第7話 君と見た星

 帽子を被ってマンションのエントランスへ行くと、もうそこに彼はいた。

「待った?」

「ううん、全然」

 嘘だね。ひどく汗をかいているのが分かるよ。きっと、二十分くらい待ってたんじゃないかな。

「ごめんね、こんな半端な時間にしちゃって」

「大丈夫よ。わたしに気を遣ってくれてたんでしょ?」

 陽が沈むのを待っていては、時間が遅くなりすぎてしまう。その辺りを親とも話し合って、ギリギリで決めたのだろう。

「それじゃ、行こうか」

「ええ」

 エントランスを出ると直ぐに、海の方へ流れて行く川に突き当たる。肩の高さくらいの柵から覗くと、二、三メートル下に水が流れていた。

 視線を上げれば、今回行く先の神社を抱えた山が見える。こんもりした緑色の中に、細い線と、中腹辺りに小さな穴があって、そこが神社だどわかった。

 十五分くらい二人して歩いて行くと、神社に続く鳥居の前に出た。既に陽はほとんど落ちていて、提灯にも明りが入っている。

「手を」

 先に登った彼がこちらに手を差し出してくる。

「エスコートのつもり?」

 自力で登れないほど弱い訳じゃない。だけど、不慣れなのも確かだ。わたしは素直に彼の手を取って、石段を踏む。彼の手はすこし汗ばんで、わたしのそれよりもずっと熱かった。

 手を引かれながら長い階段を登って行くと、視線の両端に屋台が目に入った。そういえば、こうしてお祭りに来るのは初めてだったと思う。

 周りから香るソースの食欲をそそる匂いや、威勢のいい屋台の売り声。初めての筈なのに、どこか懐かしい、心惹かれる雰囲気に包まれていた。

「何か買って行く?」

 そう彼が聞いてきた。まるで空腹を見透かされた子供のような恥ずかしさを覚える。

「別に、お腹減ってる訳じゃないし…」

「まあまあ、折角きたんだから…あ、ベビーカステラ売ってる。あれひとつ買おうかな」

 そう言ってわたしの手を引いて行く。最初はわたしの言い訳が立つ様にしてくれたのかと思ったけど、すぐに違うとわかった。単純に、彼が食べたいからなのだ。

 そういう訳で、わたしは初めて屋台で買い物をすることになった。手元には十個ほどのベビーカステラが入った袋がある。彼と一緒に頼んだ時、屋台のおじさんがおまけしてくれて、すこし多めに入れてくれた。

 口に入れると、ふわふわした感触で、ほんのり甘い味が広がる。

「安っぽいけど、お祭りならではって感じだよね」

「そうね」

 二人でそれをつまみながら、また上へ上へと登る。折角のお祭りだ。すこしくらいは羽目を外してもいいかも知れない。わたしは段々とそう思っていった。

 神社の境内に着いて、彼と隅っこの小さなベンチに陣取る。登る最中に夕飯がわりに買った焼きそばを食べるためだ。

「これを食べたら、穴場に案内するよ。まだ時間に余裕はあるからね」

「うん」

 ビニール容器から所々はみ出した焼きそばを啜りながら、彼は言った。

 わたしも、持ってきた水筒のお茶を飲みながら、ソースが濃すぎてすこし辛いそれを口に入れる。

 そうしながらまた周りを見てみると、色々な人がいることに気がついた。子供を連れた親もいれば、浴衣で着飾った同年代の女の子もいる。或いは顔を真っ赤にして手を繋いでいるカップルも見えた。

「色んな人たちがいるのね」

 独り言みたいに呟く。

「そうだね。お祭りって、そういうのも見てて飽きないから良い」

 彼が答えた。きっと、わたしよりもずっとこうした場所に慣れているんだろう。

 食べ終わって、ゴミをキチンと近くのゴミ箱へ捨ててから、いよいよその場所へ向かった。

 境内の側面から出て、頂上へ続く山道をすこし登る。そして、五分ほど登った所で山道を外れ、木と木の間を抜けた所に、彼のいう「穴場」はあった。すこし開けたスペースが、落下防止の柵の前に広がっていて、二人がけくらいの小さなベンチが置かれている。

