第30話 魔王と聖女④

『……ふふ、最終決戦ですか』


 魔竜はくつくつと笑う。器用なことに、三つ首すべてが苦笑を浮かべていた。


『まあ、その体では長期戦は無理でしょうしね。ではそろそろ終わらせますか』


 三つの鎌首を大蛇のように動かして、魔竜はそう告げる。

 オルバのダメージは深刻だ。もはや負けることなどあり得ない。

 魔竜は自身の勝利を確信していた。

 しかし――オルバの笑みは崩れない。


「それはどうかな? 三つ首の魔竜よ」


 言って、魔王はパチンと指を弾く。

 そして真紅の魔竜の注目を寄せてから、右腕を横に振るった。


「姿の変異が貴様だけの専売特許だと思わぬことだ」


『……何ですって?』


 魔竜が訝しげな眼差しを魔王に向けた。


『まさか、あなたも変身するとでも言うのですか?』


「ああ、その通りだ」


 当然のごとくオルバは告げる。


「むしろ変身しない魔王の方が希少らしいぞ」


 と、そこで彼は皮肉気に笑った。


「まあ、どの魔王であっても本来ならば安易に真の姿を見せるべきではない。これもまた魔王の常識だ。だが、余の愛しい伴侶の命がかかっている以上、四の五も言っておられん」


『……なるほど。最後に残しておいた切り札ということですか』


 三つ首の魔竜は警戒した。すでに自分はすべての切り札を使い果たしている状態だ。

 敵の切り札を警戒するのは当然だった。


『ならば拝見いたしましょう。魔王たる者の真の姿を』


 そう告げる魔竜に、オルバは肩を竦めた。


「ならば余も、魔王の常套句にて応じよう。『光栄に思うがいい。余の真の姿を見せるのは貴様が初めてだ』」


 言ってオルバは鋭い呼気を吐いた。その直後、膨大な黒い魔力がオルバの身体を覆った。

 一見、黒い靄にしか見えないそれはみるみる内に、形を定めていく。


『こ、これは……』


 三つ首の魔竜は大きく目を瞠った。


「この姿は瘴気がダダ漏れになるから嫌なのだ。周囲への影響が計りしれん」


 そう答えるのは変貌したオルバだった。

 彼の姿は宣言通り大きく変化していた。天を突く二本の角に、牙の並ぶアギト。背には猛禽類のような六枚の翼を持ち、両手両足の指には鋭利な爪が生えている。

 体格は二回りほど大きくなっており、その色は黒一色だ。胸板の内部には何やら赤い灯火があり、身体のほとんどは鎧のような甲殻に覆われ、衣服らしき物はない。

 失った左腕まで完治した魔王の真の姿は、まさに魔物そのものであった。


『………う、お』


 凶悪なまでの変貌ぶりに、三つ首の魔竜は強い危機感を抱く。と、


「さて、と」


 そう呟き、異形と化したオルバが右腕を振るった。

 直後、木々が震えて弾け飛び、大地に直線状の砂煙が上がった。


『な、なんだと!?』


 思わず視線を眼下に向け、魔竜は息を呑んだ。

 地面には巨大な亀裂が刻まれている。信じ難いことに、真の姿を解放した魔王は、魔法すら使わずに腕の一振りだけで大地を切り裂いたのだ。

 人の姿であった時とは、比較にさえならない威力である。


『――クッ!』


 魔竜は三つ首のアギトの牙を軋ませて身構えた。異形化によって魔王の戦闘力が跳ね上がったのは間違いない。それこそ迂闊に隙を見せれば瞬殺されかねなかった。

 しかし、魔王は動こうとしない。いつでも殺せると嬲っているのか。

 最強種の自尊心を傷つけられ、魔竜は怒りで拳を強く固めた。


(おのれ、魔王ごときが!)


 そして三つの鎌首が、アギトを大きく開いた。

 ――ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!

