第五章 家を買おう!
第16話 家を買おう!①
「………あれ?」
不意に目が覚めたフィーネリアは、ぱちくりと瞳を瞬かせた。
それから小首を傾げて、不思議そうに自分の姿を見やる。
「??? これって何?」
これは一体何事なのだろうか?
自分は確か宿屋のベッドで眠りについていたはずだ。
しかし、どうしてか今、自分は一人でポツンと椅子に座っていた。しかも一体いつの間に着替えたのか、金糸の刺繍が施された真っ白なドレスを纏っていた。
肘近くまで覆う白い手袋に、胸元だけが大きく開かれているデザインであり、社交パーティでしか着ないような豪勢なドレスである。普段のブカブカの法衣と違い、どうしても胸や腰などのスタイルが強調されるので、とても気恥ずかしい気分だった。
「いや、それよりここってどこなの?」
自分の恰好はとりあえず置いて、フィーネリアは周囲を見渡した。
そこは真っ白な世界だった。視界内に果てが見えないほど広大な空間だ。
ふと、空を見上げてみると、まるで星のように輝く金色と銀色の二つの球体の姿が見えるのだが、あれも一体何なのだろうか?
他に見たところ、物らしい物は自分の傍にあるテーブルクロスを敷いた丸テーブルと、二つの椅子ぐらいしかない。
「これって夢なの?」
思わずそう呟くと、
「いえ、似たようなものだけど夢ではないわ」
いきなりそんな声をかけられ、フィーネリアは息を呑んだ。
慌てて振り返ると、そこには空席だったはずの椅子に座る一人の女性がいた。
年齢は恐らく二十代前半。完璧なまでのプロポーションを持ち、黒いイブニングドレスを着た絶世の美女とも呼んでもいい女性だ。
特に星のような輝きを放つ金色の髪は、フィーネリアの目を惹きつけて離さない。
もはや人間に持てる美貌ではない。間違いなく人外の存在だ。
その証拠に、彼女はその背に漆黒の翼を生やしている。
「あ、あなたは誰ですか……?」
フィーネリアは恐る恐る尋ねた。
すると、黒い翼を持つ女性はぶっすうと頬を膨らませた。
「……誰でもいいじゃない。それよりもあなたがフィーネリアなのよね?」
そう尋ねて、テーブルに肘をつく女性。フィーネリアは困惑しつつも「はい」と答えた。
「ふ~ん、そう」
対し、女性はまじまじとフィーネリアの姿を観察した。
それから、ふうっと嘆息し、
「まあ、プロポーションや顔立ちは一級品だと認めておきましょう。不本意ではあるけどね。ところでフィーネリア」
「は、はい。何でしょうか」
女性の放つ威圧感のようなモノに圧され、フィーネリアはおずおずと返事をする。
それに対し、女性は何故か額に青筋を浮かべて訊いてきた。
「あなた……もうオルバとえっちしたの?」
「……へ?」
キョトンとするフィーネリア。女性はしかめっ面を浮かべて再度問う。
「だから、あなたはもうオルバに抱かれたの? その、要するに、子供が出来るようなことをしたかって聞いているの」
自分で言って恥ずかしくなってきたのか、女性の頬はわずかに赤らんでいた。
「…………えっ」
が、問われたフィーネリアの方は、わずかどころの反応ではなかった。
「わ、わふんッ!? 何を言って!? だ、抱かれてなんかいませんよ!? 私とオルバさんはそんな関係じゃありません!」
フィーネリアは勢いよく椅子から立ち上がり、顔を赤くして反論する。
その初々しい様子に、女性はホッとした表情を見せた。
「そ、そう。うん。そうよね。冷静になって考えてみれば、あの鈍感男がいきなり手なんて出さないわよね……。ははは」
そう呟いて、乾いた笑みを浮かべる女性。
フィーネリアは頬を煽ぎながら、今度は彼女の方から質問した。
「あ、あの、あなたは誰なんですか? オルバさんのお知り合いの方ですか?」
「ん? ああ、私はアナスタシアよ。まあ、オルバの古い友人のようなものよ」
