第29話 魔王と聖女➂
煌々と空が赤く染まり、熱風が吹き荒ぶ。
「……ぐ、う!」
黒煙と爆炎の中、
すると、オルバの周辺に光の粒子が浮かび上がり始めた。次いで大量の光が大河の流れのような軌跡を描き、魔王の掌に集っていく。
『――ッ!』
魔竜は大きく目を剥いた。炎と黒煙で敵の姿は見えない。しかし、ただならぬ気配から、オルバが何か危険なことを仕掛けようとしているのを察したのだ。
『チイィ!』
――バサリッ、と。
魔竜は力強く翼をはためかせた。
ここにいては危険だ。そう判断し、上空へと緊急避難した――その直後だった。
「穿て! 《
オルバの声が空に轟く!
そして同時に解き放たれたのは、爆煙を消し飛ばす極大の裂光だった。
大いなる輝きが空を照らした。
『――なッ!』
魔竜は三対の双眸を見開き、息を呑んだ。
直線状に放たれた裂光は、遠方にてたゆたう雲さえも打ち抜き、大気を鳴動させる。直撃などしてもいないというのに、魔竜は空中での体勢を崩してしまった。
――『光』の
それは、戦女神アナスタシアが所有する黄金の神槍の威力を再現した大魔法だ。
限りなく
『これほどの大魔法をまだ隠し持っていましたか……』
翼を羽ばたかせて体勢を立て直しながら、魔竜は忌々しげに舌打ちする。
裂光が消えた今でも、まだ大気は震えていた。天に君臨するドラゴンであっても簡単には立て直せないほど空の気流は乱れていた。
しかし、この好機にオルバは追撃をしなかった。
三つ首の魔竜が姿勢を崩した隙を見て地表に降下し、森の中に姿をくらます。
今はオルバの方も体勢を立て直すことが最優先であった。
そして森の中を駆け抜け、大きな木を見つけると、
「………く、う」
オルバは大樹の幹に背中を預けて呻いた。彼の表情は苦痛で歪んでいる。
容赦ない激痛に耐えながら、オルバはその原因である左腕に目をやった。
彼の左腕は――
先程の不意打ちで失ったのだ。それだけではなく半身の火傷も酷い。
これほどの傷では、もはや戦闘中に治癒することはないだろう。
(
治癒系の呪文は、彼が習得していない唯一の系統だった。
魔王といえども得手不得手はある。今までは自身の強力な自然治癒力のおかげで気にもかけていなかったが、神の使徒クラスと戦うには弱点となってしまったようだ。
(……まずいな。これは……)
オルバは眉根を寄せた。今は木陰に隠れて、少しでも自然治癒が進むことを待っているが、いずれこの場所も敵に見つかる。恐らくこの周辺を爆撃してあぶり出すことだろう。
(片腕でどこまで戦えるか)
オルバは空を見上げて唇を噛みしめる。
このままでは敗北は必至だ。
しかし、それを受け入れる訳にはいかない。自分はファランの守護者なのだ。
自分がここで負ければ、この世界にいる者たちが皆殺しにされる。
何よりも自分が巻き込んでしまった、あの愛しい少女も殺されてしまう。
オルバは小さく嘆息した。最初は罪悪感から保護した少女だったが、今や彼にとってなくてはならない存在だ。誰よりも愛しい彼女を失うなど考えられなかった。
(それだけは断じて許容できんな)
守るべき少女の姿を胸に抱き、オルバは決意する。
こうなれば切り札を出すしかない。
禁じ手である
(しかし、禁呪は強力な反面、《
と、オルバが戦術を思案したその時だった。
「――オルバさん!」
不意に森の中に少女の声が響いた。
オルバは首を動かして大きく目を瞠った。
「……フィーネリア?」
声がした方向には、つい今しがた思い浮かべた少女がいた。
アワドセラス・シティにいるはずの彼女が、何故この場にいるのか。
オルバはしばし唖然としていた――が、
「何故そなたがここにいる!?」
ハッと正気に返り、鋭い声で叱責する。
実はフィーネリアに対し、オルバが声を荒らげたのはこれが初めてだった。
一方、オルバの初めての叱責に、当のフィーネリアは一瞬小さく肩を震わせたが、すぐに真直ぐオルバを見据えて――。
「オ、オルバさんこそ何をしているんですか! ますは偵察のはずでしょう! どうして一人でドラゴンと戦っているんです!」
強い口調でそう尋ねた。
「……ぬ、それは……」
オルバは言葉を詰まらせた。フィーネリアは涙目でオルバを睨みつけるが、
「その話は後でもいいです。今はまず……」
そう言って彼女はオルバの傍に駆け寄った。それから「『治癒の光よ。祝福を』」と唱えてオルバの傷を治そうとする。しかし、腕を消失するほどの負傷。簡単には治癒しない。
フィーネリアの顔には焦りが浮かんでいた。
