第三章 初めてのお仕事

第9話 初めてのお仕事①

 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!

 暗い森の中で咆哮が響く。

 続けて剣戟音。それは数秒間続いたが、


「ひいいいいィィ!」


 悲鳴と共に、四人の人間が繁みの中から飛び出してきた。全員が二十~三十代。剣と鎧を装備した冒険者風の男たちだ。彼らは揃って顔色を青ざめさせており、所々に怪我を負っている。

 彼らのチームはつい先程まで戦闘中だったのだ。


 しかし――。


「な、何だよあの化けモンは!」


「と、とにかく逃げろ! 俺らじゃ敵わねえ!」


 森の中で出くわした怪物。そいつを相手にして返り討ちにあったのである。

 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!

 再び森の中に響く咆哮。

 男たちは怯え、思わずその場で頭を抱えて伏せた。

 が、それが幸いする。いきなり木々の間から丸太のように太く黒い棒が撃ち出され、彼らの頭上を猛烈な勢いで通過したのだ。

 そしてその漆黒の棒は木を次々薙ぎ倒し、最後には地に突き刺さって停止した。


「「「ひいいいいいいいいィィ!?」」」


 男たちは絶叫する。

 それは無数の突起の付いた金棒と呼ばれる武器だった。しかも、成人男性の身長並みの長さを持つ巨大な鈍器である。そんな物が信じ難い速度で叩きつけられたのだ。もし人間に直撃したのならば、容易く肉片になるのは簡単に想像できる。


