第22話 動き出す災厄④

「さて、と」


 太陽も随分前に真上を過ぎて、傾きかけた頃。

 フィーネリアとリンダ。イバラキの三人は森の中にいた。

 位置的に言えば、アワドサラス・シティとフフラン村の中間辺りになる場所であり、木々の間隔がそこそこある拓けた広場だった。

 さらに言えば、周囲には特に獣のいる様子もない閑静な場所でもある。

 この辺りがフィーネリアの魔法効果の限界点。同時に、万が一ドラゴンに見つかっても逃げ切れる安全圏であった。


「それじゃあ、使いますね。《見通す鳥よ。来たれ!》」


 そう言って、フィーネリアが願いを口にした。

 すると彼女の掌の中に淡い光で覆われた小鳥が生み出される。それはフィーネリアの魔法によって生まれた疑似生命――いわゆる使い魔と呼ばれる存在だった。

 小鳥はしばし周囲を窺うようにキョロキョロしていたが、すぐに羽ばたき始める。

 そして、あっと言う間に遠い空へと消えていった。


「これですぐにでもオルバさんの様子が分かるはずです」


 フィーネリアは二人の仲間にそう告げた。


「……ふむ。魔法とは便利なものだな」


 イバラキが小鳥の消えた空を見上げて呟く。


「うん。確かにね。あたしには魔法の才能が全くないから羨ましいよ」


 と、リンダは羨望にも似た感想を述べた。

 実はこのファランにいる異世界人の中には別世界の魔法を習得できる者もいる。だが、それは大抵、元の世界でも魔法使いだったか、もしくは類似した異能者ばかりだった。

 オルバたちと出会う前、リンダは便利そうなので何人かの知り合いから簡単な魔法を学んでみたことがあるのだが、残念ながら彼女には魔法の才はなかった。


「あはは、だけど、私の使う魔法はそこまで大したことはないんですよ。それこそオルバさんが使う魔法に比べれば」


 対し、フィーネリアは苦笑を浮かべて答える。

 こう言っては身も蓋もないが、彼女は所詮人間だ。

 それこそ魔の頂点――魔王であるオルバとは比較にさえならない。


「本当にオルバさんの魔法は凄いですから」


「へえ~」


 すると、その話題にリンダが喰いついてきた。


「その話はよく出るよね。まあ、オルっちのことだし本当に凄いんだろうけど」


 と、相槌を打ちつつ、


「けど、あたしって、オルっちが魔法を使うところは最初の一回しか見たことないんだよね。なにせオルっちってば大抵の災害獣や盗賊も拳で黙らせるし」


 これまでのことを思い出して呟く。

 リンダの知る限り、オルバの戦闘は基本無手だった。

 魔法どころか武器さえ使用しているところを見たことがない。特に凶暴な災害獣の相手をする時はともかく、人間相手だと殺さないように手加減までしている様子だ。


「……うん。そうですね」


 フィーネリアが眉根を寄せて、ポツリと呟いた。

 優しいオルバしか知らないリンダの方はともかく、その件はフィーネリアも気にしていたことだった。襲い来る敵を気遣う魔王など一体何の冗談なのだろうか。


 ますますもってあの『夢』の信憑性が高まってくる。

 銀髪の犬耳少女は頬に手を当て、「……はあ」と悩ましい溜息をついた。


 すると、その時、


「ふん。だが、それは当然だろう」


 そう言ってイバラキも二人の会話に加わってきた。

 執事服を着た赤い鬼は、誇らしげに主君のことを語る。


「なにせ、御館さまは素手でそれがしを凌駕するのだぞ。わざわざ雑兵相手に魔法に頼る必要もないのだろう」


 フィーネリアは、思わず苦笑を浮かべてしまった。

 確かにそれも一つの事実だ。そもそも盗賊や下位の災害獣などオルバが魔法を使うほどの敵ではない。手を抜いたと言えばそれまでか。


「それもそうですけど……あの人が得意なのはやはり魔法ですよ。伝承ではあの人は隕石さえ落として万の軍勢を滅ぼしたという逸話もありますし」


