第二章 私はこの世界で生きていく
第5話 私はこの世界で生きていく①
――アワドセラス・シティ。
それが、オルバたちが滞在する街の名前だった。
上空から見て、円筒状に建築された大きな壁によって守られる城砦型の都市であり、その生活区は主に十の地区で区分けされている。
一般家庭が多く住む一番街や二番街。高級住宅街である五番街等々。
他には商人たちが常に陣取る四番街や、半ばスラムと化している十番街などと言ったその地域の特色に合わせた区分になっている。街の近くには草原と森があり、温暖な気候に包まれたこの都市の総人口は約三万人。近隣にある街の中では、最大クラスの大都市である。
当然、その街並みはとても賑やかだった。
「……凄い活気ですね」と、フィーネリアが感嘆の声をもらす。
現在、彼女が歩いている石畳の道は四番街にある大通りの一つらしいのだが、道筋に並ぶ店舗数といい、人通りの多さといい、彼女の故郷の王都にも匹敵する活気ぶりだった。
フィーネリアは、ふと近くの店舗に目をやった。
目に映るのは、並べられた色とりどりの果物。どうやら青果店のようだ。
しかし、陳列棚にある果物はどれも見たことがあるようで無いモノばかりだった。中には自分の知るモノと見た目がそっくりな果物もあるが、色が明らかに違う。
続けて、二店に先にある魚介類を扱っている店にも目をやるが、そちらも似たような状況だった。毒々しくはないが、微妙に知っている種類とは違う魚が多い。
だが、それ以上に気になるのは、白いエプロンをつけた全身甲冑の店員だった。
「イラッシャイマセ」
と、どこかたどたどしい口調で呼びこみをしている。
どうして、完全武装した騎士がエプロンをつけて店番を……?
そんな疑問を抱いたのだが、彼の横を通り過ぎた時、微かに異音が聞こえた。
もしかして、この店員は騎士――どころか人間でさえなく、オルバが宿で話していた『カラクリ仕掛けの人形』なのだろうか……?
いずれにせよ、街中を進んでいくほどに、ここが異世界なのだと実感してきた。
「……ふむ。確かにそなたの言う通り、中々の盛況ぶりだな」
と、その時、オルバが先程のフィーネリアの意見に同意した。
彼ら二人は今、街を見物しながら、ある場所に向かっている最中だった。
「これほど活気のある街は近隣にもそうはあるまい。やはり、しばらくはここを拠点にするのもよいかもしれんな」
それに対しては、フィーネリアは何も答えられなかった。
異世界である実感が湧いてきても、まだ情報が少なすぎて判断しかねるのだ。
「あ、あの……ま、ガードナー、さん」
魔王と呼びかけて言い直すフィーネリア。
対し、オルバは口元を綻ばせた。
「オルバで構わぬ。我が妃よ」
「わ、私はあなたの妃ではありません!」
と、定番になりつつある台詞を入れてから、フィーネリアは言葉を続ける。
「そ、それより、その、えっと、オルバさん。ここではお金とかどうなっているのですか? アリガ金貨とか使えるのでしょうか?」
それが一番気になる。なにせ生命線そのものだ。
すると、オルバは足を止めて苦笑を浮かべた。
「ガーナスの貨幣が使えるのなら、余が装備を売るはずもなかろう。ここでの貨幣は違う。この世界で使えるのはこれだ」
言って、オルバは懐から一枚の長方形の紙を取り出した。
フィーネリアは訝しげに眉根を寄せる。
「……紙? この世界では紙に価値があるの?」
「いや、そうではない。これは約束手形のようなものだ。ちなみにこれは一万ジルプと呼ぶらしい。他にも五千ジルプや、五百ジルカや十ジルカなどの硬貨もあるぞ」
「ジルプにジルカ?」少女は小首を傾げた。「それがこの世界のお金の名前なのですか?」
「うむ、そうだ」
オルバは感慨深げに首肯する。
「何でも昔、ここに流れ着いたとある民族が定着させた貨幣らしい。今でもその民族はたまに流れ着くそうだぞ」
というオルバに説明に、フィーネリアは再度小首を傾げた。
どうも少しおかしな表現だ。流れ着くとは一体どういう意味なのだろうか。
「その、オルバさん。どういうことですか? その民族というのは、海を挟んだ大陸かどこかからの漂流民なのですか?」
その問いに、オルバはあごに手を置いた。
「……ふむ。そうだな」
そして数秒間悩んだ後、結論を下す。
「その話は後の方がよかろう。どうせこれから行く場所で話すことになる」
そう言って、オルバは再び歩き出した。
フィーネリアは少し不満げに頬を膨らませるが、黙って彼の後に続いた。
これから一体どこに行くのか、フィーネリアは道中何度も聞いたのだか、オルバは一向に教えてくれない。ずっと行けば分かるの一点張りだった。
(……一体、何を考えているの?)
