第12話 剛速球コミュニケーション

「ターゲットは断崖の横穴を巣にしている海龍だ。海龍と言っても水棲ではなく、水を操る魔法に長けているというだけで、あとは他のドラゴンとそう生態は変わらない。

まず俺が挑発して巣からおびき出すが、お前だけで倒してみろ。攻撃はなるべく受け止めたりいなしたりせず避けるように。以上だ」

「わかった」


私が返事をしてすぐに、魔王は自分の体内の魔力で周囲の魔力を巻き込み、それを断崖の上に叩きつけた。

魔力を感じる機能が比較的鈍い人間の私ですら、強く波打つ魔力の流れを感じる。

モンスターならより顕著に、瀑布のようなそれを感じ取ったことだろう。

縄張りを荒らされた海龍は、何重にも重ねた金切り音のような独特の咆哮を上げながら、巣を飛び出してこちらへ向かってきた。

このままだと魔王に攻撃を仕掛けるだろうから、その前に私が全力疾走で距離を詰め、ワイヤー付きシャベルを投げ槍のように投擲する。

真っ直ぐな軌道は当然避けられるが、引き寄せる際に手首のスナップでワイヤーを鞭のようにしならせ、海龍の首をシャベルの側面で掠めるように攻撃する。

2、3度そうすると、鬱陶しくなったのだろう海龍がホバリングし、こちらに向けてブレスを放ってきた。


私は空を飛ぶ海龍の真下めざして走り、助走をつけて勢いよくジャンプをした。

踏み切った地点の数歩後ろにブレスが着弾した爆風を背に、空中へと舞い上がる。

最高点に到達して落下し始める前にぐるりと体を回転させ、その反動を使ってシャベルを海龍の尾めがけて投げつけた。

ワイヤーが尾の根本に巻き付く動きに引っ張られ、私は振り子のように空中を振り回される。

その反動を利用し、丁度良い地点でワイヤーを手放して左の翼に飛び乗り、根本付近の骨を殴りつけた。

当然振り落とそうとして、海龍は空中で左回りにぐるりとその巨体を横回転させた。

私は滑り落ちながら翼の先端まで移動してそこを掴み、回転の遠心力を利用してふわりと空中へ再び飛び上がる。

翼を離した瞬間腕の力で方向を多少操り、海龍の飛んでいく軌道を計算して、今度は右の翼に降り立つ。

そちらの骨も殴り折ってしまえば、後は早い。

かろうじて滑空は出来る程度に手加減をしてやったから、海龍は広い草原を抉って不時着した。

ずしりと体中に響く衝撃。これでどうにか潰れず着地できたし、相手も同じ土俵に立たせることができた。


私が海龍の背骨を折るより早く、金切り声の咆哮と共に、周囲に青白く光る水の弾が無数に浮かぶ。

そこから吐き出されたのはウォーターカッターだ。

海龍自身の身体は傷付けず、私にだけ殺傷力を保つ都合のいい無数の刃を、身を低くして走りながら躱していく。

絶対に当たってはいけない。

緊張でこめかみから冷や汗が流れた。

これが一つでも当たったなら、推しも怪我をするのだ。

もしも腕でも吹き飛んだなら、彼は顔色一つ変えずに自分の腕を切り飛ばすだろう。

治るのだから問題ない。と言って。

少なくとも私が知る「セオドア・ハートフィールド」はそうだ。自分の言った言葉を曲げるということが無い。

そして、少し離れた場所でこちらを見ているセオドア・ハートフィールドだって、きっとそうだろう。


水の刃の弾幕は分厚くて攻撃に転じる余裕がない。

とはいえどんな攻撃とて無限に放ち続けられるものではない。

私はひたすら足を止めず、走り回り続ける。

翼を捥がれて地に落とされた海龍はご立腹だ。私を殺さないことには気が晴れないだろう。こちらの動きを追うぎらついた視線をひしひしと感じる。

水の刃は少しずつその数を減らしているし、私はネックレスの効果で体力を回復しているが、一筋たりとも怪我をしないという条件のもとでこの巨体に消耗戦を挑むのはなかなか骨の折れる作業だ。


