第26話 独りきり
ご飯も食べず、ろくに眠れないまま、わたしは朝を迎えた。頭が痛くて、意識がぼんやりする。
心配する父さんと母さんを振り切って、エントランスに出た。いつも真太郎と待ち合わせてる時間、だけどやっぱりそこに彼はいなかった。
ざく、ざくと雪を踏みしめて行く。今日も一人、でも前とは違う。もう隣には誰もいない、本当の一人ぼっち。後ろに続く足跡は、ふらふらと揺れている。
何とか学校にたどり着いて、校門をくぐる。周りの生徒たちの視線は無い。誰一人わたしを見ていない。ぐわんぐわん揺れる視界を何とか抑えて、靴箱から上履きを取った。心の持ちよう一つで、こんなにも体調が変わってしまうのかと、その時のわたしは驚いて、同時にどれだけ真太郎に自分が依存していたかを思い知らされた。
何とか教室に滑り込む。真太郎は、いつもの席、つまりわたしの前の席に座って本を読んでいた。
「あ…」
話しかけようとして出た声は、結局言葉にはならない。どうしていいか分からない、どんな言葉を言えばいいのか分からない。でも、話したい。そんな感情が渦巻いた。
「おはよ」
急に誰かがわたしに話しかけて来た。椎崎君だ。
「あ、お…おはよ」
「大丈夫?顔色悪いけど」
「別に、大丈夫…」
何とかごまかして、わたしも席に座る。前に座っている彼の背中は、心なしか小さく見えた。
「おい、真太郎。どうした今日は」
「別に、何でもねえよ」
「まあいいや。ちょっと付き合えよ」
「どこにだよ」
「便所」
椎崎君とは、変わらずに話している。彼がうらやましくて仕方ない。
真太郎と椎崎君が連れ立って教室を出て行く。その時前を見ると、ふとある物が目に止まった。
彼のリュックから、シワシワの紙の束がひょっこり顔を出している。何か深い考えがあったわけじゃない、ある種無意識のうちにわたしはそれを眺めていた。
表紙には、『試験問題 英語』と印刷されている。年次と学校名は、あの国立の物だとすぐに分かった。どうして彼は落ちた学校の試験問題なんて持ち歩いてるんだろう。不思議に思いながら、わたしはぼんやりとそれに手を伸ばした。
くしゃくしゃになって、所々湿っている冊子のページを一つ一つ見ていく。そして、あるページで書き込みを見つけた。
『分からない』
震える字で書かれたそれは、受験の時の彼の心がどんなものであったかを如実に示していた。
そして、同じ様な書き込みはいくつも見つかる。
『分からない』、『読めない』、『足りない』。そして、最後のページ。その言葉が全てを教えてくれた。
『君に、届かない』
その時、わたしは全てが分かった。あの時の彼の言葉、態度、涙。あまりにも遅い、遅すぎる理解だった。
「ねえ」
唐突な声で、わたしの意識は現実に引き戻された。
「あ、真太郎…」
とっさにごめん、と言いかける。だけどその言葉は彼の顔でかき消された。厳しさと苦しさに満ちた目線を浴びて、わたしの身体は強ばる。
「…勝手に見ないでよ。『津深』さん」
わたしの手から冊子を抜き取って、そっけなく彼は席に座ってしまう。
『津深』さん、と彼に呼ばれる事がどれだけ衝撃的な事だったか。その時わたしは、彼とわたしとを繋ぐ最後の糸が切れた様な気がした。もう本当に、二人の間には何もない、単なる他人。そうなってしまった。
「ご、ごめんな…さい…」
切れ切れにそう言って、向きを変える。行くあてはない、ただここには居られない。そんな意識が、わたしを教室の扉に向かわせた。でも、わたしはそこに辿り着けなかった。
一、二、三歩。四歩目を踏み出した時、異変は起きた。視界がぐにゃりとゆがみ、踏んだ床がまるで泥でも踏んだみたいに沈み込む。身体のバランスが崩れ、世界が転がった。
「津深さん!?」
甲高い加々美さんの声がした。答えようとしても声が出ない。立とうとしても、身体に力が入らない。床に倒れ込んだわたしは、どこか冷静に現実を受け入れていた。
もう、動けない。疲れてしまった。どこか心地よい暗さが身体を包んでいく。
「アオイさん!」
聞き慣れた温かい声。聞きたくてたまらなかったその声を最後に、わたしの意識は途切れた。
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