第1章 獅子と白騎士王

1 諦め癖の付いた獅子

 諦めるという事はそんなに悪い事なのだろうか?


 よく人はわけ知り顔で「一度、諦めたら癖になるぞ」と言うけれど、だからなんだというのだろうか?


 人は自道に何かを積み重ねて、その結果として何かを成し遂げるのだというのは事実だと思う。

 “栄光”とか“名誉”とか、そういう煌びやかなものはただの幸運だけでは成し遂げられない、ひたすらに地道な日々の積み重ねの果てになるものなのだろうというのは私にも分かる。


 でも世の中の大多数の人間にとっては栄光みたいな言葉は縁の無いものでしょう?


 きっと私も大多数の側だったというだけなのだ。


 だが果たして去年の今頃の私ならばどう考えただろう?


 自室のベッド脇のテーブルの上で猛烈なファンの唸りを上げるゲーム機「TWゲートウェイ」の白と銀の筐体を眺めながら私はふとそんな事を考えていた。


 TWゲートウェイ本体に有線接続された専用VRヘッドギアを介し、ヘッドギア装着者の意識を仮想現実の世界へと送り込む完全没入型VRゲーム機はそれ相応に極めて高いマシンスペックを有する。

 最新型のゲーム機にしては珍しく有線接続式のデバイスを採用しているのも、ゲーム機本体からまるで離陸寸前のジェット機のタービンのような甲高いファンの音を立てているのもそれ故だろう。


 まあゲームを起動して私の意識が完全にゲームの中へと移ればどれだけファンがうるさくとも気にならないわけで、むしろTWゲートウェイが持つ高い性能の理由の一端に触れたようで頼もしく思えるくらいだ。


 そして、これが私が何かを諦める事で得た物だった。


 自営業者として飲食店やコンビニなど複数店舗を経営する両親の次女として生まれた私は昨年の今頃、父が急病で倒れてしばらく入院しなければならなかった時、のんきに部活動を続けるわけにもいかなかったのだ。


 複数店舗を営む経営者といえば聞こえは良いものの、その実はフランチャイズ先に定められた営業時間や基準配置人員数などの契約内容に縛られて人手不足だからと勝手に店を閉めたり営業時間を短縮できたりはしない。

 おりしも長く続く人手不足のご時世、父が倒れたからといって急に募集をかけたとしてもそう簡単に穴を埋められるだけの人が集まるわけもなく、結果、私が高校の部活を止めて今日はファミレス、明日はガソリンスタンド、深夜はコンビニといった具合のバイト生活で家業を支えねばならなければならなかったのだ。


 それに関しては恨みはない。


 そもそも私が大学までエレベーター式の名門校に通えているのも我が家の経済状況があっての事であるし、もともと夏休みや冬休みなどの長期休暇の時期には部活の合間を見てお小遣い稼ぎのバイトをしていた事もあって各店舗の人たちとはすでに顔馴染みで、事情を知るスタッフの方たちにはよく優しくしていただいたと思う。


 部活の仲間も快く送り出してくれたし、その後の学校生活でも仲良くしている。

 父が2ヵ月で退院し、その後なんやかんやでもう2ヵ月ほど本調子ではなかったが、今はもう完全に業務に復帰しているのに部活に復帰しなかったのも私自身が納得して決めた事だ。


 ウチの優しい顧問の事である。

 私が今から部活に復帰したとしても次の県大会、団体戦はともかくとして個人戦の枠は私に当ててくれるのだろう。

 本来ならば高校生活最後の大会ともなれば3年間の集大成となろうが、そもそも私は2年の時に家の都合で部活から離れていたのだ。

 ならばその個人戦の枠は私ではなく、去年1年間、真面目に練習をしてきた2年生に当てられるべきだろう。


 他人は「余計な軋轢を避けて」とか「諦め癖が付いちゃって」と言うかもしれないけれど、少なくとも私自身は真面目にそう考えているつもりだ。


 そして父の急病で部活を辞めなくてはならなかった私に対し、すでに就職していた歳の離れた姉が父が復帰した頃に申し訳なさそうに買い与えてくれたのがTWゲートウェイだった。


 ゲーム会社に就職して進捗が遅れ気味の時などには深夜の夜食と明日の朝食なんかを買いにウチのコンビニに買い物に来た時なんかに私がレジに立ったりすると姉は本当に申し訳なさそうな顔をしていたものだけれども、父からはしっかりとバイト代は貰っているし気にしなくていいと言ってもそれでは気が済まないと、父が復帰し私が暇になった頃に高価なゲーム機を買い与えてくれたのだ。


 でも、その頃にはすでに私に諦め癖が付いていたのだろうか?

