第7話 私はこの世界で生きていく➂

「…………はぁ」


 零れ落ちるか細い呻き声。

 フィーネリアは、重い足取りで街中を歩いていた。

 彼女の隣には両腕を組むオルバが、難しい顔つきで同行している。

 そして気まずさを払拭しようと、彼女に対して声をかける。


「そう落ち込むな。我が妃よ」


「……私はあなたの妃ではありません」


 定番のやり取りにも覇気がない。

 オルバは、やれやれとかぶりを振って嘆息した。


(この事実を教えるのは、まだ早すぎたのかもしれんな)


 そんな考えがよぎる。タイチロウの話ではこの世界の総人口はおよそ十億人。

 その星の数にも並びそうな人間たちすべてが異世界人でありながら、誰一人とて故郷への帰還を成し遂げたことがないのだ。それも数百年に渡ってだ。

 多くの異世界人が知恵を出し合っても、未だ切り拓かれない困難な道。

 フィーネリアが絶望するのも無理はない。


(いや、それを言うならば、そもそもこの世界は・・・・・・・・・――)


 オルバはしばし沈黙する。と、


「…………」


 フィーネリアは、無言のままおもむろに足を止めた。

 そこはアワドセラス・シティの大通り。

 時刻は四時を少し過ぎたほど。まだまだ人通りは多い時間帯だ。


「いらっしゃいませ~」「今日は魚が安いよ!」


「ねえ、お母さん。今日はパスタにしてよ~」


「今日は意外と大物が狩れたな。明日はダワフのもっと奥へ行こうぜ」


「いや、それにはまだ準備不足だろう。とにかく今は装備を充実させようぜ」


 と、一般的な会話から、冒険者にありがちな鉄板のやり取りまで、多くの人々の姿と声がフィーネリアの目と耳に入って来る。

 どこの街でも見かける普通の光景。しかし、ここは彼女の世界ではないのだ。

 彼女を知る人間はどこにもおらず、彼女が知る人間もいない。

 そう思うと、フィーネリアの胸は締め付けられるような痛みを感じた。

 孤独。改めてその事実が彼女の心を押し潰そうとする。


(……私は……)


