第2章
1 私立鳳桜学園高校〇〇部 前編
学生スポーツの王様と言えば何だろうか?
男子ならばその答えは多岐に渡るのではないだろうか?
長い伝統を持つ高校野球と答える者もいるだろう。
野球以外にも国内外でプロの競技体系が確立しているサッカーやバスケットを挙げる者もいるだろうか。
あるいは国際大会でも日本の御家芸と呼べるマラソン、リレーなどを内包する陸上競技も十分にありうる。
陸上競技の中でも日本発祥の競技である駅伝を上げる者もいるかもしれない。毎年恒例となっている新年の大学生駅伝はもはや国民的な正月の風物詩といっても過言はないだろう。
また近年、着実に人気を伸ばしてきているのフリースタイルMCバトルのファンの熱狂ぶりも侮れないものがある。
だが女子の学生スポーツの王様となれば、その答えは1つ。
「JKプロレス」だ。
元々はある国際競技大会においてレスリング、俗にいうアマレスが正式種目から外れた事で日本国内での人気が低迷し、その空いた需要を埋めるような形で大学生が学園祭などで披露している学生プロレスのエンターテイメント性を取り入れる形で成立したのがJKプロレスの起源だと言われている。
学生競技ならではの真剣勝負に高いエンターテイメント性。
それこそが成立からわずか四半世紀程度のJKプロレスが学生スポーツの女王と呼ばれる所以であろう。
成立から、そして高校総体の競技種目に加わってから四半世紀。
その中でJKプロレスはその競技性を急速に洗練させていき、現在でも語り継がれる数多の伝説を創り出していった。
レスリング出身の強豪選手たちがぶつかりあって切磋琢磨した「アマレス四天王時代」。
JKプロレス史上初となる
フィギュアスケート出自の柔軟性とルチャリブレを組み合わせた異色のレスラー「鳥人山田」。
万人が認める高い技量を持ちながらもあらゆる大会においてベルトを巻く事がなかった「無冠の女王」こと「獅子吼虎代」。
そして「無冠の女王」の妹にして、姉の雪辱を晴らすように史上初の1年生時での高校総体個人戦優勝を成し遂げた――。
道場に湿った音が響き渡る。
濡れたタオルをテーブルに振りかぶって思い切り叩きつけるような容赦の無い音が何度も、何度も。
「…………ぁッ……? 部長ッ!?」
私がマットの上で意識を失っていたのはどれほどの時間だっただろう。
近隣校のJKプロレス部との練習試合とはいえ、入部間もない新入部員の私が部長とのタッグパートナーに抜擢されたというのに試合中に受け身を取り損ねて気を失うとはとんだ失態だ。
「
「だ、大丈夫ですッ! まだいけます!!」
リングサイドでセコンドについていた長谷川先輩が私を心配する言葉をかけてくるがそれどころではない。
震える足で何とか立ち上がって反対側のコーナーへと向かっていく。
そこでは山口部長が体をコーナーポストへともたれかけさせられて、その両腕は左右のロープに絡みつけられていたのだ。
コーナーに磔にされたような状態となった山口部長の胸へ、対戦相手である都立花ノ木高校JKプロレス部の指原部長が振るう手刀が幾度となく叩きつけられていた。
ここは山口部長のタッグパートナーである自分が1秒でも早く助け出さねばなるまい。
だが男子柔道部員でもここまで立派な体躯の持ち主はそうはいないであろうというほど恵まれた体格の指原さん相手にたとえ後ろから殴りかかったところでマトモに止められるとは思えなかった。
「んぁ……、シャア!」
自分の未だ定まらない足元に喝を入れて飛び上がった私は指原さんの背中へと両足を揃えてドロップキックを見舞う。
だが助走も無し、跳び上がった時の勢いもインパクトの瞬間に足を伸ばす等の工夫も無い私のドロップキックを背に受けても指原さんは大木のようにビクともしなかった。
「……おい、邪魔させんな!」
「…………」
指原さんがギロリとした目付きで合図をすると、いつの間にか後ろに迫ってきていた者の手が私の首へとかけられる。
反則技の
私は背後にいた者によって首にかけられた手で振り回されるようにリング外へと放り投げられていた。
「悪ぃな、