 直後に吐き出したのは、三重の息吹ブレス

 荒れ狂う業火は一つとなって魔王に迫る――が、


「……ふん」


 と、オルバは笑った。

 業火の奔流にも、異形の魔王はわずかな警戒も見せない。まるで涼風でも受け止めるように、両手を開いて直撃を受けた。そして当然のごとく火傷一つ負わない。

 だが、三つ首の魔竜にとって、それは想定内の結果だった。

 本命は別にある。全身全霊の力を宿した右手の爪だ。

 魔竜は翼を羽ばたかせると、砲弾のように飛翔し、剣よりも鋭利で頑強な手刀をオルバの腹部に叩きつけた。一瞬、爪と甲殻の間に火花が散る――が、


『ふふ、己が防御力を過信しましたね』


 ニヤリと三つ首で笑う魔竜。手刀は目論見通り、魔王の腹部を貫いた。

 しかし――その直後、魔竜は唖然とした。

 何故なら、いきなりオルバの姿が崩れ始めたからだ。しかも、崩れた身体はまるで触手のように変化し、三つ首の魔竜の身体に巻きついて拘束してくるではないか。


『な、何だこれは!?』


 魔竜が動揺の声を上げた――その時だった。


「なに。ただのトラップだ」


 いきなり背後からそんな声をかけられたのは。

 三つ首の魔竜は、呆然として鎌首を振り向かせた。

 そこにいたのは片腕のない魔王。

 すなわち一切外見が変わっていない・・・・・・・・・・・・オルバの姿だった。


『き、貴様! どういうことだ!』


 声を荒らげる魔竜。対し、オルバは肩を竦めて。


「存外貴様は正直だな。まさか本当に余が変身するとでも思ったのか?」


 くつくつと楽しげに笑う。


「魔王は基本うそつきだ。容易く信じない方がよいぞ。そもそも余は貴様に腕をもがれているのだ。そんな切り札があるのなら最初から使っておる」


『な、なんだと……』


 魔竜は唖然として魔王を見やる。


『で、では、先程の姿は何だったのだ!』


「決まっておろう。ただの魔法だ。『闇』系の二階位呪文セカンド・スペル――《影霊身シャドウ》。先程の姿は実体のない余の偽物にすぎぬ。簡単に言えば幻術だな」


 そう告げてパチンと指を弾くオルバ。


『げ、幻術、だと』


 魔王の言葉を、三つ首の魔竜は唖然とした声で反芻する。

 その間も、闇の触手はどんどん竜体に絡みついてくる。


『く、くそ!』


「だが、その触手は幻術ではないぞ。貴様といえども容易く千切れると思うなよ」


 そう言って、オルバは右手を魔竜に向けた。


「そして本命はこの一撃だ。この瞬間のためにわざわざ幻術を用意したのだからな」


 淡々と語る魔王。

 彼の上空には七つの玉星が円を描いて待機していた。



「――我がたなどころへ。『七星』よ」



 そう命じると七つの玉星は魔王の掌へと集まり、一斉に砕け散った。

 七色の輝きが宙に舞う。そして突き出された右手には黒い球体が生まれようとしていた。


「貴様は招かざる客人だ。異界の蛇よ」


 オルバの声は冷酷なモノだった。


「ゆえに、そろそろこの世界からお帰り願うことにしよう」


 そう語り続ける間も、黒い球体は巨大化していく。


 この魔法は『七星』の十階位呪文テン・スペル――《黒魔救星ロスト・グランメシア》。

 滅びゆく人々を救う門にして、世界から敵を放逐する闇の天体だ。


『き、貴様……』魔竜は牙を軋ませた。


『さては――私を別の世界へ強制転移させる気か!』


「ふん、そうなればいいな・・・・・・・・


 魔竜の指摘に対し、オルバは皮肉気な笑みを返した。


「この魔法は本来、ファランへの門を開く呪文だ。それをもしこのファランの地で使えばどうなるのか。正直なところ、それは余にも分からぬな」


『わ、分からんだと……?』


「ああ。奇跡にも等しい幸運があれば別の世界に辿り着く可能性もある。しかしだな……」


 そこでオルバはふっと口角を崩した。


「それは本当に奇跡だ。貴様は九割九分九厘、時空の狭間を彷徨う事になるだろうな。かの場所は果てなき闇そのもの。異界を渡る貴様とて一度ひとたび落ちれば脱出は叶わぬぞ。永遠にな」


