第15話 暗い森の鬼④

 ――ズズンッッ!

 衝撃が大気を弾き、同時に地面が陥没した。

 巨大な金棒が、容赦なく紅い瞳の少年を打ちつけたのだ。

 イバラキは一瞬勝利を確信するが、すぐに大きく目を見開いた。


「な、なんだと!?」


 オルバは身構えることもなく、額で金棒の一撃を受け止めていた。

 不敵な笑みは崩れず、わずかに揺らぐこともない。血さえ流していなかった。

 逆に、金棒の方に亀裂が走っていたほどだ。


「貴様!? さては人間ではないな!?」


「ふむ。特に人間だと言った憶えなどないな。それよりもイバラキドウジよ。余は拳で語ろうと言ったはずだが?」


 そう言って、オルバは金棒に手を触れた。五本の指が鉄塊に食い込む。

 バキバキと表層の鉄片が砕け散った。


「ぬ、ぬう……」


 イバラキは軽く驚き、反射的に力を金棒に入れるがビクともしない。


「この鈍器は無粋だな。悪いが廃棄させてもらうぞ」


 と、宣告し、オルバはさらに金棒へと膂力を込めた。

 鉄の塊がミシミシと悲鳴を上げる。

 そして、わずか数秒後には、ゴキンッと半ばあたりからへし折れてしまった。

 オルバはふっと笑い、二つになった金棒の一つを捨てた。


「……金棒を膂力だけでへし折るとは……」


 半分ほどになった金棒に目をやり、イバラキは愕然とする。

 だが、それも数瞬だけのことだった。赤い鬼の顔はすぐに歓喜へと移った。


「面白い! ならば貴様の望み通り拳で語ってくれるわ!」


 そう言って金棒を放り捨てると、巨大な拳を繰り出すイバラキ。

 巨拳はオルバの腹部に直撃し、紅い瞳の少年を勢いよく吹き飛ばした。さらにイバラキは大きく跳躍。一瞬で横に飛翔するオルバに追いつくと、全体重を乗せて少年を踏みつけた!

 ズズゥン……と大地が激しく鳴動し、濛々と土煙が上がる。

 その光景に愕然とした表情を浮かべたのは、フィーネリアとリンダだった。


「オ、オルバさん!」「オルっち!?」


 いくら何でも生身で耐えられるような攻撃ではない。

 二人は思わずオルバの元に駆け寄ろうとした――が、


「ふむ。中々の攻撃だな」


 土煙の中から、何ら変わらないオルバの声が響く。

「純粋な攻撃力ならば勇者をも凌ぐか。異世界とは面白いものだ」

 と呟いた直後、イバラキの巨体がグンと宙に浮いた。

 そして土煙の中からオルバが飛び出し、その拳を鬼の腹に叩きこむ!


「むう!?」


 イバラキは大きく目を剥いた。

 鬼の巨体は後方に弾け飛ぶと、そのまま岩壁に叩きつけられた。


「それがしの巨躯をその小さな拳で飛ばすのか!」


 ガラガラと岩と共に崩れ落ちながらも、イバラキは不敵に笑う。

 そして追撃のために、接近するオルバを横から殴りつけた。

 鬼の膂力に再びオルバは吹き飛ばされる――が、


「――ふん!」


 今度は宙空で反転し、地面に片足を打ちつける!

 オルバは片足で火線を引きながら停止した。

 そして、もう片方の足でもズシンッと地を打ちつけ、体重がさほどないはずの少年の姿でありながら大地を強く震わせた。

 シンとした空気の中、オルバは悠然と佇んで鬼を見据える。


「どうした鬼よ。その程度の拳では余に傷を負わすことさえ叶わぬぞ」


「ふん。何とも頑丈な」


 一方、赤い鬼は笑みさえ浮かべていた。

 オルバを殴りつけた拳がわずかに痺れている。


「貴様は鋼で出来ているのか? 全くもって面白い小僧よ!」


 言って、イバラキは大きく跳躍した。

 巨体とは思えない敏捷さで、赤い鬼は巨拳を振り下ろす。

 それを見やり、オルバもまた獰猛に笑った。



「す、凄い……」


 乙女の顔でリンダは呟く。

 そして自分の豊かな胸元に両手を当て、


「――凄い凄い凄い! オルっち本当に凄い!」


 と、はしゃぐ年上の女性に、フィーネリアは渋面を浮かべた。

 オルバが強いことは百も承知だ。

 魔王オルバ=ガードナーは、一人で万の軍勢をも滅ぼした逸話まで持つ男だ。

 しかし、だからこそ彼女は気に入らなかった。


(どうして魔法を使わないの?)


