その話をしてから、あいつが私にわかりやすく突っかかってくる事はなくなった。

 とはいってもあいつは何の用がなくてもいつも私の隣に座ってたし、いつの間にか私のおやつ休憩にも付き合うようになったけど。

 ……当時の私はいつも三時におやつ休憩を取っていた、図書館内は飲食禁止だから図書館のすぐ近くにある公園のベンチまで移動して自作のクッキーやらタルトやらを食べていた。

 それでいつだったか毎日三時になるといそいそとどこかに行っては帰ってくる私を不審に思ったのか、あいつの方から『いつもどこにいってるの?』って聞いてきて、公園でおやつ食べてるって言ったらついてこられて、それから毎回。

 実のことを言うと、研究室にもよく持っていくバジルとチーズのクッキーはあいつのお気に入りだったりする。

 でも、基本的にはたったそれだけだった。

 あいつが当時の勇者候補だったということを知ったのだって、あいつに出会ってから二年以上経ってからで、それまでは名も素性も知らない赤の他人だった。

 名前を知った後だって、赤の他人でしかないのは今でもずっと変わり無いのだけど。

 名前を知ったのだって向こうから名乗ったわけでもないし、私から聞いたわけでもない。

 ただ偶然、あいつがテレビで歴代最強・最優の天才勇者候補だと持て囃されているのを見て、その後で『そういやお前、この前テレビで見た天才勇者候補君に顔が似てるな、親戚か?』って言ったらすごい微妙な顔で『本人だ』って返されたから知っただけ。

 ……いやあ、まさか本人だとは思わないでしょ? だって勇者候補って言ったらそれこそ全く次元の生物だし。

 だってあいつ、わりとどこにでもいる普通のお子様だったし、子供にしては胡散臭すぎたけど負けず嫌いで食い意地張ってるところとか、当時の私のクラスの男子達とそれほど変わりなかった。

 だから結構驚いた、テレビって脚色ばっかりなんだなあって言ったらすっごい嫌そうな顔された。

 でもそう思ったのも仕方がない、だってテレビに映っていたあいつは非の打ち所など一つもなさそうな、穏やかな聖人みたいな感じだったから。

 あらゆる祝福を受けた努力知らずの全知全能の神様の子みたいな……人間離れした何かに見えた。

 その上で誰も恨んだり嫌ったりしなさそうな……

 けど私が知ってるあいつは意地っ張りで負けず嫌いで性格が悪い、あと隠していたつもりなんだろうけどプライドも高い。

 それにあいつ、めっちゃ努力してたんだ、少なくとも昏夏語に関しては絶対に。

 私達、基本的にずっと昏夏語でやりとりしてたんだけどこっちがちょっと難しい単語使うとすぐにメモった上で調べてた、それで『何かあったか?』って顔で平然と会話を続けるの。

 死ぬ前にどうなってたのかは知らないけど、あいつすごい負けず嫌いだったんだよね。

 多分自分が知らないことできないことを他人が知ってたりできたりするのが許せない類の筋金入りの意地っ張り。

 許せないだけの奴ならそこそこいると思うけど、あいつはそれだけで済ませなかった。

 だからあいつは誰かの下にならないためだけに、努力を続けた。

 それはきっと世間一般的には美点なんだろうけど、私的にはとんでもない欠点だと思う。

 私はあいつよりも不器用に生きている人間を知らない。

 タチの悪いことにあいつは優秀だったから、努力すれば大抵のことができるようになってしまうのもああいう愚行を冗長させたんだろう、普通だったらとっくに折れることができただろうに。

 でも無駄に優秀だったから折れることができなかったし、その上で厄介なことに滅茶苦茶プライドが高かった。

 だからあいつは自分が努力していることを誰にも知られないようにしていた。

 努力知らずでなんでもできる生まれながらの天才、それが世間一般からあいつに与えられたクソみたいな称号。

 馬鹿じゃねえのって思う、何が天才だ糞食らえ。

 そんな風に呼ぶからあいつがつけ上がったんだ、それで天才以外の何者にもなれなくなった。

 ……どれだけ辛かろうと弱音を吐くことも、誰かに救いを求めることもできなくなった。

 家族にさえも、だ。

 そんな馬鹿者が隙を見せていたのが、ただ同じ図書館を利用しているだけの赤の他人だったのは……皮肉としか言いようがないと思う。

 なんかもっと他にいなかったんだろうか。

 ……いいや、違うか。

 赤の他人だったからこそ、あいつは私には隙を見せていいと思っていたのかもしれない。

 私が大抵のことに無関心だったのも、きっと理由の一つだったんだろう。

 実際勇者候補だって知ってもなんとも思わなかったし。

 ……子供の頃は考えもしなかったけど、大人になった今思うと、酷い話だと思う。

 あいつはね、ただの子供だった。

 誰も彼もが否定しようと、たとえ本人が否定しようと私だけはそう断言してやる。

 あの頃のお前はただのクソガキだったって言ってやる。

 ……そんな子供が家族にさえ心を許せず、こんな赤の他人にしか隙を見せられずに育つしかなかった。

 ありがたいことにどこにでもあるような普通に幸せな家で育った私からすると、それはひどく残酷な話だと思うんだ。

 ……これをもっと早く、今ではなくあの頃の私がほんの少しでも思い至っていれば何かがどうにかなったんだろうかって時々思う。

 けど、無理だった、絶対に無理だった。

 だからもう、ああなってしまったのは仕方がないことなんだ。


 私とあいつは最後まで赤の他人だった。

 あいつが私に対してどういった感情を持っていたのかは最後までよくわからなかった。

 少なくとも、好かれてはいなかったんだと思う、そこまで嫌われてもいなかったんだろうけど。

 だって、所詮他人だったんだから。

 じゃあ私があいつのことをどう思っていたかっていうと……この際正直に言ってしまうと、実は普通に好きだった。

 友愛の方が強かったけど、そうでない感情もあった。

 だって、こんなどうしようもない私のそばに居続けた変わり者は、家族を除けばあいつくらいだったから。

 一緒にいても苦じゃなかったし、気楽だったんだ。

 けどまあ、一般人と勇者候補じゃ身分が違いすぎるってのもわかってた。

 だから、ずっと、できれば互いにジジイとババアになってもこれまで通りの赤の他人でいられればいいと思ってた。

 ……私は何も知らなかったから、この程度の簡単な願いなら叶うと信じていた。

 今思うと、本当に馬鹿みたい。

 何も知らない、何も知ろうとしなかった子供のくせに。

 でも、今でも思うんだ。

 なんであの日常は、たった六年で終わってしまったんだろうか、って。

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