第一章 こうして彼女は扶養家族になった

第2話 こうして彼女は扶養家族になった①

 フィーネリア=アルファード。

 ガーナスの最北端に位置する『雪の大国』。

 犬狼科や熊科の獣人族が多く住み、周囲には純白の針葉樹の森。かつて一度も溶けたことのない永久凍土の氷山。そして雄大なるサナン雪原の西南にある大国・アルファード王国の第二王女として生まれた彼女は、群を抜くほどの魔法の才能に恵まれた少女だった。

 周囲の人間は、王国始まって以来の天才だと誉め讃えたものだ。


 とは言え、生来大人しい性格の彼女は、攻撃呪文が大半を占める玉星魔法よりも回復や防御を主にする神意魔法にこそ興味を持ち、習得していった。

 そうして蓄えた知識と魔法を使い、国の垣根を越えて多くの民を助けていった彼女はアスラテラス教会から『聖女』の称号を賜る事になった。それは史上最年少の記録でもあった。

 彼女にとっては、いささか以上に気恥ずかしい称号ではあったが。


 しかし、それでも良いこともあった。

 最年少の聖女の噂を聞き、勇者アルク=バランディーダが彼女の元に訪れたのだ。

 ガーナスの大地に古から伝わる勇者の血族。数百年に渡って、幾度となく世界を支配しようとした魔王と相対する英雄だ。その英雄が仲間としてフィーネリアを迎えに来たのだ。

 初対面の時、勇者らしく手に口づけをされ、彼女は内心でドキッとした。


 ――そう。彼女にとってアルクは憧れであり、初恋の男性だったのだ。

 まあ、結果として、騎士として名を知られていた姉も勇者の一行パーティに加わり、四人で旅をすることになったのだが、それは苦しくもあり楽しくもあった旅だった。

 そして旅の途中、姉とアルクはいつしか恋仲となり、フィーネリアはそれなりにショックを受けるのだが、それも今や良い思い出だ。元々あまり前には出たがらない性格の彼女はひっそりと身を引いた。


 ただ、ずっと彼のことは、胸の奥で想い続けていた。

 だからなのかもしれない。

 あの最終決戦。アルクが自身を犠牲にしようとしていることに気付いたのは。

 フィーネリアは思った。それはいけない。姉が哀しむ。

 それに、アルクはこれから世界を平和に導かねばならないのだ。


 こんな所で死んではいけない。彼女はそう強く思った。

 きっと、彼と姉は良き世界を築いてくれる。

 だからこそ、フィーネリアは命を賭けたのだった。

 魔王と共に死ぬことを望んだのである。


 すべては姉と――大切なアルクの為に。

 それが、彼女の決意だった。



(……だから私は……)


 そしてフィーネリア=アルファードは、うっすらと瞼を上げた。

 真っ先に映るのは木目が浮かぶ見知らぬ天井。宿屋を使う時によく見る光景だ。

 銀髪の犬耳少女は、銀色の瞳をパチパチと瞬かせた。


(……あれ? ここは?)


 フィーネリアは、ゆっくりと上半身を起こした。

 姉とは違い、大きく育った双丘が揺れる。そのためか、彼女は自分が普段の法衣を着ていないことに気付いた。その代わりに絹製の薄い服を着ていた。

 そこそこ上質な服なのだが、こんな服を持っていた記憶はない。


 ――いや、そもそも、どうして自分は着替えているのか。

 それに、何故ベッドの上で寝ていたのだろうか。


「私は一体……」


 フィーネリアは額を押さえて呟き、ハッとした。

 そうだ。自分は魔王と共に黒い球体に呑み込まれたはずだ。


「一体、あれからどうなったの?」


 ポツリと自問する。が、流石に今目覚めたばかりの状態で分かるはずもない。

 彼女はとりあえず周辺を見渡した。

 机やベッド。大きな窓が二つ。そこからは外の景色が見える。大きな木と街中のような風景が目に映る。高さからしてここは二階か。どうやらここは、どこかの宿の一室のようだ。