「は? い、隕石落とし!? オルっちってそんな魔法も使えるの!?」


 リンダは大きく目を瞠った。かなりとんでもない魔法だ。強力な魔法使いだとは聞いていたが、想像以上の大魔法まで使えるらしい。

 フィーネリアはこくんと頷いて説明を続ける。


「玉星魔法の一つで、七階位セブンの『時』魔法だそうです。私の仲間の一人だったバラクお爺さまからそう教わりました。確か名前は《星烙天ワールドエンド》」


 何やら途轍もなく物騒な名前だった。

 リンダは息を呑み、イバラキはあごに手を当て「ほほう」と感嘆の声を零していた。


「そ、それは、効果も名前も随分と物々しいね」


 やはり使ってはいけない類の魔法にしか思えない。

 リンダは頬を引きつらせて呻いた。が、


「けど、今さらって感じだけど、オルっちやフィーネちゃんって、元の世界だと一体どんな仕事をしていたの?」


 と、小首を傾げてフィーネリアに尋ねる。


「え、し、仕事、ですか」


 いきなりそんなことを問われ、フィーネリアは口籠る。

 そう言えば、リンダやイバラキには、自分たちの過去をほとんど話したことがない。

 実は敵同士だったという話もしていなかった。一体何から語ればいいのか。

 そんな風にフィーネリアが言葉に迷っていると、


「ところで御妃殿」


 不意にイバラキが声をかけてきた。


「だから私は妃ではありません……って、何でしょうか? イバラキさん」


「ふむ。先程の話のことだ。実はな。感嘆こそしたが、それがしは『隕石』というモノをよく知らぬのだが」


「あ、隕石ですか」


 フィーネリアはポンと両手を叩き、詳しく説明をしようとするが、


「いや、詳細はよいのだ。ただ、少し気になってな」


 そこで一拍置いて、イバラキは遠方の空を見上げると、


「もしや、あれが『隕石』とやらではないのか?」


 そう告げて、おもむろに天を指差した。

 一方、女性陣はつられるように鬼の指差す方を見て――。


「「………え?」」


 二人揃って唖然とした声を上げるのであった。



       ◆



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ――……。

 地表が揺れ、大気が弾ける。

 岩石が幾つも飛び、熱風が森の一部を根こそぎ抉り取る。大地には、無残なまでの深い放射状の亀裂が刻まれていた。そして周囲には炎の残姿が揺らめいている。


 まさしく地獄の顕現。

 そんな災害そのもののような光景の中で――。


「やれやれ、せっかちなことですね」


 クレーターの一角に、その青年は佇んでいた。

 緑色の法衣を纏い、顔に笑顔を貼りつかせた二十代前半ほどの人物だ。炎が残る大地に居ながら火傷も傷も負っておらず、彼はパンパンと法衣の埃を片手で払い、独白を続ける。


「いきなり酷いじゃないですか」


 そして、おもむろに空を見上げた。

 そこには黒髪紅眼。黒い貫頭衣を着る少年の姿があった。


「挨拶もなしに攻撃とは随分と野蛮人ですね」


 そう言って拳一つで隕石を打ち砕いた青年は、こきんと手首を鳴らした。


「貴様に言われたくはないぞ。戦う力もない者たちを虐殺するとはな」


 オルバはゆっくりと大地に降り立つと、緑色の法衣の青年を睨みつけた。

 対し、貼りついたような笑みを浮かべる青年は肩を竦めた。


「おやおや。あなたは元魔王なのでしょう? ならば、同じようなことはしたでしょうに私ばかりを責めるのはお門違いでしょう」


 数秒の沈黙を経て、


「……ふん。それに関してだけは反論もできぬな」


 オルバは淡々と答えた。

 確かに、かつては自分も同じような行いをしていた。

 魔王の役割だったとはいえ、罪もない多くの民の命を奪ったこともある。時には目を覆いたくなるような悪行もしたものだ。それについては反論も言い訳もできない。

