君と初めての学校

第8話 君へのお願い

 まるで、夢の中を歩いているみたいだった。

 花火が終わって、エントランスで彼と別れて、家に帰ってきたわたしは、父さんと母さんへのただいまもそこそこに、部屋に戻って座り込んだ。

 まだ心臓はバクバクとうるさいし、体はひどく熱い。外の温度のせいではなく、間違いなくわたしの中の熱だ。その証拠に、ずっと低温で冷房を動かしているのに、全く熱が冷えてくれない。

「喜んで」

 そう言った彼の声が、頭の中でこだましている。

 隣で花火を見ていても、きっとわたしはそんなものは見ていなかった。友達ができた喜びに浸って、夢心地のうちに時間を過ごしていたのだ。

 だけど、もうじき夢から醒めなくてはいけない。わたしは部屋を出て、顔を洗い襟元のブローチからネクタイを解く。

 紅潮していた顔の色は、幾分か落ち着いている。とはいえ、それは不快だからじゃないし、単に水をかけたからでもない。わたしは、改めて考え直さなくてはいけなかった。

 今度真太郎を家に招待する時、どうしようかという、とんでもない問題に、頭を捻った。


 彼と友達になった時に、ごく軽く交わした約束だった。

「よかったら今度家に遊びに来てよ。一緒に宿題進めて、それが終わったら、ゲームとかどうかな」

 彼は、最初は悩んでいたけど、程なくして承知してくれた。

 元から遊び道具は揃っている。暇を持て余していたわたしのために、父さんと母さんが沢山用意してくれたから。チェスや将棋以外にも、人生ゲームやちょっとマニアックなゲームまで。電子ゲームこそあまり種類はないけれど、飽きさせる様な事はないはずだった。

 とはいえ、不安は尽きない。何しろ、家に人を招く事はおろか、『友達』さえ初めて持った私にとって、誰かと一緒に遊ぶと言う事は全く未知のことだったから。

 とりあえずお菓子だとか床に置くテーブルを用意してはみたけれど、やっぱりどこか間違っていないかと言う心境になる。

 だけど、止まっていられない。その日は絶対に来るから。

 少しして、その日は来た。八月が近づいてくるにつれて、彼も段々と夏休み気分が減ってくる頃かしら。そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。

 慌ててスピーカーに飛びつく。通話ボタンを押す前に、幾度も深呼吸をした。

「はい、鍵開けるからちょっと待っててね」

 そういえば、少し前にもこんなことがあった様な気がする。思い出すと、笑みが浮かんだ。そして、その顔のまま扉を開ける。

「いらっしゃい」

 笑った彼の顔は、どれだけ浴びても痛くない、心地よい陽の光だった。

 結論から言えば、結構上手くいったと思う。彼を招き入れて、入念に片付けた部屋でもてなす…と言ったところで、お菓子と飲み物を出しただけなんだけど。

 それで、そこからしばらくの間は、お菓子を食べて、喋りながら彼の宿題を進めた。

 やっぱり、と言うべきかなんというか。彼はほとんど宿題に手をつけていなかった。

「君は、良くも悪くもそう言うところがあるね」

 そう言うと、あははと彼は笑って答えた。

「まあ、気にしないで楽しもうと思ってたら、あとで苦労しちゃうんだよね」

 とはいえ、彼自身は飲み込みが早く、割と簡単に遅れを取り戻せていた。

 分からない所はわたしがアシストして、上手くまとめる。数学の様な答えが決まっているものに関しては、これでおおよそ終わらせる事ができた。

 宿題がある程度片付いたら、あとの時間は遊んで過ごした。

 チェスボードを出してコマを並べて、適当におしゃべりしながら指す。ゲームは彼がリクエストしてくれた。

「わたし結構強いけど、それでも良い?」

「大丈夫。こう見えても僕はチェス得意なんだよ?」

 手加減が下手くそなわたしは、つい熱が入ってしまって、彼を負かしてしまう。だけど彼はその度に、もう一回、と言ってまた指してくれた。

「そう言えば、君。どこの高校受けるか決めたの?」

「んー…まだかなぁ。公立の学校行ければ良いとは思ってるけど…」

「そっか。よかったら、わたしと同じ所とかどう?」

「君と同じか…すっごく難しそうだなぁ…」

「まあ、また今度話しよっか。はい、チェックメイト」

「あれえ!?」

 こんな他愛もない話をして、ゲームを楽しむ。そのうちにまた時間は過ぎてしまう。

「あ、もうこんな時間か…」

「そうだね。気が付かなかった…」

 時刻は大体六時過ぎくらい。流石にもうお開きにしないといけない。

「今日はありがとね。楽しかった」

「こっちこそ…来てくれてありがとう。また遊ぼうね」

「その話なんだけどさ…よかったら、今度は僕の家に来ない?君みたいに、色んなものは用意できないけど…」

「ありがと。そうだね、折角だし…今度お邪魔させてもらおうかな」

 彼を見送る時に、約束した。

 それから先の夏休み中、わたし達は何度かお互いの家を行き来した。する事は勉強の他は特に決まってなかったけど、大体がゲームか、何もせずに二人してのんびり話をするくらい。