水の刃が目で追える程度の数になってきたところで、私は逃げ回っていた方向を転じて海龍の頭に殴りかかった。

脚にぎちりと力を籠め、けれどどこにでも動けるだけのしなやかさは失わないように。

殴りつけ、すぐに距離をとり、別方向から再び攻撃。

一切足を止めずヒット&アウェイを続ける。どうしても一撃が軽くなってしまうから数を入れるしかない。

相手がリズムに慣れて牙で迎え撃ってくる前に、段々と速度を上げて。

ほとんど打撃音が途切れず聞こえるようになったあたりで、ようやく水の刃が飛んでこなくなった。

虫の息になった巨大生物は、こんな目に遭わせた張本人の私からしたって可哀想だ。

せめて今すぐ楽にしてやるからな。

私は全力の一撃をその脳天に叩きこんだ。


ざらりと崩れて消えるように、海龍が魔力でできたキラキラした粉へと変わっていく。

後に残されたのは数枚のウロコだけだ。一枚、特別大きいものもある。多分レアドロップだろう。博士が喜んでくれそうだ。

顎からぼたぼたと汗が滴り、大きく息を吸い過ぎて喉がひりつく。

何で水持ってこなかったんだ。パンしかねえ。

後悔しつつ仕方なく中級回復薬を一口飲み込めば、喉の痛みも酷使した脚の鈍痛もすぐに回復した。

振り返ると、ちょうど魔王がこちらへ歩いてきたところだった。

一歩半の間合いを開けて止まった魔王は、私の頭の天辺からつま先までを観察し、指先をすいと動かして「後ろを向け」の指示を出す。

それに従って背中側も見せ、もういいぞという声に従って再び正面から彼を見た。


「今のは良い戦いだった。相手からの攻撃をきちんと見切れていたし、地上からの攻撃にこだわらず空中で敵を叩き落とす判断をしたことも評価できる」


魔王の視線は相変わらず、気弱な相手なら射殺しそうなほど鋭いが、やればできる子なんだなあと思ってくれているらしい事がうかがえるので大変嬉しい。

気を抜くとえへへと笑ってしまいそうなので、唇をぎゅっと真一文字に結んで頷きだけ返す。

そっけない返事に気を悪くするでもなく、魔王は頷き返して言葉を続けた。


「良い戦いぶりだった。では次に対人戦を行う。俺が相手になろう」

「えっ」

「なんだ。不満か」

「いやすごく嬉しいけれどちょっと待って心の準備が」

「では武器を拾ってくるついでに覚悟を済ませろ」

「はい」


そういうわけで海龍の尻尾があっただろう位置に落ちていたシャベルを拾い、すごすごと魔王のもとまで戻ってくる。

相変わらずの神様のような美貌だ。お肌なんて、この人だけ使われているテクスチャが違うんじゃないかというくらいにすべすべしている。顕微鏡で観察しないと毛穴が見つからなさそう。

これから推しが私に切りかかってくるのか。そうか。めちゃくちゃに格好良い姿を特等席で見れてしまうわけか。

そう思うと緊張と興奮で冷や汗が出てきた。

魔王はそんな私の様子に構わず、10歩ほどの間合いをとり、すっと長剣を持ち上げ構える。


「では行くぞ」


言うが早いか、たった一歩で魔王が私の目の前まで移動し、向かって左から横凪ぎに切りかかってきた。

私はそれをシャベルで下から打ち上げるように弾き返す。

神速と言っていい攻撃をいなされた魔王は、一瞬目を見開いた。

そりゃ元パン屋の小娘に世界最強の斬撃が一度とはいえ弾かれたのだ。意外だろう。

しかしながら私は魔王ガチ勢だ。クソのような長時間をゲームに費やして生きた女だ。

『ハーフ・サクリファイス』には、他のRPGにもよくある闘技場イベントが存在する。

ストーリーに関係なく、登場キャラクターとバトルをし、勝ったらレアアイテムが貰えるイベントだ。

勿論魔王もこのイベントに組み込まれていた。当然のように最高難易度のイベントでボス戦への登場だ。

私はこのバトルイベントを推し目的で数えきれないほど周回し、やり込み、最終的には全ての動きを暗記してRTAが出来るほどになってしまったので、推しにバフをかけて操作キャラにデバフをかけるという遅延行為をして堪能していた。


