2 私立鳳桜学園高校〇〇部 後編

 謎のライオン仮面の登場に私も含めて道場にいる全ての者が言葉を失っていた。

 音を無くした道場に、ただライオン仮面が駆ける足音だけが響き渡る。


 それはこれから演奏される楽曲の前奏のようで、私は思わず捻り上げられたままの腕の鈍い痛みも忘れて高鳴る胸の高揚感のままに駆ける仮面のレスラーを見つめていた。


「な、何物……!?」

「邪魔する気かッ!?」


 一呼吸遅れて、ようやく花高部員たちがリングへとまっすぐに向かうライオン仮面を止めようとするものの、乱入者はさらに速度を上げて自分の前に立ちふさがろうとする者たちを躱していく。


 そして、不意に私の腕の痛みが消えた。


 私を拘束していた白覆面こと桑田さんが迎撃のために私の腕から手を離したのだ。


 私の事など無視するかのように体を弓なりにのけぞらせてナックルパートのフォームを作る。


 後はタイミングを見計らって拳を振り抜けばいい。

 ただそれだけ。


 だが当たらない。

 桑田さんの渾身の弓引きナックルパートは十分に加速のついた走力を跳躍力へと変換したライオン仮面によって躱され、代わりに桑田さんの顔面にはフライング・レッグラリアートが叩き込まれていたのだ。


 ゆっくりと崩れ落ちていく桑田さんを後目に乱入者はリングの上へと跳び上がると、さらに一跳びでコーナーポストの上に立つ。


 そしてうつ伏せになった山口部長の両足を取ってスコーピオン・デスロックを極めている指原さんへ向けて跳んだ。


 その左足は曲げられ、指原さんの顔面を狙った膝蹴りのようにも思える。


 だが、違う。

 ……!!


「……チィっ!!」


 指原さんもサソリ固めを解いて顔の前に両腕を上げて防御する。

 仮に謎の覆面レスラーの技が跳び膝蹴りであったならば防御は間に合っていたであろう。


 だがライオン仮面は曲げていた脚を僅かに伸ばしてインパクトの瞬間をズラす。


「キンシャサっ!!」


 ライオン仮面の跳び蹴りはただの跳び膝ではなかった。

 膝蹴りのように膝を曲げた状態からレッグラリアートのように放たれるキンシャサである。


 指原さんはタイミングをズラされた事により、顔面に直撃を受けて倒れる。


 だが、ダメージはほとんど無いと言ってもいい。

 ハネ上がるように跳び上がった乱入者とほぼ変わらない勢いで指原さんも立ち上がる。


「よう……、久しぶりじゃないか……?」

「あら? 誰かと思えば貴女だったのね。髪型が変わっていたから気付かなかったわ。落ち武者スタイルは止めたの?」


 軽い調子で煽るライオン仮面であったが、指原さんも仮面の人物の正体にすでに気付いているのか挑発に乗る事はなく、顔を歪めて右眉をヒクヒクと動かしながらものっぴきならない相手の登場に警戒している様子。


「…………やっぱり、ライオン仮面の正体は……」


 一方で私はまだゴングがなったわけではないというのに部長の救援も忘れてライオン仮面から目を離す事ができない。


 身長164cmの私とほぼ変わらないであろうレスラーとしては小柄な体。

 高い打点の跳び蹴り。

 試合に乱入して顔面への強襲という悪役ヒール的な行動をしておきながらも、善玉ベビーフェイス的な威風堂々とした立ち振る舞い。


 そして私の脳内には2年前のあの都大会での一幕が思い起こされていた。


 私があの人に注目する事となった個人戦一回戦のとある試合。

 その試合は両者とも1年生選手同士の試合であり、本来であればまだ技量の乏しいと思われる1年生の試合なんて席を外してトイレ休憩にするなり売店か自販機に飲み物でも買ってくるなりしていたであろう。


 私がその試合を見る事にしたのは両者の内の1人、ヒール風のコスチュームを着ていた方が対戦相手に「髪切りカベジェラマッチ」を提案したからである。


 カベジェラマッチとは読んで字のとおり、その試合の敗者が髪を切られるというものだ。


 ヒール風レスラーとしては相手も1年生という事もあり、負ける事を恐れて棄権でもしてくれたら2回戦へ疲労もなく進めると思ったのかもしれない。あるいはヒールとしてのパフォーマンス精神の発露であったのかもしれない。


