第4話 お前の顔を握りつぶしてやろうか



 数時間ぶりです、あたし——————



 今現在は、というと、国王と王妃に圧力に負け、あの応接室で婚約者となる書類を作らされ、今後の説明をされました。解放されたのは、もう夜も更けている頃合い。

 両親はというと、国王命令で先に帰らされたそうです。

 説明によると、今後、あたしは両親の住むオータム領でなく、王宮近くの別居に住まわせていただく運びとなりました。流石に荷物などは後々移動しなければならないため、明日には一度帰るが、それでも寂しいものは寂しい。うーむ、家族を持つとやはり……。


 春先で少し肌寒いので、肩掛けをしつつ、あたしは庭を闊歩する。部屋を用意してもらったが、先ほどまでの出来事に頭の理解が中々追いついてこないため、少々のクールダウンに来たというわけである。手入れされた花園を眺め、ガラス細工の椅子に腰かけると、少しだけ平穏を取り戻せるような気がした。

 ため息しか出てこないのだが、それでも、起こってしまったのだから取り返しがつかない。なによりも恥ずべきは、あの場で暴走してしまったあたし自身に対してなのだろう。


 ガラス細工のラウンドテーブルの上でうなだれながら、肘をつき、どうしたものかとあたしが悩んでいると、聞きなれない声が耳に入る。


 「おい、そこのお前。何をしている!」

 「あ゛あぁ?」


 おっと、淑女にあるまじき声が出てしまった。慌てて咳ばらいをしつつ、声のした方を見ると、少々癖のある短い金髪を揺らし、金色の瞳でこちらを睨んでいた。絵画から飛び出してきたように整った顔立ちの少年をあたしは知っている。

 知っているも何も、あたしが王子の婚約者になった原因……そして、後頭部にドロップキックを喰らわせた第二王子のレオナルドご本人であるからだ。

 レオナルドはこちらに指を付きつけ、獅子のように怒り狂っている。


 「ここはお婆様が好きだった庭だ。お前のような女が立ち寄っていい場所ではない!」

 「あぁ、そうなのですね。私は国王陛下から今日だけは好きにするようにと仰せつかっておりましたので、どこへなりとも自由に出入りできるものと存じておりましたが、どうやら違ったのですね」

 「父上が? ならば、王子の命令でここから退去させる。消えろ、この娼婦女!」

 「はいはい。ご命令に従いますとも、二度とここには立ち寄りません……と、その前に—————」


 あたしは、ガラス細工の椅子から立ち上がり、幼い容姿ながら、凛として背筋を伸ばしたまま、にこやかに微笑み、そしてレオナルド殿下に歩み寄る。

 そして、こちらを嘲笑うように見下している例の殿下の顔を右手で鷲掴みにした。魔力をいつものように体内循環させ、そのまま、殿下の体を腕と共に宙へと浮かせる。こちらの腕を掴んでじたばたと暴れているが、その程度のことでは、あたしのアイアンクローからは逃れることはできない。


 「いだだだだだだ! 何をする! すぐにその手を離せ!」

 「殿下。言葉遣いにはお気を付けください。殿下は一国の王子でございます。そのような汚い言葉を使ってはいけません。もう少し慎み深くお話しくださいませ」

 「貴様! 無礼だぞ! 今すぐ不敬罪で首を刎ねてやる!」

 「首を刎ねる前に、私が殿下の頭を握りつぶしますがよろしいですか?」

 「ヒぃ——————」


 暴れる殿下から何か短い悲鳴が聞こえたところで、あたしはゆっくりと殿下を地面へと降ろす。


 「レオナルド様。言葉は時に武器となり、そして戦乱も元となるものです。あまりおかしな言葉をお使いになられていると、より大きな問題に発展いたしかねません。国の民を思うならば、どうか改めてください」

 「黙れ。この暴力女! 貴様なんて死んでしまえ」

 「レオナルド様。私はこの夜に限り、国王陛下から、『自由に』と仰せつかっております。この意味、聡明なあなたならばお分かりになられますよね?」

 「知るかそんなもの! やれるもの……なら……」


 あたしが拳を握り締めて、手の骨を軽く鳴らして準備運動を始めると、レオナルド殿下の声が少しずつ小さくなっていく。顔が少しだけ青ざめているところを見るに、それなりの脅しは効くらしい。