 キュッと唇を噛みしめる。

 無性に望郷の想いがかき立てられる。

 父に母。厳しくも優しい姉。祖父のように慕ったバラクーダ。

 そして兄とも呼べるアルク。

 逢いたい。今すぐ彼らに逢いたかった。

 しかし、それは叶わない。


「……ううぅ、うぁァ」


 もはや堪えることも出来ず嗚咽が零れ落ちる。 

 フィーネリアは口元を抑えながら、思わずその場に座り込んでしまった。

 通りがかった周囲の人々が何事かと軽く視線を向けるが、それぞれ忙しいのか足を止める者まではいない。

 ――いや、案外彼女の傍に、彼がいたから心配無用だと思ったのかもしれない。

 とても優しい眼差しで少女の背中を見つめる彼がいたから。


「……フィーネリアよ」


 彼――オルバ=ガードナーは少女に語りかける。


「気持ちは分かるがしっかりせよ。まだ、帰れぬと決まった訳ではない」


 その声色は、元魔王であるとは到底考えられないほどに優しいモノであった。

 だが、それはかえってフィーネリアの逆鱗に触れることになる。


「――あ、あなたがッ!」


 フィーネリアは立ち上がって振り返ると、両腕でオルバの胸をドンと押した。

 そして涙を零しながら、溜めこんだ負の感情を一気に吐き出していく。


「そもそも、あなたが私をこの世界に連れて来たのでしょう!」


 そんな叫び声を上げて、少女は憎悪の眼差しで魔王を睨み据えた。

 紛れもない事実に、オルバは言い訳もせず、彼女の視線を受け止める。


「全部……全部、あなたのせいじゃないですか!」


 対し、フィーネリアの激情は一向に収まらなかった。


「――あなたのせいでッ!」


 嗚咽混じりの声を張り上げて、彼女はひたすら叫び続ける。


「なんでこんなことになるの! 何もかもあなたのせいじゃない! 帰してよ! 私をガーナスに帰してよ! お願いだから、私をお姉さまやアルクお兄さまの元に帰して!」


 そう懇願して、銀髪の少女はオルバの胸板を何度も叩く。

 が、所詮はか弱い少女の腕力だ。魔王たるオルバが体勢を崩すこともない。しかし、少女の尋常ではない様子を前にして、流石に周囲の人間たちも足を止めた。

 そんな中、フィーネリアが叫ぶ。


「帰せないのなら――今すぐ私を殺して!」


「――ッ!」


 オルバは目を剥いた。


「あなたは魔王なんでしょう! 私の敵なんでしょう! 一人ぼっちは死ぬよりも嫌なの! だから私を殺して! 一人はやだよォ! 殺してよ!」


 フィーネリアの慟哭はいつまでも続いた。

 対するオルバは、彼女に言葉を掛けることも出来なかった。

 ただ、静かに少女を見つめ、されるがままだった。

 そうして「帰して」と「殺して」を続けること数分。


「……ひっく、もうやだよぉ……」


 フィーネリアは力尽きたように、オルバの胸板に額を当てた。

 彼女の細い肩は今も微かに震えている。

 その様子を、オルバも周囲の人間たちも静かに見つめていた。


「あ、あのね、キミ……」


 すると、周囲の人の輪から一人の人物が出てきた。

 年の頃は十八歳ほどか。肩にかからない程度に伸ばしたソバージュヘアの女性だった。

 革製の軽鎧と、腰に大きなナイフを差しているところを見ると、どうやら冒険者と呼ばれる人間らしい。きっと、この状況を見かねたのだろう。


「事情はよく分からないけど、少し落ち着いて――」


 と、言いかけたところで彼女は言葉を止めた。

 オルバが右手を突き出し、彼女の言葉を制止させたのだ。


「優しき女性よ。心遣い感謝する。しかし、それは余の役目なのだ」


 親切な冒険者にそう感謝の言葉を述べてから、オルバは、すでに言葉もなく嗚咽だけを零すようになったフィーネリアをじっと見つめ、


「フィーネリアよ。ここはいささか騒がしい。少し余に付き合ってもらうぞ」


「……………え?」


 と、少女が呟くと同時に、オルバは彼女を姫君のように――実際にフィーネリアは姫君なのだが――抱きかかえた。フィーネリアは涙を零しながら唖然とする。

 続けて、オルバは右手に緑の玉星を召喚して破砕。小さく「《風翼翔ウインダー》」と唱えた。

 玉星魔法の一つ、『風』の四階位呪文フォース・スペルだ。その効果は――。


「「「おお――ッ!」」」


 周囲から驚きの声が上がる。

 いきなりオルバはフィーネリアを抱きかかえたまま、空を飛んだのだ。

 そして二人はみるみる小さくなり、遥か上空にて制止した。

 突然、街中から空の彼方へ連れだされて、フィーネリアは大きく動揺した。

 見たこともない高所からの景色に、嫌でも心臓が高鳴ってくる。


「オ、オルバ、さん……?」


 そして恐る恐る元魔王の名を呼ぶ。

 すると、オルバは優しい面持ちで少女の顔を覗き込んできた。

 間近に迫る少年の顔に、フィーネリアの心臓は一際激しく高鳴った。


「すまぬ。フィーネリアよ」


 しかし、オルバは少女の変化には気付かず、ただ頭を下げた。

 フィーネリアは目を丸くする。


「そなたがそこまで思い詰めるとは……。すべて余の不徳と致すところだ」


「……オルバさん……」


 呆然としつつも、フィーネリアは彼の名を再び呼んだ。

 驚くべき事だった。悪の化身と呼ばれていた魔王が心から謝罪している。


「余の愛しきフィーネリアよ」


 続けてオルバはこう語った。


「見よ。この世界を」


「………え」


 言われ、フィーネリアは周囲に目をやった。

 そして瞠目する。

 芳醇な緑の香りがする強い風。

 緩やかに流れる白い雲に、時節は春なのか、優しく照りつける太陽。

 近くには深い森。地平線には連なる山が見える。

 それは、生まれて初めて見る壮大なまでの景色だった。

 少女は言葉もなく、美しい世界を見つめた。


「フィーネリアよ」


 すると、オルバはわずかに口元を綻ばせて言う。


「この世界はそなたを祝福しておるぞ。それは間違いない」


「私を……祝福?」


 フィーネリアは少し驚くように目を瞬かせた。

 続けて、自分を抱くオルバの顔を見上げ――思わずドキッとした。

 彼の世界を見つめる眼差しがとても優しく、何より愛おしげ・・・・だったからだ。


(オ、オルバさん……?)


 ドキドキと高鳴る胸を片手で押さえつつ、フィーネリアは思う。

 どうしてこの魔王は、こんな顔をするのだろうか。

 ガーナスにおいては悪虐非道だった魔王が、何故こうも穏やかになったのか。

 それが全く分からず、そしてその理由を知ってみたいと思った。

 そのためには――。


(そっか……。私はこれからこの世界で生きていくんだ)


 フィーネリアは、目を細めて世界を見つめた。

 この光景を見ていると、本当に世界に祝福されているような気がしてきた。

 そして、天高く飛翔する二人に風が強く吹きつける。

 その風はとても心地良かった。


「余と共に生きてくれ。我が妃よ」


 そう言ってオルバは、優しい笑みを浮かべた。

 一方、銀色の髪の少女は、元魔王の少年をじいっと見つめて、


「……私はあなたの妃ではありません」


 と、定番の台詞を吐きつつも、


「でも、少しだけ頑張ってみようと思います」


 フィーネリアは、この世界に来て初めての笑顔を見せるのだった。

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