最終話 何が誤りだったのか 

「それなら旦那様のこの印璽はお返しする必要ない、ということですか?」


 ローデリアが首から下げていた袋を取り出すと、中からころん、と出してきたのはヴェノヴァ伯爵家の印璽だ。

 それを見てトーマスが度肝を抜く。

「なんで持ってきているんだ!?」

「だって、これは肌身離さず大事にしろと言われてますから、執事に」

「ほう、委任だけでなく印璽の管理まで妻にまかせていたのか。それならば、そなたが貴族でなくてもよさそうだな」

「領主なき土地になったら、領地が荒れ果てます!」


 そう叫んだトーマスに、陛下の後ろの文官だけでなく、周囲にいる近衛の冷たい視線までがトーマスに突き刺さる。

 元々彼らは貴族である。貴族として骨の髄まで印璽の重要さを叩きこまれているので、それの管理を疎かにしている伯爵を本能的に許せないのだ。

 だからトーマスが貴族らしいことを言っても、もはや「お前が言うな」という空気にすらなっていた。


「領主なきとも、治めてくれているではないか。立派に。ヴェノヴァの地においてこの二年、領主は飾りだったようだし」


 ほら、と陛下はローデリアを手で指し示す。


「この国では女性に爵位が与えられることは異例のことであるから、このまま伯爵夫人に爵位を与えるのも問題になるな。伯爵夫人が夫から爵位を奪ったみたいに言われるかもしれないし。テロドア侯爵には他に子供はいなかったかな?」


 後ろに控えている文官が、国王に耳打ちをする。


「やはりいないか。それならば、そのまま伯爵夫人には暫定領主として勤めておいてもらおう。外聞を憚るというのなら、公式の時はテロドア侯爵に顔だけ出させよ。元々はかの男が管理していたものだからな。実権は伯爵夫人に、とりあえず肩書だけはテロドアで。なぁに、伯爵夫人よ。面倒ごとが起きたら全部テロドア侯爵に押し付けてやればいい。元はといえばあの男が悪領主を推薦したも同然だからな。

本来なら奥方のようにこれだけ優秀な人材は王宮に召し抱えたいと思うが、未婚の子爵令嬢をとどめるのは申し訳ないからよき縁を得られるよう儂が直接支援しよう。伯爵夫人が結婚された時に、その夫にヴェノヴァの地を改めて与えることにするか」


 王のお声掛かりの再婚……いや、白い結婚が成立したので初婚である。しかもヴェノヴァの財産も爵位もそっくり持った18歳の女性。

 この先、結婚の申し込みが殺到することだろう。


「ローデリア、お前は俺が貴族であるように最大限努力すると言ってくれただろう? それなら今、それを果たしてくれ!」


 最後の望みと、ローデリアにすがるトーマスに、ローデリアは大きく頷いた。


「もちろんですわ、旦那様。旦那様は誰よりも貴族です。ですからこそ、王の命令を受け入れなければいけませんわ。貴族は王の手足。陛下のお言葉は貴族ならば絶対ですから」


 ローデリアの目には、夫への信頼と尊敬が光っている。

 トーマスなら絶対的な存在である王の言葉を受け入れると信じているのだ。



 それを見て、トーマスはそこで初めて自分がローデリアに施した教育が間違っていたことに気づいた。


 自分が余計なことを言わなければ。

 自分に都合がよくなるように彼女を支配しようとしなければ。

 余計な欲をかかなければ、ここまでひどいことにはならなかっただろうに。

 自分が望んだとおりに育ったローデリアだからこそ、今、このようになってしまったのだ。



 もしこれが普通の裁判だったなら、仮に財産を奪われることがあったとしても、爵位を失うことはなかっただろう。ローデリアがそれを望んでいたわけではなかったから。

 王により罰が軽減することばかりを考えていて、もっと重くなる可能性のことは考えていなかった。

 謁見の間に座り込み、うなだれて動けなくなっている元夫に、ローデリアは笑顔で続けた。


「私はそんな旦那様を誇りに思いますわ。たとえ平民であっても旦那様……いえ、トーマス様なら貴族らしい心を保ち、誇り高く生きていくことでしょう」


 閉廷の宣言が行われて、陛下が退室されていく。

 その間もトーマスは無言でうなだれているだけであった。


「ヴェノヴァ伯爵代行様、お屋敷の方から馬車がお迎えに上がっております」


 王宮の侍従が言付けを届けにきたのはローデリアにだ。

 侍従はちらり、と床に座り込むトーマスを見ただけでトーマスには何も言わない。


「あら、ありがとう。……それではトーマス様」


 貴方なら大丈夫でしょう、と朗らかにローデリアは微笑み、別れの挨拶を、と優雅にお辞儀をした。




「だって貴方は貴族ですから。それでは、ごきげんよう」







[END]

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離婚しましょうね。だって貴方は貴族ですから すだもみぢ @sudamomizi

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