オルバの背中を見つめて、フィーネリアはギュッと唇をかみしめる。
当然、疑心暗鬼にはなるのだが、この世界については彼の方が一日の長がある。
今はとりあえず従うしかなかった。
そうして二人は並びながら、大通りを歩き続ける。と、
(………あ)
フィーネリアの視線が、ある一点に釘づけになった。
そこは街路の一角にもテーブル席を並べる飲食店だった。思えば数日間、彼女は食事を取っていなかった。長旅で数日程度なら空腹も我慢できるようになっているが、それでもやはり空服はツライものだ。フィーネリアは、しばしその場に立ち止まってしまった。
すると、オルバが「はは、すまぬ」と笑った。
「そう言えば、そなたは食事がまだだったな。昼も近いし、先に済ますか」
「え、け、けど……」
また借金が増えてしまう。
思わずそう考えるフィーネリアだったが、オルバは呆れた表情を見せて、
「いや、そなたは職を見つけるまで飯を食わぬ気か? 流石に食事を遠慮するな。それぐらいは奢ろう。ちなみに味に問題はない。ガーナスと同じような食材だ」
と、言われた。確かに仕事を完遂するまで食事抜きは身体が持たないだろう。
フィーネリアは苦渋の選択をする。
「……わ、分かりました。ごちそうになります」
そうして十分後。
フィーネリアが座ったテーブル席の上には、大きな甲殻エビが乗ったパスタがあった。
入店したフィーネリアが、何となく興味を惹かれて選んだメニューである。
一方、オルバはすでに食事を終えていたのか、コーヒーを頼んで一服していた。
「こ、これが異世界の料理……」
フィーネリアは緊張した面持ちでフォークを手に取り、真っ赤なトマトソースらしきモノで味付けられたパスタを絡め取る。
続けて小さな口元へ運び、恐る恐る口にする。と、
「わふ! お、美味しい!」
銀髪の少女は大きく目を見開いた。銀色の尾も盛んに振る。初めて口にした異世界の料理。それは予想以上に美味だった。魔王が語ったことは真実だったのである。
「だから言ったであろう。味に問題はないと」
と、彼女の向かい側に座るオルバが、コーヒーを片手にそう告げるのだが、フィーネリアはもはや聞いていなかった。
がつがつ、と一心不乱に食事を取る。
オルバは少女の勢いにかなり呆気に取られるが、考えてみれば、彼女にとっては三日ぶりの食事だ。ならば、この勢いも当然か。
(……ふむ)
オルバは、カチャリとコーヒーをソーサーの上に置いた。
(ふふ、だが、それにしても……)
魔王は内心で苦笑する。
勇敢なる勇者
中々豪快な食事っぷりだが、同時に何とも愛らしい姿でもあった。
すると、オルバの視線に気付いたのか、フィーネリアが警戒するように、じいっと無言で彼を睨みつけてきた。その視線も食事を奪われないようにする仔犬のようだ。
「ふはは、そなたは本当に愛らしいな」
思わずオルバは本音を零した。
「食事を取るそなたの姿は、まるで仔犬のようだぞ」
「え? こ、仔犬……」
フィーネリアが愕然とした表情を浮かべた。
ガチャンと、ほぼ殻だけになったエビも皿に落とす。
そう言えば、姉や仲間たちにもそんな風に言われたことがあった。
しかし、彼女はそもそも犬狼科の獣人族。そんなイメージを抱かれても仕方がないかと多少は受け入れていたが、まさか、それを敵である魔王にまで言われるとは。
「うむ。思わず抱きしめたくなったな」
と、オルバがニヤニヤと笑みを浮かべて告げてくる。
「な、なな……」
対し、フィーネリアは気恥ずかしさから赤くなる。そして何か反論しようと試みるが、しばらく経っても何も思い浮かばず「……わ、わふん」と呟くだけで、そのまま俯いてしまう。
これはこれで、まるで叱られた仔犬のようである。銀色の尾もしゅんと垂れている。
(……ふふ)
その様子を見やり、オルバは内心で笑う。
(本当に面白いな。この娘は)
思っていた以上に愛らしい少女だった。
顔立ちに幼さこそ残るが、本当に自分好みの娘だ。正直まだ抱きしめられないのが残念で仕方がない。少なくとも頭ぐらいは撫でてみたくなる。
まあ、今そんなことをすれば仔犬よろしく咬みつかれるような気がするが。
(これは思いのほか、余の方が先に根を上げるのかもな)
それこそつい手を出してしまいかねない。