「その声はッ!? 貴女、新入部員じゃないわね!?」
私の後を追ってリングから降りてきた白い覆面のレスラーに頬を張られ、私の反撃の掌底も躱されて逆に腕を掴まれて捻り上げられる。
リングの上では山口部長がなんとかロープの拘束を自力で振りほどいていたものの、やはり先ほどまでの手刀の連打のダメージは深刻。
身長184cmの長身とスラリと伸びた長い肢体から繰り出される山口部長のラリアットは「リカ・ラリアット」の名で知られ、数多の対戦相手をマットに沈めてきた
その山口部長のラリアットがその神通力を失っている。
互いの首を刈り合うように山口部長と指原さんはラリアットでぶつかり合い、そしてマットに倒れたのは1人、山口部長だけ。
「ザマぁねぇなあ?」
観客にアピールするように指原さんは両手を上げて掠れ声を張り上げる。
無論、これは練習試合であり、JKプロレス部の道場に観客がいるわけもないのだが、10分の試合時間で決着が付かなければ審査員か観客による投票で勝敗が決まるJKプロレスの都合上、選手たちは工夫の限りを尽くして観客を沸かせようとするものなのだ。練習試合であってもアピールの間の取り方を実戦形式で確かめる良い機会である。
「チィっっっ……!! ……あ痛!?」
「あ、おい! 暴れんな! 入部したての新人なんて素人みてぇなモンなんだから怪我しちまうぞ!?」
ダウンした山口部長にタッチしてもらい、ウチのエース格選手である部長に回復してもらう時間を稼ぐのはタッグパートナーの私の役目であるハズだ。
でも、それができない。
後ろ手にガッチリと極まったサブミッションから脱する事はできず、それどころか白覆面は私が怪我をしないように力を緩めてくれた気配すらある。
ようするに私は完全に遊ばれているのだ。
私だって鳳桜学園に入学してJKプロレス部に入る事を決めたあの日から自分なりに練習は重ねてきたつもりだ。
白覆面が私と同じこの春からの新入部員ならば遅れを取るつもりはない。
答えは単純。
白覆面の声は掠れている。
そう、リングの上の指原さんと同じように。
鳳桜学園高校にほど近い立地の花ノ木高校は練習試合の相手として都合が良く、年に何度も互いの学校へ行き来して練習試合を繰り返してきた。
その結果、山口部長のリカ・ラリアットを受け過ぎた花高の選手は喉が潰れて掠れ声となっているのだ。
つまり白覆面の選手は新入部員ではない。
私は、私たちはハメられたのだ。
私、
そこで私は1人のJKレスラーに魅入られてしまったのだ。
もはや友人の姉などどうでもよく、私の目はリングの内外を縦横無尽に駆け巡るその選手へ釘付けとなっていた。
背丈はあの時の私と同じくらいであっただろうか?
いずれにしても体格的に恵まれてはいない選手ではあった。
だがその小兵と言ってもいい選手がバッタバッタと対戦相手を薙ぎ倒していくのだから面白くないわけがない。
マットやコーナーロープをまるでトランポリンのように飛び跳ねてみたり、僅かな相手の隙をついてサブミッションをしかけ、しかもせっかく極まった関節技も惜しくないとばかりに巧に相手から離れて反撃を未然に防いだり。
仮に対戦相手の攻撃を受けてもダメージを感じさせないどころか、ますます闘志を燃やして立ち上がってくるその姿には思わず唾を飲み込むのも忘れて見入ってしまうくらいだった。
おまけにバックボーンがまた良い。
「“無冠の女王”の妹」「獅子の巣の秘密兵器」「アンタッチャブル・ライオン」。
かの選手を形容する言葉は幾つもあるが、にわかには信じられない事にそんな物騒な二つ名で呼ばれるその選手はまだ1年生だというのだ。
すでに前日に行われていた団体戦でその選手の鳳桜学園高校は優勝して全国大会出場を決めていたというのに、まだ1年生のその選手は貪欲に個人戦の切符を狙って獅子奮迅の大活躍を続けていた。
通ぶった友人の話では、かの選手のファイトスタイルは姉のものとはまるで異っているそうで、友人曰く「“無冠の女王”の妹を名乗るなら、もう少し姉のスタイルに寄せてほしい」とのことであるが、私からすればむしろ上級生たちを次々を倒していくその選手には、むしろ姉とは違うスタイルで戦う方が彼女の生き様を現しているようで好ましいもののように思えたくらいだ。
