幕間一 とある世界のお茶会

第8話 とある世界のお茶会

「……ふふ~ん」


 不意に上機嫌な鼻歌が響く。

 同時に高い位置から注がれた紅茶が、ポコポコと音を奏でた。

 そこは、真っ白な果てなき世界。

 空には星のように輝く金と銀の二つの球体。それ以外には景色はなく、唯一存在するのは純白のクロスを敷いた丸いテーブルと、対峙する二つの豪華な椅子。

 そして二人分のティーカップに、紅茶を注ぐ一人の女性だけだった。


 年の頃は二十代前半。豊満な胸と引き締まった腰に、誰もが魅了される蟲惑の美貌。

 その完璧な肢体には、両肩と背中を露出してうなじ辺りで支える漆黒のイブニングドレスを纏っており、それがとてもよく似合っている。腰まで伸ばした夜空の星のような輝きを放つ金色の髪には神秘的な趣があり、その上、彼女は背中から黒い翼を生やしていた。

 花開くような笑みを浮かべてはいるが、明らかに人ではない存在だった。


「さて、と」


 女性は紅茶をティーカップに注ぎ終わると、にこっと笑って席に着いた。

 後は、すぐにでもここへやって来る客人を待つだけだった。

 そして――十数秒後、客人は現れた。


「……ふむ。待たせたか。アナスタシア」


 そう告げるのは、黄金の刺繍が施された黒い法衣のような外套を纏った人物。

 漆黒の髪と紅い瞳を持つ、二十代後半の青年だった。


「いえ、待ってなんかいないわ。それよりも久しぶりね、オルバ」


 言って、金色の髪の女性――アナスタシアは笑った。

 対し、紅い瞳の青年――オルバも、親愛の笑みを浮かべた。


「そうだな。余がこの場に来るのも数ヵ月ぶりか」


 そして慣れた手つきで、アナスタシアの向かいに座るオルバ。

 青年の相も変わらぬ様子に、彼女は笑みを深めた。


「もっと頻繁に来てもいいのよ。なんなら毎日でも」


 そんなことを言うアナスタシアに、オルバは呆れ果てた表情を浮かべる。


「よく言う。毎日など来られるはずもなかろう。そなたも余に構うほど暇ではあるまい」


 続けて、正論を告げてみると、


「それでもあなたが望むなら、時間ぐらいいくらでも作るわよ」


 そう返して、アナスタシアはムッとした表情を見せた。

 それからカチャリとカップを手に取り、


「まあ、その件については、いずれ話し合うとして」


 一拍置いて、彼女は問う。


「そろそろファランでの生活には慣れた? それを聞きたかったのよ」


「ふむ、そうだな」


 その問いに対し、オルバもカップを手に取り紅茶を口に含む。


「余の方はこれと言って問題はない。もう随分と慣れたものだな。近況ならば、むしろ余の方が気になることがあるぞ」


 と言って、オルバはアナスタシアを見つめた。


「ガーナスの方はどうなっておる? 何か世界は変わったか?」


 ガーナスはオルバにとっての故郷。やはりその状況は気になる。

 すると、アナスタシアはソーサーにカップを置き、近況を語り始めた。


「……そうね、概ね平和にはなったわ」


 彼女は頬に手を当てた。


「あなたの副官だった黒妖精ダークエルフの女の子がいたじゃない。魔王軍の中でも穏健派で知られる彼女が頑張っているわ。あなたの言いつけ通り・・・・・・に人間との和平を目指して動いている。まあ、今は互いに不干渉……って段階みたいだけどね」


