第6話 私はこの世界で生きていく②

 彼の名前は、タイチロウ=ヤマモトと言った。

 大柄な体格に、黒髪黒眼を持つ四十代後半の男性であり、この店舗――『大冒険社・アワドセラス支部』の支部長を務める人物だった。


「ささ、座ってください、オルバさん。そしてお嬢さんも」


 言って、向かい合わせのソファーの一つに座ることを勧めるタイチロウ。

 そこは『大冒険社・アワドセラス支部』二階の一室。

 オルバとフィーネリアは彼と出会うなり、この部屋に案内されたのである。


「ふむ。ではお言葉に甘えよう」


 言って、オルバはソファーに座る。

 フィーネリアは少しおどおどしていたが、「し、失礼します」と告げてソファーに座った。

 それを見届けてから、タイチロウもソファーに座った。

 次いで、にこやかに笑ってオルバに話しかける。


「オルバさん。先日は仕事を受けてくれて助かりましたよ。しかしまあ……」


 そこでフィーネリアに視線を向ける。


「まずはご挨拶ですかな。初めましてお嬢さん。私はタイチロウ=ヤマモトと申します。この『大冒険社・アワドセラス支部』の支部長を務める者です」


 言って、頭を下げるタイチロウに、フィーネリアもつられるように頭を垂れた。


「は、初めまして。フィ、フィーネリア=アルファードと申します」


 そう挨拶をした後、ふと小首を傾げた。

 失礼だとは思ったが、タイチロウの名前の響きがとても珍しかったからだ。

 すると、タイチロウは「はは」と笑い、


「なるほど。やっぱり君がオルバさんの言っていた『連れ』なんですね。この世界ファランには来たばかりだってことですか」


「………え?」


 タイチロウの台詞に、フィーネリアは眉をひそめた。

 何か変だ。今の台詞は、まるでこちらの事情――フィーネリアとオルバが異世界人だと知っているように聞こえる。


「ふふ、一つ言い忘れておったな」


 その時、フィーネリアの隣に座って沈黙していたオルバが口角を崩した。

 そしてキョトンとした表情の少女に、いたずらっぽい笑みを見せて告げた。


「フィーネリアよ。実はな、この男も我らと同じ異世界人なのだ」


「え? ええっ!?」


 フィーネリアは愕然とした声を上げた。

 まさか、自分たち以外にも異界の門をくぐった人間がいようとは――。

 しかし、その当人であるタイチロウは、さらなる驚愕の事実を告げた。


「ははっ、何を言うんですか、オルバさん。それを言うなら、彼女がここに来るまですれ違った人間は全員が異世界人・・・・・・・ではないですか」


「ふむ。確かにそうであったな」


 と、オルバは肩を竦めて笑みを零した。

 それに対し、唖然とするのはフィーネリアだった。


「ど、どういうことなんですか? オルバさん?」


 と、単刀直入に元魔王に問う。

 すると、オルバはあごに手を置き、「ふむ」と呟き、


「余が語るよりもタイチロウに聞く方が良いだろう。そのためにここへ来たのだ。なにせ、この者は三十年以上もこの世界で暮らすベテランだからな」


「ははっ、ベテランですか。まあ、年月的にはそうなるんですよね」


 と、タイチロウは、はにかむように笑う。

 しかし、すぐに表情を改めると、未だ動揺するフィーネリアを見据えて――。


「では、フィーネリアさん」


 一拍置いて、異世界人の先達者は語り始める。


「少々つまらないかもしれませんが、私の半生でも語りましょうか」



       ◆



 それは、今から三十年ほど前のことだった。

 とある平穏な国に生まれた山本太一郎は、ごく普通の学生であった。

 それこそどこにでもいる平凡な少年であり、毎日学校に通い、勉強や趣味、好きな女の子などに夢中になるといった平穏な日々を過ごしていた。


 しかし、ある日のこと。

 それは、太一郎がなけなしの勇気を振り絞って、同級生である好きな女の子に告白しようと決意した日だった。連絡技術が発達した太一郎の世界では考えられないほど古風な『ラブレター』という手段を用いて彼女を校舎裏に呼び出し、想いを伝えるつもりだったのだ。