目の前で実際に戦っている魔王の動きは、ゲーム上の推しの動きとは当然それなりに違いがあるものの、おおまかな部分では似ている。

この世で最も魔王の攻撃パターンに精通していると言っても過言ではない私には、その動きがよく見えた。

再び魔王が切りかかってくる。

とんでもない速さの右袈裟斬り、一瞬のフェイントを入れた突き、胴を狙った横薙ぎを避けたと思ったら、素晴らしく長い脚が顎を狙って蹴りを放つ。

私はそれらを避け、時にシャベルで防ぐ。

余計なことを考えている暇はない。

目の前の動きに集中しているうちに、私はだんだんハイになってきた。


ああ、推しが私に切りかかってくるぞ。

楽しいな。

この世界でこんなに集中して彼を見つめたのは初めてかも知れない。

左下からの脚を狙った斬撃を避け、魔王が次の動作に入るための一瞬の隙と同時に、私は一歩前へ踏み込んだ。

ほんのわずかに重心が後ろへ移動した瞬間を狙って、長剣に右ストレートを打ち込む。

一秒にも満たない拮抗の後、すぐに体を斜めにずらしてあしらわれた。

魔王が腕をコンパクトに振る動きが視界の隅に映る。殴った勢いで前に出た私の後頭部を狙って、多分柄頭での打撃が来た。

それを伏せて避け、地面を蹴って間合いを取る。


体勢を立て直して着地する頃には既に眼前に長剣の先が迫っている。

一歩前に出て剣の間合いの内側に入り、比較的スピードの乗っていない鍔近くにシャベルを当てて勢いを殺す。

手にかかっていた重みが抜ける。魔王は長剣を手放した。私もシャベルを手放す。

半歩後ろに下がった魔王の、黒手袋に包まれた大きな手が固く握られ、拳が真正面に放たれた。

クロスカウンター狙いはどうしたって分が悪い。

リーチが違い過ぎる。

私はほんの少し首を動かして、眉間狙いの一撃を数cm横で受けた。

頭蓋骨の丸みに従って拳が滑り、多少は衝撃を受け流せる。

おかげで間合いを詰め切れた。

私が放った渾身のストレートは、魔王の顎に斜め下からヒットした。


一瞬魔王の動きが止まる。

私も痛みで意識が飛びかけた。

体勢を立て直すのは相手のほうが早かった。

至近距離から頭突きをかまされ、脳みそが揺れて平衡感覚が狂う。

地面に倒れた私が起き上がるより早く、魔王は手放した長剣の柄を握っていた。

きっとただ手放すのではなく、少し上に放って落ちてくる際の柄の位置を調整し、すぐ握れるようにしていたんだろう。

私の上に覆いかぶさるように立った魔王が、首元に刃を突き付ける。

その刃以上に鋭い視線が私を刺し貫いた。

彼の口元には、ほんのわずかな笑みが見える。

ああ、ここで殺されるなら、きっと行く先が地獄だとしてもそこは天国と同じだ。


「……素晴らしい」


呟いて長剣を鞘に納める魔王の姿に、そういやこれ訓練だったなと私は思い出した。


腕を掴んで立たせてもらった途端、緊張の糸が切れて吐き気に襲われた。

あと激しく呼吸しすぎてやっぱり喉が痛い。筋力は強化されても粘膜は強くならないのだから当たり前だ。

ゴヘゴヘ咳き込みながらありがとうございましたと礼を言う私の背中をさすり、魔王が私のウエストポーチから使いかけの回復薬を取り出してくれた。

ありがたくそれを受け取って飲み干す。

どうでもいいがこの人遠慮なくポーチに手を突っ込むから、ポーチ越しに若干尻に手が当たったぞ。一切気にしてないな。下心の無さがすごい。


「休憩にするか」


反論する理由が一切なかったので、私は頷いてその場に座り込んだ。

ひと一人分程度の間隔を開けて横に座った魔王が、ベルトにさした試験管のようなビンを一本こちらに渡してくれる。


「低級回復薬だ。案外うまい」

「わかる。ちょっと薄めたミックスジュースみたいな味がする」


妙にクセになる味がするんだよなあ。

私はポーチからパンを取り出し、一つをお礼に魔王に渡した。

きちんと包んでおいたので砂埃も付いていない。

黒手袋を外してふかふかのそれを受け取り、魔王は上品に一口ぶんをちぎって口にいれた。

もふもふと咀嚼し、飲み込む。


「うまい」

「よかった」

「お前が作ったのか」

「うん、今朝焼いた」

「そうか。宮での生活に不満は無いか」

「生活水準が上がり過ぎてビビってるけど、ごはんが美味しいから嬉しい」

「それは良いことだ。腹いっぱい食え」

「そうする」


中身のない会話に癒されるなあ。

推しが上品なので、私もロールパンを丸かじりせず一口分ずつちぎってもふもふ食べ、薄いミックスジュースみたいな薬を飲む。

草原を渡ってくる涼しい潮風は、どこかに生えているらしい香草のすっきりする匂いを含んで爽やかだ。

緑が風に揺れてざわざわさざめき、崖の向こうの水平線は傾いてきた太陽の光を浴びてキラキラ輝いている。

もう少ししたならもっと空が暗くなり、西日を受けて雲が金色に輝き始めることだろう。


そういえば私いま推しとピクニックしてるな。

唐突にそう気付いたが、思いのほか緊張はしなかった。

むしろ、どちらかというと落ち着いている。

バターと小麦だけの美味しいけれど飾り気のない味のパンを食べ、わりと美味しいからという理由で水薬で喉を潤す、そっけない状況だからだろうか。

それとも河原で殴り合って友情が生まれるような効果でも起きたのだろうか。

城で見ていた時より、どことなく気の抜けたような表情に見える魔王の横顔を盗み見ながら、私はこの時間がもうちょっとだけ続けば良いと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る