ネトラレ偽装──。君の涙を拭えるのなら、俺は初めてを捧げることさえも厭わない。
第9話 おにぃちゃんだぁいすき♡
うちの家族構成は父母妹、そして俺の四人家族だ。しかし平々凡々とは程遠い。
数年前から親父は出稼ぎで家に居らず、俺と母さんと妹の三人暮らしだ。
ここまでならありがちな普通の家族なのだが、この三人の中で誰一人として血の繋がりがない。
俺だけ血の繋がりがないのなら、これまたよくある話だが“誰一人として”なのだ──。
☆ ☆
物心ついた頃には親父と二人だった。
本当のお母さんについて聞くと親父は遠い目をしてしまい話を逸らすので、未だに詳しいことはわからない。
とはいえ仏壇もなければお墓もなし。生きてはいるっぽい。おおよそ親父の様子から察するに、他に男を作って出て行ってしまった説が有力だ。
まぁ、つまり……。俺と親父は捨てられたんだ。
「うちに母さんは居ねぇっ! お前は強くならなきゃいけねえ! わかったか?」
「おう! クソ親父! 洗い物は任せろってんだ!」
だからなのか、子供の頃は強気だった。
親父は甘やかさないをモットーにしていて、俺は期待に答えるようにすくすくと育った。
でもそれは、親父の再婚を機に少しずつ変わっていく──。
小学校に入学してすぐのことだった。
「今日からお前の新しい母さんと妹だ。今まで苦労かけたな。もう風呂掃除はしなくていいぞ! やったなクソガキ!」
「おう! でかしたクソ親父! 大義であったぞ!」
子供ながらに“大義”なんて言葉を知っていたのはバイクヒーロー帝王の口癖だったからだ。
「お、お母さん……よ、よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくね♡ 渡ちゃん♡」
しかし母さんと思うには妙に若くて、お姉さんという感じだった。
それもそのはず。この時はまだ19歳というのだから、母さんなどと思えるはずがない。
顔合わせから現在に至るまで、俺は母さんの前ではたじたじしっぱなしだ。
それとは変わって妹に対しては、お兄ちゃん風を吹かせられた。
「お、おに……おにぃちゃん。
「おう! 今日から俺の妹ってんなら、俺の保護下に置いてやる! 喜べ! お前の将来は安泰だ!」
「やったぁ♡ おにぃちゃんだぁいすき♡」
「へへっ。おかわいいやつめ! よしよししてやる!」
「わぁいわぁい♡」
“安泰”なんて難しい言葉を知っていたのは、これまたバイクヒーロー帝王の口癖だったからだ。
このときの俺は、親父に「強くなれ」と言われていたからなのか、“帝王”の仮面を被り、幼いながらにも精一杯に演じていた──。
新しくできた妹の香澄は俺のひとつ下で幼稚園の年長さん。このとき6歳だ。
19歳の母に6歳の娘。年齢の勘定が絶妙に合わない。
ここには聞くも涙、語るも涙なドラマがあり、新しい母さんは未亡人で、妹は元旦那の連れ子だったのだ。
そんなこんなで、母さんは現在28歳。妹は15歳となる。
母さんと呼ぶにはまだまだ若過ぎて距離感を掴めずにいる。モデル顔負けの体型にアイドル並の容姿。
感覚としては、自宅に綺麗なお姉さんが居る。これに尽きた。
妹に関しては出会いが幼稚園児でしばらくは「おにぃちゃん♡おにぃちゃん♡」と後ろをついてまわってきてたくらいだから、俺の中では完全に妹としての認識しかない。
世間一般的に見れば、間違いなく美少女にカテゴライズされるが、やはり妹だ。
しかし中学に上がった頃から冷たくなり、顔を合わせれば辛辣な態度を取るようになった。
おそらくきっと、思春期に入り年頃の妹ってやつになってしまったせいだと思う。
兄離れとも言うのかな……。
だから妹とはなるべく顔を合わせないようにして、家の中では逃げるように生活している。
☆ ☆
そして今日──。
帰宅して湯船に浸かる俺は教習所に通うにあたっての、必要なものに頭を悩ませていた。
「……はぁ」
それは親の承諾書。親父が居れば悩みの種にはならなかったが、次に帰ってくるのは盆休みだ。
さすがにそこから教習所に通うともなれば遅過ぎる。軽井沢さんの
……母さんに書いてもらうしかない、か。
お願いをすればすんなりと書いてもらえるだろうが、きっと色々と気を使わせてしまう。
綺麗なお姉さんに使われる気ほど、気の休まらないことはない。
それなのに母さんは高校生になった今でも「渡ちゃん♡」と過保護に接してくる。血の繋がりがない分、変わらず気を使ってくれているのだとは思うけど、あまりにも綺麗なお姉さん過ぎるんだ。
この気持ちは俺が歳を重ねる毎に強まっている。
その後ろめたさから、妹同様に極力顔を合わせないようにしているのだが……。
「……どうしよ」
とはいえ、軽井沢さんが怖い。どうしようもなく怖い。ここは腹を括って綺麗なお姉さんに書いてもらうしかない、か……。
☆ ☆
決心はするも、なかなか行動に移せなかった。
俺は風呂から上がるとベッドの上で身悶えていた。
と、その時──。
「ちょっとお兄ちゃん? 何度言えばわかるの? 馬鹿なの?」
香澄がノックもなしに俺の部屋に入ってきた。手には俺のパンツを持っている。
あぁ。やってしまったと思った。
「ごめん。今日はうっかりしてた。本当にごめん」
「何回言ってもわからないよね? わたし、これ嫌なの知ってるでしょ? しかも脱ぎたてじゃん」
そう言うと俺のパンツを広げ、匂いを嗅いだ。
「あぁ、これやばい……。頭の中くらくらする……。……こ、こんなものが家にあると落ち着かないの!」
香澄が何故こんなにも怒っているのかというと、脱衣所にパンツを脱ぎ捨てるなと言われているからだ。
「生活圏のそれも脱衣所でお兄ちゃんのオスの匂いがするとムラっとくるんだよね。本当にいい迷惑! お兄ちゃんのバカ!」
家族なわけだし、同じ家に住んでいるのだから仕方ないだろ……。
とは思うも、ここで言い返せば事を荒立てる。
「ご、ごめんな。次から気をつけるから」
言いながら香澄を横切る。
顔を合わせれば辛辣な態度。ならば、顔を合わせなければいい。「あっ、トイレ」と足早に去るに限る。
「次はないからね? もしまたやらかしたら責任、取ってもらうから!」
「お、おう……!」
とはいえこれは、家でパンツを洗うなと言っているに等しいことだった。
言われた当初はお風呂に入るタイミングで手洗いをしていたが、洗剤の減りが早いということで母さんにバレた。
それが一年ほど前で香澄はこっぴどく怒られた。その後すぐ、香澄に俺はこっぴどく怒られた。
結果、俺の部屋には現在、百均のパンツが30着ほどある。一日の役目を果たしたパンツはベッドの下へと放り投げ、月に一回コインランドリーでまとめて洗う。
たったこれだけのことで、妹の機嫌を損ねずに済むのなら安いものだ。
しかしこれが、風呂上がりについうっかり忘れてしまうときがある。
まさに今日がそれだった。
頭の中は軽井沢さんに怯えることでいっぱいで、パンツへの注意を欠いてしまった。
そうして香澄が怒り心頭に俺の部屋に乗り込んできたってわけだ。
……はぁ。
“おにぃちゃんだぁいすき♡”って言ってた頃が懐かしい……。
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