「………そうか」


 オルバは紅茶で再び喉を濡らした。


「あの子は幼き日より余が育てた我が『娘』よ。どれほど困難であろうと、きっとやり遂げるであろう。余の自慢の娘だ」


 と、どこか誇らしげに語る青年に、アナスタシアは渋面を受かべた。


「……娘自慢はいいけど、あの子はあの子で、かなり思い詰めてる感じよ」


「まあ、戦後処理だ。疲れが出るのも仕方あるまい」


「いえ、私が言いたいのは………はぁ、もういいわ」


 これ以上この件での議論は無駄だと悟り、アナスタシアは次の話題に入った。


「人間側だと、勇者くんと王女ちゃんがもの凄く頑張っているわね。あとお爺ちゃんもか。各国の再建に尽力している。ただ……」


「……ただ?」


 オルバは眉根を寄せる。対し、アナスタシアは深々と嘆息した。


「何と言うか、揃って必死すぎる感じね。きっと忘れられないのよ。あなたがファランに連れ去っていっちゃったあの子のことが」


「………そう、か」オルバは渋面を浮かべた。予想はしていたが、やはり彼女の消失は、勇者たちにも大きな影響を与えているようだった。


「ねえ、オルバ」


 その時、アナスタシアが尋ねてくる。


「結局、あの子ってどうなったの? 一応ファランには辿り着けたんでしょう?」


「ぬ? ああ、彼女は余と共にファランに辿り着いたぞ。今は余の妃として傍にいる」


「へえ~、そうなんだ………って、へっ?」


 何となく相槌を打とうとして、アナスタシアは唖然とした声を上げた。

 今、さらりととんでもないことを聞いたような……。


「ちょ、ちょっと待って!?」


 ガタンッとテーブルに両手を叩きつけ、アナスタシアは立ち上がった。


「何それ!? あなた、あの子を異世界に連れてって手籠めにしちゃったの!? いくら魔王でも鬼畜すぎるでしょう!?」


「……ぬ」


 対し、オルバは心底不本意な表情を浮かべて。


「何を言うか、アナスタシアよ。いくら余でもそのような真似はせぬ。そもそも、すでに余は魔王を辞めておるのだぞ。忘れたのか?」


「……う、だ、だったら、どうして妃とかの話が挙がるのよ?」


 黒い翼をか弱く動かして、もじもじと尋ねてくるアナスタシア。

 それに対し、オルバは「う、む」と気まずげに頬をかき、


「余は彼女が至極気に入ったのだ。すでに求婚もしておる。残念ながら良き返事はもらえなかったが、余は挫けぬ。これからも口説き続ける予定だ」


「……ええええー……」


 アナスタシアは、愕然とした表情を浮かべて呻いた。

 正直、これは想定外すぎる展開だった。

 まさか、この鈍感男が自分から結婚を申し込むなど――。


(……ぐむむむ)


 むっすう、と頬を膨らませるアナスタシア。

 一方、オルバは首を傾げて尋ねる。


「どうした、アナスタシア? 歯でも痛いのか?」


「……そんな訳ないでしょう。私を誰だと思っているのよ」


 アナスタシアは溜息をついて再び席に着いた。この話は気にはなるが、一旦保留にするしかない。今はそれよりも重要な話があるのだ。

 アナスタシアは気を持ち直して、最も肝心な事柄を切り出した。


「オルバ」


 と、神妙な声で青年の名を呼ぶ。


「実はね。予想通り『奴ら』が動き始めているみたいなのよ。やっぱりあなたのした事が気に入らないらしいわ。いよいよ痺れを切らしたみたい。恐らく、そう遠くない内にファランにやって来るでしょうね」


「………ふむ」


 対するオルバもまた、神妙な表情を浮かべた。


「やはり動くのか。ふん。狭量な輩よ」


 オルバは紅茶を最後まで飲み干すと、おもむろに席から立った。


「ならば、迎え撃つまでだ」


 オルバはそう嘯き、黒い外套をはためかせて、ゆっくりと歩き始めた。

 その背中にアナスタシアは語りかける。


「『奴ら』は強いわよ。気を付けてね」


「分かっている。だが、負けるつもりはない。余の『愛し子たち』のためにもな」


 と、オルバは首だけを振り向かせて不敵な笑みを見せた。

 それから、わずかに口元を優しげに綻ばせて、


「馳走になった。また会おうアナスタシア」


 そう言って、オルバは白の世界から立ち去っていった。

 残されたアナスタシアはしばし沈黙していたが、


「………まったく」


 不意に、深々と溜息を吐いた。

 そして丸テーブルの上に不貞腐れたように頬をつき、


「何が妃よ。私の方がずっと付き合いは長いのよ。馬鹿オルバ」


 誰もいない世界でそんな愚痴を零すのだった。

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