 その非情な宣告に、魔竜の血の気は引いた。

 闇の天体は、すでに魔竜の巨体さえ呑み込めるほどの大きさになっている。


『ま、待て! 私はこの世界から撤退する! だから――』


 と、慌てて命乞いするが、すべてが遅い。


「ではさらばだ。三つ首の魔竜よ」


 オルバの声に合わせて、闇の天体がゆっくりと動き出す。三つ首の魔竜は絶叫を上げて黒い触手をどうにか引き剥がそうと暴れるが、一向に逃げられない。

 死よりも怖ろしい結末が、容赦なく魔竜に迫りくる。


『ま、待ってくれ! 頼む! 私は――』


「悔やみ、苦しみ、時空の狭間を永遠に彷徨い続けるがいい」


 愛し子たちを殺した魔竜に慈悲をかけるつもりなどない。

 魔竜の戯言には耳も貸さず、オルバは憎悪を込めてそう言い放った。

 そして加速する漆黒の球体。


 かくして呻き声を上げることさえなく――。

 神の使徒にして異界の竜は、静かにこの世界から消えたのだった。


「―――……」


 オルバはしばし周囲の様子を窺っていた。

 禁呪の影響が世界ファランに現れるのではないかと心配していたが、その様子もない。

 どうやら取り越し苦労だったようだ。


「やれやれだな」


 オルバはゆっくりと地表に向かった。眼下には戦闘を終えたことに気付いた、彼の愛しい妃が待っている。オルバは彼女の前でトンと地面に降り立った。


「終わったぞ。フィーネリア」


「はい。そのようですね」


 フィーネリアはこくんと頷いた。が、すぐにクスクスと笑い、


「けど、少し卑怯だったと思います。あれだと完全に騙し討ちじゃないですか」


「ぬ? やはり見ていたのか」オルバはやれやれと渋面を浮かべた。「醜悪な真似をするから目を瞑って欲しいと願ったはずだが?」


「流石に気になります。こっそり見ちゃいました」


 フィーネリアは少し舌を出してバツが悪そうに笑う。

 そんな妃の愛らしい態度に、オルバは片手で肩を竦める。と、 


「あの、オルバさん」


 フィーネリアが彼の名前を呼んだ。

 彼女の表情は柔らかくはあるが、少しばかり真剣だ。

 オルバが訝しげに眉根を寄せる。

 すると、フィーネリアは少し躊躇うようにこう告げた。


「そ、その、お帰りなさい」


 続けて両手を腰の前辺りで揃え、ぺこりと頭を下げた。

 オルバは一瞬だけキョトンとする。が、ややあって目を細めると、


「ああ、ただいまだ」


 そう言って微かな笑みを見せた。そしておもむろに指先で少女の犬耳に触れる。

 フィーネリアはいきなりのことに軽く目を瞠った。

 実は獣人族にとって獣耳や尾に触れられることは、よほど親しくなければ許されない行為だった。ましてや彼女は王族。その観念は人一倍強いのだが……。


「―――……」


 フィーネリアは数秒ほど微かに肩を震わせただけで特に拒絶はしなかった。

 髪を梳かすように犬耳を撫で続けても嫌がるそぶりもない。

 彼女は何も語らず、ただ穏やかに、オルバの存在を受け入れていた。


 そうしてしばし続く沈黙。

 やがてオルバの手が離れると、フィーネリアは緊張を解くように吐息を零した。


「そ、それじゃあオルバさん」


 そして数秒後、彼女は優しい笑顔を見せて話を切り出した。


「怪我を治して帰りましょう。イバラキさんとリンダさんも心配していますよ」


「うむ、そうだな」


 オルバは力強く首肯する。

 こうして、ファランの守護者の最初の戦いは幕を閉じたのであった。

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