 まあ、結論としては玉砕だったが。


『……ちくしょう。今日はもう帰って寝よ』


 そうして太一郎は失意の中、帰路についた。

 ――が、まさに、その帰り道の途中のことだった。 

 夕日に照らされた陸橋。そこに、いきなり黒い球体が現れたのだ。

 宙に浮く、墨を落としたような真っ黒な球体。人を丸のみ出来そうな巨大さだ。

 太一郎は目を丸くした。

 彼の世界は発達した技術を有していたが、こんな魔法じみた現象は見たこともない。


『な、何だよこいつは……』


 太一郎は息を呑み、陸橋を逆走した――が、すでに遅かった。

 黒い球体が突然動きだし、太一郎に襲いかかったのである。


『う、うわあああああああああああ――ッ!』


 絶叫を上げる太一郎。そこで彼の意識は一旦途切れることになる。

 そして、次に目覚めた時は見知らぬ草原だった。


『ど、どこだよ、ここは……』


 太一郎はしばし呆然としていたが、すぐに悟る。

 これは恐らく異世界転移に違いない、と。

 ある日、突如、異世界に飛ばされて活躍する。

 彼の世界ではその手の小説が流行っており、彼はそれが大好きだった。


『うおおおおおおおお!? マジか! マジかよおおおおっ!?』


 ググッと拳を握りしめて太一郎は雄叫びを上げた。

 それは夢にまで見たシチュエーション。

 好きな女の子に振られたことさえ、お釣りがくる超展開だった。

 きっと、これから自分は美少女たちといちゃいちゃしたり、自分の世界の優れた文明力で無双したり、最強の異能力オリジナルチートに目覚めたりするに違いない。

 そして、まるで息でも吸うように『あり得ない』と連呼されるのだ。

 それがこの手の物語の定番なのだ。

 だからこそ、疑うこともなくそう確信したのだが、


『ひ、ひいいいいいいいいいィィ!?』


 現実はそうは甘くなかった。

 なにせ、太一郎は何の準備も道具もなく、異世界に放り出されたのである。

 それは巨大な無人島に、裸一貫で放り出されたのと大差がない。

 太一郎はわずか十分後に、命の危機に晒された。


『ブモオオオォ――――ッ!』


 出会い頭に大きさ・姿と共に、イノシシによく似た四足獣と出会ったのだ。

 そして牙を突き上げて突進してくる巨大な獣。

 後で知るのだが、このイノシシ――個体名をブモウと言う――は世界ファランにおいて『災害獣ディザストン』と呼ばれる獣の一種だった。ちなみにブモウ自体はさほど強くない災害獣である。むしろ食用として重宝され、人に狩られることが多い獣だ。


 とは言え、ただの学生に過ぎない太一郎には抵抗する術もなく――。


『ぎゃあああああああ――ッ!?』


 全く容赦のない異世界の洗礼に、太一郎は死を覚悟した。

 雄叫びを上げて突進してくる災害獣ブモウ。

 まさしく絶体絶命のピンチだ。

 しかし、太一郎の悪運は尽きた訳でもなかった。

 ――ドドドドッ!

 その時、無数の矢がブモウの身体を射抜いたのである。

 太一郎は、たまたま草原の近くを通っていた隊商に救われたのだ。

 唖然として腰を落とす太一郎。すると隊商から壮年の男性が一人近付いてきた。

 黒髪黒眼が印象的な男性だった。

 その男性は、座り込む太一郎に右手を差し伸べると、


『大丈夫だったかね……おや、君は?』


 不意に太一郎の顔をまじまじと見つめて、こう告げた。


『もしかして、君は私の同郷者かね?』



「……と、まあ、それが私と、先代支部長であるヤマダさんとの出会いでした」


 と、タイチロウは苦笑を浮かべて告げる。

 対するフィーネリアは、目を丸くして話を聞いていた。


「その後、隊商に拾われた私は、ヤマダさんから色々と教わりました。そして彼の話の中で一番驚いたことが、この世界の成り立ちでした」


「成り立ち、ですか?」


 フィーネリアが眉をひそめて反芻する。ちなみにオルバは腕を組み、瞑目していた。


「ええ、成り立ちです。ヤマダさんの話だと、どうやらこの世界には街や文明、そこに暮らす人々はいますが、原住民は一人もいないそうなんです」


 フィーネリアは目を見開いた。


「げ、原住民がいない? じゃあ、ここの人たちは?」


「はい。災害獣のような獣を別にすると、先程もお話した通り、ここに住む全員がもれなく異世界人なんですよ。もしくは異世界人の子孫なんです」


 一拍置いて、タイチロウは言葉を続ける。


「この世界の文明――街や国、通貨や言語、単位などは数百年前の異世界人である彼らの先祖によって築かれたそうです。ヤマダさんは今から八十年ぐらい前に、私と同じ世界から転移したそうで、私と同じ国の人でした。ただ、どうも話してみると、お互いの歴史や時間が結構違っていまして、多分、同じ世界でも並行世界パラレルワールドと言うか……」


