第3話 こうして彼女は扶養家族になった②

「……ふむ」


 少年はあごに手を置いた。


「余が分からぬか。それも無理はないか」


 そんな独白をする少年。フィーネリアはますます小首を傾げた。

 彼女は目の前の少年を改めて見つめた。

 年の頃は十七、八歳か。身長はフィーネリアより頭二つ分ほど高い。

 やや細身だが、体幹のしっかりとした体と精悍な顔つき。短い黒髪と真紅の瞳が印象的な少年だ。その身体にはフードの付いた黒い貫頭衣を着ており、全身が真っ黒な人物だった。

 一応記憶を探ってみるが、見覚えのある人間ではなかった。


「あ、あの……」


 人見知りの気が強いフィーネリアは、それでも勇気を振り絞って少年に尋ねる。


「あなたは誰、ですか? もしかして、その、私を助けてくれたのは……」


「ふむ。確かにそなたを助けたのは余だ」


 と、少年がフィーネリアの言葉を遮って告げた。

 そして、コツコツとブーツを鳴らして彼女の元へ近付く。


「なにしろ、我らがいたのはダワフ密林と呼ばれる危険な場所だったらしい。流石にそんな場所に無力なそなたを置き去りには出来んのでな」


「ダ、ダワフ、密林?」フィーネリアは眉根を寄せた。


 魔王城に至るまで色々な国を旅した彼女だが、そんな密林の名は初めて聞く。


「あ、あの、ここはどこなのですか? 私の他に誰か、人は……」


 続けてそう尋ねるフィーネリアに、少年は腕を組み、


「そなた以外に人間と呼べる者はおらんぞ。そなたの目論見通りな」


 と言って皮肉気に笑った。それに対し、フィーネリアは眉をしかめた。


「も、目論見? あの、あなたは誰なのですか?」


 そして最初の質問をもう一度する。

 すると、少年は「はははッ!」と大笑した。


「まだ余が分からぬか? 聖女フィーネリアよ。仲間を救うために、余をこの世界に放逐したのはそなたではないか」


「………え?」少年の台詞に、フィーネリアは唖然とした声を上げた。

 次いで数秒後、血の気が一気に引いた。まさか、この紅い瞳の少年は――。


「ま、魔王ッ!?」


 あり得ないと思いつつもその可能性に思い至り、フィーネリアは悲鳴じみた声を上げた。


「ふふっ、いかにもそうだ」


 対し、少年は獰猛な笑みを浮かべて、フィーネリアを見据えた。


「我が名は魔王ガードナー。オルバ=ガードナーだ。見知りおけ。聖女よ」


 そう名乗りを上げた途端、少年の体から底知れない闇のような魔力が噴き出した。

 少女は「ひっ」と小さな声を上げて後ずさる。

 ガタガタ、と歯が震え始めた。

 よもや、普通の宿屋で魔王と遭遇エンカウントしようとは――。

 完全に怯えきったフィーネリアに対し、魔王オルバは笑った。

 それから、おもむろにフィーネリアに近づき、彼女の両肩をしっかりと掴んだ。


(こ、殺される……)