「に、逃げろオオオオオォ!」


 命の危機を前にして、四人の中のリーダーが絶叫を上げた。

 ここに留まっていたら、あの凶悪な武器の持ち主がすぐにでも現れる。

 そうなれば、間違いなく皆殺しにされてしまう。


「全員街道まで走れ! 振り向くなぁああ!」


「う、うわあああ!」


「し、死にたくねぇええええ!」


 そして全員が走り出す。

 何度も倒れそうになりながらも一目散に逃げ出した。

 無人となった森の中に静寂が訪れた。

 そうして数十秒後――。

 ズシン、と足音を立てて、そいつ・・・は現れた。

 四人の冒険者に恐怖を刻みつけた金棒の主である。巨大な体躯を持つそいつ・・・は周囲をおもむろに見渡すと、すでにどこにも敵がいないことを確認し、小さく鼻を鳴らした。

 続けて大地から巨大な金棒をガコンと引き抜くと肩に担ぎ、背を向けて歩き出す。


 ズシン、ズシン……と。

 大きな足音だけが森の中に響き、しばらくするとその音も聞こえなくなった。

 再び静寂が訪れる暗い森。

 そいつ・・・は、いずこかへと消えていった――。



       ◆



「うむ。美味であった」


 と、オルバは満足げに舌鼓を打った。

 そこはアワドセラス・シティの一角であり、都市の南西側に位置する四番街。現在オルバたちが拠点とする宿屋 《アシカル亭》の一階の食堂である。

 時刻は朝の八時過ぎ。窓から朝日が差し込む中、オルバとフィーネリアの二人は、今や指定席となった丸テーブルに着き、朝食をとったところだった。

 オルバは食後のコーヒーに口を付け、


「それにしても、そなたにこんな特技があろうとはな」


 と、向かいに座るフィーネリアに賞賛を贈る。

 今朝の朝食は、厨房を借りて彼女が用意したものだった。


「これぐらい特技の内に入りません」


 同じく食後の紅茶を楽しみながら、フィーネリアは答えた。

 しかし、流石に誉められるのは嬉しいのか、少しだけ頬が紅潮している。


「本当に簡単な料理ばかりでしたし」


 と、フィーネリアは言う。

 元々、勇者一行パーティにいた頃は、大体フィーネリアが料理を担当していた。

 そのせいか、もはや食事当番は彼女の習慣になっており、ここ毎日は朝昼晩、自分とオルバのために、ずっと料理を作り続けていた。


「ふふ、料理の出来は難度で決まる訳でもないだろう」


 と、正論を告げるオルバ。何にせよ、彼としては愛妻の手料理を堪能できて大満足だった。

 フィーネリアはそんな少年を、じいっと見つめて溜息をつく。

 彼女たちがファランに流れ着いてから、すでに二週間。

 その期間、フィーネリアたちは、この異世界について色々と調べてみた。

 結果、概ねタイチロウの言っていた通りであった。


 この世界には、無数の国家がある。

 独立都市であるアワドセラス・シティの周辺にも二国あり、ダワフ密林を越えた北側にギラニウズ王国。南側には広大な面積を誇る大草原――グランハスタ草原のほぼ中央に、ガランコウ共和国の首都が存在した。どちらも二十万人以上の総人口を擁する大国であり、百年以上の歴史を持つ国らしいのだが、やはりその建国王は異世界人であった。

 それはこの街にあった図書館の史実にも記されている。


「やはりこの世界の住人が全員、異世界人と言うのは真実みたいですね」


 と、フィーネリアはポツリと呟く。

 オルバは、コーヒーカップをソーサーに置いて苦笑を浮かべた。


「ようやく納得したか。我が妃よ」


「私はあなたの妃ではありません。ですが、納得はしました」


 フィーネリアは肩を落としてそう答えた。

 結局、この二週間は、彼女が事実を納得するために行動していたのだ。


「この街の『帰還研究所』とやらにも行きましたし、ガーナスに帰還する方法が簡単には見つからないことも納得しました。だからオルバさん」


 フィーネリアは真剣な顔でオルバを見つめて宣言する。


「ここで生活していくために、私は働こうと思います」


「………む」


 すると、オルバは少し渋面を浮かべた。


「フィーネリアよ」


 続けて少女の名を呼ぶと、両腕を組んで胸を張り、


「別にそなたは働かなくともよいぞ。余がそなたの分まで働けばいいのだ」


 転職を決意済みの元魔王さまは、勤労意欲を溢れんばかりに発露してそう告げた。

 それから、ふっと口角を崩し、


「そなたは毎日、ここで余のために食事を作ってくれ」


 愛しい少女にそう願う。まさしく求婚そのものの台詞に、フィーネリアの顔は一瞬真っ赤になるが、すぐに犬耳を大きく揺らしてブンブンとかぶりを振り、


「わ、私にはあなたに借金があります。まずはそれをお返しします。借金を返すことは、人の道として当然なのでしょう?」


 と、以前オルバが言った台詞を引用して反論してくる。


「………ぬぬ、しかしな」


 再び渋面を浮かべるオルバ。そこへフィーネリアが攻勢に出る。


「あなたが望むのなら、これからもご飯はちゃんと作ります。ですが、もし働くことを認めてくれないのなら……」


 ぷいっと顔を逸らして、彼女は告げる。


「もうご飯は作ってあげません」


「ぬ、ぬぬぬ! それは卑怯であるぞ! フィーネリアよ!」


 と、オルバは激しく動揺を見せた。

 すでに餌付けが完了している元魔王さまだった。

 オルバは腕を組んで「うむう」と唸る。

 愛する妃の手料理を堪能できなくなるのは、かなりの問題だった。 

 それに考えてみれば、これは彼女の初めての『お願い』だ。

 少し拗ねたような彼女の横顔は愛らしいし、男としては正直叶えてやりたい。


(……う、む。やむを得んか)


 オルバはしばし悩み、そして結論を下した。


「よかろう。勤労を認めよう。ただし、だ」


「ただし……何ですか?」


 フィーネリアは小首を傾げて問う。

 すると、オルバは真剣な面持ちで条件を告げた。


「仕事は余と共にすること。この世界には、どんな危険があるのかまだ分からぬからな。これだけは譲らぬぞ」

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