第4話 こうして彼女は扶養家族になった➂

「わ、わふんっ!?」


 裏返った声を上げてフィーネリアは、ドスンッと腰を床に落とした。

 ――い、今、自分は魔王に何を言われた……?

 フィーネリアの白磁を彷彿させる頬が、見る影もなく青ざめていった。

 ま、まさか、魔王の目的とは――。


「いや、いやああああああああああああ――ッ!?」


 そして完全に腰を抜かした状態で、ドアに向かって進み出す。

 形振り構わず、どうにかこの場から逃げ出そうとした。


(いやいやいやああああァ! た、助けてお姉さま! アルクお兄さまっ!)


 フィーネリアは、ボロボロと涙を零していた。銀色の尾まで震え始める。

 このままだと魔王に無理やり手籠めにされてしまう。噂では、魔王は何人もの美姫を毒牙にかけてきたというではないか! 恐らく、自分も彼女たちと同じく――。


 一人ぼっちの世界で宿敵相手に純潔を散らされる。

 いくらなんでも、そんな結末だけはあんまりだった。


「や、やああああァ!」


「こらこら。待たぬか聖女」


 しかし、フィーネリアはあっさり魔王に捕縛された。

 力強い両腕で横に抱き上げられると、そのままベッドに運ばれていく。

 フィーネリアは息を呑んだ。


(う、うそ、ま、まさか、このまま……)


 そしてますます顔を青ざめさせて、いざとなれば舌を噛み切る覚悟までした。

 が、魔王は小さく嘆息すると、少女をベッドの端に座らせた。

 続けて、フィーネリアの銀色の瞳をじっと見つめる。思わず少女は身構えるが、魔王は静かな眼差しを向けるだけで、それ以上は何もしようとはしない。

 フィーネリアは、キョトンとした表情を浮かべて紅い瞳の少年の顔を見上げた。

 すると、オルバはふうっと溜息をつき、


「そんなに泣くな。魔王といえども本気で嫌がられると存外傷つくものなのだぞ」


 言って、銀色の瞳から零れ落ちる涙を指で拭う。

 フィーネリアには訳が分からなかった。


「……余の妃は嫌か?」


 どこか優しい声でそう尋ねるオルバに、フィーネリアはこくんと頷いた。

 それに対し、魔王は深々と嘆息した。


「ならば仕方があるまい。今はとりあえず、そなたは余の傍にいるだけでよい」


「そ、傍に……?」


 フィーネリアはぐすんと鼻を鳴らした。


「て、手籠めには、しない、のですか?」


「いや待て。手籠めとは何だ? 余は普通に結婚を申し込んだはずだが?」


 眉をしかめてオルバは尋ねる。

 すると、フィーネリアは自分の両肩を押さえて視線を逸らし、


「ま、魔王は何人もの女の人を手籠めにしたと、聞きます。だ、だから私も……」


 そう告げる銀髪の少女は、本気で怯えていた。

 オルバは、かつてどんな敵にも見せたことのない絶望的な表情を浮かべた。


「少し待たぬか。何なのだその噂は。断言するが、余は嫌がる娘を手籠めにしたことなど一度もないぞ。それでは王の威厳が損ねるではないか」


 オルバは嘆息する。

 どうやら魔王のレッテルというのは思っていたよりも重いらしい。

 すでにお役目御免・・・・・になったとはいえ、中々キツイものだ。


(やれやれだな。だから何度も言ったではないか。魔王というのは本当に割の合わないものなのだぞ。アナスタシア・・・・・・よ)


 と、内心で友人・・とも呼べる女性に愚痴を零すが、今は目の前の泣きじゃくる少女を宥めることが先決だった。オルバは腰を屈め、フィーネリアに視線を合わせた。


「すまぬ聖女よ。怖い思いをさせたか。案ずるな。余はそなたを傷つける事はせぬ。ただ、唯一の同胞であるそなたに余の子を育てて欲しい。そう思ったのだ。許せよ」


 そこで魔王は、すっと双眸を細めた。


「だが、誤解するでないぞ。唯一の同胞だから仕方なく選んだのではない。さらに言えば、そなたの容姿が見目麗しいからでもない。何よりも余はそなたの勇気に感銘を受けたのだ。余の妃になるのはそなたしかいない。余はそう確信しておる」