「昔はここにも道が繋がってたみたいなんだけど…管理がされなくなってから、獣道みたいになってたみたいだね」

「ふうん。でも、よく迷わなかったね」

「実は近所のお爺さんが教えてくれてね。君を呼ぶ前に、何度も登って下見をしたんだ」

「なるほど。入念だね」

 二人してベンチに腰掛けると、柵の向こうには海が見える。山から海へ向かって家や道路が伸びている私達の街を一望できる場所だった。

 月が海の方から顔を出して、街を照らしている。その光で、海の方に設営されている発射台までよく見えた。

「ねえ、一つ聞いても良いかな」

「何?」

「君はさ、どうしてわたしを誘ったの?」

「というと…」

「誘われた時に、聞くのを忘れてたから。別に深く考えないで良いよ」

「うーんとね…」

 すこし顎に手をやって考えた後、彼は答えた。

「まず一個目は、君にお礼がしたかった。って言うのがあるかな。勉強とか、熱心に教えてくれたから…」

「……」

「二つ目はね…理由になってないかもだけど…。やっぱり、『君と行きたかった』からかな。他の誰でもなくて、君と。純粋にそれだけの理由」

「…なんというか、ある意味で予想通りだったね」

 わたしが笑うと、彼もすこし恥ずかしげに笑った。でも、それがあったかくて、それが嬉しくてたまらない。

 彼は答えてくれた。じゃあ今度は、わたしの番だ。息を吸い込んで、わたしは彼の顔を見直した。答えを出す。その為に。

「ねえ、花火まですこし時間があるから、ちょっと聞いてくれないかな」

「何?」

「覚えてる?今日で、わたしと君が初めて会ってから、ちょうど二ヶ月になるんだよ」

「そっか、もうそのくらいになるのか…」

「自分でもびっくりしてる。まさか、二ヶ月くらいの短い時間で、こんな風に君と出かける日が来るなんて」

「まあ確かに…僕もびっくりだな…」

「それでね、一つ。分かったことがあるわ」

「ふうん?」

「…わたし、きっと寂しかったんだと思う」

「寂しかった?」

「うん。君と初めて会ってから、君と話してから。ずっと、わたしの中から君は消えてくれなかった」

「あはは…」

「でも、それは嫌じゃなかった。君がわたしの事を綺麗って言ってくれた。作文を褒めてくれた。わたしに会いに来てくれた。…わたし、ほんとうはとても嬉しかった」

「……」

「君とメッセージをやり取りするたびに、不思議と笑みが浮かんで、君に分からないところを教える為に、頑張って言葉を探して…。とても楽しくて、満ち足りてた。それで気がついたの。本当は誰かと一緒に居たい。一人は寂しくて嫌だったって」

「……」

「五年間。五年間ずっと一人で居たけど、わたしの心は、一人を受け入れられなかった。弱くて、簡単にコロコロ動く、軽い心。自分じゃそうじゃないと思ってたけど、本当はそうだった」

「そんな事…」

「でも、今はそれで良かったと思ってる。こうして、君の手を握れた。差し伸べてくれた手を素直に取れた。…だから良いの」

「…そっか」

「それで、本題というか…ちゃんと言わなきゃいけない事なんだけど…。君が前にくれたメッセージの答えを、今出すわ」

「うん」

「…わたしと、友達になってください。君と友達として、今日の花火が見たい」

「…喜んで」

 彼が微笑むのと同時に、花火の上がる時間が来る。

 海の方から、三、二、一と大きな声でカウントダウンが聞こえた。


 地上の星空から空に向かって、一つ流れ星が落ちて行く。その星は、空の上で大きな花を咲かせた。

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