 「続けますか?」

 「ぐぬぬ……。大体、どうしてこのおれが国の民を思う必要がある! おれは所詮第二王子だぞ! 国王となるのは兄様の方だ。ならば、思う必要などどこにある!」

 「殿下……。あなたが眠る床も、あなたが食べる食事も、あなたが身に着けている衣服も、全てが国民の税で出来ております。あなた様がたった一人で生きていくというのであればべつですが、その恩恵を受けている以上、あなた様は民を想い、そして民の象徴であらなければなりません」

 「正論を述べたところでおれには響かない。それに知っているんだぞ、お前はあのときおれを蹴り飛ばしたんだろう。ならば、明日にでも家族丸ごとこの国からいなくなるだろうな」

 「あ、その件ならご心配なく。国王様とお話をつけさせていただきましたので」

 「ふんふん、国外追放か。酌量を得たな」

 「いえ、無罪です」

 「なるほど無罪か—————ってそんなわけあるか!」

 「事実ですので、ご確認なさいますか? あぁ、でもこんな夜更けに尋ねるのは非常識極まりないですね」


 驚き、慌てふためくレオナルド殿下をよそに、あたしは平常心を保っていた。わかるぞ、小僧よ……。あたしも頭を抱えているところだ。まぁ、一周まわってもうどうでもよくなったけど……


 「ならば、このおれがこの場で手打ちにしてやろう」


 レオナルド殿下はこちらを金色の瞳で睨みつけ、手を前にかざし、何やら詠唱を始める。緑色の魔方陣が出ているところを見るに、なにやら風属性魔術を使うつもりなのだろう。うーむ、ここは避けるべき……ではないな。このまま回避すれば、殿下が大切にしている庭に傷がついてしまう。ならやるべきことは一つなのだろう。


 「くらえ! ウィンドカッター!!」

 「あー、ハイハイ。ウィンドカッターですね」


 あたしは適当にノリを合わせつつ、目の前に『プロテクション』という光属性魔術を発動させる。詠唱をしていないが、目の前でわめいている殿下の魔術程度ならば簡単に防ぐ光の壁となる。

 あたしが急に襲われた眠気に対し大きな欠伸をしたころには、数発撃ち続けた殿下が息を切らしていた。


 「続けますか?」

 「お前は一体何者なんだ—————」


 どうも、元聖女です……とは言えないので、とりあえず、息を切らしている殿下の頭を軽く叩く。


 「ユリア・オータムと申します。国王様と国王妃様より、あなたの婚約者となることを申し付けられました」

 「はぁ?」

 「事実でございます。殿下、あと、人に対して『お前』はいけません。貴殿や其方という言葉をお使いください」

 「そうではない。おま……えぇい! あのオータム伯爵の娘風情がこのおれと釣り合うわけがないだろ。不敬罪で—————」

 「殿下。今夜は長そうですね……」

 「ぐぬぬ……なんで、どうして……」


 突然、瞳に涙を浮かべだすレオナルド殿下をよそに、あたしはため息を吐く。涙を浮かべたいのはこっちだっていうのに、まったく……。なにがどうして、こんな子の……。いや、やめよう。レオナルド殿下だってそれなりの人間だ。それを『こんな子』などと悪く言うのはそれこそ模範とならない。

 あたしはハンカチを……と考えて、クリームまみれのままパーティ会場に置いてきたことを思い出し、頭を軽く叩いた右手の指で殿下の頬に触れ、涙を払いのけた。


 「レオナルド殿下————。王族たるもの他人の前で涙はながしてはいけません。あなた様が泣いてもよいのは、家族の前か、修道院の懺悔室の中だけでございます」

 「泣いてなどいない。目にゴミが入っただけだ!」

 「ならば早くゴミを取り除きくださいませ」


 あたしは満面の営業スマイルをする。月あかりに反射してどのように殿下に映ったのかはわかりかねるが、固まって口を何度も開閉しているところを見るに、悪い印象ではなさそうである。


 「覚えていろよ!」


 レオナルド殿下はその言葉を最後に、耳を真っ赤に染めながら自分から逃げ出してしまう。うーむ、涙はきちんと拭えたのだろうか……。そこは心配だ。

 さて、殿下と話して疲れてしまったことで、眠気も最高潮に達し始めた。あてがわれた部屋に戻って、今日のことは忘れよう。

 まぁ、朝起きたら何も変わっていないんですけどね……。


 おやすみなさい、

あたし—————。明日が良き日でありますように……

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