番外編 湯けむり温泉殺人未遂マフィア撲滅爆破解体新婚旅行・中

旅行二日目の朝。

一行は朝粥を中心にした中華風の朝食を食べ、窓から見える温泉街の美しい景色を堪能した後、観光へと出かけた。ちなみにセオドアは顔面が凶器じみているのでサングラスをしている。ここは眼鏡もサングラスもあるタイプの異世界なのだ。

少し町外れへ行った場所にある間欠泉から熱湯が吹きあがるのを見物したり、温泉の湯気で調理された小ぶりな蒸しパンを食べたり、飲むと体に良いという温泉水を飲んでリーナがウェッという王妃にあるまじき顔をしたり、一行は和やかに温泉街を堪能する。

名店のVIP席で名物だという蒸し料理のフルコースを食べて身も心も満足し、そろそろ王城に送るお土産でも買おうかと、凝った刺繍の手鞠がいくつも飾られたお高めの土産物屋へ入ろうとしたその時、事件は起こった。

三軒隣の観光客向けらしい料理店のほうから、悲鳴が上がったのだ。

四人とレニーの腕の中のテディは顔を見合わせ、お忍びの貴人の身でありながら、ノコノコと野次馬に混じって料理店の様子を眺めにいく。

騒ぎの元凶は大変わかりやすかった。テラス席で食事をしていたらしい黒髪の男が顔を真っ青にしてテーブルに突っ伏し、その連れらしき金髪の男が店員を怒鳴りつけているのだ。


「おい! 何とか言ったらどうだ! テメェの店のもんを食ってこうなってんだぞ、毒でも入ってんじゃねえのか!?」

「いえ、そんな、それに他のお客様はなんとも……」

「あ゛あ゛!?」


という様子をしばらく観察し、セオドアは口元を片手で軽く覆って、傍に控えていたキースに囁きかけた。


「あの男に毒を飲ませた下手人は?」

「あのよく騒いでいる鼻がドアノブみたいな男ですね。計画的な犯行のようですし、怯えも少ないので、怨恨ではなく、毒物の混入で店の評判を落とそうという地上げ屋かなにかでしょう」

「なるほど」


犯罪者を貶すことに対してためらいがなさ過ぎる部下がさらっと入れた暴言に気を取られることもなく、セオドアは頷きを返した。

人の感情が見えるキースにとって、こういった現行犯はそれこそ一目で理解できるため、非常に話が早いのだ。


「ただ、毒の分量を間違えているようです。あのまま放置すると、倒れている男は1時間ほどで死ぬかと」

「せっかくの旅行だというのに、こうも近くで人死にが出ては縁起が悪いな。仕方ない」


ため息をついたセオドアは、サングラスを外してその顔面を衆目に晒した。

普段リーナから、顔が良すぎてその場の輝度が上がるだの、肖像画を描き切れなくて画家が全員筆をへし折る前に早く博士にカメラを発明してもらうべき、だのと讃えられている顔面の良さは伊達ではない。

近くでその顔を見てしまった野次馬が腰を抜かし、近寄られた店員とチンピラも、美の暴力に怯えて手を取り合って乙女のように震えた。

その間キースとレニーが失神している男の様子を観察し、症状から使用された毒物の種類にあたりを付け、これなら一般的な解毒剤と回復薬の投与で十分だろうと処置をしている。

ちなみにリーナは推しの姿をぽあっとした顔で眺めていた。

魔王同伴でこういった暴力では解決し難い問題に直面した時、自分の出番ではないと察すると、大概彼女はこういう顔になるのである。適材適所という言葉に対して理解の深いタイプの脳筋なのだ。

セオドアは生まれたての小鹿のようになっているチンピラの目の前に立ち、逸らされそうになる顔を掴んで自分を見るよう固定した。


「この男に毒を飲ませたのはお前だな」

「ヘァ……」

「料理に毒が混じっていると言いがかりをつけ、店に損害を与えるつもりだったのではないか」

「ハィ……」

「卑劣な犯罪だ。しかし手際が悪いな。そこの男は死にかけていたようだぞ。個人でこのような真似をするとも思えん。一体何と言う組織に属しているのだ」

「スゥ一家っていいます……」


真正面から美貌とカリスマ性と強者の覇気を浴びせられたチンピラは、それだけ言うのがやっとという有様で、顔を離されるとその場にへなへな座り込んだ。

少しずつ慣らすことをせず急に至近距離で魔王に詰め寄られると、大抵の人間は自我が一時的に崩壊するのである。

面と向かって対話ができる、という理由だけでリーナが王妃候補に選ばれたのも納得の、理不尽なまでの破壊力を有している顔を再びサングラスで隠し、セオドアは少し声を張って周囲に語り掛けた。


