第三話 間違ってない

「縛り付けろ! グガルアンナ!!」


 放たれた弾丸は空中で鎖となり、マルゥの足に絡まった。転んで起き上がろうとするも起き上がれない。鎖が地面に食い込んで足を縛り付けている。

 急いでガムテープを引き延ばそうとするが、途中ですっぽ抜けてしまう。折れた指ではテープを伸ばすことも難しいようだ。芯はころころと転がって、ピタリと止まった。


 エレルは踵を響かせながら少しずつ近付いてくる。

 汗を滲ませながら荒い呼吸のまま、マルゥは口を開く。


「とどめを刺す前に一つ聞いておきたいんだが、お前はなんでこの魔女の闘争に参加した? “世界の隠し事”を手にしてなにを望むんだ?」


 銃口を向けたまま、エレルは立ち止まる。しばらく黙っていたが、おもむろに赤い唇が開かれた。


「アタイには将来を約束した男がいた。でも車に撥ねられて、植物状態になっちまった。もう元には戻らない。“世界の隠し事”で理屈を捻じ曲げちまえば、不可能が可能になる。あの人も戻ってくるのさ」

「そんな都合のいいもんでもないだろうぜ。世界が覆るってことはつまり、生き死にの概念すらおかしくなっちまう可能性があるってことだぜ? 恋人の植物状態を治す前に、お前が死ぬかもしれない」

「はっ。なんだい。命乞いはカッコ悪いから、脅してアタイを諦めさせようって魂胆かい?」

「まあな。できりゃあ諦めてほしい」

「諦められないのさ。それはアンタも同じじゃあないのかい? アンタはいったいなにが目的だい? アタイに諦めさせてまで叶えたいものがあるんだろう」

「オレはちピーこが欲しい。それだけだ」


 エレルの表情が凍り付いた。無をかたどっている。


「はっ?」

「ちピーこが欲しい」

「いや聞こえてるから」

「じゃあなんで聞き返したんだよ」

「耳を疑いたくもなるわ! あー、もう。まったく聞いて損したよ」


 エレルは額に手を当てつつ、撃鉄を起こした。


「それとアンタ、さっき言いそびれたけど、とどめをじゃなくて、の間違いだよ」

「間違ってないさ」


 マルゥは指先に張り付いていたテープの先端をしっかりと握り、思い切り振り上げた。



※  ※  ※  ※



「師匠はなんで俺を使ってまで“世界の隠し事”が欲しいんだ? 魔法でなんでもできるんだろ?」

「えー、違うよー。“世界の隠し事”が欲しーんじゃないよー」

「え、じゃあなにが欲しいんだ?」

「今の世界をそのままにしておきたいだけだよー。だからー、あなたが最強の魔女になったら“世界の隠し事”を手に入れないって選択をしてほしーんだー。そもそも世界が覆ったら人間が生きていられるかわからないからねー」

「わからんのかい!」


 マルゥは、ニルが飛ばしてくる木の枝を避けたり弾いたりしながら、しっかりとツッコミを入れた。


 木の枝を弾丸だと思って避けろと言われてかれこれ4時間避け続けている。最初は人が投げたくらいの速さだったのが、現在は弾丸と見紛うほどの速度まで上がっている。しかし、徐々に速度が上がっていったため、マルゥはそれらをいとも簡単に避けることに成功していた。

 が、被弾もたまにある。


「いっでぇえ!」

「目で追えないときは無理に追わなーい。感覚で避けてー」

「できるかぁ!」

「できなきゃ死ぬよー?」

「ちくしょうがああ!」


 日も暮れようというところで、その日の訓練は終わった。


「ところで、なんで“暦の神ナンナ”を継ぐ魔女とかいうやつは、均衡を崩しちまったんだ? 人類を滅ぼしたいのか?」


 マルゥは伸ばす前のガムテープにいくつか『薬』と書いておいて、それをちぎっては貼ってを繰り返した。ニルの激しいしごきに、体が内部からも悲鳴を上げている。テープをちぎる前に書いても、ちぎったあとに書いても効果は得られるようで、それを貼れば体の節々から痛みと熱が抜けて行った。