 外に出る事もできなくは無いけど、わたしの体を気遣ってか、彼がそうアドバイスしてくれた。

 彼は相変わらずいつも笑ってて、いろんな話をしてくれる。わたしはそれが楽しくて、ずっと彼と喋っていたかった。

 そんな日々を過ごして、夏も終わりに近づいた頃。わたしは、彼に大切な話を切り出そうと決めた。

 その日はわたしの家に彼を招待して、結局最後まで残ってしまった読書感想文を終わらせる為に、二人して頭を捻っていた。わたしが全部考えてしまえば、それこそ一時間とかからないけれど、やはりそこは当人がやらなければ不自然になってしまう。

 それでもなんとか終わらせて、二人してぐだっと床の上に置いたテーブルに突っ伏した。

「うー…やっとおわったぁ…」

「おつかれ…さまぁ…」

 内容を考える事よりも、彼らしい自然な言い回しを考えるのに、とてつもなく長い時間を費やしてしまった。

「ありがとねぇ…僕一人じゃ終わらなかったよ…」

「いいえ。別にお礼なんかいいわよ」

 起き上がって、彼の顔を見る。今日しようと思っていた話が、改めて思い出される。

 きっと、わたしと彼の人生を変えてしまうものになる。心の中でそう確信していた。

「ねえ、ちょっといいかな」

「ん?」

 わたしは机の上に積み上げられた書類の中から、一冊のパンフレットを出して彼に渡した。

「これって…」

「最近新しくできた、国立大の附属高校。…東京じゃ作れない広いキャンパスをこっちに作って、その敷地内に試験的に作ったんだって」

「すっごく頭いいところじゃん。君はここ受けるの?」

「…それに答える前に…君にお願いがあるわ。本当に心からのお願い」

「もしかして…」

 察しがいい。彼にとっては、とても大きな試練になってしまう。だけど、それでもわたしはこのわがままを通したかった。

「うん。わたしと一緒に、ここを受けて欲しい」

 あの時よりは幾分か冷静。だけど、言っている事はとんでもないわがままだ。他人の人生を巻き込む様な、どれだけ贔屓目に見てもきっと許されない。

「…どうして?」

「一つ目は、大学の附属だから、すごくレベルが高いから。最新の研究だとかに直に触れられる。二つ目は大学の施設も一緒に使えるって事。でっかい図書館も、学食もね。…ううん、でも本当の理由はそんな事じゃない」

 ふう、と息を吐く。彼には分からないと思うけど、その中にはため息が多く含まれていた。

「わたしが行ける高校が、ここしか無かったのよ」

「え…」

「別に、頭の問題じゃないのよ。残念ながらね」

 わたしは彼に、率直な事情を話した。

「わたしもね、一応高校をどこにするかを考えてた。父さんと母さんと一緒に、いろんな学校を調べて、幾つかは実際に行ってみたわ。でもね…」

 近くの麦茶を口に含んで喉を潤す。

「最初に行った学校ではなんて言われたと思う?『白髪?脱色ですか?地毛…うーん、悪いけど黒染めして下さい。体の色は仕方ないんで』…情けない話だけど、怒りで目の前が真っ赤になるところだった。他の学校でもそう。わたしの成績とかを見たら、両手を上げて歓迎する素振りを見せて、その後にわたしの体質を説明したら、途端に顔を曇らせる。君も見た通り、あの大きい帽子も長袖も、外に出るために塗る薬もわたしには必要なの。だけど、その持ち込みを希望した時のあの人達の顔…きっと、想像できないでしょうね」

 声に激しい感情がこもる。抑えきれない、八つ当たりにも似た怒り。でも彼は、自分自身に注がれる理不尽な怒りにも、何も言わずに話を聞いていた。

「結局どの学校も、すごくぼかした言い方で…でもはっきりと、『あなたは学校に来ないで欲しい』、そう言って来た。笑っちゃうわよね。高校に入っても、レベルは上がるどころか殆どそのまま」

 止まらない。久々に湧いて来た怒りは、わたしの口をどんどん軽くしていった。だけど、そろそろ本題に入らなくちゃいけない。

「…でもね、ここだけは。ここだけはわたしの体質の話をしても、全く悪く言わなかった。純粋にわたしの成績だけで、わたしの出来ることだけで見てくれるって約束してくれた。だから、わたしにとってはここしかないの」

「でも、それと僕とに何の関係が…」

「…君と出会って、ほんのちょっぴりだけ思っちゃったの。もう一回、もう一回、『君と一緒に学園生活をやり直したい』って。中学ではもう無理でも、高校で。だから極論、君と一緒に通えるならどこだって良い。…だけど、わたしにはここしか無かった」

「でもさ、分かるでしょ。僕なんかの成績じゃ行けっこないよ」

「そんなの、問題にならないよ。わたしが君に勉強を教えるから。…信じられないって言うなら、見せてあげる」

 わたしは本棚から、分厚い参考書を出して彼に渡した。

 その中には、びっしりと書き込みがされていて、ページもボロボロになっている。

「その高校の附属元の大学用のやつよ。中一の時から何度も何度もそれを解いてた。暇だったからね。今じゃ、満点なんて簡単に取れる様になった。でも、それだけじゃない」

 今度は引き出しから、何十枚も束になった答案を出す。

「同じレベルの高校や大学の問題。君を誘う前に幾つもやった。これもほぼ全部満点」

 彼は目をパチクリさせながら、紙の山を見つめている。

「わたしはもうとっくに、ここに入るための勉強も終わってるし、そのやり方だって考えてある。君がわたしの足を掴んで引っ張るなら、君ごと引き上げることだって出来る。だから…」

 視界がにじむ。目頭が熱くなって、目元から何かが流れ出した。

「お願い。わたしと一緒に、来て」

 最後の一言を、彼に告げた。

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