第18話 家を買おう!③

 彼らが食事を終えたのは二十分後だった。

 オルバとイバラキ、そしてリンダの三人が一服している内に、フィーネリアは一人、率先して食器を次々と下げ、その後にオルバとイバラキ用のホットコーヒーと、彼女とリンダ用に香り立つ紅茶を持ってくる。

 だが、本来ここは宿屋の食堂だ。食器を下げるのも食後のお茶もウエイトレスに頼めばしてくれるのだが、これはもう完全に彼女の習慣になっていた。当然の如く厨房に通う。もはや宿屋の食堂の意味をなさなかった。

 カウンターの奥では、恰幅のいい女将が頬杖をついて苦笑を浮かべていた。


(……ふむ)


 オルバはコーヒーを一口含み、少し思案する。

 それから、おもむろに口を開いた。


「フィーネリアよ」


「は、はい。何ですか?」


 フィーネリアは紅茶を手にキョトンとした表情を浮かべた。

 オルバは苦笑を浮かべて愛する妃に告げる。


「そなたの手料理は嬉しいが、一応ここは宿だぞ。厨房の私物化がかなり進んでおらぬか?」


「え、あ、け、けど……」


 思い当たることが多すぎて声を詰まらせるフィーネリア。

 すると、今度はリンダが「あははっ」と笑って指摘してきた。


「うん。フィーネちゃんって、ウエイトレスにさえ仕事させないもんね」


「確かにそうだな。御妃殿は少々厨房に通い過ぎだ。宿の者には宿の者の職分があるというものだ。せめて女給には仕事をさせるべきだな」


「わ、わふん……」つい最近まで洞穴の奥に住み、腰蓑を纏った原始人そのものだったイバラキにまでそう指摘され、フィーネリアは呻くことしか出来なかった。

 まあ、それでも小さな声で「き、妃じゃないです」とは呟いてはいたが。


「ふむ、いずれによ」


 オルバはコーヒーをソーサーに置くと、話を続けた。


「やはり仮宿では少しばかり不便だな。フィーネリアも気兼ねなく厨房を使いたいだろう。ならば……イバラキよ」


 そこで唯一の従者を一瞥する。イバラキは表情を引き締めて「はっ」と応じた。


「いかがなされましたかな。御館さま」


 オルバは「うむ」と頷き、


「決めたぞ。余は家を買おうと思う」


 元魔王さまは、いきなりそんなことを言い出した。

 女性陣二人は目を丸くする。

 一方、イバラキは真剣な面持ちで主君の言葉を反芻した。


「家……でありますか?」


「うむ。そうだ。余とフィーネリア。そしてそなたが住まう家だ。出来れば少し大きめの館が良いな。将来的には宿舎的な使い方が出てくる」


「……ほう。それは例の計画ですな」


 と、イバラキが首肯する。そこでフィーネリアはハッとした。


「え、い、家!? 家を買うんですか!?」


「うむ。そうだ。最近、立て続けに大きな仕事をこなしたからな。あと一件。同等の仕事をこなせば予算は充分届くであろう」


 オルバはふっと笑って言葉を続ける。


「この街は住み心地がよい。ならば家を持つことも悪くないだろう」


「た、確かにそうですけど……」


 フィーネリアは呻いた。

 しかし、家まで買うとなると、何だかこの世界に根付いてしまうような気がする。

 銀髪の少女は気難しげな表情を浮かべた。

 が、オルバの台詞に顔色を変化させる者がもう一人いた。


「え、オ、オルっち、フィーネちゃんと一緒に暮らすの……?」


 愕然とした面持ちでリンダは尋ねる。


「ああ、無論だ。フィーネリアは余の妃。共に暮らすのは当然だ」


「わ、私はあなたの妃ではありません!」


 と、騒がしくやり取りするオルバとフィーネリアを見据えて、今度は泣き出しそうな顔をする金髪娘。すると、イバラキがふうと嘆息した。


「御館さま」


「ぬ? 何だイバラキよ」


 オルバはイバラキに目をやった。対し、巨漢の従者は主君に進言する。


「館を購入されるのならば、リンダ殿も招いてはいかがでしょうか。彼女はすでに我らの一員のようなもの。そして彼女もまた、宿暮らしであります。宿舎も考慮した館ならば、部屋も充分にありましょう」