少しばかり機嫌がよくなったのか、今度は素直に答えるアナスタシア。
それから彼女は「まあ、座りなさい」と言ってフィーネリアに着席を促した。
フィーネリアは訝しみつつも大人しく指示に従った。
そしてテーブルを挟んで、金色の女性と、銀色の少女が対峙した。
「光栄に思ってね」
まず金色の女性アナスタシアが会話を切り出した。
「本来この世界に普通の人間は入れないのよ。今日は特別に呼んであげたんだから」
「……は、はあ」
と、気のない返事をする銀色の少女フィーネリア。
しかし、それも仕方がない。状況がまるで理解できていないのだ。
「あ、あのアナスタシアさん。呼んだという事は私に何か御用なのでしょうか」
と、フィーネリアは無難な質問をした。
「う~ん、そうねえ」
対するアナスタシアは頬に手を当てて、
「実は、さっきの質問で用が終わっちゃったのよね。けど、まいっか。私だけが質問するのも何だし、何か訊きたいことはある?」
と、逆に質問を返してくる。
フィーネリアは困惑した。初対面の相手に何を訊けというのか。
すると、フィーネリアの困惑に気付いたのか、アナシタシアが笑い出す。
「あはははっ、まあ、いきなりそんなことを言われても困るだけか。そうねえ、なら、今あなたが多分抱いている疑問。どうして魔王だったはずのオルバがファランではあんなにも優しいのか。それを教えてあげましょうか?」
「――――えっ」
フィーネリアは唖然とした。それは確かに気になる話だ。
彼女は無意識の内にテーブルの上に身を乗り出した。
「そ、その、あなたはその理由を知っているんですか!」
「まあね。なにせあいつとは長い付き合いだし」
と、大きな胸を揺らして、誇らしげに語るアナスタシア。
フィーネリアは少しムッとするが、大きく息を吐いてアナスタシアに再度尋ねる。
「教えてください。どうしてオルバさんはあんなに変わったのですか?」
少女の真剣な様子に、流石に茶化せないと思ったのか、アナスタシアも表情を改めた。
「正確に言うと変わったんじゃないわ。戻ったのよ。今のオルバの性格こそが彼の素の性格。ガーナスでの彼の悪行は
「……は、はあ?」
フィーネリアは目を剥いた。何故そんなことをする必要があるのか。
――いや、そもそも、あれほどの悪虐な行いがすべて芝居だったと言うのか……。
時に、何千何万という人間たちに死と不幸を撒き散らし、幾つもの国や街、村を滅ぼしてきたことをただの芝居だったと言うのか!
「どうして……」
フィーネリアは、ギリと歯を軋ませた。
「どうしてそんなことを! 何がお芝居ですかッ! そのために一体どれだけの人間が死んだと思っているんですか!」
魔王城に至るまでの長い旅路。
その道程で立ち寄った多くの街や国。そのどこもが魔王軍の侵攻を恐れ、疲弊していた。それはフィーネリアの目にはまるで地獄のような光景に見えた。
だからこそ、彼女とその仲間たちは勇気を振り絞って魔王へと立ち向かったのだ。
そのすべてが芝居。単なる茶番だったのだと目の前の女性は言う。
「どうしてオルバさんはそんなことをしたんですかッ! 答えてください!」
涙さえ滲ませて問い質す少女に、アナスタシアは神妙な面持ちで答えた。
「必要だったからよ。魔王の存在がね」
「……え」フィーネリアは眉根を寄せる。「必要って?」
「そういう時代だったのよ。あのね。魔王って実は魔族の王じゃないの。そもそも魔族って種族は暗黒大陸に住む亜人種を大雑把に括ったものだしね。魔王はそれを力尽くでまとめあげたから『王』になっただけ。魔王の本来の役割はね、一種の
「し、しすてむ?」
フィーネリアはますますもって眉をひそめた。
それに対し、アナスタシアは難しい顔をしてポリポリと頬をかいた。
「まあ、仕組みって奴ね。正しくは『
「……何ですかそれ? 必要悪みたいなものですか?」
