第17話 家を買おう!②

「………ふわあ」


 その日の朝。オルバたちが拠点にしている《アシカル亭》一階の食堂にて。

 幾つか設置された丸テーブルの一つに着席し、彼女自身が用意したおよそ七人分の朝食の前でフィーネリアは大きな欠伸をした。幼き日から王女として礼儀礼節を徹底的に叩きこまれている彼女にしては、人前で欠伸など珍しい行為だった。


「……御妃殿? 寝不足か?」


 と、同じテーブルの席に座り、イバラキが問う。

 オルバに忠誠を誓ったこの赤い鬼は、今やフィーネリアたちと行動を共にしていた。

 少し前までは腰蓑だけを纏う彼だったが、今は黒い執事服に装いを一変させていた。巨大な筋肉を無理やり押し込んで着ているので今にもはち切れんような状態になっていたが、文明人に見えないこともない。かつての腰蓑姿からは考えられない変わりようだった。


 ただ、それでもイバラキは成人の一・五倍近い巨躯を持つ鬼。

 ガーナスならば、誰もがギョッとするような巨人である事自体は変わらなかった。


(けど、ここでは誰も気にしないんだ……)


 フィーネリアは苦笑いした。

 ここは多種多様な人々が暮らす異世界ファラン。食堂には他の人間も大勢いるのだが、誰もイバラキの巨躯を気にかけていなかった。まあ、周囲を見たところ、獅子の頭部を持つ獣人もいるのだから目新しくもないのだろう。

 ともあれ、フィーネリアは「私は妃ではありません」と答えてから、


「少しおかしな夢をみたんです。凄く現実味があって……」


 昨晩の夢の内容を思い出し、彼女は眉根を寄せた。

 あれは本当に夢だったのだろうか。目が覚めた今でも疑問に思う。


(……『天魔機構ヘイトシンボル・システム』、か)


 銀髪の少女は美麗な顔を困惑で歪めた。

 もしも、あの夢が真実ならば自分は――。


「ほう。夢か」


 すると、イバラキが首肯した。


「もしやそれは御館さまに関する夢ではないか?」


 ずばり言い当てられ、フィーネリアは目を丸くした。


「え、ど、どうして分かるの?」


 そう尋ねると、赤い鬼は口角を崩して答える。


「夢とは己の願望だと聞いたことがあるんでな。ふふ、御妃殿は夢の中でも御館さまと逢瀬を重ねられていたとみえるな」


「…………え」


 いきなりそんなことを言われ、フィーネリアはキョトンとした。

 が、すぐに顔を真っ赤にした。


「ち、違いますよ! そもそもオルバさん自身は出てきていません!」


「ふふ、これは御館さまのお世継ぎが生まれるのもそう遠くはないようだな」


「だから違いますってば!」


 と、そんなやり取りをする赤い鬼と、銀髪の聖女。

 すると、その時だった。


「おっはよー! フィーネちゃん! イバラキっち!」


 宿のドアが勢いよく開き、一人の女性が入って来た。にこにこと陽気な笑みを見せて近付いてくるのは、腰にナイフを差した冒険者風の金髪の女性――リンダだ。


「あ、おはようございます。リンダさん」


 と、フィーネリアが立ち上がって頭を垂れ、


「ああ、リンダ殿か。健壮そうで何よりだ」


 イバラキが顔を向け、厳つい笑みを見せた。

 そんな二人に、リンダはニコッと笑って応える。彼女は二週間前の仕事以降、毎日のように朝食を共にしていた。それだけではなく、共に何度も仕事もこなしている。

 リンダとは、今やチームのような深い間柄だった。


「今日は少し遅かったんですね」


「うん。ちょっと寝坊してね」


 そう言って、にこやかに笑い合う銀髪の犬耳少女と金髪の女冒険者。

 フィーネリアにとって、リンダはこの世界のことを色々と詳しく教えてくれる有難い友人であり、少しアリスを彷彿させる親しい女性であった。

 それに対し、リンダの方もフィーネリアのことは実の妹のように可愛がり、とても大切に思っている……のは間違いないのだが、心のどこかでは複雑な気分でもあった。


 リンダは、まじまじとフィーネリアを見つめた。

 そして朝から嘆息する。


(……はあ、やっぱり綺麗な子だ)


 朝日の光に輝く銀の髪は、同性である彼女でさえ目を奪われる。

『彼』が妃と呼び、寵愛を注ぐのも納得の美しさだ。しかも獣人族ゆえの子犬のような愛らしさまで兼ね揃えている。まあ、本人自身は妃ではないと、かたくなに否定してはいるが、この少女が『恋敵』では流石に気落ちもしてくる。


「……? どうかしました? リンダさん?」


 と、小首を傾げて尋ねてくる恋敵兼妹分に、


「え、あ、いや、何でもないよフィーネちゃん。座ってよ。それと……」


 リンダはそう返しながら、周囲を見渡した。

 元々ここは冒険者が多く利用する宿。食堂には大勢の人間がいた。特に朝から厳つい男どもが屯っているが、その中にお目当ての人物はいなかった。


「オルっちはいないの? 珍しいね」


「御館さまはまだ自室だ」


 と、答えたのはイバラキだった。


「御館さまは、今朝から何やら深い思考に耽っておられたご様子でな。まあ、もうじきおいでになるとは思うが」


「ふ~ん、そうなんだ」


 と、少しがっかりしながらも、リンダは席に着いた。

 それからイバラキを――正確には彼の前にある料理の山を見つめて、


「まあ、オルっちはいいけど、相変わらずイバラキっちって凄い量を食べるよね」


「む、そうか」


 イバラキは少し気まずげに眉をしかめた。丸テーブルに置かれたおよそ七人分の料理。その内の四人分は、ほぼ彼一人のためだけにある料理だった。


「それがしはこれぐらい喰わんと腹が満たされんでな。御妃殿には手間を掛けて申し訳ないと思ってはおるのだが……」


「いえいえ、気にしないでください。イバラキさん」


 その台詞に、フィーネリアは笑みを零す。


「私、何だかんだ言っても料理は好きですから」


 すると、イバラキは苦笑を浮かべた。


「そう言ってくれると有難いな。御妃殿」


「料理は楽しいですよ。あ、けど、私は妃ではありませんってば」


 と、フィーネリアはもはや反射的に一言付け加えた。


「あはは、何か本当に定番のやり取りだね」


 そう呟いて、リンダはフィーネリアをどこかうらやましそうに見つめた。


「……ぬ。何だ、すでに皆、揃っていたのか」


 最後の人物が二階から降りて来たのは、その時だった。

 黒い貫頭衣を纏った黒髪紅眼の少年が、ゆっくりと三人に近付いてくる。

 それに対し、三人は三者三様の対応を見せた。

 イバラキは立ち上がり、主君に対して恭しく頭を垂れて。

 リンダは少し紅潮した様子で「お、おはよ。オルっち」と手を振った。

 そしてフィーネリアは――。


『すべての悪を背負う魔王は、優しくなければ担えないの。だから彼が優しいのは当然のことなのよ。実際、優しいでしょう?』


 ふと、昨晩の『彼女』の台詞が脳裏をよぎる。

 それから、引き寄せられるようにオルバの優しげな笑みを見つめて――。


(………あ)


 彼と視線が重なった。

 否応なしに心音が跳ね上がり、思わずフィーネリアは頬を赤らめて俯いてしまった。

 そんな少女の様子に、オルバは一瞬眉根を寄せるが、すぐに表情を改め、


「それでは朝食にしようか」


 そう言って、口元を綻ばせた。

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