 フィーネリアは死を覚悟した。ギュッと目を瞑る。

 わずかに両足が宙に浮くのを感じた。が、特に何も起きない。彼女はそのまま移動させられると、トスンとベッドの上に座らせられたのだ。


「………え?」


 唖然として目を開けると、魔王はとても困り果てた笑み・・・・・・・を見せた。


「そう怯えんでくれ。まずはそなたに話があるのだ」


「わ、私に、話?」


 フィーネリアは唖然とした表情のまま、魔王の台詞を反芻した。

 魔王は「うむ」と頷くと、椅子を持ち出し、そこに座った。

 玉座としては質素すぎるが、優雅に足を組むその姿勢には王者の威厳があった。


「そなた……現状、どうなっておるのか、まるで分かっておらぬのだろう?」


 と、オルバが話を切り出した。

 フィーネリアは一瞬「……う」と口籠ったが、すぐに慎重な顔つきで頷いた。

 ここで虚勢を張ったところで意味はない。たとえ宿敵であってもこの男は顔見知りだ。まずは彼からこの現状を聞くべきだった。

 少しだけ落ち着きを取り戻した少女に、オルバは苦笑を浮かべる。


「まず前提から語るが、我ら二人は余が生み出した《黒魔救星ロスト・グランメシア》に呑み込まれた。それは憶えておるな?」


 フィーネリアはこくんと頷く。魔王は話を続けた。


「《黒魔救星ロスト・グランメシア》は世界から敵を放逐する魔法だ。その行き先は余ですら分からぬ。余は時空の狭間に彷徨うとばかり思っていたが、どうやら違ったようだ」


 そこで、魔王は窓の外に目をやった。

 蒼い空には見たこともない小さな銀色の鳥が羽ばたいていた。

 オルバは少しだけ目を細めてから、口元を綻ばせる。


「どうもここはガーナスではないようだ。ここ数日間、街に出て調べてみたのだが、ここはファランと言う名の異世界らしい」


「……えっ」魔王の突拍子のない台詞に、フィーネリアは言葉を失った。


 ――異世界? それは一体……。


「ど、どういうことなの、ですか? い、異世界って?」


 恐る恐る宿敵に尋ねるフィーネリア。すると、オルバは大仰に肩を竦めた。


「言葉通りの意味だ。余が創造した魔法は奇しくも異界に通じる門だったようだ。まあ、放逐には変わらぬから効果は同じだがな」


 と、平然と言う。フィーネリアは青ざめた。

 ならば、ここは全く知らない別の世界だというのか。


「そ、そんな、け、けど、さっき会った女の人は言葉を……」


 異世界ならば、きっと言語形態が違うはず。

 フィーネリアはそんな疑問を抱くが、オルバは呆れるような表情を見せて。


「やれやれ、聖女よ。我らの世界でも国によっては言語も違う。そのために翻訳魔法が編み出されたのだろう。そのような初歩魔法。余が使えぬとでも思うのか」


 フィーネリアは呆気にとられた。

 確かに玉星魔法の『風』系統にそういう初歩の魔法がある。要するに魔王は、その魔法を自分とフィーネリアに前もってかけていたということか。


「じゃ、じゃあ、本当にここはガーナスじゃないの……?」


 フィーネリアは、愕然とした声で呟く。

 死は覚悟していたが、まさか異世界に飛ばされるなど考えてもいなかった。


「余の言葉が信じられぬのなら己が眼で見てくるとよい。中々面白かったぞ。文明そのものはガーナスとさほど変わらぬが、暮らす民が実に多種多様だ。妖犬人コボルトに似た獣人もおれば、ガーナスでは見かけたこともないカラクリ仕掛けの人形が普通に果物を売っておるのだからな」


 と、オルバは楽しげに語る。

 フィーネリアは、未だ言葉を出せなかった。

 その代わりにベッドから立ち上がり、慌てて窓辺に駆け寄る。

 そこから見えるのは店舗の並ぶ大通り。石畳で舗装された歩道には、剪定された街路樹が一定間隔で並び、主に煉瓦と木材で建築された建造物が目立つ光景が広がっていた。

 どこにでもある平和な景観であり、眼下には多くの人々が行き交っている。


「……う、そ」


 フィーネリアは、呆然とした表情で目を見開いた。

 通行人の姿は実に様々だった。あの牛によく似た頭部を持つ見たこともない獣人や、巨人としか呼べないほど背の高い人間は一体何なのだろうか……。

 しかも、彼らは警戒されることもなく平然と街中を歩いている。

 数々の街や国を知る彼女でもこんな街は見たことが無い。


「そ、そんな……」


 ペタン、と床に腰を落とすフィーネリア。

 こんな状況どうすればいいのか。完全に途方に暮れてしまった。


「さて。聖女フィーネリアよ」


 すると、オルバが彼女の横に移動してきた。

 そして覇気もなく床に座る銀髪の少女を一瞥して告げる。


「現状はこれで分かったであろう。そなたは異界の門をくぐったのだ。ここでそなたを知る者は一人もおらぬ。勇者も姫騎士も老魔導士もな」


 そう告げられ、フィーネリアは胸元をギュッと掴んだ。

 改めて、自分はもう一人なのだと思い知らされる。

 怖ろしいほどの孤独感が、彼女の細い肩にのしかかってきた。


「わ、私は……」


 それ以上の言葉が続かない。魔王はそんな少女を見やり、ふっと笑う。


「余でさえガーナスに戻る手段は分からぬ。再度 《黒魔救星ロスト・グランメシア》を使ったところでガーナスに戻れる可能性は極めて低いだろう。余もまた孤独よ。そこでだ聖女よ。提案がある」


「……提、案?」


 銀色の瞳に涙を溜めつつ、フィーネリアはオルバの顔を見上げた。


「その通りだ。我らは孤独な者同士。この世界では互いに孤立無援だ。そこで提案する。ここは過去の諍いは水に流さぬか?」


 そう告げられ、フィーネリアは魔王の言わんとすることを察した。

 要するにこの見知らぬ世界では、魔王とてどんな危険があるのか分からない。だからこそ同胞の力を借りたいのだろう。それは当然フィーネリアの方にもメリットはある。彼女は元々非戦闘員だ。何があるか分からない世界で魔王の力を得られるのは大きい。

 だが、この隣に立つ少年らしき存在は、千年もの時を生き続けた怪物だと聞く。

 数百年に渡って、同胞である魔族さえも力と恐怖で支配し、人間たちが大きな戦争が起こす度に隙をついて世界を手に入れようと画策した、世界ガーナスの悪夢そのものだ。

 簡単に許せるような相手でもなく油断も出来ない。協力するかはその内容次第だった。

 フィーネリアはゆっくりと立ち上がり、神妙な声で魔王に問う。


「……協力するとして、あなたは何をする気なの? 私に何を望むのですか?」


 聖女にしてアルファード王国の第二王女は、普段のおどおどした心を必死に押し殺し、姉を思わせる凛とした表情を見せた。

 すると、魔王は、意外にも少し躊躇いがちに口を開いて――。


「う、む。そうだな。まあ、今の余が抱く目的は近い内に話すつもりだが、余がそなたに望むことは一つだけだ」


 そう切り出して、真直ぐフィーネリアの瞳を見据えた。

 緋色の魔眼に見つめられ、少女は緊張する。

 そして魔王は語り出す。


「ずっと余の傍にいて欲しい。健やかなる時も病める時もだ。まあ、余が病にかかることなどないだろうが、そなたが病にかかった時は傍にいることをここに誓おう」


 魔王の表情は真剣そのものだった。

 フィーネリアは、しばし紅い瞳の少年を見つめて――。


「…………え?」


 不意に少女の頭の中に、疑問符が浮かんだ。

 はて。今とても場違いな台詞を告げられたような気がする。


「あ、あの、それって……」


 と、フィーネリアが疑問について尋ねようとした、その時だった。


「ふむ。では、はっきり言うぞ」


 そう前置きし、ガーナスにおいて誰もが恐れた魔王はコホンと喉を鳴らし、もはや誤解もへったくれもない直球すぎる台詞を言い放つのだった。


「そなたを余の妃に迎えたい。そなた、余の子を産んでくれぬか?」


 直後、宿の一室に沈黙が降りる。

 そして淡々とした空気の中、たっぷり十数秒が経過し、


「………………へ?」


 フィーネリアの目が点になった。

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