第14話 暗い森の鬼➂

「――オルっち!」


 リンダが叫ぶ。


「間合いを取って! そいつは、言葉は通じるけど話は通じないタイプだ! 戦うよ!」


 続けてそう告げると、リンダは腰のナイフを引き抜いた。

 ブウゥン、と音を立てて振動する刀身。

 残念ながら交渉は決裂だ。この手の輩はいずれ必ず盗賊や野盗に身を墜とす。

 今この場で討伐するしかなかった。


「リンダさん! 身体強化魔法をかけます!」


 フィーネリアもまた叫ぶ。


「『苛烈なる力よ! 炎を掲げよ!』」


 そう言った途端、リンダの全身が赤い光に包まれた。

 同時に、自身の身体能力が大幅に上がるのをリンダは感じた。


「ッ! ありがとうフィーネちゃん!」


 本当に優秀な女の子だ。リンダは不敵に笑う。

 そしていつでも駆け出せるように、重心を深く沈めた。

 が、一方オルバは――。


「まあ、待て」


 未だイバラキの前で両腕を組み、立ったままだった。


「しばし余に時間をくれ。こやつは面白い」


 そう言って苦笑を浮かべるオルバを、イバラキは睨みつけた。


「……面白いとは余裕のつもりか。小僧」


 金棒をゆっくりと水平に振りかぶり、イバラキは問う。


「それがしを愚弄する気か? 人間ごときが」


「いや、そんな気などないぞ」


 対し、オルバは目を細めて返す。


「ただ、そなたは余と似ているような気がしてな」


「……? どういう意味だ? 小僧」


 戦意より興味が勝ったのか、何もせず訝しむイバラキ。

 すると、オルバはくつくつと笑い、


「いやなに。ふふっ、『人間ごとき』か。余もよく言った台詞だ」


 そう呟いて、昔を懐かしむように目尻を下げるオルバ。

 ――と、その時だった。

 いきなりリンダが、ナイフを片手に駆け出したのだ。


(まったくもう!)


 オルバの意図は分からないが、彼は今、危険な間合いにいる。ここに連れて来た冒険者の先輩としていつまでも静観はしていられなかった。


(すれ違いざまあの鬼の首を刎ねる!)


 強化された今の彼女の身体能力ならば、それも可能だった。

 リンダはさらに加速した。対するイバラキは尋常ではない疾走に感嘆の表情を浮かべた。

 そして、瞬く間に間合いを詰めたリンダは刃を閃かせて――。


「こらこら。待てと申したであろう。それといきなり殺そうとするな」


「――――えっ」


 リンダは目を剥いた。

 唐突に両足が宙に浮き、ガクン、と突進を制止させられたのだ。

 予想外の事態に彼女は呆然とする。


「え、ええ!? ど、どうやって……?」


 と、困惑の声を零すリンダ。

 気付けば彼女は、オルバの手によって彼の右肩に担ぎ上げられていた。

 過去最高の速度で疾走していた彼女を、オルバは難なく捕らえたのである。

 肩に担がれたリンダは、両手両足をぶらりと下げていた。

 そうして、しばし手をプラプラさせてキョトンとしていたリンダだったが、


「うえええッ!?」


 すぐにそんな声を上げて、耳に至るまで顔を真っ赤にした。

 その顔色の変化には攻撃を邪魔された怒りや憤りもあるが、それ以上に、異性にこんな体勢で支えられるのが、流石に恥ずかしかったのだ。


「ちょ、ちょっとオルっち!?」


 頬を赤く染めたままジタバタと手足を動かすリンダだったが、オルバは気にもかけない。


「まったく。そんなに暴れるでない」


 そう呟くと、オルバは暴れるリンダを横に抱き直した。

 再び瞬く間に姿勢を変えられ、彼女は一瞬キョトンとする。

 いつの間にか、今度はお姫さま抱っこをされていた。


「えええッ!? ちょ、や、やだよ、な、何すんの!?」


 リンダはますます狼狽した。

 そしてなお暴れ続ける彼女を、オルバは拘束するように、より近くに抱き寄せた。

 唐突な密着ぶりにリンダの呼吸は一瞬止まり、「や、やぁ……」と小さな声を零した。否応なしに顔が赤くなる。このまま唇でも奪われそうな距離だった。


「や、やだ、お願い。やめて……」


 そのあまりの近さに、女として危機を感じたのか、本能的に顔を逸らそうとするリンダだったが、それはオルバが許さない。


「これ。視線を逸らすな」


 彼はリンダの後頭部に手を当てると、ぐいっと無理やり視線を合わせて――。


「余の話を聞け。リンダよ。余はイバラキに用があるのだ」


「う、あ……」


 ただでさえ、数々の敵を屈服させてきた紅い魔眼。

 圧倒的な力を宿すその眼差しに超至近距離から射抜かれたリンダは、ただただ息を呑んだ。

 そして――。


「少しは落ち着いたか、リンダよ」


 強烈な圧力から一転、不意にオルバが優しい声色で語りかける。

 するとリンダの背筋に電撃にも似た感覚が走り、思わずゴトンッとナイフを地面に落としてしまった。ベテランの冒険者としてあるまじき失態に彼女は「……あっ」と目を見開き、慌てて拾おうと手を伸ばすが、


