幕間二 神々の遊戯
第23話 神々の遊戯
コツコツ、と。
白い大理石の渡り廊下に足音が響く。
そこは、星が瞬く空に浮かぶ巨大な城。白亜の王城だった。人の手ではあり得ないほどの精緻な美しさと、荘厳な趣を放つそんな城の中を、彼は一人歩いていた。
ローブのような白い服を纏う赤髪の人物。竜の主人たる男だ。
「ふん。そろそろ処刑が始まる頃合いか」
赤髪の男はふと足を止めて、窓の外の景色に目をやった。
今頃、彼の従僕である竜があの愚かな魔王を殺しているはずだ。
「たかが魔王ごときが……」
男は再び足を進め出した。
すると、しばらくして一人の知り合いが廊下の先で佇んでいた。
黄金の髪を煌めかせ、黒いイブニングドレスを纏った美女――アナスタシアだ。
男は歩く速度を緩め、彼女の前で止まった。
それから彼女の手に握りしめられたモノに目をやった。
「黄金の神槍か。随分と物騒なモノを持ち出してきたな」
天にたゆたう雲さえも貫く破邪の神槍。
その気になれば、神とて殺すことが出来る強大な武具だ。
「……ふん」
赤髪の男は、眼前の美女の顔を真直ぐ見据えた。
「一体何の真似だ? 女神アナスタシアよ」
それに対し、アナスタシアは神槍でコンコンと自分の肩を叩いた。
「いえ、たまには私の武器も日干しでもしなきゃと思っただけよ。副主神さま」
そう言って、彼女はにこやかに笑う。
ただし、その金色の瞳は一切笑っていなかった。
副主神と呼ばれた赤髪の男は、ふんと鼻を鳴らした。
「不滅の神具を日干しときたか。何とも下らんジョークだな」
「あらら。面白くなかったかしら」
アナスタシアはテンポよく肩を叩き続けた。
隙あらば貫く。そんな気配が、ありありと感じ取れる姿だ。
副主神はまだ幼き女神に、やれやれと嘆息した。
(神たる者が魔王ごときに随分と執着するものだ。女神とは厄介なものだな)
といった考えが脳裏によぎるが、今はどうでもいいことだった。
「あの魔王が創造した世界――ファランといったか」
アナスタシアはわずかに眉を動かした。
そんな彼女に構わず、副主神は目を細めて語る。
「別に我らの真似事で世界を創るのは構わん。魔王は最も神に近い者。いずれ神に至るためのよい予行練習になろう。しかし……」
そこで彼はわずかな苛立ちを込めて吐き捨てる。
「他の神々が創った民を掠め取るように拉致するなど許しがたい行為だ」
その台詞に、アナスタシアは肩を叩くのをやめた。
「よく言うわ。その民は、あなたたちが見捨てた人間たちじゃない」
そう言って、静かに副主神を睨みつける。
「あなたたちって本当に身勝手よね。自分が生み出した世界なのに少しでも気に入らなければ簡単に破壊する。そうやって一体どれだけの世界を潰してきたの?」
一拍置いて彼女は告げる。
「オルバは、そんなゴミ屑のように捨てられた世界の人間たちを一人でも多く救いたくて、寄る辺なき彼らの
優しくなければ魔王は担えない。
限りなく神に近付き、神々の所業を知ったアナスタシアの愛する男は、滅びゆく人々を見捨てることが出来なかったのだ。
ほんの一握りだけでも、救えるものならば救いたい。
そんな魔王の願いの果てに、救命世界ファランは生まれたのである。
「……ふん。それこそ身勝手と言うものだ」
しかし、神は魔王の願いを鼻で笑う。
「捨てようが、その人間たちがかつて我らの所有物であった事実は変わらない。それを勝手に拾われては不快になるのも当然だろう」
そして神々の中でも、最も古き神は言い放つ。
「天地創造は神の特権にして最高の
手のひらを上に広げた。
「人の営みも命の輝きもすべてこの手の上にある。慈悲をかけるも天罰を降すも、すべて我らの意思次第。この全能の行使こそ神である自覚へと繋がるのだ」
「…………」
最も若き神であるアナスタシアは、副主神に突き刺すような眼差しを向けた。
このままでは神槍で襲い掛かってきそうだ。
聖なる城で何とも血生臭い光景を思い描き、副主神は苦笑を浮かべた。
「まぁよい。女神アナスタシアよ。お前はまだ幼いのだ。生み出した世界もガーナスを含めてまだ二つだけ。生み出す数が十を超えれば、理想へのこだわりも強くなる。百を超えれば理想から外れた世界の処分など、どうでもよくなるものだ」
「……絶対に嫌よ。私は私が創造したすべての世界を愛してみせるわ」
アナスタシアはカツンと石突きを廊下につく。と、
「ふん。そうか」
副主神は興味もなさそうに再び歩きだした。
そしてアナスタシアの横を通り抜け、彼女に背を向ける。
と、その背中に、
「……オルバは強いわよ」
アナスタシアが淡々と語りかける。
「私が見初めた
「……仮にも魔王だ。侮ってなどいない」
副主神は一瞬だけ足を止めた。
「今回、私がファランに送り込んだのは、戦女神たるお前を死の縁にまで追い込んだ竜の血族。あの三つ首の魔竜の怖ろしさを、まさか忘れた訳ではあるまい」
そう告げられ、アナスタシアは一瞬息を呑んだ。脳裏によぎったのは、かつて自分の愛する世界の一つで凄まじいまでの猛威を振るった恐るべき魔竜の姿だ。
緊張から、黄金の神槍を強く握りしめる。
――三つ首の魔竜。
それは神にさえ牙を剥く巨獣であり、他世界への転移を繰り返しては、滅びの業火を振りまいていった真紅の魔獣。神界において『
(よりにもよってあんな怪物を……)
アナスタシアは静かに喉を鳴らした。
多大な犠牲を払った死闘の果てに、彼女の手によってどうにか討滅できた相手なのだが、まさか、あの魔竜の血がまだ残っていようとは……。
「あやつは『
と、淡々とした声で、副主神は自作品を語る。
それに対し、アナスタシアはキュッと唇を噛みしめるが、
「……それでもよ。オルバは勝つわ」
若き女神は、確信を以てそう告げた。
すると、副主神は「……ほう」と呟き、おもむろに振り向いた。
そしてしばし女神を見つめた後、古き神は言う。
「そうか。それもまた一興だな」
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