「――ちょ、ちょっと待ってください!」


 フィーネリアが慌てて声を荒らげる。

 次いで、困惑した様子で、


「その、話が違和感だらけなのですけど、その、まさかとは思うのですけど、ヤマモトさんはガーナス以外の世界からやって来たのですか?」


「ええ、そうなりますね。ガーナスと言う名の世界は初めて聞きました」


 と、タイチロウは苦笑いを浮かべつつも、はっきりと答えた。


「どうやら異世界と言うのは星の数ほどあるようなのです。私の故郷である世界以外からも沢山の転移者がいます。ちなみに私の妻の故郷はアースラスと言うそうですよ」


 そんなことを平然と言ってのけるタイチロウに、フィーネリアは絶句した。

 そして横に座るオルバに視線を向けると、彼はうっすらと笑っていた。

 今の態度、先の会話からして、すでにオルバはこの事実を知っていたようだ。


「……オルバさん」


 どうして教えてくれなかったのか。

 フィーネリアは、ムッとした表情を見せた。


「そう膨れるなフィーネリア」


 オルバは肩を竦めた。


「余が話すよりも第三者から聞く方がよいと思ったのだ」


「………それは」


 フィーネリアはふうっと嘆息する。確かにその通りかもしれない。

 これまでオルバは嘘をついたことはないが、全面的に信用できるような相手でもない。流石に住人全員が異世界人だと告げられても、簡単には信じなかっただろう。


(……確かに突拍子もない話だし……)


 フィーネリアは渋々ながらも納得した。

 あえて第三者を通したのは正解だったと思う。


(だけど……)


 銀髪の少女はわずかに髪を揺らして顔を上げた。

 いずれにせよ、今はそんなことよりも気になることがある。


「あ、あの、ヤマモトさん」


 フィーネリアは、タイチロウを真剣な面持ちで見つめた。


「その、本当にこの世界が異世界人だらけだと言うのなら、もしかして元の世界へ帰る方法を見つけた人も……」


 一番気になるのはその点だ。意図せずに連れてこられた異世界人ならば、当然帰りたいと願う人間も大勢いたはずだ。だとしたら、彼らはきっと帰還する方法を模索したに違いない。

 しかし、その問いに対し、タイチロウは沈痛な面持ちで首を横に振った。


「確かに我々は異世界人。故郷への帰還を望む者は大勢います。この街にもその研究をしている施設がありますが……」


 一拍置いて、大きく嘆息する。


「残念ながら、元の世界に帰還できた人というのは聞いたことがありません」


「そ、そんなぁ……」


 フィーネリアは失意で眉を落とした。

 もしかしたらと期待したが、そう上手くはいかないらしい。

 すると、タイチロウは目を細めて、


「まあ、ガッカリしないでください。フィーネリアさん。帰還方法はこの街は勿論、あらゆる国でも研究されています。気長に待てばいつかは帰還も叶うかもしれません」


 そこでニカッと笑い、


「この世界は総じて気候も良く、災害獣ディザストンのような危険な獣こそいますが、しっかりした営みもあります。私のようにすでに永住を決めている者だって結構いるんですよ。まあ、この世界で妻と出会ったというのが、永住の一番大きな理由なんですが」


 と、言ってボリボリと頭をかいて惚気るタイチロウ。


「は、はあ……」


 フィーネリアは嘆息するように相槌を打った。


「まあ、そういうことだ」


 と、その時、オルバが話を締める。


「これで分かったであろう。フィーネリアよ。要するに、我々にはすぐに帰る手段はないということだ。しばらくはこの世界で暮らすしかない」


「…………うぅ」


 改めてそう宣告されて、フィーネリアは深く落ち込んだ。

 彼女の姿を見やり、オルバがポンと少女の肩を叩く。


「案ずるな。そなたは余の扶養家族。あらゆる災厄から余が守ろう。それこそ一生な」


「……一生は嫌です。扶養家族も嫌です」


 と、力なくフィーネリアが反論する。

 オルバはふふっと笑い、タイチロウも優しげに目を細めた。

 そして――。


「ははっ、フィーネリアさん」


 タイチロウは笑みを浮かべて、かつて自分が経験した感想を告げた。


「住めば都と言いますし、異世界ライフも楽しいものですよ」

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