第26話 魔王と巨竜➂
再び突風が吹き荒れた。
続けて、大地から伝わる強い振動。
女性二人を肩に担いだイバラキは、思わず足を止めた。
「……ぐ、ぐう」
今回の振動はかなりデカイ。このまま走り続けては転倒の恐れがある。
イバラキは振動が収まるまで、しばしその場で膝をついた。
そして木々が揺れる森の中、数秒の時間が経ち……。
「い、今のは凄かったね」
イバラキの右側の角を掴むリンダが、少しどもりながら呟く。
先程のような振動は時折発生していた。恐らくドラゴンとオルバが戦っている余波なのだろうが、かなり近付いたこの場所だと、激しい爆発音まで聞こえてくる。
「これは急いだ方がよさそうだな」
そう言って、イバラキは立ち上がろうとした――その時だった。
「ッ! イバラキさん!」
赤い鬼の左肩に座るフィーネリアが声を張り上げた。
「あれをッ!」
そして前方を指差した。イバラキ、リンダはその方向に目をやり、
「まずッ! こんな時に!」
「……チィ、狼もどきか」
二人は思わず顔をしかめて舌打ちした。
タイミングが悪いことに、彼らの前に邪魔者が現れたのだ。
のそりのそり、と間合いを計るその獣は、かなり巨大な狼の群れ。
個体名はファングウルフ。異様に長い牙と爪を持つ上位の災害獣である。狼たちはいつの間にか数十頭あまりで周辺を囲っており、鋭い眼光でフィーネリアたちを睨み据えていた。察するにここら辺りを縄張りにしている群れだろうか。
急ぐあまり、迂闊にも彼らの生息地に入り込んでしまったらしい。
「ど、どうしましょう……」
フィーネリアは困惑したように眉根を寄せる。狼型の災害獣は数が多い上に総じて利口なため、非常に厄介な敵だった。その上鼻が利くので逃げ切るのも困難である。
ここを切り抜けるには殲滅させるしかなかった。
「戦うしかあるまい。しかし……」
イバラキは、リンダとフィーネリアを降ろして嘆息する。
「こんな連中を相手にしていては御館さまの元には駆けつけられんな」
そこでイバラキは「仕方あるまい」と呟き、フィーネリアに目をやった。
「御妃殿。障壁魔法は使えるか?」
そう尋ねられたフィーネリアはこくんと頷き、
「はい。使えますけど……今は防御を固める時ではないんじゃ?」
と、問い返す。すると、イバラキは苦笑を浮かべた。
「使えるのならば問題はない。出来ればリンダ殿も送りたかったのだが、御妃殿も本人だけならばともかく、他の人間にまでは流石に手が回らんだろう」
「??? それってどういう意味ですか?」
フィーネリアは再度問う。
と、今度はリンダが「ああ。そういうこと」と言って苦笑を零した。
「要するにイバラキっち。フィーネちゃんだけでも先行してもらうって事だね」
「そういう事だ。お主は話が早いな」
イバラキは肩を大仰に竦めてそう答えた。どうやら二人の間では意志の疎通が出来ているようだが、フィーネリアだけはまだ訝しげな様子で小首を傾げていた。
「あ、あの、どういうことですか? リンダさん。イバラキさん」
「まあ、こういうことだ。失礼する御妃殿」
言ってイバラキはフィーネリアの背中を掌に乗せ、軽々と持ち上げた。
銀髪の犬耳少女は一瞬目を丸くしたが、
「え、ええ!?」
すぐさま驚愕の声を上げた。
「な、何をするんですか!? イバラキさん!?」
反射的に背中を丸めつつそう尋ねるが、彼女を持ち上げる赤い鬼は、
「ん? いやなに。お主を御館さまのおられる場所まで投げるつもりだが?」
当然とばかりに、そんなことを告げて来た。フィーネリアの顔が青ざめる。
「な、投げる!? 死にますよ私!?」
「大丈夫だ。障壁魔法があれば何とかなる」
「何ですかその信頼感!? 障壁魔法は鉄壁じゃないんですよ!?」
フィーネリアはますます蒼白になった。
するとすでにナイフを抜き、臨戦状態になっているリンダがくすくす笑った。
「大丈夫大丈夫。フィーネちゃんって結構頑丈そうだし」
「リンダさんまで!?」
フィーネリアは涙目になった。何やら頭から地面に埋まる自分の姿が脳裏によぎる。見た目的はまるで喜劇だが、実際にはただの惨状である。
「……御妃殿」
しかし、イバラキの次の台詞で、彼女の顔色は変わった。
「お主は御館さまの傍に行きたいのだろう? この状況ではこれ以外に方法がないのだ。それを理解してくれ」
赤い鬼の声はとても真摯だった。
なにせ、主君の伴侶たる少女をこんな危険な目に遭わせようとしているのだ。いくら緊急事態とはいえ、忠義心にあついイバラキが気に病まないはずもない。
その気持ちが痛いほど伝わって来た。これは流石に無下には出来ない。
「…………うゥ」
フィーネリアは小さく嘆息すると、ほんの少しの間だけ沈黙し、
「……分かりました。お願いします。あ、だけど……」
苦笑を浮かべて、彼女は付け加えた。
「私は妃ではありませんからね」
「……ふふ、では参るぞ」
対するイバラキは不敵な笑みを浮かべる。
そして、ググッと筋肉を膨れ上がらせると、フィーネリアの背中を片手で掴むような姿勢で大きく振りかぶった。執事服のボタンが次々と弾け飛び、服の袖や肩が破け始める。
「――ふゥんっ!」
そして遂には、上着がはじけ飛んでしまった。
解き放たれた鋼の肉体は躍動し、無数の血管が浮き上がっている。
あまりの威圧感から攻撃でもあるのかと警戒し、ファングウルフたちが身構える。
が、そんなものは歯牙にもかけず、赤い鬼はズシンッと渾身の一歩を踏み込んだ。
「フィーネちゃん! 私たちもすぐ行くから無茶しちゃダメよ!」
リンダがナイフを逆手に構えて、狼たちを牽制しつつそう叫ぶ。
フィーネリアは「はい!」と答えた――その直後。
「――ぬおおおお!」
イバラキが裂帛の気合を上げて、銀髪の少女を撃ち出した。
その速度は、まるで銀色の砲弾だ。
突然のことにファングウルフたちが動揺する中、彼女は髪と法衣をなびかせて空を飛ぶ。
眼下の森の光景を背に、彼女の小柄な体はどんどん加速していった。
(……オルバさん)
そんな中、風圧で目を細めながら、フィーネリアは思う。
どうしてオルバはドラゴンと戦っているのか。
一体どんな因縁があるのか。
そして、アナスタシアと名乗った女性が話していたことは真実なのか。
他にも聞きたいことは山ほどあった。
だからこそ、フィーネリアは願う。
(あなたのこと、色々教えて欲しいんです。だから死なないでくださいね)
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