 そう言って、不器用な笑顔を見せるオルバ。

 一方、フィーネリアは困惑していた。恐らく今のオルバの言葉に嘘は一切ない。ずっと人の顔色を窺って生きて来たフィーネリアには、何となくだが彼の本気が感じ取れた。

 しかし、だからこそ困惑する。

 彼の態度が、あまりにも噂に聞く魔王のイメージと違うからだ。


「あ、あなたは……」


 フィーネリアは目を擦って問う。


「ほ、本当に魔王なの、ですか? その姿といい、イメージが違い、ます」


 対し、オルバは苦笑を浮かべた。


「この姿はそなたに合わせたのだ。余にとって年齢を変えることは造作もない。それに魔王と言ってもここは異世界。もはや廃業するしかあるまい」


 イメージを維持するのも馬鹿らしいであろう、と言葉を締めるオルバ。

 フィーネリアは唖然とした。


「は、廃業? 魔王って廃業できるの?」


 少女の素朴な疑問に、オルバはポリポリと頬をかいた。


「この世界には魔王軍もおらぬ。異世界まで来て軍を新たに設立し、世界征服――と言うのも労力がかかりすぎる。まあ、転職するにはよい機会だな」


 それは実にさっぱりとした言葉だった。

 そして自称元魔王はフィーネリアを見据えて皮肉気に笑う。


「第一そんな事に労力を費やすならば、そなたを口説き落とすのに全力を尽くすぞ」


 ビクッと肩を震わす犬耳少女に、


「そう怯えるな。そなたが望まぬ限り、余がそなたに手を出すことはない」


 と気遣いつつも、はっきりとオルバは告げる。


「だが、これだけは言っておくぞ。余はいずれ必ずそなたを抱く・・。余の誇りにかけてそなたを妃にする。そなたを愛し、そなたに愛されてみせる。覚悟しておくがいい」


 これまた直球すぎる愛の言葉に、フィーネリアは思わず赤くなった。

 が、すぐに首を横にぶんぶんと振り、


「わ、私はあなたの妃にはなりません。そ、それに……」


 一呼吸入れて、


「そ、その、さっきから、私があなたと同行することを前提に話していませんか? わ、私はまだ、あなたと行動を共にするなんて言っていません」


 と、若干おどおどしながら告げる。

 彼女には、ここでオルバと別れて行動する権利もあるはずだった。


「何を言うか」


 しかし、それをオルバは鼻で笑った。


「そなたには、しばらくは同行してもらうぞ。今日に至るまでの日数。誰が代金を立て替えてきたと思っているのだ」


「――えっ」


 フィーネリアは目を瞬かせた。まさか、この宿を取ったのは……。


「すべては余が立て替えたのだ。魔王の装備一式を売り払ってな。一応、どれも伝説の武具だったのだが、怖ろしく安値で叩かれたぞ。正直少し泣けてきたぐらいだ。おかげで一月ほどの資金にはなったが」


 と、腰に腕を当てオルバは告げる。フィーネリアは言葉もなかった。


「それにそなた、余と別れてどうするのだ? そなたは現在無一文ぞ。その法衣以外荷物もなかろう。どうやって暮らしていく気だ?」


「そ、それは……例えば人の怪我を治すとか」


 と、フィーネリアは自分の特技をアピールするが、オルバは苦笑を浮かべた。


「それも調べたが、この世界には治癒魔導士や、それに類似した者はかなりいるらしいぞ。そなたの腕の火傷を治したのもこの世界の者だ。治癒能力の希少価値はガーナスより低い。職にするには使い手が多すぎるな」


「う、ぐ」フィーネリアは小さく呻く。


 ガーナスでは希少な能力でも異世界では違うらしい。


「そもそもそなたは余に借金があるのだ。まずはそれを返すのが人の道であろう」


 と、人道を説く元魔王に、フィーネリアは何も言えない。

 実際のところ、ここに飛ばされた元々の原因は目の前の少年にあるのだが、間違いなく彼はフィーネリアの命の恩人でもあるのだ。その事実だけは変わらない。

 彼女には、すでに従う以外の道はなかった。


「う、うぅ……」


 無念そうに唇を噛みしめるフィーネリア。一方、オルバはとても上機嫌だった。


「まずは職を見つけ、地に足を着けることだな。それまではそなたは余の扶養家族だ。だが別に金は返さんでもよいぞ。なにせ、そなたは余の妃なのだからな」


 そう言って、元魔王は現役バリバリの邪悪な笑みを浮かべるのだった。

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