第13話 暗い森の鬼②
オルバの推測通り、『標的』は意外と早く見つかった。
粉砕された木々から、逆方向に進むこと二十分。徐々に木々の間隔が開けて、ようやく日光が差し込むようになった森の中で大きな足跡を見つけたのだ。
地面に刻まれそれは明らかに裸足の人間の足跡なのだが、大きさがまるで違う。
オルバと比較すると、およそ一・五倍近い大きさだった。それは、恐らく体格差も同じほどであることを示す。
「これは随分とデッカイ奴みたいだね。気をつけよう二人とも」
とリーダーであるリンダが警告し、三人は足跡を追って更に森の奥へと進んでいった。
そして見つけたのが開けた森の一角。高い岩壁にポカリと空いた、大きな洞穴だった。
巨大な足跡はその奥へと続いている。
「ふむ。どうやらここが標的の住処という訳か」
繁みに身を隠しつつ、オルバが呟く。
リンダは「うん、そうだね」と頷いた。
「多分この奥にいると思うよ。だけど……」
そう言って、リンダはあごに手をやった。それから洞窟を見据えて考え込む。
(どうしたもんかな)
ここが標的の住処なのはまず間違いない。今もこの奥に標的がいる可能性は高いだろう。
後は洞穴に侵入するだけ。まずは出会わなければ何も始まらない。
だが、最悪、戦闘する事まで考慮した場合、大人数で動きにくい洞穴に入って行くのは得策ではない。何より緊急時の逃走手段に考えていたオルバの飛翔魔法も使用できない。
(ここはあたしがまず偵察に出るべきかな)
リンダはそう考えた。オルバたちにはここで一旦待機してもらい、自分が一人で洞穴の中に偵察に行く。標的が会話の通じる相手ならばそれでよし。ただの獣ならば外まで逃走する。自分一人ならばさほど難しくもない。後はここでオルバたちと合流し、空へと逃げるだけだ。
(これがベストかな)
リンダはあごから手を離して決断した。
が、その方針を二人に告げる前に、
「あ、あのリンダさん」
隣で小柄な身体を屈めるフィーネリアがリンダに声を掛けて来た。
「よろしければ、私が偵察魔法を使いましょうか?」
「……へ?」リンダはポカンとした。
「えっ、フィーネちゃん、そんな魔法まで使えるの?」
「は、はい。簡単に言えば、魔法で小さな鳥を生み出すんです。その子の見たモノをここに映し出すことが出来ます」
フィーネリアは両手で空中に四角の枠を描きつつ、そう説明した。
意外なほど優秀な犬耳少女をリンダはまじまじと見つめた。
「フィーネちゃん。本当に凄いね。要はドローンみたいな魔法ってことか」
「ど、どろ……?」
聞いたこともない名称に、眉根を寄せて首を傾げるフィーネリア。
対し、リンダは苦笑を浮かべた。
何にせよ、その作戦は良案だ。乗らない手はない。
「よし。じゃあ、お願い――」
「いや、待て。リンダ。それにフィーネリアよ」
しかし、魔法を依頼しようとするリンダを、オルバが止めた。
彼は真直ぐ洞穴を睨み据えており、そして皮肉気に笑って告げた。
「どうやら少々出遅れたようだぞ。家主殿が出て来たところだ」
「「え」」
女性陣の二人は唖然として洞窟に視線を向けた。
すると、そこには――。
ズシン、と。
巨大な金棒を肩に担ぐ筋骨隆々の大男がいた。
しかし、『大男』と称したがその姿は人間ではない。
全身の肌は赤く、怒りを抱くようにきつく結ばれた口からは天へと伸びる二本の牙が突き出ている。波打つような白い総髪を持ち、額からは二本の角も生えていた。
それに加え、衣類らしきものは腰に巻いた蓑だけという大胆さである。
人間と呼ぶには、あまりにも獣じみた姿だった。
「うわあ、これはまた、凄いのが出て来たね」
「は、はい。本当にオーガみたいです」
思わず女性陣は息を呑む。
一方、オーガはリンダたちが隠れる繁みを睨みつけた。
そして数秒後、フンと鼻を小さく鳴らし、
「女が二人。男が一人か。懲りずにまた来たか人間どもが」
はっきりと言葉を話した。
正確には別世界の言語なのだが、翻訳魔法を使用中のオルバとフィーネリア、翻訳機能を持つチョーカーを身につけたリンダにはその言葉の意味が理解できた。
このオーガには明確な知性がある。