私もあの人のように戦ってみたい。
かの選手の試合が一度も判定に持ち込まれる事がないまま、つまりは全ての試合でフォールを決めて優勝を収めた頃には私はそう思うようになっていた。
その日から1人でトレーニングを始め、親を説得していわゆる「お嬢様学校」である鳳桜学園への進学も認めてもらった。
そして晴れてこの春から鳳高生となった私は迷うことなくJKプロレス部へと入部していたのだ。
だが鳳桜学園高校のJKプロレス部の全盛期はすでに過ぎ去っていた。
一昨年の全国大会優勝の経験がある3年生は山口部長だけ。
私が憧れたあの選手は一昨年の全国大会で史上初となる1年生時の高校総体個人戦優勝を果たしており、今年は山口部長と同じ3年生となっているらしいのだが、彼女は家庭の事情により去年の内に部を辞めていたというのだ。
おまけに現在の部員数は私を入れて7名。
シングル3戦、2対2のタッグマッチ2戦の団体戦をやっと賄える程度のものでしかない。
私が入部しなければ人数割れの状態で団体戦を戦わなければならないところであったのだ。
とはいえ、私だってそんな事で夢を諦めたりはしない。
心機一転、鳳高式の基礎練習から始めた私であったが、先輩たちの面倒見は良く、顧問の山田先生の指導も的確で、これならば私もいつか晴れ舞台であの選手のようになれるのではないかと手ごたえを感じ始めていた頃であった。花ノ木高校からの練習試合の申し出があったのは。
そもそも私にとっては他校との初の練習試合であり、相手が
ウチの学校には覆面レスラーなんていないので、先輩たちと一緒に向こうの選手を校門まで出迎えに行った時に覆面レスラーの存在に気付いてもそれがおかしい事だとは思わなかった。
いや、今になってみれば分かる。
私だってこの街で15年間も暮らしてきたのだ。なのに覆面女子高生なんて見た事がない。
つまりJKプロレスの覆面レスラーだって普段は素顔で暮らしているハズ。
でも今日は件の白覆面は学校前のバス停でバスから降りてくる時にはすでに覆面を被っていた。
そこでおかしいと気付かなければならなかったのだ。
でも私はおろか、先輩たちですらその異様さに気付かなかった。気付けなかったのだ。
しかもあろう事か、長谷川先輩なんかは「はえ~、恥ずかしがり屋の新人さん?」と尋ねる事で向こうに恥ずかしがり屋というキャラを与えて、今の今まで白覆面が声を出さずとも不審に思われないようにしてしまってさえいた。
そして道場に花高生徒たちを案内して、合同でストレッチで体をほぐし、さあ練習試合に、というところで向こうの部長である指原さんがこんな事を言い出したのだ。
「今日の練習試合の勝ち負けで春季大会の個人戦の枠を1つ賭けようぜ……?」
他の競技なら到底こんな提案は受け入れられない。
だが、この提案が受け入れられるのがJKプロレスなのである。
なんなら上手にマイクで観客にアピールできたのならば団体戦の試合数を5戦から減らしたり、シングル3戦タッグ2戦の形式すら変更する事だって可能。
実際に過去の事例では負傷者が出たために団体戦の人数が足りなくなった高校が過去の選手間の因縁を1対1で晴らさせるためとマイクを使って観客に訴え、シングルマッチ5戦という形式で試合が行われ、その結果として見事に逆転優勝を収めたという事もある。
そして山口部長は指原さんの提案を受けた。
元々、昨年の大会での結果により、春季大会の個人戦の枠はウチの方が花高よりも1つ多い。
さらに花高との練習試合に勝利して出場枠を1つ増やせば新人の私たち1年生にも大会の経験を積ませる事ができると考えたのであろう。
それが罠であると知らずに。
元々、近隣の学校であるので知っている顔ばかり。
つまり知らない顔があれば、それは私と同じ新入部員という事になる。
山口部長は相手の布陣を見て、これならば確実に勝てると踏んだのだろう。
注意すべきは花高の2枚看板である指原さんと桑田さん。
逆に新入部員ならばこちらの2年生をぶつければ確実に勝てる。