「「…………え」」


 イバラキの提言に唖然とした声を上げたのは、リンダ本人とフィーネリアだった。

 オルバは「……ふむ」とあごに手をやり、忠臣の進言を検討する。


「確かにそうかもしれぬな。リンダよ。余の元に来るか?」


 と、尋ねるオルバにリンダは、


「は、はいっ!」


 ガタンッ、と椅子を盛大に倒して立ち上がる。

 そして腰辺りでもじもじと指を組み、彼女はどもりつつも答えた。


「ふ、不束者ですが、す、末長く宜しくお願いします!」


 オルバは「うむ。宜しくな」と応えた。

 リンダは思わぬ話の流れに、跳びはねそうなぐらい内心では喜んでいた。

 すると、イバラキがおもむろに立ち上がり、小さな声で彼女に耳打ちした。


「(まあ、頑張るんだな。リンダ殿)」


「(へ? イ、イバラキっち? 頑張るって何を?)」


 困惑するリンダに、イバラキは自分の思惑をはっきりと告げる。


「(それがしは思うのだ。王たる者、側室の一人や二人はいるものだ。古来より英雄は色を好むと言うしな。なんなら、お主が御妃殿よりも先にお世継ぎを産んでも構わんぞ)」


「(ええええええええええっ!?)」


 イバラキの台詞にリンダは思わず声を上げかけ、慌てて口元を両手で抑えた。

 まさか側室とは……。その発想はなかった。が、案外「それもいいかも」とも思う。彼女の故郷の世界でも当たり前のように第二夫人とかはいたものだ。それにフィーネリアを恋敵と考えるよりもそちらの方がしっくりくる。


(け、けど……)


 だがしかし、いきなりそんな事を指示されると、つい側室が行うような光景を連想してどうしようもなく顔が火照ってきた。ああ、本当に頬が熱い。どんどん湧きあがってくる恥ずかしさから、リンダは深く俯いて前髪で蒼い瞳を覆い隠してしまった。

 が、それには構わず、赤い鬼の執事は自分にとっての要点だけを伝えてくる。


「(どうも御館さまにせよ御妃殿にせよ、少しばかり奥手でな。それがしは早くお世継ぎの顔を見たいのだ。頼むぞリンダ殿)」


「(え、あ、う、うん)」


 名前を呼ばれたため、リンダは俯いていた顔を上げた。

 そして横に佇む赤い鬼を呆然と見上げつつ、コクコクと頷き――。


「(う、うん。そだね。あたし頑張るよ・・・・)」


 何も考えずにそう答えてしまった。わずか数瞬後、「は、はうあっ!?」と自分が口走った台詞に驚愕するのだが、イバラキはただ満足げに首肯するだけだった。

 そんな珍しい組み合わせのひそひそ話に、オルバとフィーネリアは首を傾げていたが、ふとフィーネリアの方が「あ、そ、そうだ!」と 声を張り上げた。


「その、えっと、リンダさんが私たちと一緒に住むのは歓迎ですけれど……それよりさっきの話です! 計画って何のことですか!」


 計画。その単語は初耳だった。

 元魔王と異界の鬼の計画。どうにも嫌な予感しかしなかった。

 が、そんな警戒をする少女に対し、オルバはあっけらかんと語り出した。


「うむ。実はな。余は事業を立ち上げようと思っていたのだ」


「じ、事業?」


 フィーネリアは目を丸くしてオルバの言葉を繰り返した。その話も初めて聞くものだった。

 リンダ、そしてすでに話の内容を知っているイバラキもオルバに注目する。


「余はこの世界に来て思ったのだ」


 オルバは足を組み、彼らに語る。


「このファランには定期的に異世界人が流れてくる。そして、彼らはいきなり異世界に放り込まれ、困り果てている。余はそんな彼らを救いたいのだ」


「それって……どういうことですか?」


 フィーネリアが眉根を寄せて尋ねる。と、


「なに。簡単な話だ」


 オルバは笑って告げる。


「要はこのファランに来たばかりの異世界人を率先的に見つけて保護するのだ。この世界の在り様を教え、生活が安定するまで宿舎を与えて職業訓練も行う。その間の費用は期間を設けて後ほど回収する予定だ」


 そんな計画を告げられ、フィーネリアは目を丸くした。


「えっと、要するにそれって、イバラキっちみたいな来たばかりの人を積極的に見つけて助けてあげるってこと?」と、尋ねるのはリンダだ。


「まあ、そうなるな」とオルバは頷く。


 しかし、すぐにふっと皮肉気に口角を崩して。


「だが、それだけでは事業としては厳しいだろう。基本的には何でも屋になる予定だ。まあ、大冒険社の商売敵になるやもしれんな」


 その説明に、フィーネリアたちは無言だった。

 オルバはしばし沈黙した後、三人に尋ねる。


「どうだ。そなたらは余に付き合ってくれるか?」


 すると、まずはイバラキが「無論。それがしはどこまでも御供いたします」と応え、続けてリンダが「あたしも末長くって言っちゃったしOKだよ」と了承した。

 そして最後のフィーネリアは悩ましげにかぶりを振りつつも、


「……私も賛成します。別に悪い事でもないようですし」


 と、承諾の意を伝えた。オルバは目を細めて満足げに首肯した。


「うむ。良かった。まあ、我が社の名はいずれ考えるとして……」


 そこでニヤリと笑って、彼はフィーネリアたちに告げる。


「まずは仕事だな。事業よりも先に、我らが住処を手に入れなければ話にもならぬ。もうひと頑張りしようではないか」

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