災害獣などではない。やはり異世界人だったのだ。
「……これは、あたしの読みが当たったみたいだね」
と、リンダが繁みの中で苦笑を零していたら、
「ふむ、そうだな。では行くか」
「えっ、ちょ、ちょっとオルっち!?」「オ、オルバさん!?」
いきなり無造作に歩き出したオルバに、リンダとフィーネリアが仰天した。
そして唖然とする女性陣を置いてオルバは悠然とした足取りで進み、オーガの前に立つ。
堂々とした佇まいには、王者の風格があった。
「………ほう」
オーガはすっと目を細めた。
「臆すこともなくそれがしの前に姿を現すか。中々肝が据わっているな小僧」
「そなたは正面から姿を現した。ならば、こちらも正面から応えるのが礼儀と言うものだ」
そう嘯き、笑みを零すオルバ。
一・五倍近い体格差を持つオーガと魔王は、静かに向かい合った。
その傍ら、未だに繁みに隠れていたリンダとフィーネリアだったが、すでにオーガには存在を気付かれている。二人は少しオドオドとした様子で繁みから出て来た。
そんな彼女たちをオーガは一瞥し、
「……ほう。二人とも美しいな。お前の女か? 小僧」
「一人はそうだ。余の妃よ。もう一人はまあ、知り合い程度だな」
「ち、違います! 私は妃ではありません!」
「え、えっと、オルっち。そこはせめて『仲間』にしてよ」
と、オルバの近くまで寄ったフィーネリアとリンダの意見が飛んだ。
オルバは何も答えず、オーガだけを見据えた。
「では名乗ろうか。余の名はオルバ=ガードナーだ」
と、堂々と名乗るオルバに対し、オーガは興味深げにあごへと手をやった。
「ふむ。それがしの名は茨木童子よ。そう呼ばれておる」
そして思いのほか、友好的に名乗りを上げる。
リンダたちも面を喰らいながらも、それぞれ「あたしはリンダ=リビングストーンだよ」「フィーネリア。フィーネリア=アルファードです」と名乗った。
「イバラキドウジか。変わった名だな」
と、オルバが正直な感想を告げる。
どこか大冒険社の支部長と似たような響きのある名前だ。
すると、オーガ――イバラキが鼻を鳴らした。
それから、おもむろにフィーネリアとリンダの方を見やり、
「それはそれがしの台詞よ。貴様らは一体何なのだ? 貴様はともかく、金や銀の髪など初めて見るぞ。ここもそれがしが棲んでいた山ではない。もしやここは異国の地なのか?」
そんなことを尋ねてくる。
どうやらイバラキはここが異世界だとは気付いていないらしい。
「……ふむ」
そこでオルバは提案することにした。
「イバラキよ。どうやらそなたはここがどこなのか、今がどういう状況なのか分かっておらぬようだ。どうだ? 少し余の話に耳を傾けてくれぬか?」
まずは会話から。当初の目的通り計画を進めようとするオルバだったが、
「ふん。断る」
しかし、イバラキはその提案を鼻で笑った。
「どうしてそれがしが人間の話などを聞かねばならん。この地がどこなのかなどそれがしにとっては些細なことだ。酒と獲物さえあればそれがしはどこであろうと生きて行ける」
そこで赤い鬼はオルバを睨みつけた。
「まず男は殺す」
続けて、視線をリンダとフィーネリアに向け、
「女は犯して孕ませる。それが『鬼』というものよ。貴様の気概に免じて名乗り程度には付き合ってやったが、それがしに人間と慣れ合う気は毛頭ないわ」
イバラキは金棒でゴンゴンと肩を叩きながら、そう宣言した。
見た目通りの野蛮極まる台詞に、リンダは「うわあ……」と呻き、フィーネリアは「うぅ、なんでこんなのばっかりなの」と眉をしかめて心底うんざりしていた。
ただ、オルバだけは興味を抱くように目を細めていたが。
ともあれ、交渉はいきなり破談してしまった。
オルバは泰然と腕を組み、リンダとフィーネリアは後方に跳んで間合いを取った。
彼女たちの表情は険しい。完全な臨戦状態だった。
「さあ、人間どもよ」
そして金棒でズズンと大地を砕き、イバラキは不敵に笑う。
「足掻け。そしてそれがしを存分に楽しませろ!」
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