RE:フラグメンツワールド

雨宮ソウスケ

プロローグ

第1話 プロローグ


 最果ての地にて居を構える魔王城ホズパレス。

 その最上階にある謁見の間は今、荒れ果てた戦場と化していた。

 緊迫した空気の中で立ちはだかるのは、四人の聖戦士だ。

 この戦闘。この最終決戦は、まさしく彼の計画通りだった。


(……ふん。後は『幕引き』を迎えるだけだな)


 彼――魔王は笑う。

 法衣に似た漆黒の外套に獣の仮面。手には髑髏の杖を持ち、無限にも等しい魔力を有して、あらゆる呪術、大魔法に精通する邪悪なる化身。

 この世界ガーナスの征服を目論む魔族の支配者。それが彼であった。


「――喰らえ! 魔王!」


 その時、裂帛の気迫と共に白刃が振り下ろされた。

 髑髏杖によって受け止められたのは、聖剣グランドディアの刃。

 白銀の聖鎧を纏う黄金の髪の若き勇者。アルク=バランディーダの愛剣だ。

 魔王と勇者は鍔迫り合いをする。と、


「アルク! 離れて!」


 アルクの後方から、緊迫した少女の声が響く。

 姫騎士アリス=アルファード。

 腰まである銀髪と、しなやかな肢体。俊敏な犬が持つような尖った耳と、ふさふさの銀色の尾を生やした十七、八歳の美しい獣人族の少女だ。

 彼女――アリスは『姫』の名を冠する通り、大国アルファード王国の第一王女にして、勇者アルクとも並ぶ細剣の達人であった。

 白い軽鎧に身を包んだ彼女は、剣から力を抜いて後方へと跳ぶアルクと入れ替わるように間合いを詰め、魔王に渾身の刺突を喰らわせる――が、


「――くッ!」


 思わずアリスは舌打ちした。喉元を狙ったのだが、切っ先は火花を散らしただけで突き刺さらない。さては外套の下に鎧でも着込んでいるのか。それとも、魔王の正体とは刃も通さない強靭な魔獣だという噂が本当だったのか。

