第25話 魔王と巨竜②

 赤い炎が渦巻き、森の一部を焼く。

 並みの者ならば一瞬で灰になるような業火の中、オルバは上空へと飛び出した。

 黒い貫頭衣を纏ったその身体には、わずかに炎が残っていたが、オルバは空中で何度か勢いよく反転し、火の粉を散らした。


「ふん。この程度で余を仕留められるとは思わぬことだ」


 眼下の緑色の巨竜を見据え、元魔王は不敵に笑う。

 それから真紅の玉星を召喚。掌握し、右手を地面に向けた。


「さあ、お返しだ。いでよ。《大炎轟サンシャイン》よ」


 直後オルバの掌にゴオオッと巨大な火球が生まれた。そしてゆっくりと回転し続ける大火球は巨竜めがけて加速する!


『ふん。甘いですね。《ファランの偽神》』


 対し、巨竜はアギトを開いた。すると凄まじい勢いの炎が吐き出された。大火球は炎の奔流と拮抗し、互いの威力を四散させた。砕け散った炎の欠片が周辺に飛ぶ。


 巨竜はふっと笑った。


『どうやらあなたは空中戦をお望みですか』


 そう告げて大きな翼を雄々しく広げる。竜は何度か羽ばたき、その巨体を浮かせ始めた。風が吹き荒れ、土煙が舞う。そして巨竜はオルバを目指して飛翔する。


 一方、オルバはすうっと目を細めた。


「勝手に解釈するな。別に空中戦など望んではおらんぞ」


 言って、再び右手をかざした。生まれるのは緑の玉星。掌握することで掌に膨大な魔力が集束されていく。


「《風雲乱タービュランス》」


 そして唱えたのは『風』の七階位呪文セブン・スペル。刃がごとき竜巻を生み出す魔法だ。

 彼の右手を中心に大気は震え、渦を巻きながら巨竜へと襲い掛かる!


『――む』


 対し、巨竜はわずかに警戒した。空中で『風』による攻撃は相性が悪い。大きく羽ばたき、襲来する竜巻の軌道から身をかわすのだが、


「それだけではもの足りないだろう。これはおまけだ」


 オルバはそう告げると、今度は左手を上げた。

 そして召喚した蒼の玉星を掌握。ポツリと唱える。


「《氷葬剣界ゼノ・アイスゲージ》」


 すると、オルバの背後の宙空に万にも至るような数の氷剣が、次々と出現した。


 この魔法は『水』の九階位呪文ナイン・スペル

 魔王オルバのみが使用できる彼の独自魔法の一つだった。

 巨竜は遥か上空を見上げ、わずかに眉間をしかめた。

 激しい冷気を放つ巨大な氷剣は、余すことなく巨竜に切っ先を向けている。かなり危機的な状況だった。このまま受けるのはまずい。


『チイィ!』


 舌打ちした巨竜は翼を強く羽ばたかせて、再度軌道を変えようとする――が、「ふん、遅いぞ」と呟き、先にオルバがすっと左手を振り下ろした。

 途端、氷剣の陣は風を切り裂いて巨竜に襲い掛かった。


 ――ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッ!


『――ぐう!』


 氷の刃の猛撃を前にして巨竜も流石に呻き声を上げた。絶え間なく炸裂する無数の氷刃。もはや宙空で体勢を維持し続けることも適わず、竜の巨体は勢いよく地表に叩きつけられた。

 ズズゥン……と地響きが鳴り、濛々と土煙が立ちのぼる中、氷剣たちはなお巨竜の身体を打ち続ける。土煙が収まる様子は一向になかった。

 その間に、オルバは両手を広げ、さらなる大魔法を放とうとする。


 ――しかし。


『竜を侮るなよ! 魔王風情が!』


 ――ゴウッッ!

 突如、土煙の中から巨大な炎槍が飛び出してきた。

 炎槍は立ち塞がる氷剣を触れることもなく蒸発させ、オルバを呑み込まんと迫る。


「――くッ!」戦闘において初めてオルバは焦りを見せた。炎槍の速度は速い。防御魔法を使う余裕さえもなかった。彼は咄嗟に両手をかざすと、正面から炎槍の一撃を受け止めた。


 ――ズズンッッ!

 赤い炎が激しい火の粉を上げた。


「ぐうゥ……ッ!」


 思わず呻き声を上げるオルバ。

 その威力は凄まじく、オルバは一気に後方へと押しやられた。

 しかし、そこまでだ。これ以上の狼藉は魔王の誇りが許さない。


「――ぬん!」


 オルバは気迫と共に両手に魔力を集中させ、炎槍を左右に引き裂いた。天空にて大量に散りゆく火の粉たち。そして二つに引き裂かれた炎の槍は、左右それぞれに消え去っていく。


「……ふん」


 オルバは鼻を鳴らす。彼の両手はぶすぶすと焼け爛れていた。

 あの威力。流石に無傷とはいかなかったらしい。

 治癒はすでに始まっているが、完治にはかなり時間がかかりそうだ。


『……おやおや。意外と脆いんですね。《ファランの偽神》は』


 その時、地表からそんな声をかけられた。

 オルバが目をやると、そこには泰然と地に立つ巨竜の姿があった。

 長い鎌首を動かして竜はオルバを睨みつけている。

 オルバと違い、その姿に負傷らしきものはない。被膜のような翼にさえ傷はなかった。

 あれだけの猛攻が、まるで意味を成さなかった証である。


「かく言う貴様は、無駄に頑丈なようだな」


『ふふ、竜の鱗は鋼をも凌ぐ。これは一般常識ですよ』


 と、巨竜は言う。返答はせず、オルバはただ肩を竦めた。


(さて。少し互いの手の内が見えて来たな)


 オルバは考える。


(攻撃力では余の方に分があるな。術の多彩さでもだ。しかし、流石はドラゴン。あやつの防御力は桁違いだな。よもや九階位呪文ナイン・スペルで傷一つ負わんのか)


 内心で苦笑を浮かべる。

 九階位呪文ナイン・スペルは、オルバが独自に編み出した強力な魔法だ。

 しかし、それがまるで通じない。階位だけで言うのならば、その上にはまだ十階位テンが存在するのだが、基本的にそれは禁呪。どれほど強力であっても特殊すぎて世界にどんな影響をもたらすのか分からない。ファランでの使用は極力控えるべき魔法である。


 従って、九階位呪文ナイン・スペルはオルバにとって事実上の最強魔法だった。

 だからこそ、少しぐらいのダメージは期待していたのだが……。


(やれやれ。どうしたものか)


 オルバはわずかな間だけ思考するが、不意に笑った。

 考えても仕方がない。

 まだ試したのは一つだけ。相性のいい魔法もあるだろう。


(長期戦は止む得まい)


 なにせ相手は神が送り込んだ最強種。

 容易い相手ではないことは百も承知だった。


「ふん。では続きと行こうか」


 そう言って、オルバはふてぶてしく笑った。

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