 フィーネリアは、オルバと鬼の戦いを見据えた。

 先程からの死闘。確かに凄まじいものだが、オルバは一度も魔法を使っていない。

 並みの者ならば、あの尋常ではない接近戦で魔法を使うのは隙にも繋がる。だが、あらゆる魔法を無詠唱で使用できるオルバには当てはまらなかった。玉星を破砕する所作を戦いに組み込むのも彼ならば造作もないことだろう。


 肉体の強靭さと、魔法の強大さ。

 この二つこそが魔王オルバの強さの真価のはずだった。


 だが、今の状況を見ていると……。


(もしかして遊んでいるの?)


 フィーネリアは訝しげに眉根を寄せた。

 戦闘中に見せる笑み。まるでオルバは楽しんでいるように見える。


(けど、手を抜いて弄んでいるような感じじゃない……)


 続けて彼女は小首を傾げた。

 手を抜くと言うより、相手に条件を合わせたという趣か。

 殺し合いではない。それはまるで互いの力量を確かめる手合わせのようだった。


(……オルバ=ガードナー)


 フィーネリアは、真直ぐな眼差しでオルバを見据えた。

 この戦いもまた――魔王らしくない・・・・・・・

 彼女はますますオルバの本性が分からなくなってしまった。

 ただ、目の前の光景を見ていると、


(……ふふ、だけどオルバさん。凄く楽しそう……)


 銀髪の少女は、くすりと笑う。

 オルバの本性なんて今はどうでもいい。

 不謹慎ではあるが、彼の楽しげな笑みを見るとそう思ってしまう自分がいた。

 そしてフィーネリアは、改めて黒い貫頭衣の少年を見つめる。

 知らずの内に尾を揺らし、その眼差しにほんのわずかな愛しさを乗せて――。



「――ぐお!?」


 死闘は決着に向かおうとしていた。

 オルバの猛攻がいよいよ鬼を圧し始めたのだ。

 そして今もオルバの大気を弾く右拳が、イバラキの腹筋を貫く!


「ぬうう……ッ」


 まるで破城鎚の直撃でも受けたような重い衝撃だった。

 赤い鬼は、呻き声を上げつつもどうにかその場に踏みとどまろうとするが、そこへ繰り出されたオルバの左拳が鬼の横っ面を強打した。

 大きく脳を揺らされたイバラキは、二、三歩後退する。


「――隙だらけだぞ! 異界の鬼よ!」


 ――ズンッ!

 続けて、オルバはイバラキの喉元に水平蹴りを喰らわせた。並みの者ならば首が吹き飛んでもおかしくないほどの一撃に、さしもの鬼も堪え切れず、ズズンと片膝をつく。


「ぐ、ふ……。信じられん小僧だな」


 痛む喉元を片手で押さえながらも、イバラキは未だ衰えることのない鋭い眼光でオルバを静かに睨みつけた。

 一方、オルバは楽しそうに目を細めていた。


「余も驚いておるぞ。過去の我が敵、我が配下においても、余と殴り合える者など数えるほどもおらぬだろう。見事であったぞ、イバラキドウジ」


「……ふん。光栄の至りだが、勝者をきどるにはいささか気が早いぞ、小僧」


 言って、イバラキは傷ついた体に鞭を打ち、立ち上がった。

 そして右腕を大きく掲げると、全身の筋肉が異常なまでに膨れ上がる。特に膂力と血流が集束した右腕は浅黒くなり、はっきりと血管までが浮かび上がるほどだ。


「それがしの全霊の一撃。受けて見るがいい」


 そう呟き、イバラキはオルバを睨み据えた。が、すぐに口角を崩してこう告げる。


「ここに至って、よもやよけるなどとつまらんことは言ってくれるなよ? それは流石にそれがしも困るぞ」


 明らかによけるなという挑発に、オルバは肩を竦めた。


「言われるまでもない。余がそのような狭量な真似をすると思われては心外だ」


 そう言って、オルバは特に身構えることなくその場にて両腕を広げた。

 絶対の自負を以て、最後の攻撃を受け入れる姿勢だ。


「さあ、来るがよいイバラキドウジよ。そなたの全力を見せてみよ」


「……ふん。どこまでもふてぶてしい小僧だ」


 と、悪態をつきつつも、イバラキは嬉しそうに笑った。

 そして――ズンと強く大地を踏みしめる。


「ではゆくぞ小僧」


 イバラキは厳かにそう呟いた。

 その直後の事だった。地表が粉砕され、鬼の巨体が跳躍する。

 続けてイバラキは空中で全身を大きく捩じると、鋼鉄をも凌ぐ硬度となった右腕をオルバの頭部に容赦なく叩きつけた!


 ――ドォゴンッ!!