 いずれにせよ、攻撃を防がれた以上、アリスは間合いを大きく取った。


「みんな! 気をつけて! こいつには半端な攻撃は通じない!」


「……ふむ。ならばこれならどうじゃ?」


 そう告げたのは勇者の仲間の一人。

 深い藍色のローブを纏い、樫の木の杖を持つ長い髭の老人だ。

 数百年の時を生き、伝説とまで謳われる大魔導士バラクーダである。


「ほほっ、少々デカイぞい。気をつけよ」


 バラクーダはそう忠告すると掌を掲げた。すると拳よりもやや小さい赤い宝玉が現れた。老魔導士は赤い宝玉を掌で握りしめて粉砕する。宝玉はガラス細工のごとく散った。

 直後、バラクーダの杖の先に巨大な火球が生まれた。轟々と渦巻く火球は小さな太陽のように謁見の間を照らした。


 ――これこそが玉星魔法オーブ・オブ・ロウ

 自身の魔力に七種の元素の力のいずれかを付与して結晶化。それを召喚・破砕することで属性を定め、自然現象を操ることが出来る魔法だ。

 そして今、バラクーダが生み出した魔法は『火』の魔法――《大炎轟サンシャイン》。

 どの属性においても、七段階ある魔法の最上位呪文スペルだった。


「……ほう」


 魔王が感嘆の呟きを零す。

 玉星魔法の発動には玉星オーブの破壊だけではなく、呪文の詠唱が必須だった。

 しかし老魔導士が詠唱した様子はない。才ある者ならば熟練次第で詠唱の省略は可能だが、無詠唱で七階位セブンまで使える者はガーナス全土においてもそうはいないだろう。


「ほれ。儂からの熱いプレゼントじゃ」


 言って、バラクーダは大火球を高速で撃ち出した。

 当然、標的は謁見の間に君臨する魔王だ。

 周辺の空気を焼きつかせて、大火球は魔王に迫る――が、


「ふん。甘いぞ老兵」


 獣の仮面の下で魔王は不敵に笑った。そして髑髏杖でカツンと石畳を打つ。途端、杖の骸骨は大きくあごを開き、大火球を瞬く間に呑み込んでしまった。


「な、なんと……」流石に目を見開くバラクーダ。アルクたちも驚愕していた。


「愚かだな老兵。余に魔法で挑むか」


 魔王は皮肉気な声でバラクーダに語る。


「人間にしては大したものだ。無詠唱で七階位セブンまで使えることは瞠目に値するぞ。だが、それだけではな。今から余が手本を見せてやろう」


 そう言って、魔王は髑髏杖を地に突き立てたまま、両腕を大きく広げた。

 その両手には真紅と蒼の玉星オーブが生まれていた。

 魔王はそれらを同時に掌握して破砕、厳かに呟く。


「《大炎轟サンシャイン》。及び《大海竜アクアロード》よ」


「な、なんじゃと!?」


 その現象を前にして、バラクーダが目を見開く。

 魔王の両の掌から、バラクーダの数倍もの大きさの火球と、長く太い身体を唸らせて蠢く巨大な水の龍が生まれたのだ。

 共に『火』と『水』の最上位魔法。魔王はその両方を同時に発動させたのである。

 こればかりは、大魔導士たるバラクーダにも届かない領域だった。

 魔王はくつくつと仮面の下で笑う。


「知っておるか? 大量の水と超高温の火を重ねると面白い現象が起きるのだ」


「お、お主! まさか水蒸気爆発を――」


 魔法の腕のみならず豊富な知識をも持つバラクーダが青ざめた。

 水蒸気爆発。それは、水が蒸発する時に起きる体積増大による爆発だった。

 ――このままでは非常にまずい!

 バラクーダは、すぐさま仲間たちに呼び掛けた。


「こりゃあいかんぞい! アルク! お嬢ちゃんたち! 一か所に集まるんじゃ! ちっこい嬢ちゃん! 『障壁』を張って――」


 と、四人目の仲間に対し、続けて指示を投げかけようとした瞬間だった。

 巨大な水龍が、そのアギトを以て大火球に咬みついたのだ。

 直後、凄まじい爆発が謁見の間を揺らした。

 壁も床も軋み、玉座は崩壊し、視界は真っ白に染まった。

 そして数十秒にも渡って振動は続き……。


「……ふむ」


 辛うじて完全崩壊だけは免れた謁見の間で、魔王のみが一人佇んでいた。

 魔王は左手で風を起こし土煙を払う。と、


「ほう。流石はここまで辿り着いた勇者一行パーティだな。今のでも死なぬか」


 少し感心したような声を上げた。

 魔王の視線の先。そこには満身創痍ながらも身構えるアルクたちの姿があった。

 あの状況でも、魔法による防御が間にあったらしい。

 アルク、アリスは剣を杖に立ち、バラクーダは片膝をついていた。


「見事なものだったぞ。聖女よ」


 と、魔王は四人目の勇者の仲間に目をやった。

 年の頃は恐らく十四、五歳ほどか。袖などの細部に金の刺繍を施された、少し大き目の白い法衣を着た彼女の名は、フィーネリア=アルファード。

 アルファード王国の第二王女にして、アリスの実妹である彼女は、肩にかかる程度まで伸ばした美しい銀髪と、姉によく似た綺麗な顔立ちを持つ小柄な少女だった。

 姉と同じく犬狼科の獣人族であり、ふさふさの銀色の尾を持っているが、耳の形が違って垂れている。姉が狩猟犬ならば妹は室内犬と言ったところか。

 彼女は玉星魔法とは別系統の、回復と防御に特化した神意魔法ウィッシュ・ハートの使い手であった。

 神意魔法とは多くの者が使用できる玉星魔法と違い、『アスラテラス教会』に所属する信者たちの中でも極わずかな者にしか使えない特殊な魔法のことだった。


 玉星魔法のような階位はなく、特定の呪文もない。

 ただ祈り、願いを口にすることで限定的な奇跡を起こす。一説ではこの世界の守護者にして創造主である女神の力を借りる魔法だと伝えられていた。


 そんなことを思い出しつつ、魔王は仮面の下でふっと笑った。


「聖女よ。そなたがいなければ一行パーティは全滅していたであろう。大したものだ」


「…………」


 しかし、魔王の賞賛に、フィーネリアは何も答えない。

 ただ肩で息をして、静かに俯いたままだった。


(……ふむ)