オルバはそんな彼女の顔をじっと見つめ――不意に笑った。
「そなたは……本当に優しいな」
宿敵である魔王まで救おうとする。それは、もしかすると聖女のサガなのだろうか。
そんな事を考えていると、フィーネリアが銀の眼差しでオルバを見つめていた。彼女の瞳はどこまでも真剣なものであり、魔王であるオルバでさえ思わず見惚れてしまった。
「私は……あなたのことを何も知りません」
フィーネリアはポツリと呟く。
「だからこそ、全部教えて欲しいんです。あなたが今まで一体何を考えて、どんな風に生きてきたのか。それを知りたいんです」
と、語る少女にオルバは苦笑を浮かべた。
「余は魔王だ。勤勉なそなたのことだ。今さら余自身が語らずとも余の所業など文献で知っておるのではないか?」
自分の悪行はガーナスの世に知れ渡っている。無論、女好きのような尾ひれがついただけのただの噂もあるが、概ね正しいものばかりだ。語るには今さらすぎる内容だった。
しかし、フィーネリアはそれに構わずさらに語る。
「アナスタシア」
「……なに?」
オルバは大きく目を瞠った。
「そなた、一体どこでその名を……」
思わず唖然として尋ねる。
ガーナスの女神の名は、アスラテラス教会の教主でさえ知らないはずだった。
すると、フィーネリアは「……ふう」と小さく嘆息したかと思えば、
「やっぱり、あれは夢なんかじゃなかったんですね」
そう呟いて、少しだけ口元を綻ばせた。
「……? 何の話だ?」
オルバが訝しげに眉根を寄せると、彼女は治癒魔法をかけながら、かぶりを振り、
「それも後で話します。だから今は――」
銀髪の聖女は微笑みを浮かべて魔王に告げる。
「二人で生き延びましょう。この世界に来て、ずっとそうしてきたように」
「……………」
少女の清らかな笑みに、オルバはただただ息を呑んだ。
が、しばらくするとふっと口角を崩し、おもむろに立ち上がった。
「オ、オルバさん! まだ治癒が!」
「構わぬ。ここまで治れば充分だ」
オルバは小さな笑みを見せた。それから一緒に立ち上がったフィーネリアに、
「そなたは余の宝だ」
優しい口調ではあるが、有無を言わせない様子でそう告げる。
その真紅の眼差しは、彼女だけを見つめていた。
「何人たりとて、そなたを傷付けさせてなるものか」
そしてそう呟くなり、オルバは銀髪の少女を片腕で強く抱き寄せた。
フィーネリアは一瞬硬直するが、今はただされるがままに彼の傍に立つ。
普段なら早鐘を打つ鼓動も、今はとても穏やかだった。
静謐な空気が森の中に訪れて……。
「フィーネリアよ」
おもむろにオルバは、優しい声で腕の中の少女へと語り始めた。
「何故、余が奴と戦っているのか。その理由は後ほど語ろう。今は奴に勝つことが先決だ」
「……はい」
魔王の言葉に、聖女はこくんと頷く。
「しかし、奴は強い。勝利を掴むには、余もかなり醜悪な真似をすることになるだろう。出来ればそなたにはこの場にて目を瞑っていて欲しい」
そう懇願するオルバに、少女は再びこくんと頷いた。
黒の魔王は「うむ」と首肯し、さらに語る。
「そなたはこの場所に隠れていてくれ。ああ、そうだ」
そこでオルバは、ドサクサに紛れて尋ねてみることにした。
「全部終えたら、そろそろそなたを
「えっ、そ、それは……」
一瞬言葉を詰まらせるフィーネリアだったが、すぐにうなじ辺りまで真っ赤にさせて、ふるふると犬耳を揺らしながらかぶりを振った。
「わ、わふん……ダ、ダメです」
か細い声でそう答える。
「そうか」と呟き、オルバは少し残念そうに苦笑を浮かべた。
流石にそこまではまだ許してくれないらしい。
「まあ、それはまだ早いか。ともあれ、奴も痺れを切らす頃合いだろう」
オルバは天を見上げてそう呟いた。
木々の間からは、オルバを探して空を駆ける竜の姿が時折見える。
「では行ってくる」
「は、はい」
フィーネリアは顔を上げた。
「行ってらっしゃい。オルバさん」
そう告げて笑う彼女に、オルバもつられるように笑みを浮かべると、最後にもう一度だけ愛しい少女を力強く抱きしめた。
そして緑と黒の玉星を連続で召喚して破砕。「《
宙空に留まるオルバ。その様子に索敵していた魔竜も気付いた。
『おや? かくれんぼはもう終わりですか?』
そう皮肉気に語る真紅の竜に、オルバは「飽きたのでな」と答え、
「さて。最終決戦といくか。三つ首の魔竜よ」
隻腕の魔王は、最後の死闘の開始を宣言するのだった。
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