「あとで良い。今は余だけを見よ」


 再び耳朶を打つオルバの声に背中がゾクゾクと震え、動きを止められてしまう。

 リンダは言われるがままに蒼い瞳でオルバを見つめて鼓動が跳ね上がった。彼の紅い眼差しにどうしようもなく惹き付けられる。ゴクリ、と喉を鳴らした。

 そうして数秒後、彼女は胸元の前で指を組んでオルバの腕の中で小さく縮こまった。

 もう暴れるような気配もない。大人しくお姫様抱っこを享受していた。

 ただ、瞳を隠すほど深く俯く顔は真っ赤ではあったが。

 あれだけ勇ましかった女豹が今や子猫のようである。二人の様子にフィーネリアは勿論、敵であるイバラキまでもが呆気に取られていた。


「やれやれだな」


 そんな中、オルバはようやく落ち着いてくれたリンダを抱えて、フィーネリアの方へと向かった。元魔王さまは少しばかり気疲れしたような様子であった。そして銀髪の少女の元に辿り着くと、腕の中でガチガチに緊張している金髪娘に目をやった。


 リンダは不安そうな眼差しでオルバの顔を見つめていた。

 オルバはふっと双眸を細めて、


「そなたは優しくはあるが、少しじゃじゃ馬でもあるな。さてフィーネリアよ」


「は、はい」


 元魔王に声をかけられ、反射的に尾を上げて身を引き締めるフィーネリア。

 オルバは苦笑を浮かべつつも、リンダを丁重に地面へと降ろした。


「障壁魔法を展開し、この場にて静観せよ。手を出すことは許さぬ」


 オルバの指示に、フィーネリアは一瞬だけ眉根を寄せたが、すぐに「分かりました」と承諾した。魔王の強さは誰よりもよく知っていたからだ。

 オルバはおもむろに首肯すると、続けてリンダの方へ視線を向ける。

 彼女は完全に脱力してその場にペタンと座り込んでいた。


「リンダ=リビングストーン。そなたには色々と感謝しているが、今は大人しくせよ。余はしばしあやつと語らいたいのだ」


 そう言って、オルバはリンダの頭にポンと右手を置いた。

 次いで、くしゃりと彼女の柔らかな金髪を撫でる。

 いつぞやのフィーネリアに対する扱いと同じく、まるで幼児でも宥めるような扱いだ。


「――――……」


 対するリンダの方はまだ放心状態から脱しておらず、しばし沈黙していた。

 ――が、数瞬後。


「ひゃ、ひゃあっ!?」


 いきなり裏返った声を上げると、彼女はボッと顔を紅潮させた。

 首筋から耳まで余すことなく真っ赤になっている。

 そして腰が抜けたような姿勢のまま、オルバの方を見つめて――。


「は、はいっ! 実は、その、あたし、初めてで……じゃ、じゃなくって!? そ、その、わ、わわ分かったよ。オルっち……」


 と、かなり支離滅裂ながらも承諾する。

 オルバは満足げに頷き、


「うむ。感謝するぞ。リンダよ」


 そう言って優しい手つきで彼女の頭を再び撫でた。

 途端、リンダはビクッと肩を震わせ、瞳を隠すほど深くうな垂れてしまった。

 彼女はそれ以降、何も語ろうとしなかった。

 そしてオルバは一人、イバラキの元へと歩を進めていく。


「……オルバさん……」


 彼の様子を一瞥した後、フィーネリアはリンダに目をやった。

 彼女は座り込んだ姿勢で、ポーっとしてオルバの後ろ姿を見つめていた。

 フィーネリアの頬が引きつる。


 これはどう見てもまずい兆候だった。

 何と言うべきか、魔王の恐ろしさの片鱗を見たような気がする。

 ――いや、片鱗どころか、すでにリンダの心は……。


 フィーネリアは、慌ててリンダの両肩を掴んで揺さぶった。


「リ、リンダさん! しっかりしてください!」


 しかし、リンダは顔を赤くして「あ、あうゥ……」と呻くだけだった。

 内股で座り込むその姿は完全に少女の仕種である。道中に見せていた姉御肌の陽気さや、男勝りの気風の良さなど微塵もない。


「リンダさん!? しっかりして!?」


 フィーネリアは、リンダの肩をさらに強く揺さぶった。

 リンダの行く末が心配になる一方、何故か胸の奥が痛み、もの凄く不安になる。

 フィーネリアは涙目になって金髪の女性に向かって叫ぶ。


「ダメですよ!? オルバさんは優しく見えても邪悪なんです! だからダメですからね!?」


 銀髪の少女の悲痛な声も、金髪の女性には届かない。

 リンダは口元をえへへと綻ばせていた。


「ダメなんですからね!?」


 そして犬耳少女の絶叫は、森の中に虚しく響くのだった。



 一方、その頃。


「……ふん。何とも騒がしい娘だな」


 と、イバラキが呆れた様子で呟いた。

 対し、オルバは肩を竦める。


「まあ、そう言うな。余の妃が壮健なのは良きことだ」


 それよりも、と続け、


「待たせたな。では、語ろうではないか」


 オルバは不敵に笑ってイバラキに告げる。

 イバラキは口元を歪めた。


「ふん。語ると言っても会話ではないようだな」


「当然だ。それはそなたがすでに拒否している。余が望むのは拳の語らいよ」


 言って、右の拳を掲げるオルバ。

 イバラキは金棒を肩に乗せ、ふんと鼻を鳴らした。


「拳による語らいか。人間の小僧ごときが随分と粋がったものだ」


 鬼の言葉は侮蔑のものだったが、声色には感嘆が混じっていた。


「だが面白い。もはやこれ以上の言葉は無意味だな」


「ああ。そなたのすべてを、その拳にて聞かせてくれ」


 そして森の一角に緊張感が満ちる。

 それは十秒、二十秒と続き――遂に動き出す!

 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!

 森の中に響く鬼の雄叫び。

 そして轟音を奏でて振り下ろされる黒い金棒。

 それが、魔王オルバと異界の鬼イバラキの開戦の狼煙だった。

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