「なんかー、飽きたっぽいよー?」

「あ、飽き? へ? 飽きたってそんな理由で?」

「わたしはなんとなく気持ちはわかるよー。“暦の神”は遠い日々の運命を決める力を持っていてねー。それを継いだ魔女も同じ力を持ってるのー。つまり彼女がこの世のすべての計画を立てたんだけどさー。最初から一人でもなんとかなるっぽいし、人間ごときに均衡が破られるわけがないのもわかってんのに“世界の隠し事”を守るのって、なんか、ねー」


 そう言って笑う。笑い事ではないが。


「しかもー、魔女って殺されない限りは不死だからねー。そら飽きるわー」



※  ※  ※  ※ 



 血飛沫ちしぶきが薄暗がりを赤く染めた。


「な……で?」


 エレルは目をまん丸に見開いて疑問を口にした。


「ムシュフシュは応用力があって便利なんだろ?」


 マルゥが掴んでいたガムテープはピンと張った状態で、エレルの顔の付近で静止している。彼女の喉から出た血に染まったテープの先端には『剣』と書かれていた。


「い、つ……間に」

「お前が余裕で歩いて来る前の間に、だな」


 先ほどグガルアンナに吹き飛ばされたとき、マルゥはガムテープを引き出して文字を書いてから巻き直していた。


「それと、さっきのは演技だ」


 ガムテープの芯がすっぽ抜けたことを指して言った。


「あのときテープの芯がころころと転がって、不自然に止まっただろう。『剣』って書かれた部分が剥き出しになったから、テープが硬質化したんだよ。誤算だったよ。そのときにはまだお前が射程の外に居たんだからな。いくらなんでもピンと張ったままのムシュフシュを見たら怪しむだろう。だから適当に喋ってお前の気を逸らしつつ、近付いてくるのを待ったってわけだ」


 エレルの膝はガクガクと震え、そのまま崩れ落ちた。グガルアンナが指から抜けて、鈍い音を立てる。


 剣になったガムテープを慎重に手繰たぐり寄せて、ちぎる。新しく引き伸ばしたテープを、足に巻き付いた鎖に張り付けた。

 懐からマジックイキを取り出し、『解錠』と書く。魔法の発動条件にペンで書く行為がある以上、予備は持ち歩いていたが、できるだけ手の内は明かさないように努めていた。


 マルゥは立ち上がり、エレルに近づく。


「約束するか」

「……な、にを」

「この魔女の闘争から降りると」


 エレルは婚約者のためにこの魔女の闘争に参加した。不本意だったに違いない。もしも婚約者が健常な状態を維持していたら、むしろ止めたいとすら思っていたはずだ。幸せな世界なら、覆したくないのだから。

 だからなにも、生命まで奪う必要はない。降りてくれさえすればよいのだ。


「……うだ、ね。もう、一度、あの、人……会いた、い」


 心からの言葉だったのだろう。彼女の眼からはポロポロと涙が流れ出る。たとえ植物状態でも会いたい、手を握りたい、抱きしめたい。そう思ったのだろう。


 マルゥはエレルの首にガムテープを巻き付けて『薬』と書いた。


「さすがにこれだけ深い傷だと時間が掛かる」


 ガムテープの芯を持ったまま、エレルから離れる。ムシュフシュの効果か、すでに血は止まり始めていた。


 背を向けて歩いていく。テープが伸びていく。


「ありがとうね」


 はっきりとした発音が聞こえた。もうほとんど傷は塞がったらしい。


「会いに行くよ。あの人に……あの人ともう一度話すために」


 立ち上がる気配があった。地面と鉄が擦れる音がした。


「アンタを殺してからね!」


 グガルアンナが吼えた。


 マルゥは横に飛びのきながら、ガムテープを引っ張る。


「残念だよ」


 芯からテープが外れる。その先端には『火』と書いてあった。

 エレルの首に巻き付いているテープには『薬』。

 つまり——『火薬』。


 先ほど書いておいたのは『剣』だけではなかった。


 パーンッ! と乾いた音がすると、エレルの首が宙を舞った。

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