オルバは想像以上に彼女を愛しく思う自分に少し驚いた。もしかすると、フィーネリアは本当に自分の伴侶であり、この世界へ共にやって来たのは、まさに運命なのかもしれない。
不意に、そんな
(……ふん。なんとも図々しい考えよ)
オルバは皮肉気に笑う。
今さら運命のせいなどには出来ない。
フィーネリアは、間違いなく自分の『計画』の犠牲者だ。
いかなる苦難があろうとも、この世界にいる限り絶対に彼女を守る。
それが、せめてもの償いであった。
「……ふむ。ともあれフィーネリアよ」
言ってオルバは立ち上がり、フィーネリアの傍に立つと、
「ほれ。口元が汚れておるぞ」
「えっ? オ、オルバさん、何を……むぐ」
ゴシゴシ、と口元を備えつけのテーブルナプキンで拭き始める。
「う、うう……」と呻くフィーネリア。
遥かに年上なのでオルバ自身は気にしていないが、まるで幼児に対する扱いだった。
何とも魔王らしくない行動なのはとりあえず置いておくとしても、フィーネリアとしては本来ならば侮辱と受け取り、彼の手を打ち払うべきなのだろう。
しかし、彼女もこれはあくまでオルバの善意 (?)の行為だと感じていた。それが理解できるからこそ、フィーネリアは強く拒絶も出来ずただ赤くなるだけだった。
そんな彼女の反応にも愛おしげな眼差しを向けつつ、オルバはおもむろに促す。
「さて。食事も済んだところでそろそろ行くか」
「え……」
いきなりそう宣言され、フィーネリアは一瞬キョトンとしたが、
「あ、そ、そうですね。分かりました」
と、気恥ずかしさを誤魔化しながら立ち上がる。
彼女の頬は少しだけ赤かった。
二人は会計を済ますと、再び大通りに出た。街路樹の並ぶ道を進むことおよそ二十分。幾つかの角を曲がり、二人は一つの大きな店舗の前に辿り着いた。
そして到着して早々、
「……これは」
フィーネリアは、まじまじとその店舗を見上げた。
二階建ての建屋に一階はバー。食事用の丸いテーブルが乱立する店の中には、昼間にも拘わらず数名の厳つい戦士たちが酒やつまみを片手に談笑する姿が見える。
外装から内装に至るまで、実に見覚えのある建物だった。
「ここは……もしかして『ギルド』、ですか?」
その名称が思い浮かんだ。
ギルドとは、ガーナスにもあった冒険者ギルドのことだ。
主に魔獣や盗賊の討伐を斡旋する施設であり、勇者
「冒険者ギルドにそっくり……」
「そうなのか? 余は魔王ゆえにギルドを利用したことはないからな」
と、フィーネリアの独白に、オルバはあごに手を置いて呟く。
「似ているかどうかはよく分からぬ。ともあれ入るぞ。我が妃よ」
「だ、だから、私はあなたの妃ではありません!」
顔を少し紅潮させてフィーネリアは否定する。
しかし、オルバは気にもかけず、その施設のドアをガランと開けた。
室内の戦士たちが一瞬注目するが、それ以上は構わず談笑に戻る。
フィーネリアは、おずおずとオルバの後に続いた。こういった場所は彼女の方こそ経験が多いはずなのだが、完全に緊張していた。
オルバは真直ぐ歩くと、バーの店主に声をかけた。
「ふむ。支部長はいるか?」
「ん? ああ、いるよ。二階に行きな」
「うむ、分かった」
そう言ってオルバはフィーネリアを連れて二階に上がった。
ギシギシと木製の階段を軋ませて辿り着いた場所は、そこそこ広い部屋だった。
壁に掛けてある大きなコルク製の板には、幾つもの紙が無造作に張り付けられている。
これにもフィーネリアには見覚えがあった。
あの紙一つ一つが魔獣や盗賊の手配書なのだ。店の一角には、四人の受付嬢がいるロビーがある。恐らくあそこで仕事の契約の受付をするのだろう。
もはや、何もかもが冒険者ギルドそのものだった。
「オ、オルバさん。やっぱりここって……」
と、フィーネリアが紅い瞳の少年に聞こうとした時だった。
「ん?」と呟いて一人の大柄な男が、オルバたちの存在に気付いた。
そして、どすどすと近付いてきて――。
「ああ、オルバさんじゃないですか。よくおいでくださいました」
黒髪黒眼の中年男は、にこやかに笑って告げる。
「ようこそ! 我が『
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