「誰か、自警団かなにかへ連絡をしてくれ。この男を引き渡したい」


その声に、慌てて野次馬をかき分け、一人の青年が一行の前へ現れた。

いささか不良っぽく服を着崩した青年は、顔つきは真剣そのもので、緊張しながらセオドアに話しかける。あの一連の流れを見てその行動ができるあたり、なかなか肝が据わっているようである。


「どこのどなたかは存じませんが、助かりやした。この狼藉者については、ロウ一家が責任をもって預からせていただきやす。どうぞ、よろしければ宿を教えていただけますか。うちの親分なら、後で必ず礼を届けるとおっしゃるでしょうから」


使命感に溢れた青年の様子に、セオドアはそれには及ばないと言おうとして、ふと思いとどまり、一連の事件をそばで眺めていたリーナへ視線を向けた。

脳筋の妻は、頭脳派もこなせる夫をきらきらとした目で見つめていた。これは推しへのときめきと、年末特番の警察24時を見るときの野次馬的好奇心が入り混じった顔だ。

ヤクザだかマフィアだかの縄張り争いをナマで目撃し、なにこれ漫画みたいと面白がっているのである。

ちなみに彼女の横ではレニーが好奇心100%の顔をしている。


「……逗留先は竜蘭酒店だ」

「へい、ありがとうございやす。後程改めてお礼に伺わせていただきます」

「そう気を遣わずともよいのだが……。まあ、宿のほうへは客が来ると伝えておこう」


というやり取りをしたのち、一行は改めて民芸品や銘菓などの土産物を買いあさり、セオドアがそれを王宮へ転移魔法で即日配送して、宿へと戻ってきた。

ひと風呂浴びて観光の疲れを取り、夕飯の時間になるまでだらだら景色でも眺めて過ごすか、というタイミングで、セオドアを訪ねてきた者が居ると女主人のシュンランが報告に来る。

来客は勿論昼間に関りを持ったロウ一家だ。

わざわざ現当主とその側近が来たということで、気さくな魔王夫妻はサクサクと出迎えに行きかけたのだが、さすがにキースから待ったがかかった。

大広間に一応の謁見の体裁が整えられ、ロウ家当主のロウ・リンジュと、リンジュの補佐役のラン・フーシンが通される。

魔王サイドは気楽なものだが、ロウ家サイドはこの時点で死ぬほどの緊張を強いられ、胃を痛めながら入室したことは言うまでもない。


自分達の縄張り内に現れた犯罪者を観光客が捕まえてくれた、ということで、ロウ一家は当初、親切で勇敢なカタギさんがいるもんだなあとニコニコしながらお礼の品を準備していた。

しかし、件の人物がこの由緒ある温泉街でも1、2を争う老舗高級旅館を、まるまる貸し切って泊まっている権力者であると知った時点で、彼らの顔面は蒼白になった。

現場を目撃していた若衆の証言からして、只者ではないことは分かっていたが、さすがにそんな高位貴族か大商人のような人物が地上げ屋の心を折って事を収めるなどというのはイレギュラーが過ぎる。

あるいはお忍びで観光に来ていた、魔人の国あたりの遠方に住む有力マフィアかなにかなのでは、とロウ一家は考え、ますます顔色を悪くした。

当然のことながら誰も、一国の国王夫妻がたったの4人プラス一匹で新婚旅行に来て、事の成り行きで適当に犯罪者を締め上げたなどとは考えない。彼等はマフィアだがあくまで地域密着型の真面目な集団なのである。


そんなわけで、ロウ一家はやべえ集団の元締めに迷惑をかけたお詫びの品として、精一杯の宝物を準備して即座に詫びに訪れたのだ。

ごく少数でお忍びの旅行へ来ているということは、騒がしい事は好まないのかもしれない。と気をきかせ、大人数で詰め掛けずたったの二人でこの場に訪れたロウ家当主とその補佐役の度胸は、なかなかのものである。