 姉から買ってもらったゲーム機で始めたファンタジーMMORPG「剣と魔法と貴方の物語」に私は熱中する事ができなかった。


 なにせ「剣と魔法と貴方の物語」はすでにオープンからすでにけっこうな時間が経っていて、なんというか独自の文化が出来上がってしまっていたのだ。

 そのゲームにおいて魔法の詠唱などの時に必要な呪文を自動的に脳内に記憶してくれるシステムがあったのだが、いわゆるガチな方々の間では「自動記憶システムに頼らずに自力で呪文を憶えて詠唱する」というハードコア路線が流行していて、それがいわゆる人権プレイとなっていたのだった。


 一方、後発組の私からすれば「なんで、あるシステムを使ったらあかんの?」と思ってしまい、ガチ勢の人たちに付いていけなくて、結局は1ヵ月も経たずにプレイするのを辞めてしまっていたのだ。


 でも、部屋の隅でしばらく埃を被っていたTWゲートウェイが再び冷却用ファンの轟音を立てているのには理由がある。


 ゲーム会社「VVVRテック」に就職していた姉が初めてディレクターとして抜擢されたタイトル「鉄騎戦線ジャッカルOnLINE」が本日の正午に正式サービスを開始するのだ。


 姉の年齢を考えればディレクターとしての起用は大抜擢と言ってもいいだろう。

 もちろん大作タイトルということもあり姉は複数人いるディレクターの1人で、さらにその上にチーフディレクターがいるとはいえ快挙といってもいいのではないだろうか?


 そういうわけで私も妹として、姉がディレクターを務めるゲームを応援するつもりで久しぶりにゲーム機を起動させていたのだ。


 そろそろゲーム機本体のアップデートと「鉄騎戦線ジャッカルOnLINE」のゲームクライアントのダウンロードも終わるだろう。


 時刻は11時58分。

 そろそろ頃合いかと私はVRヘッドギアを被ってベットに横になる。


 すぐに更新やダウンロードも終わり、私の視界一杯にTWゲートウェイのロゴが現れて四方八方へと動き始め、やがてロゴが立体的に見えるようになった頃、私の手足からは感覚が薄れていき、そして次に気がついた時には私の意識は仮想現実の世界へと移動していたのだった。




「ええと、うん? もう名前とか生年月日は登録されてる? ああ、ゲーム機本体に登録してあるのがデフォルトで出てくるのか……」


 私の目の前にいきなり現れた青色の半透明のガラス板のような情報入力ウィンドウに面食らうものの、そういうえば前にやっていた「剣と魔法と貴方の物語」もそうだった事を思い出す。

 もちろん名前や生年月日、メールアドレスを変更する必要は無いので次へと進む。


「次は私自身のアバターか……」


 続いて現れたのはゲーム世界での私自身となるアバター。

 デフォルトでは私自身の脳内から読み取った自分のイメージが参照されているが、これも変更する事ができる。


「とりあえず髪の色だけ変えとこうかな?」


 本心でいうと、控えめな胸のサイズやらを弄り回してボンキュッボンのナイスバディーにしてやりたいくらいなのだけれども、そんな現実の私とかけ離れたスタイルではリアルの知り合いとゲーム内世界で出会ってしまったら恥ずかしすぎるので止めておく。


 とりあえずは髪の色を黒から金に変えておくだけにする。


「ユーザー補助AIを選択してください? ああ、これがか……」


 ファンタジー物のMMORPGなんかだと生身で切った張ったを繰り広げる事になるわけで、チームプレイだと他のユーザーとの距離感は近い。

 対して巨大ロボットのコックピットに乗り込む事になる「鉄騎戦線ジャッカル」だと他のプレイヤーと通信ができるにしても、どうしても孤独感を感じてしまうものらしい。


 独りでコックピットにいると間が持たないというか、作戦次第ではじっとコックピットで敵が来るのを待つというのもあるわけでそのような時にも退屈をさせない話相手として用意されているコンパニオンNPCがユーザー補助AIなのだという。


「どうしようかなぁ。イケメンでもいいけど、四六時中、一緒にいるわけだと疲れちゃうよねぇ……」


 相手は実体を持たないAIが担当するNPCとはいえ、やはりVR世界で接するとなれば過度なイケメンは気疲れするだけだ。

 別にイケメンが嫌いなわけではないのだけれど、ここはもっとフランクに接する事ができるビジュアルの子にしよう。


「ああ、この子にしよう……」


 姉の話だとユーザー補助AIは基本が100体近い上に、諸々の性格パラメーター調整の結果、同じAIはほぼ存在しないくらいのバリエーションがあるらしい。

 私が適当にAIたちのバストアップ写真が表示されているウィンドウをスライドさせてこれはと思える子を選択するとすぐに私の目の前にたった今、選択したばかりのNPCが現れていた。


 濡れ烏のような艶のある黒髪に同色の瞳。

 背は低く、中学生くらいだろうか? 柔らかそうな頬にはニキビやヒゲを剃った後などは微塵も無い。

 そんな幼さの残る外観に反して着ている物はいかにも近代物の映画なんかで見るような執事そのものの燕尾服。


 イケメン相手だと気疲れするとは思うが、ショタ可愛い男の子ならば話は別だ。


 やがて私の担当AIは柔らかな微笑を浮かべて口を開く。


「初めまして! 獅子吼シシク玲緒奈レオナさん! 貴方の新しい世界での円滑な生活をサポートさせて頂きますマモルと申します」


 明らかに女性声優が声のサンプリング元なのであろう鈴を転がすような可愛らしい声は外見のイメージそのものと言ってもいい。

 その辺に姉が関わっているかは分からないけれど、ロボット物のアクションゲームでこういうゲームの本筋ではないところも気合の入った作りだとゲーム本編も期待が持てるような気がするものだ。


「それでは、まずは最初にゲーム内で使われるハンドルネームを設定しましょう」

「ええ、それじゃ『ライオネス』で」


 その名前は私の本名からイメージした名前であり、まだ高校の部活動を続けていた頃に名乗っていたリングネームでもあった。

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