 鳴り響く轟音。同時に地表が微細に砕け散り、大きく波打った。

 鬼の一撃は分類としては、初手の金棒と同じシンプルな振り下ろしだった。

 だが、その威力が比較にもならない。

 重い衝撃はオルバの両足をひび割れた地面に深くめり込ませる。余波は周辺の木々を震わせ、振動で巻き起こった突風は砂塵を周囲に撒き散らした。

 そしてこれまでの戦闘において傷らしきモノを一切負っていなかったオルバの額から、つうっと血の筋が流れる。


「………あ」


 フィーネリアが口元を抑えて小さく呟いた。それは、あの魔王城での最終決戦の時にさえも見たことがなかった、魔王オルバの初めての負傷であった。

 シン、とした空気が流れる。

 赤い鬼は右腕を振り下ろした姿勢のまま、オルバを静かに見据えていた。

 しかし、時が経過しても魔王が膝をつくことはない。

 魔王オルバは、正面から異界の鬼の渾身の一撃を受け切ったのだ。


「……見事な一撃だったぞ、イバラキドウジよ」


 オルバは指先で額の血を拭い、楽しげに笑った。


「血を流すなどいつ以来のことか。やはり異世界とは面白いな」


 そう嘯き、オルバはイバラキに目をやった。

 対し、赤い鬼は数歩ばかり退がって、ズシンと両膝をついた。


「大した怪物だな、貴様は」


 言って、頭を垂れるイバラキ。


「……ふん。この勝負、貴様の勝ちのようだな。それがしの首級を上げるといい」


 敗北を認めた鬼は、すでに死を覚悟していた。

 しかし、それに対してオルバは困惑の表情を浮かべる。


「そう言われても困るな。余はそもそもそなたを殺すつもりなどない」


「……なんだと?」


 オルバの台詞に、イバラキは眉をしかめた。


「鬼と出会って何故殺さん。それがしは悪鬼。悪の化身ぞ」


「……悪の化身か」


 イバラキの台詞に、奇しくも今度はオルバが眉をしかめた。

 それから、オルバは「やはりそなたは余と似ておるな」と呟き、ここより少し離れた場所にいるフィーネリアたち――主に、リンダの方へと目をやった。


「リンダよ。決着はついた。この者の処遇は余が決めてもよいか?」


「へ?」


 いきなり名を呼ばれたリンダはキョトンとしたが、


「あ、う、うん。オルっちが決めていいよ。あたし今回、何もしてないし」


 と、コクコクと何度も頷き返す。彼女の頬はかなり赤かった。

 オルバはふっと笑った。


「ならばイバラキよ。そなたに尋ねる」


 両膝をつく赤い鬼にオルバは問う。


「そなた、余に仕える気はないか」


「……なに?」


 大きく目を瞠るイバラキ。オルバは言葉を続ける。


「実はな。余は今、密かにとある計画を立てておってな。そのためにはまずは人材。そして資金を集めようと考えておるのだ」


 オルバは唖然とする鬼に語り続ける。


「そなたの戦闘力は充分すぎるほど合格だ。どうだ? もう一度訊くぞ。そなた、余に仕える気はないか」


 腕を組んで、オルバは言葉を締めた。

 イバラキはただ呆然と自分を凌駕した男を見つめ――。


「がははははははははははははははははっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははっはははははははははははは――ッ!」


 満身創痍の身で赤い鬼は呵々大笑した。

 オルバは静かに見据え、遠くから見ていたフィーネリアたちは唖然とする。

 赤い鬼はただただ豪快に笑い続けていた。が、数秒も経過すると少しばかり笑い飽きてきたのか、あごに手をやり、砕けた表情を改めた。

 そして射抜くような眼差しでオルバを見据えて――。


「貴様はそれがしを倒した。ならば、それがしの命は貴様のものだ」


 そう言い放ち、イバラキは大きく両の拳を振り上げて大地に叩きつけた。

 ズズンッと地響きが鳴る中、赤い鬼は深々と平伏する。


「猛き御身よ。我が忠誠を御身に捧げましょう」


 それは心からの忠誠の言葉だった。

 対し、オルバは厳かな声で返答する。


「受け入れよう。そなたはこれより余の臣下だ」


「おおォ……御館さま」


 イバラキは感嘆の声を上げた。

 そして歓喜の笑みを浮かべ、巨大な身体を震わせる。


「このイバラキ。どこまでも御供する所存でございます」


 そう言って、さらに平伏する赤い鬼。

 かくして、ガーナスの元魔王オルバ=ガードナーは、異世界ファランにて初めての臣下を迎え入れたのである。


(……えええええッ!?)


 なお、この一部始終に犬ミミ聖女さまが驚愕したことは言うまでもない。

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