魔王夫妻一行は、代替わりしたばかりだというわずか12歳の当主が精一杯に背筋を伸ばして礼を言うのを、あらあらこんなにちいちゃいのになんてしっかりしたお子さんでしょう、と微笑ましく見守った。ほぼ親戚の子に対するおじさんおばさんの視線である。

これ以上怯えさせないようにと、全員が可能な限りにこやかに柔らかく対応をし、お茶とお菓子などでおもてなしをした甲斐あって、なんとか地元マフィアのボスであるリンジュくん(12)と補佐役のフーシン(42)の顔に浮かぶ緊張が薄まってきた頃、そわそわしていたリーナがふと口を開いた。


「この温泉街は貴方がたロウ一家の尽力により治安が良いと聞いていたが、あのスゥ一家というのは一体どうしてあんなに我が物顔で振舞っているんだ? あ、別に二人を責めようというんじゃない。何事にも例外というものはあるだろうから」


目つきの鋭すぎるリーナに質問され、しっかり者のリンジュ少年は一瞬びくりと肩をすくませたが、怯えさせないようにとおろおろ手を動かす彼女の動きで本当に責める気はないのだろうと気付き、幾分ほっとして返答をする。


「はい、お恥ずかしながらわたくしが当主となり、この町は手出しがしやすいと侮られたのでしょう。ほんの少し前にスゥ一家という他の町を拠点にしているマフィアがやってきたのです。それからは一等地に店を構える者を立ち退かせようとああいった行為を繰り返しておりまして……。幸いまだ実際に立ち退きに至った者は居ませんが、我がロウ一家は武闘派というわけではないもので……、いささか難儀しておりますが、総力を挙げて対処しているところです」

「なるほど……、苦労しているんだな。確かにこんなに魅力的な場所なら、そういった面倒ごとにも巻き込まれるのだろう」

「ええ、最近も、町が共同で管理していた景勝地の権利を買い占めようと、わたくしや土地の有力者に圧力をかけてきておりまして。知名度はいささか低いですが、素晴らしい場所ですから、なんとかあの狼藉者どもを追い出そうと頑張ってはいるのですが……」

「……なに?」


景勝地、という言葉に反応し、セオドアがぴくりと眉を動かした。


「ひょっとしてそれは、滝の近くの大枝垂桜では……?」

「は、はい。他の観光地と違って町から離れている、知る人ぞ知るという場所だったのですが、どこからか話を聞きつけてきたようで……」

「……そうか。あの場所には花の盛りの時期に訪れたことがある。素晴らしい場所なので妻にも見せたいと思っていたのだが……」


そういうセオドアの顔は、リーナにしか分からないが、明らかにしょんぼりとしていた。

彼女はなぜかセオドアに会った当初から、わかりにくいこの男の表情を的確に読むことができる。多分オタクの執念のなせる業なのだろう。

そのリーナの目を通して見ると、この普段よりほんの少しだけ眉尻の下がった表情は、そうとうなしょんぼり具合であると断言できる。あの綺麗な景色をリーナや一緒に来た二人とテディさんにも見せたかったんだけれどな。なんなら来年も来たかったのに、そんな大変なことになっているなんて思わなかった。という顔だ。

愛する夫のそうそう見せることのない悲し気な表情に、リーナの瞳孔が興奮とマフィアに対する怒りで広がった。

放置しておくと一人で件のマフィアを潰しに行きかねないオーラを放ち始めた妻の様子に気付き、セオドアはふむと人差し指で顎を撫で思案した。

それから、客人と魔王の間に控えていたキースを、軽く指先を曲げる動作で近くへ呼び、声をかける。


「外へ出て密偵を呼んでくれ。ついて来ていただろう」

「ただちに」


簡潔に応えたキースは軽く頭を下げてするすると素早く優雅に退室し、すぐに一人の覆面を付けた男を連れて戻ってきた。

覆面の下で冷や汗をかいているこの男は、人間の国がこっそりこの地へ放っていた密偵の一人である。

議会へ問題なしと報告し、そこから魔人の国へ手紙が送られたのち、急にどこぞの行儀の悪いチンピラマフィアが町へやってきてしまったため、慌てて再度送り込まれたのだ。

魔王夫妻一行の逗留先や訪れる店に先回りしては、怒りを買いかねないような人間がいないか、ヒヤヒヤしつつ目を光らせていた密偵集団の長であるこの男は、防ぎ損ねた殺人未遂地上げ屋の件でクビを切られかねない将来に絶望し、遠い目をしつつ旅館の庭に潜んでいた。