 そこまで判断してから、フィーネリアはふと気付いた。

 よく見れば、壁に彼女の白い法衣が掛けてあるではないか。


「良かった。私の服……」


 彼女は壁まで駆け寄ると、法衣を取った。

 袖や襟に金糸の刺繍が施されたこの服は彼女のお気に入りだった。

 見目麗しい顔立ちと、年齢離れしたプロポーションのせいか、フィーネリアは見知らぬ土地ではとにかく目立つ。特に異性から向けられる視線が怖くて、こんなダボダボの服をいつも着ているのだ。

 フィーネリアはそっと法衣に袖を通す――が、その時、疑問に思った。

 右腕の袖は、確か最終決戦の時に燃えたはずだ。しかし、この服はすでに修繕されている。今さらではあるが、彼女の腕にも手当てしたような痕跡や火傷の跡は残っていなかった。


「誰かが魔法で治してくれたの?」


 自分の手をまじまじと見つめてフィーネリアが呟く。と、

 ――コンコン。

 いきなり部屋のドアがノックされた。続けてドアの向こうから「おや? もしかして起きているのかい? お嬢ちゃん?」と声が掛けられる。初めて聞く女性の声だ。

 フィーネリアはビクと肩を震わせたが、「ひゃ、ひゃい」と答えた。

 彼女は元来人見知りの激しい性格だった。しかし、ドアの向こうの人物にそんなことが分かるはずもなく「それじゃあ入るよ」と陽気な声を掛けて入室してきた。

 入ってきたのは、四十代前半の恰幅のよい女性だった。

 いかにも宿屋の女将といった容姿の女性である。 


「初めまして。あたしゃあミラってんだ。この宿屋の女将さね」


 予想通り女将だったらしい。


「は、初めまして。フィーネリア=アルファード、です」


 フィーネリアも、おどおどと頭を下げた。

 すると、ミラは大きな腹を揺らして「あははっ」と笑う。


「そんなに緊張しなくていいよ。なにせ、あんたはお客さんなんだからね」


「そ、そうなの、ですか?」


 フィーネリアは少し目を剥いた。

 一体、誰が宿代を払ってくれたのだろうか。

 ここまでの記憶がない彼女には、全く理解できない状況だった。


「あ、あの……」


 しかし、いつまでも分からないままではいられない。

 フィーネリアは苦手意識を隠してミラに状況を尋ねることにした。が、


「ああ、そうだ。あんたが起きたこと、あんたのお兄さんにも知らせなきゃね」


 ポンと手を打ち、ミラがそんなことを告げてくる。


「……え?」


 フィーネリアは大きく目を瞠る。

 彼女にとって兄と呼べる相手は姉の恋人であるアルクだけだ。ならばここにはアルクもいるという事か。もしかしたら名前は出ていなかったが、姉やバラクーダもいるのかもしれない。

 あの戦況から一体どうなったのか。

 それは未だ分からないが、アルクに聞けば、きっとはっきりするだろう。


「それじゃあ、呼んでくるよ」


 そう言って、ミラは立ち去って行った。

 フィーネリアは少し呆然とした。あんな別れ方をしてすぐさま再会するなど、どうにも気まずいのだ。特に姉は間違いなく激怒していることだろう。

 優しいアルクや、祖父のように慕うバラクーダにも何を言われるか分からない。


(わ、わふん。なんて言い訳すれば……)


 そんな事を考えながら、フィーネリアはそわそわとしてその場で待っていた。

 すると、不意に開きっぱなしだったドアから一人の少年が入ってきた。

 どうやら一人で来たらしく、ミラの姿は見当たらない。


「おお、ようやく目を覚ましたか。心配したぞフィーネリア」


 と、彼はフィーネリアの名を呼ぶ。その表情はとても親しげだった。

 しかし、それに対し、フィーネリアはキョトンとし、


「………え?」


 そして目を丸くして、こう尋ねるのだった。


「え、えっと、あなたは誰ですか?」

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