 だがヒール風の方も1年生。そのマイクパフォーマンスはたどたどしく場内には失笑すら起きていたほどだ。


 第一、相手が髪切りマッチを受ける理由が無い。

 遺恨も無ければ、理屈をこじつけるわけでもなく、巧みな話術で会場の観衆を味方に付けて受けざるをえない状況に持ち込む技量もない。


 失笑に包まれた観客たちの初々しい1年生を見る生暖かい視線の中であれば髪切りマッチの提案を拒否してもまったくもってかまわなかったハズだ。


 だが対戦相手である選手はその提案を受けた。


 ヒール風も「カベジェラの意味が分かってんのか!?」とマイクとバリカンを持ってがなり立てるも、その選手は「答えはこうだ」とばかりにヒール風の頬を張って回答とし試合開始のゴングが鳴った。


 そしてヒール風に比べて遥かに体格で劣る選手は試合時間10分の半分も使わずにピンフォールを奪って勝利。

 そしてヒール風が用意していたバリカンで持ち主の頭頂部付近の髪を切り落としてさっさと試合会場を後にしていたのだった。


 当時ですら大きかった体がさらに肥大化していたから気付けなかったが、あの時のヒール風は指原さんであったのだろう。


 ならば、その時の因縁を騙るライオン仮面の正体は……。


「お前に落ち武者みてぇな髪型にされたおかげで、ええコラ? 帽子さえ被っておけば周りの奴に気付かれる事も無かったがな、おい、情けをかけたつもりかよ? お前のその計算高さが気に食わねぇんだよ! おい、獅子吼だろ、お前!!」

「フンっ! 気に食わなかったどうなるというのかしら……?」


 やはり、あの人だ!

 史上初の高校総体個人戦優勝を成し遂げた天才JKプロレスラー「ライオネス獅子吼」!!


 リベンジに燃える指原さんに対して、なんでか覆面レスラーとなった獅子吼さんは軽い調子で両手を出して力比べを申し込む。


「舐めるなッッッ!! 私だって!!」


 指原さんも力比べに応じて両者は互いに両手を組み合わせる。


 身長で勝る指原さんが上から押しこもうとするも、一瞬でライオン仮面は組んだ両手を下げさせて捻り上げる形とした。


 だが体格からくる地力の差は埋めがたく、指原さんは1歩も退く事なくギリギリと腕を上へと持っていこうとする。


 しかしライオン仮面はまだ自分が優位な位置にあるのに固執せず、両手を組み合わせたままサマーソルトキックで相手の顎を狙う。


 指原さんも相手の蹴りの威力を警戒してかあっさりとフィンガーロックを解いて体をのけぞらせて回避。


 そのまま覆面レスラーはバク宙の状態から着地するとマントを脱ぎ捨てて、放り投げたマントはレフェリー役のウチの顧問である山田先生の顔へと被せて視界を奪う。


「上手い!!」


 自分から申し込んだ手四つの力比べで瞬間的に全力をかけて一瞬だけの優位な状態を作り、反撃の暇を与える事なくサマーソルトで体格差のある相手との力比べという不利な状況から逃げる。

 さらには乱入者である自分が指原さんに深刻なダメージを与えては私たちの敗北になるとレフェリーの視界を奪う。


 これが指原さんが言う「計算高さ」か!

 私は僅か数秒で繰り広げられた攻防で再び2年前と同じように魅せられていた。


「さて……、残り試合時間は3分ちょい。落ち武者狩りには十分ね」


 ライオン仮面はリングサイドのタイムカウンターを確認すると、呆けたように自分を見つめる私へと視線を移す。


「貴女、新入部員……?」

「は、はい! 私は……」

「なら見ていなさい。JKプロレスにおいては体の小ささは武器になりうる!」


 憧れの人に声をかけられて有頂天となった私が積年の思いを口にするよりも前にあの人は駆け出していた。


「まず1つ、デカいのと戦う時に相手の攻撃を受けなくとも許されるッ!!」


 姿勢を落としてラリアットで迎撃しようとする指原さんの股の下を潜り抜けて、またすぐさま立ち上がって駆け出し、ロープに体を預けてその反動でさらに加速。


 指原さんの首へと後ろからフライング・レッグラリアート!


 パートナーの救援のためにリングに上がろうとした白覆面の桑田さんへキンシャサを見舞ってリング外へと落とし、その隙に背後へ迫ってきた指原さんの懐へ自ら飛び込んで顎を狙った鋭いエルボー。


 軽い脳震盪を起こしたのかマットに崩れ落ちそうになったのをなんとか片膝を付いた状態で踏みとどまった指原さんであったが獅子の猛攻は止まらない。


 立てた膝を内側から蹴るようにして機先を制して続けざまに側頭部へとフライング・レッグラリアート。シャイニング・ウィザードだ!