そこへキースから当然のような顔をして声を掛けられ、死にそうな顔でこの場に連行されてきたのである。

べつに魔王と側近にこの男をいじめる意図は無いのだが、一国の国王から呼び出されて緊張しない人間などこの世にそうそう居ない。

他国のいち密偵でありながら魔王と急遽会話するはめになった密偵は、今日が命日かもしれないと覚悟を決めつつ、王族への礼を行った。


「ひとつ聞きたいことがある。スゥ一家という者達は一体どのような集団だ」

「は、最近急激に勢力を増しているマフィアです。違法な薬物の売買や強引な地上げなどを行っており、現在摘発のための準備を進めておりますが、末端の構成員を違法行為で捕まえても組織内部の情報は持っておらず、その上なかなかの武闘派でして、強引に事を進めることも出来ずに現在へと至っており……。この度は、このような些事に御身を煩わせ、申し訳のしようもございません」

「そう畏まらずともよい。あくまで今回はごく個人的な旅行だ。そのぶん問題も起きようが、それも旅の醍醐味と楽しむつもりで来ている。

まあそれはともかく、スゥ一家というのは凶悪な犯罪者組織だということでよいのだな」

「はい、こちらのロウ一家のような地域の治安維持も担う部類の集団ではなく、違法行為によって利益を得ているマフィアです」

「わかった。ではそのスゥ一家とやら、俺が滅ぼしても構わないか」

「……はい?」


急な展開に、一応ベテラン密偵として長年働いていた男は、返答に窮して間の抜けた声を発しながら固まった。

リーナが現れて以降、こういう顔を魔王夫妻のせいでさせられている人間を見る機会の増えたキースは、手慣れた様子で男の肩をポンと叩いて気を取り直させる。

それでスイッチでも入れられたように再び動き出した密偵は、おそるおそる魔王へ声をかけた。


「ほ、滅ぼすというのは……」

「本拠地に殴り込んで構成員一同を倒してくるから、そこをそちらで捕縛してくれ。あとはいくらでも尋問するなり家宅捜索するなりして証拠を集めれば良いだろう」

「そ、それは可能ですが、その」


急に武闘派マフィアを全員シメるから捕まえろなどと言い出した一国の王に対して、当然のこととして口籠った密偵に、キースはシレッとした顔で上司の発言への補足をする。


「大丈夫ですよ。そちらの上層部へは貸しがありますから、この程度問題になりません。ついでに貴方がたの進退に悪い影響の無いよう口添えをしておきましょう」


キースの顔には、厄介ごとに巻き込まれた密偵に対する慈愛の表情が浮かんでいた。

苦労性の彼は、こういう人間に対して非常に優しいのだ。だからといって必要以上に情けを掛けるかといえば話は別だが。

というわけで武闘派凶悪犯罪者集団への襲撃が決定し、事の成り行きに唖然とする地域密着型任侠系マフィアの少年当主とその御付きに対して、魔王は泰然とした表情を向けた。


「そういうことにした。明日の朝にでも片付けておくから、町に入り込んでいるスゥ一家の者どもについては、そこの男や自治体の自警団と協力して捕らえると良い」


なんてことのない様子で言う美丈夫と、その横でカチコミが楽しみでニコニコしている目つきのヤバい夫人に、客人二人は慌てて頭を下げた。

レニーは殴り込みをスポーツ観戦気分で眺めるべく、宿にツマミと酒の手配を頼もうと決めてテディと共ににっこり微笑み、キースはいい加減こんな事態にも慣れたため、早く温泉入って寝てえなと考えていた。

そのノリについていけない可哀想な人々を置き去りに、こうしてマフィア撲滅爆破解体作戦が開始されたのである。

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