 魔王はすっと目を細めた。


(ここらが頃合いか。では、いよいよだな)


 内心でそう算段をつけ、魔王は両腕を大きく広げた。

 そうして両手の間に玉星が生まれる。それも七つ。七色の玉星だ。


「な、なんじゃそれは!?」


 バラクーダが大きく目を見開く。全属性の玉星を同時に召喚することなど、彼にして初めて目撃するものだった。

 魔王は何も語らない。ただ柏手を打ち、直列に並んだ七つの玉星をすべて圧壊する。

 そして魔王は右の掌を天に掲げた。すると掌の先に小さな漆黒の球体が生まれた。

 光を拒絶する闇の球体はどんどんと大きくなっていく。数秒後には数人の人間を丸呑み出来るような大きさになった。


「な、何をする気だ、魔王!」


 異様な事態に、アルクが顔色を変えて声を張り上げた。

 対し、魔王は淡々と答える。


「終わりにするのだ。勇者アルクよ。我が前にまで辿り着いた褒美に、そなたらを永劫の闇の中に葬ってやろう」


 そこで魔王はふふっと笑った。


「この魔法の名は《黒魔救星ロスト・グランメシア》。現行の魔法にはない余が作り出した十階位テンの魔法だ。あらゆる存在をこの世界から排除する闇の天体よ」


「なんじゃと!?」


 バラクーダが再び愕然とした。


「新たな魔法を作り出したじゃと!? それも十階位テンとな!?」


 前述した通り術式は七階位セブンまで。

 十階位テンなどバラクーダさえ聞いたことがなかった。


「ふふ、九階位ナインまでは編みだすことにさほど苦労はしなかったが、流石に十階位テンの創造には骨が折れたぞ。これはもはや禁呪の領域だ」


 と、魔王は言う。


「勇者たちよ。光栄に思うがいい。この禁呪を使うのはそなたらが初めてよ。くくくっ、時空の狭間にて永久に彷徨うがいい」


「――く、くそッ!」


 勇者であり、リーダーでもあるアルクが呻く。

 この魔法を使わせてはいけない。これは破滅をもたらす魔法だ。

 そう直感が告げるのが、先の爆発のダメージが大きすぎて身体が動いてくれない。このままでは全滅は必至だった。アルク自身は勿論のこと、彼の大切な仲間の命まで奪われる。

 あらゆる面でサポートしてくれた、人生の師とも呼べる老魔導士バラクーダ。

 妹のように慈しみ、今回のように幾度も危機を防いでくれた聖女フィーネリア。

 そして何よりも――。

 アルクは、隣で剣を杖にして立つ姫騎士に目をやった。

 一人の男として、恋人アリスが死ぬことだけは耐えられなかった。


(絶対にアリスだけは!)


 アルクはグッと拳を握りしめる。

 今、魔王は右手を掲げて、あの黒い天体を制御している。

 経験上、あの類の放出系魔法は掌で狙いを定めて放つものだ。ならば、あの右手さえどうにかすれば魔法を阻止――いや、暴走させることが出来るかもしれない。

 最後の力を振り絞り、魔王の構えを崩す。

 あの天体をそのまま地に落とすことが出来れば、魔王は自滅するはずだった。


(それに賭けるしかない!)


 無論、そんな事をすれば構えを崩すため、魔王に接近する者もただでは済まない。

 恐らく魔王ともども時空の狭間とやらに呑み込まれるのだろう。

 しかし、それでも――アリスを死なせるよりはマシだった。

 アルクは歯を喰いしばった。


(――俺と共に逝ってもらうぞ、魔王!)