 これにはさすがに指原さんもマットの上に仰向けになって倒れ、ライオン仮面は今度はリングを背にした状態でトップロープの上へと乗る。

 そのまま体を捻りながら跳び、指原さんへラウンディング・ボディプレスを決めた。


「……ま、まだだ。こんなもんじゃ終わらせ……」


 だがライオン仮面の嵐のような猛攻撃もその体重の軽さが災いしてかフィニッシャーとはなりえないのだ。


 よろよろと立ち上がる指原さんの目はしっかりと開かれており、その闘志の炎は消えていない。


 だが……。


「……あっ」


 思わず私の口から声が零れた。


 ライオン仮面は指原さんの髪を掴んで自分の股の下へと入れさせ、さらに両腕を自分の両腕で挟み込んでから両手を相手の背の上でクラッチ。


「ッダアッシャアアアァァァァァ!!!!」


 獅子が吠えた。


 咆哮とともに一気に相手の体を持ち上げて真後ろへと叩きつける。


「ダブルライオン・スープレックス!!!!」


 その技はいわゆるダブルアーム・スープレックス、それも欧州式と呼ばれる受け身の取れない荒業であった。


 だがライオン仮面、いやライオネス獅子吼が用いるダブルアーム・スープレックスはリバース・フルネルソンの状態に持ち込んでから投げるまでの間が圧倒的に速いために彼女のリングネームを冠してダブルライオン・スープレックスと呼ばれていたのだ。


「そして、もう1つ。デカい相手に決めた大技は観客を沸かせる。もっとも……」


 再び私へと視線を向けたライオン仮面はやっとの事で体を起こした山口部長へと目くばせすると、レフェリーの山田先生の頭にかけていたマントを取る。


「私は勝負を観客やら審査員やらの手に委ねようとは思わないけどね!」


 背中から受け身も取れずにマットへと叩きつけられ、今度こそ動けなくなった指原さんの片足を持ち上げて部長がフォールの体勢に入るとレフェリーが3カウントを取ってそこで試合終了のゴング。


 圧倒的。

 圧倒的に苛烈にして鮮烈なファイト。

 これが1年間のブランクがある人のプロレスだとは思えない。


 それはまるで百獣の王とされる本物の獅子のよう。

 かようなファイトを見せる者がいるからこそ、異星人が地球を訪れ宇宙にすら人々が幻想を抱かなくなった現代においてもなおJKプロレスは見る者に幻想ファンタジーを思わるのだ。


 そのまま道場を後にしようとするライオン仮面、獅子吼さんへなんとか体を起こして四つん這いの状態となった指原さんが声をかける。


「待てよ!!」

「何かしら?」

「お前、リングに戻ってくるのか?」

「……いいえ、今日はたまたまよ」


 指原さんへと振り返った獅子吼さんの仮面の下から見える双眸は何とも言えない色を浮かべていた。


 試合が終わり熱を失った彼女の瞳は冷たいもののように見えたが、その反面、指原さんを羨んでいるかのような目にも見えたのだ。


「手の届くところにある栄光には興味が無いの。本当に今日はたまたまよ」

「お前、負けたのか……? 一体、誰に!?」


 指原さんの言葉が核心を突いていたのか、ライオン仮面はハッと目の色を変えて身を翻す。


「お前ほどの奴が一体、誰に負けたっていうんだッ!?」

「私は貴女とは違う……。再戦の機会があれば今度こそ私が勝ってみせるわ」




 ジャッカルの黄昏~VRMMOロボゲーはじめました!~

 第2章 野犴の群れの中で獅子は獅子は雪辱を誓い吠える

 



 愕然とした表情で身を震わせる指原さんを置いて、今度こそライオン仮面は道場を後にして姿を消す。


「一体、誰がアイツを……?」


 2年前の雪辱を果たす事ができなかった相手が自分の知らないところで敗北していた。

 まるで自分が知らない高みで戦っている仇敵に置いてきぼりにされていると感じたのであろう指原さんは無念さに突き動かされて拳をリングに叩きつける。


 その肩へ山口部長が優しく手をかけた。


「落ち着いて、多分、負けたってゲームの話よ?」

「は? アイツ、今、ピコピコやってんのかよ!?」

「うん、まあ、今時ゲームをピコピコって言うのもどうかと思うけどね……」






 なお第三試合は偽桑田さん、というか桑田さんの双子の妹さんに対してこちらは第一試合に出た長谷川先輩が「そっちが第三試合で勝ったら2勝」という条件で再びリングに上がり、2敗を喫して後の無い花高チームはこの申し出を受けるも、長谷川先輩がフリースタイルMCバトルで勝利。


 この時点で3勝を獲得した鳳桜高の勝利が確定するも練習試合のために第四試合以降も続行。

 第四試合はこちらの2年生タッグに対して向こうは1年生タッグのために難なく勝利。第五試合こそ向こうの準エース級選手に敗れるものの、結果は4勝1敗。


 晴れて花高側の個人戦の枠がこちらへと移動する。


 その快挙に反し、私は自身の実力不足を痛感していた。

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