フィーネリアは小首を傾げて考える。
時には悪も必要となる。悪がなければ通らない道理もあるからだ。
アナスタシアの語る内容はそれに近い気がしたのだが、彼女はかぶりを振った。
「本質的には似てはいるけど少しだけ違うかしら。う~ん、例えばさ、互いにいがみあう人間同士やライバル同士であっても共通の強大な敵がいれば一時的に協力するでしょう? どちらかというと、そっちに近い概念なの」
アナスタシアはそこで溜息をついた。
「今から千年近く前。ガーナスはとても危うい状況だった。まさに動乱の時代よ。あのままだと総人口の七割が失われる。それほどまでに危険な時代だった」
「…………」
それはフィーネリアも聞いたことがある。歴史の授業で習ったことだ。
アナスタシアは淡々と言葉を続ける。
「だからこそ魔王が必要だった。誰もが欲に狂い、正義を履き違えていた時代。明確な悪を示すことで、正義とは何なのかを思い出させる必要があったのよ」
「……正義を思い出すための悪、ですか。そのための……魔王?」
フィーネリアの独白に、アナスタシアはこくんと頷く。
「その通りよ。要はこれこそが『悪』だっていうのを世界に示すことが魔王の使命なのよ。けど、それを実行するには強大な力も必要だった。容易く正義に破れては意味がない。何者にも屈しない最強の『
一呼吸入れて、彼女は神妙な声で語り続ける。
「結果、私は当時、最も強力な力を持っていた一人の亜人を『悪の化身』に選んだわ。それが初代魔王。亜人族は総じて長寿なんだけど、すでに高齢だった彼は天寿を迎えるまでの三百年間、ずっと悪を演じ続けてくれたわ。けれど当時の人間たちはまだ幼く、魔王がいなくなるとすぐに覇権を求めて争っていた。だから私は二人目を選んだのよ。それがオルバ」
「………え」
フィーネリアは唖然と呟く。魔王の代替わりの話は初めて聞いたからだ。
「オルバは初代と血の繋がりはないけど、魔王の役割を引き継いでくれた。割が合わないと苦笑を浮かべながらね。彼もまた、七百年近くにも渡り、悪を示してくれた」
アナスタシアの言葉に、フィーネリアはしばし呆然とする。
が、不意に渋面を浮かべた。
アナスタシアが語った内容が、恐らく真実であることは理解できる。
だが、それでも納得がいかなかった。なにせ、彼女はその『
「……それなら」
フィーネリアは不満そうに唇を動かす。
「むしろ『悪の化身』などではなく、無条件で傷ついた者や弱き者を助ける、模範的な『正義の味方』を生み出すべきじゃなかったんですか」
と、異論を唱えるが、アナスタシアは「はは」と自嘲の笑みを見せた。
「それが『勇者』でしょう」
「え?」フィーネリアは目を丸くした。
「世界が注目するほどの存在感を持つ、模範的な『
「………そ、それは」
フィーネリアは言葉を失う。
「『悪』がいなければ『正義』は輝かない。『
アナスタシアは、哀しげに黄金の双眸を細めた。
「オルバはいつも苦笑していたけど、実際、彼にとっては辛い役目だったのでしょうね。勇者
そこで、アナスタシアは小さく息をついた。
「すべての悪を背負う魔王は、優しくなければ担えないの。だから彼が優しいのは当然のことなのよ。実際、優しいでしょう?」
そう言って、黒翼の美女は微笑んだ。
フィーネリアは「う……」と呻いて、胸元を片手で強く押さえた。
確かにその通りだ。それに対しては異論もない。
オルバが優しいことは、彼女が誰よりもよく知っていたからだ。
この右も左も分からない異世界で、いつも彼はフィーネリアの傍にいてくれた。
ダワフ密林から助けてくれたことから始まり、落ち込んだ時は励ましてくれた。戦闘の際はいつも自分を気にかけてくれて、今でも時々大空に連れて行ってくれる。
心を打つあの雄大な光景を見せてもらえるのは、まさに自分だけの特権だった。
