第3.5章 白い連星、命の輝き

1 気怠い朝

 ふくよかで香ばしい香りが事務所内を支配していた。


 他にあるのは低く唸りを上げるデスクトップパソコンのファンと遠くどこかから聞こえてくる車両の走行音くらいなもの。


 この部屋の主の本性とは似つかわしくない穏やかでのんびりとした雰囲気である。


「おいおい、どうした? そんなシケたツラして……」


 この部屋の、そして私の主であるマーカスはマグカップに注いだブラックのコーヒーの香りを楽しみながら、それでいて心弾ませる表情を見せる事もなく肩を落としていた。

 そんな様子が面白くてつい軽口を叩いてしまう。


「ん~、この歳になると朝に目が覚めても疲れが抜けるどころか、なんか余計に疲れたような感じがしてね」

「ハハ、爺クセェなぁ! メディカルポッドに入るか?」

「いやいや、ゲームの中にくればそんな事はないんだけどね。それでもつい先ほどまでそんな感じだった倦怠感は抜けないんだよ……」


 現実世界の時間で言えば現在は朝。

 平日ならばマーカスは仕事でゲームにログインできないようだが今日は土曜日。

 先週のように急に仕事が入ったという事もなく、今日は丸一日こちらの世界にいるつもりなのか、マーカスは目覚めてそう時間が経っていないのだろうなと思えるような寝ぼけ眼でガレージに現れていた。


 私にそんな調子をからかわれてマーカスはオフィスチェアーに座ったまま天井に向けて腕を伸ばして大きく深呼吸をするも、まだ本調子ではないのか深呼吸なのか溜め息なのか分かったもんじゃないくらい。


「あ~……、サブちゃん、なんか面白い事ない?」

「お前なぁ……、今日の正午からバトルアリーナってイベントがあるんだけど? イベ用の機体を用意してから少しログアウトして調子を整えてきたらどうだよ?」

「え~、今さらランク4の機体を買えって?」


 中立都市の一画に各個人傭兵用ガレージが数多立ち並ぶ通称「傭兵団地」も今日は静かなもの。

 いつもなら輸送機が発着する轟音やら、あるいはミッションを終えて帰還してきた機体を整備するロボットやら溶接機、プレス機、クイックローダーなどの作動音で昼夜無く騒音が撒き散らされているものだが今日ばかりは随分と大人しいものだ。


 きっと大多数のプレイヤーたちはイベントに備えて休息中か装備の最終調整といった具合なのだろう。


 だというのに私の担当様は正式サービス開始以来初となるイベントにまったくの無関心であるらしい。


 大体、今回のイベントに参加できる機体のランクは4までとなっているのにウチのガレージにあるのはランク設定の無いホワイトナイト・ノーブルにランク6の陽炎、ランク5のパイドパイパー、そして初期配布機体であるランク1の雷電である。

 かっぱらってきたノーブルやら陽炎はともかくとして、普通にクレジットでランク5の機体を購入した後にランク4の機体を購入しなくてはならないというのが嫌だというのも分からないではないが。


「あ、そうだ。雷電でちょろっとイベントに参加してみようか?」

「初期配布機体でチーム戦に参加とか地雷みたいな真似は止めてくれよ……。そら初期配布機体でどこまでやれるか試してみたいとかいう縛りプレイのフレンドとかいるなら別だけど、そんなフレいないだろ?」


 不意にマーカスは悪戯を思い付いた子供のような表情をしてみせるがもちろんそんな事は却下だ。

 そらぁマーカスならランク1の雷電でもそれなりに戦えるのだろうけど、野良小隊で初期配布機体で参加だなんて戦闘開始前に空気が悪くなってしまうだろう。


 仮に昨日今日このゲームを始めたばかりで初期配布の機体しか持っていなくとも私というAIに持たされた思考パターンはきっと参加を止めるのではないだろうか?

 ただボーナスキャラの如くにやられるだけでプレイヤーに何の娯楽も提供できないし、何よりチームメンバーに悪いだろう。

 何よりクレジットには余裕があるのだし、マーカスがイベントに参加するというのならランク4とは言わないまでもせめてランク3の機体でも購入してほしいものである。


「ハハ、冗談だよ、冗談! 大体、今回のイベントはサブちゃん見てるだけなんだろう? それじゃ面白くないよ」

「そ、そうか。それなら良いんだけどさ……」

「あ~……、裏ワザでサブちゃんも参加できるようにならないかな? 上上下下左右左右ABとかで。ついでにノーブルとか陽炎も使えるようにならねぇかな~!」

「……どこに上上下下とか入力するコントローラーとかあるってんだよ?」


 とにかくマーカスにランク4以下の機体を購入するつもりが無いのは分かった。


「で結局、今日はどうしようか? 映画は昨日観に行ったし、一昨日はカラオケ。あっ、“玩具箱”に温泉にでも入りに行く?」

「いや、お前、普通にミッションに行けよ……」


 実の所、このマーカスというプレイヤー、現実時間換算でログイン時間が20時間を超えているというのに自発的に受けたミッションは未だにゼロなのである。


 国境線付近での越境部隊への攻撃任務に難民キャンプでのトクシカ氏の護衛任務はフレンドであるライオネスからの協力要請によるものであるし、玩具箱トイ・ボックスことVR療養所での一戦は運営のVR療養所運営班の御厚意により後からミッションだったという事にしてもらって報酬を付けてもらったのだが、この男が自発的にミッションを受けた事がないのには変わりはない。


「もう、サブちゃんたら、口を開けばミッション、ミッションってワーカホリックの平成人じゃあるまいし」

「あのなぁ。このゲームはもう正式サービスを開始してからゲーム内時間じゃもう2ヵ月以上も経っているんだぞ? 2ヵ月も自分から依頼を受けない傭兵がいるか?」

「う~ん、金があるなら傭兵だって遊んで暮らしてたいと思うがね。まあ、そこまでいうならしょうがない……」


 そこまで言ってやっとマーカスは渋々ながらパソコンに向き合って操作を始めた。

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