はぐれ僧侶《クレリック》奮闘記

大秋

第1話 希望のない街

──僧侶クレリック急募


 壁の張り紙を見れば、どこもかしこも僧侶クレリックの募集で溢れている。人が僧侶クレリックという存在を管理し始めてから、もう半世紀の時が経つ。人の欲に際限はない。命を享受することすらも選ばれし者の特権となって久しい歪な社会構造。その中で抜け落ちてゆく魂の叫びは一体誰の悲鳴であるというのか。それは、もしかしたら昨日の隣人であり、未来の友人であるかもしれない。


 街の大通りに、一際豪奢な門構えの施設がある。


 吐き気がする。


 ファルシオン・ワイズマンは、施設を見た瞬間に唾を吐きたくなるのをこらえ、足早にその横を通り過ぎる。風を切り歩く度に紫紺の長髪が揺れ、合間から覗く海のように蒼い眼差しは険しげに歪んでいる。


「相変わらずのおくさりようで」

 口からこぼれ出る針のように辛辣な言葉も、すぐに雑踏の波に埋もれ消えてゆく。

 門構えは御立派ではあるが、それの実態は外見そとみの絢爛さとは違い、人の欲望と邪念が満ち溢れている。

 最低限の知識と知恵があれば、まともに見れたものではない。


 不意に首元に流れ込んだ寒さを凌ぐように、ファルシオンは外套コートの襟元を少し上げる。


 エラルテの街は今日も陰鬱とした空気に包まれていた。いつも変わらぬ淀みを持つこの街は、何年経とうともその姿を変えることはない。富裕層と貧民層が明確に分かれているエラルテでは、生きるという行為自体に差が出る。


 堕落し、欲望にまみれた街、エラルテ。


 そんな街の中をファルシオンが歩いていると、ふいに腕に重みを感じた。微弱ではあるが、熱を持つ感触。ファルシオンが視線を向けた先にあったのは、薄汚い襤褸ぼろの衣服に身を包んだ、痩せた子供であった。


 明らかに栄養が足りておらず、骨が浮いて見えるほどに、かぼそい姿。ファルシオンを掴んだ手にこもる力は弱々しく、ファルシオンの切れ長の眼から放たれた視線に当てられて、子供は怯えたように手を離す。


「そう怯えることはない。取って食おうとも思わんさ。どうした坊主?」

「おじさん……僧侶クレリックさま?」

「ん……俺はおじさんではないが、僧侶クレリックだとしたらどうする?」

「妹が病気なんだ……」

「ふむ、それで、俺の身なりを見て僧侶クレリックであると思ったのか」

 遠目に見ても分かる特徴的な白い外套コートを指さしてファルシオンは子供に尋ねる。

「うん。いっぱいためたんだ……」

 少年が開いた掌にあるのは、垢で薄汚れた十二枚の銅貨。少年が精一杯ためたであろう、命の結晶。


「おや、エヴァン君。どうして今回に限って、私の所にその銅貨を持ってこないのかね?」

 耳障りな野太い声が、ファルシオンの耳に届く。と同時に少年の身体がビクリと震える。


「ああ、そこな御仁。エヴァン君の妹さんの主治医は私なのだよ。迷惑を掛けてすまんね」


 声のする方向。ファルシオンが背後を振り返ると見るからに肥えた男がそこに立っていた。脂ぎった身体に、酒焼けをしてしゃがれた声。僧侶クレリックを表す白の外套マントをしてはいるが、手入れがされていないのか薄汚れている。


 苛立ちを覚える。忍耐を要するほどに大仰で煩い男の声を浴びながら、ファルシオンは確かめるように男へと声を掛ける。

僧侶クレリックなのか?」

「ああ、ああ、そうなのだよ。私が見つからなくてエヴァン君はきみに声を掛けたのだろうね。ささ、もう気にせずに行ってくれ。後は全て私がやろう」


「ほう? たしかに僧侶クレリックを表す外套マントをしているようだな。しかし俺の気のせいであれば申し訳ないが、その外套マントには、神線ナーダが入っていないようだが?」


「え、あ、神線ナーダ?」


「あぁ、見習いであれば一本ロウ。一人前であれば二本ミドル。高位であれば三本ハイ。神に仕えし者の位階を示す神線ナーダというものがあるはずだ。だが、あんたの物には見当たらん。はて、どこかに引っ掛けてほつれでもしてしまったのか?」


「あ、あぁ、ああ! そうだ。すまんね、私はどうにも細かい所に疎くて、こういった物はすぐに駄目にしてしまうのだよ。もう少し注意せねばならんな。はっはっは、私の神線ナーダは二本。二本僧侶ミドルクレリックだ」


「ほう。そうなのか。で、俺の言葉がすべて口から出任せだと言ったら、どうする?」


 ファルシオンの口ぶりと、皮肉げな表情からからかわれていることを悟ったのか、次第に顔を真っ赤にしていく男。


「き、貴様! 何なのだ。、無礼な真似をするのであれば許さんぞ!」


「ふむ。許さんか……」

 一歩足を前にやるファルシオン。

 男はその分だけ後ろに下がる。


「ち、ち、近寄るな」

「おやおや、俺の事を許さぬのだろう? 教えてくれないか。あんたが俺を許さないとどうなるのか。好奇心旺盛ですまんね。何分菲才の身である故に、是非ご教授してもらえないだろうか」


「ま、まて」

「どうした?」

 焦る男の姿を、冷徹なファルシオンの眼が離さない。

 ファルシオンが一歩歩くごとにその距離は縮まっていき、徐々にそれはゼロに近付いてゆく。


 壁際に押し込まれ、身動きの取れない男。

「ひぃっ」

 ファルシオンの鋭い眼光に当てられて、男の口から情けない声が漏れる。

 ファルシオンの腕が伸びると、男の肥えた口を鷲掴みにした。


「いくら今の僧侶クレリック共が屑揃くずぞろいばかりだとしても、貴様のやっている事を見逃す理由にはならんのだよ」

「ふぁ、ふぁってふれっ」


『巡り巡りて、魂の罪業が赦されるその日まで、悪業を悔い改めよ』

 男を掴んだファルシオンの腕が淡く発光すると、男は見る見るうちに顔色を青くしてゆく。

 全身から何かを吸い取られている。

 やがて男は四肢の力を失い、地面へとへたり込んでいた。


「今、あんたは加護を失い、レーヴァに見放された。赦しを乞うために、残りの人生を捧げるんだな。それと教えてやろう。僧侶クレリックの位を表す先程の話は本当だ」

 男が見たファルシオンの外套マントには、鮮やかに染まる赤い三本の線が入っていた。


「え、あ、そんな。本物? 何でっ? 何でこの街で本物の僧侶クレリックが外に出ているんだ。エラルテの僧侶クレリックどもは、寺院の奥深くで一生を過ごすはずじゃ!」


「悪いな、はぐれ僧侶クレリックだ」


「異端者だと! 私の加護はどうなった? 答えろ! ま、待て、身体がおかしい……。何で……こんなことに」


「悔い改めよ、愚か者め」


 地に伏せ、力なく地べたにへばりつく男を尻目に、ファルシオンは全ての様子を目の前で見て震えている少年に手を差し伸べる。


「お前はこの腐った街の中でも少しばかり気概があるようだ。今日、この日、この時に、俺と出会えた幸運を喜べ。お前が命懸けで稼いだその金で、お前の全てを救ってやる。僧侶クレリックファルシオン・ワイズマンがな」




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