 その事実は、今も背負い続けるオルバの原罪だった。


 ――何てことはない。

 結局のところ、数百年に渡って自分が密かに行っていたことや、これからこのファランの地で行おうとしている事業も一種の代償行為に過ぎなかった。


 身も蓋もなく言ってしまえば、くだらない自己欺瞞だ。

 そのことは、他の誰よりもオルバ自身が最もよく理解していた。


 だがしかし。

 それでもなお、変わらない感情があるのだ。


「招かざる者よ」


 オルバは、青年を睨みつけて告げる。


「この世界の住人は、人も魔も獣人も機械人も。これからファランに訪れる者たち。そしてこの地で新たに生まれる命たち。そのすべてが余の愛し子なのだ」


 この世界ファランにて生きる者たちは、等しくオルバの愛すべき者たちだった。


 老人も若者も。男も女も。

 善なる者から邪悪なる者まで。その全員が、だ。


 それがたとえ、自己欺瞞であったとしても――。

 この手で救い続けてきた命たちは、やはり愛おしかった。


 だからこそ、激怒せずにはいられなかった。


「誰であっても愛し子たちを殺されては、怒りを覚えるのも当然であろう」


 憎しみを込めて、そう吐き捨てる。

 そしてオルバは周囲の景色に目をやり、グッと拳を強く固めた。

 少し離れた場所には焼け焦げた地面が見える。

 オルバの隕石による損害ではない。フフラン村の跡地だ。

 あの場所では、ほんの二日前まで、彼の愛しき者たちが営みをしていたはずだった。


 ――数百年前のあの日。

 始まりの世界、フフラン。


 オルバが最初に手を差し伸べた者たちの末裔が、確かにそこにいたはずなのだ。

 それが、今や遺体はおろか、生きていた痕跡さえもない。


「………何故殺した」


 オルバは苛立ちで、歯を強く軋ませた。


「貴様の狙いは余の命であろう。我が愛し子たちは関係ないはず」


 すると青年は目を丸くして、やれやれとかぶりを振った。


「何を言っているんですか。あなたは。元よりこの世界の住人は本来ならば・・・・・死ぬべき者たち・・・・・・・ですよ。見つけ次第処分するのが我が主命です。それはあなたも予測していたのでしょう? だからこそ、この世界を守るためにあなたは自らファランに赴いた・・・・・・・・・・


 そこまで告げたところで、彼は笑みを消した。


「それに、実際に見て正直うんざりしたんですよ」


 緑色の法衣を着た青年は空を、森を、大地を順に見渡した。

 そして苛立ちを隠そうともせず眉をしかめた。


「まったく何なのですか。この雑多としたゴミ屑だらけの世界は。実に悪趣味極まります。我が主君がお怒りになるのも無理はない」


 それに何よりも、と続け、


「最も許せないのは当然あなた自身です。魔王風情が力に溺れた挙句、いと貴き方々の真似事ですか? いえ、あなたのした事はどちらかと言うと、ただの屑あさりでしたかね」


「…………」


 青年の皮肉にもオルバは何も答えない。

 ただ静かに、眼前の憎き敵を紅い魔眼で射抜いていた。


「……ふん。折角、姿まであなたに合わせたのに会話をする気もないのですか」


 青年は不快げに舌打ちした。

 ならばもういい。そもそも懺悔を聞いてやる義理もない。


「では、早速あなたを処分させてもらいますよ」


 青年は口角を大きく裂いて笑うと、オルバを見据えた。


「どうか死んでください。《ガーナスの魔王》――いえ、今は違いましたか」


 そして一拍置いて、オルバの今の称号を言い直す。


「では改めて死んでください。この世界の創造者。《ファランの偽神》オルバ=ガードナー」

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