向こうの部員数もこちらと同じく7名。
この場にいる全員が試合に出る形となる。
そして両者の
後は注意すべきは向こうの2年生の大山さんか。彼女は花高唯一の2年生ながら準エース級の実力を持っているとの事。
花高の布陣で不可解であったのは、普通ならば向こうの弱点である新入部員4名をタッグ2戦にまとめてこなかった事。
指原さん、桑田さん、大山さんの3名でシングルの3勝を取りにこなかった事が今となっては不可解である。
そして始まった練習試合。
第1試合はシングル。こちらの2年生の長谷川先輩が向こうの1年生をヒップアタックでリング外まで吹き飛ばして20カウントのリングアウト勝ち。
そして第2試合。
早くも登場した花高側の部長である指原さんに対して山口部長も出る。
両部長ともタッグパートナーに選んだのは新入部員の1年生。向こうは例の白覆面に、こちらは私であった。
これまでの2年間、山口部長と指原さんの対戦成績は山口部長が全勝を収めているのだという。
私が白覆面に邪魔を入れさせなければ勝利は硬い。
そのハズであった。
だが試合が始まると同時に指原さんと白覆面は最初から示し合わせていたかのように山口部長へと襲いかかり、カットに入った私も白覆面の鋭いバックドロップで後頭部をしたたかにマットに打ち付けてしまう羽目となっていたのだ。
「貴女のその声、新入部員じゃないでしょ……?」
「うん? 私がいつ自分でそう言ったよ?」
確かに白覆面は自分では新入部員だとは言っていない。
長谷川先輩の勘違いを良い事に試合開始まで一言も発せずにきていたのだ。
では誰だ?
去年までいた2年生、3年生が覆面を被っていたのなら、部長たちがその者の不在を怪しんだハズ。
じゃあ転校生?
だが私こそ気付かなかったものの、ウチの先輩たちは白覆面の言葉を聞いて、その声の主に気付いたようだ。
腕を捻り上げられたまま周囲を見渡すと先輩たちの視線がある一点に集中していた。
「あら、気付かれちゃったのかしら。まあ、良いわ。もう手遅れでしょう」
「……双子か!?」
先輩たちの視線の先、そこにいたのは花高の二枚看板の1人である桑田さん。
だがその声は鈴を転がすかのように美しいもので、これまでに幾度となく山口部長のラリアットを受けてきた者のものとは思えない。
「私、昨年度まではHIP-HOP部にいたんだけど、顧問の先生をフリースタイルでディスり過ぎて泣かせちゃって、居づらくなって姉さんのいる部に逃げてきたの」
「え~~~!! フェイクの方も格闘技経験者なの!?」
長谷川先輩の気の抜けるような声が道場に響き渡るが、こっちはそれどころではない。
私は未だに白覆面の桑田さんの拘束から逃れられないでいたし、リングの上ではグロッキー状態の山口部長へ指原さんが今まさにスコーピオンデスロックを仕掛けようとしていたのだ。
スコーピオンデスロックはラリアットと同じく山口部長のフィニッシャーであり、これまでの雪辱のためかわざわざ指原さんは宿敵の得意技でギブアップを狙おうという事だろう。
「おう、新人さん。そろそろ終わるぜ? なんたってスコーピオンのコツを市内で2番目に良く知ってるのはウチの部長だからな。もっとも、いつもは部長が技をかけられてる方なんだがな!」
桑田さんが掠れ声で笑う。
私もその隙を狙って拘束を振りほどこうとするものの、自分より頭1つ分は大きい体躯の桑田さんのフィジカルはそれを許してくれない。
無理なのか……?
体格差でどうしようもないだなんて、私はあの人にはなれないというのだろうか?
悔しい。
ただただ悔しかった。
この2年間の自分なりのトレーニングがまるで意味の無い事であると突き付けられたようだ。
だがその時、道場の両開きのドアが勢いよく開け放たれた。
それは何かの合図の太鼓のようで、道場内の全ての者がそちらの方へと注目する。
そこにいたのは1人の覆面レスラー。
黒いマントに、
謎のライオン仮面はリングに向かって駆けだしていく。
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