あの時ばかりは、自分のすべてを彼に委ねるのも仕方がない。
カアアア、と頬が熱くなるのを感じた。
(だ、だって……)
少しだけ俯いた銀髪の少女のうなじが、どんどん朱に染まっていく。
(だって、飛べないから。私は飛べないから)
そんな言い訳を心の中でしつつ、フィーネリアはますます深く俯いた。
けれど、すでに自分でも気付いている。
結局のところ、彼が傍にいると凄く安心するのだ。
――いつもいつも。どんな時も。
思い返せば、想像以上にオルバに
(……う、ううゥ)
羞恥で思わず涙目になってくる。
残虐非道だと噂されていた魔王とはまるで違う。
――そう。フィーネリアがいつしか警戒心を緩めるほどに。
オルバはとても穏やかで、紛れもなく優しい『人』だったのだ。
「ふふっ、思い当たることがいっぱいあるみたいね」
アナスタシアが見せるいたずらっぽい微笑みに、フィーネリアは「うう」と呻くだけだ。
が、そこで黒翼の美女は、予想外の言葉を続けた。
「けどね、その魔王も、そろそろ終わりにしようと思ったの」
「…………え」
話題が急に変わって、フィーネリアの気持ちも少し切り替わる。
――そうだった。今の本題は自分の気持ちではない。魔王の存在意義についてだ。
フィーネリアは赤い顔をぶんぶんと振った後、
「あ、あの、終わりって?」
表情を改めてそう尋ねる。それに対し、アナスタシアは皮肉気な笑みを見せた。
「人間同士の戦争は千年前に比べれば遥かにマシになった。もう悪を示し続ける必要もないぐらいにね。それに、そもそも『
「……欠陥、ですか?」
小首を傾げる少女に対し、アナスタシアは頬をかいて答える。
「分かりやすい悪って、それはそれで問題なのよね。全然関係ないことまで『これも全部魔族がいるせいだ』って叫ぶ者たちが多くなってきている」
アナスタシアは小さく嘆息した。
「……その兆候はまずいのよ。初代魔王もオルバも、すべての『元凶』は自分にあるように常に演じてきたわ。魔族もまた、『元凶たる魔王』の被害者であると思わせるためにね。けど、それでも彼らはそう言うのよ。彼らは自分が常に正義だと思いこみ、自分にとって都合のいい悪をでっちあげるの。明確な悪は正義を安直なモノにもしてしまうのよ」
その言葉には、妙な説得力があった。
フィーネリアも経験上、そういう人間と出会ったことがある。
「これ以上の状況の悪化は、正直言って危険だった。だからね、今の内にオルバにはすべての罪を背負った状態で魔王を引退してもらうことにしたの。『
テーブルに頬杖をつき、アナシタシアは遠い目をして語る。
それは、悠久の時を生きた賢者の眼差しだった。
が、そこでアナスタシアは深い溜息をつき、
「まあ、本来なら引退後、オルバは
肩を落としてそう呟いた。
(過酷な道……?)
フィーネリアは眉を寄せる。一体どういう事なのだろうか?
「あの、アナスタシアさん?」
と、銀髪の少女が声をかけると、漆黒の翼を持つ女性は笑みを見せた。
「とにかく私の話はこれでおしまいよ。早く戻りなさい」
それからアナスタシアは、やれやれといった表情を浮かべて告げる。
「心底不本意ではあるけれど、今のところはあなたに任せるわ。オルバが傍にいて欲しいと願ったあなたにね」
「え、そ、その、任せるって……」
いきなりそんなことを告げられ、困惑するフィーネリア。
するとアナスタシアが立ち上がり、フィーネリアの額をコツンと指でつついた。
金色の髪の女性は、優しく微笑む。
「けど、私だってまだ諦めた訳じゃないのよ。それだけは忘れないでね」
そんな声を聞きながら――。
フィーネリアの意識は、心地良いまどろみの中に消えていった。
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