 勇者としてではなく、男として覚悟を決めるアルク。

 そして動かない身体に檄を入れようとした――その時だった。

 突如、四人の間から小さな人影が跳び出して来たのは。

 アルクたちは唖然とした。

 何故なら、跳び出したのは回復役を務めるはずのフィーネリアだったからだ。


「フィ、フィーネ!? 待ちなさい!?」


 姉であるアリスが、愕然とした悲鳴を上げる。

 フィーネリアの戦闘力はないに等しい。魔王に特攻していい人物ではない。


「ま、待って!? フィーネ! 待ってえェ!」


 そして慌てて妹の後を追おうとするが、ガクンと膝が崩れて進めない。

 それは、アルクやバラクーダも同様だった。

 どうしてフィーネリアだけが、あそこまで疾走できるのか――。

 それは障壁魔法が彼女を中心に展開される力であったため、他の三人よりもダメージが少なかった事と、密かに治癒魔法を自身にかけていたからだろう。

 すべては、この瞬間の為に。


「―――ムッ!」


 これには、魔王も流石に目を剥いた。

 実は、勇者が右手を狙ってくることを、魔王は予測していた。

 何故なら、逆転の目はもうそれ以外にないからだ。


 そう判断・・・・するように・・・・・仕組んだからだ・・・・・・・

 しかし、まさか勇者以外――それも聖女が特攻して来るなど予想もしていなかった。

 だからこそ、わずかばかり対応が遅れた。


 その一瞬の間隙を突いて、フィーネリアは跳びつき、魔王の右腕を掴んだ。

 とは言え、所詮はか弱い少女の細腕。魔王の膂力ならば振り払う事など造作もない。

 だが、その前に彼女はぼそりと唱えた。


「《紅華フレイム》」


 ――ボンッ!

 突如フィーネリアの手が紅蓮に包まれた。小さな火球を撃ち出す『火』の一階位呪文ファースト・スペル。フィーネリアにも使える唯一の攻撃魔法だ。戦いの最中、密かに玉星を破壊しストックしておいたのだ。しかし所詮は最下級の呪文。魔王に通じるようなモノではない。

 事実、炎はフィーネリアの細腕を焼くだけで魔王の外套すら燃やせなかった。


 だが、それでも自爆同然の攻撃は魔王に動揺を与えた。

 わずかではあるが、構えを崩したのである。


「ぬ! し、しまった!」


 初めて魔王が驚愕の台詞を口にする。最上位の禁呪を制御する上では、ほんの少しの崩れでも致命的なミスだった。制御を失った黒い天体は、ゆっくりと落下し始める。

 その下にいるフィーネリアと魔王の元へ。


「フィ、フィーネ!? 逃げてえェェ!?」


 アリスが絶叫を上げる。


「く、くそ! フィーネリア!」「ち、ちっこい嬢ちゃん!」


 アルク、バラクーダも動揺の声を上げてフィーネリアの元へ駆け寄ろうとするが、上手く身体が動かずその場で倒れ込んでしまった。

 その間も、フィーネリアは小柄な体で必死に魔王にしがみつく。

 目的は一目瞭然だ。アルクが考えていた事を彼女が実行しようとしているのだ。


「――ぬう! なんということを!」


 対する魔王は、奇妙な行動を取っていた。

 接近戦においても無類の強さを持つ魔王が、少女を引き剥がせずにいたのである。

 少女に手を伸ばそうとするが、その度、手を止めてしまう。それの繰り返しだ。

 壊れやすいガラス細工を雑には扱えない。どこか、そんな様子を思わせる行動だった。


「……お姉さま。アルクお兄さま。バラクお爺さま」


 そしてフィーネリアは、まさしく聖女の笑みを浮かべた。


「さようなら」


 法衣の少女がそう告げた途端、支えを失ったように黒い天体が落下した。

 アルクたちは目を剥く。

 わずかに謁見の間が振動し、そして数秒後、そこには何もなかった。

 魔王の姿は勿論、フィーネリアの姿も……。


「フィ、フィーネ……?」


 姉であるアリスが呆然と妹の名を呟いた。

 しかし、誰も答えない。アリスの表情は一気に青ざめていく。


「い、いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァ――ッ!?」


 そして謁見の間に姫騎士の悲鳴が響く。

 これが、後の世に伝わる聖女フィーネリアの最期。

 魔王城ホズパレスでの、最終決戦の結末であった――。

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