第11話 肉体言語バカンス

なんだかすごい夢を見ていたような気がする。

朝起きたらこれまでの人生でぶっちぎりの一番と言って良いレベルの、最高に最適なふかふか具合のベッドに寝ていた。

毛布もシーツもさらさらふわふわ。枕カバーからはお花のいい匂いがする。

窓の外では小鳥がチュンチュン鳴き、風に揺れる木漏れ日が窓辺から部屋の中へ優しくふりそそいでいる。

あまりにも優雅な目覚め過ぎて一瞬自分が知らぬ間に死んでいた可能性を疑ったが、そういえば魔王の城にお世話になっているのだった。


あまりの生活レベルの違いに呆然としつつ、上品に家具が置かれたやたら広い客室の中を無意味にうろうろさまよった後、私は風呂場へ行ってシャワーを浴びた。

昨日は疲れ果てて半ば朦朧としつつ食事をしシャワーを浴びて知らない間に寝ていたが、改めて理性のある状態になると、10日前の自分とはあまりにかけ離れた環境に、何か夢でも見ているのではないかという気分になってくる。

おそらく魔王に協力を取り付けるという難関を超えたことにより、ある種燃え尽き症候群のような状態になっているのかもしれない。

これはいけない。

私は身支度を整え、右手にメリケンサックを握り、家具が少なくて動きやすい部屋の中で拳を千回ほど振った。

風切り音が良い具合に研ぎ澄まされたあたりで、同じく起き出して朝風呂を終えたらしい博士が呼びに来てくれた。


「リーナー、女中さんがごはん持ってきてくれたっすよー」

「ああ、ありがとう。すぐ行く」

「朝から鍛錬なんてえらいっすねえ」

「いや、あまりに快適な目覚めが過ぎたから、ちょっとものを殴る動作を体に思い出させて心を落ち着かせようかと」

「病んでいる……」


そんなわけで朝食だ。

パンかごにはふわふわ系からバター系、ハード系まで数種類のパンが盛られ、色々なジャムとバター、クロテッドクリームらしきものも用意されている。

皿の上にはハムとスクランブルエッグとアスパラガスに似た野菜をグリルしたものが上品に盛り付けられていた。

スープは重すぎずあっさりすぎないミルクスープで、こちらは海老とシャキシャキした野菜が入っていて、食感も楽しい。

魔人の国の植生は人間の国と若干違うので、知らない野菜が多い。サラダにも見たことのない葉野菜が数種類入り、あとはトマトやらぷちぷちした食感の豆っぽいものやらが入って、材料の良く分からないめちゃくちゃ美味しいドレッシングがかかっている。

それから何らかの柑橘らしいフルーツのジュースに、紅茶、ミルク。

理想的な朝食とはこういうものだぞと、平民の小娘の脳にも直で理解させてくるような美味しさだ。


「っあ~~~~~、ここでずっと暮らしたいっすー! それで庭にうちの子達を連れてきて毎日遊んで過ごすんだー!」

「わかる……」


研究の性質上必要に駆られてド辺境暮らしをしているが、べつに贅沢するのが嫌いなわけではない博士が、心の底からの叫びを放っている。私も同意しかない。

人間ある程度のストレスが無いと途端に駄目になるとは言うが、できるもんなら毎日遊んで暮らしたいし非課税の5000兆円が欲しい。そういうものだ。

しかしながらそういった暮らしは、黒幕クソ野郎をしばき倒さなければ訪れない。

安心して過ごせない生活はどんなに贅沢でも虚しいものだ。

今日は推しが戦い方を教えてくれるというハチャメチャにテンションの上がるイベントが待ち構えているが、はしゃいだり挙動不審になったりせず、心を平静に保って目的のために邁進するべきであろう。

私がそうしてウッキウキな心をどうにか静めていると、博士がふと、ジャム入り紅茶のカップ片手に壁の方を指さした。


「あっちの2つ向こうの部屋がキッチンになってるんすけど、今日そこにパン焼き用の道具と材料運んでもらったんすよ」

「ほんと?」


私は思わず弾んだ声をあげた。

そういえば数日前までは毎日焼いていたというのに、ここ最近は全くやっていなかった。

パン焼きたい。小麦粉を捏ねてモチモチにしてふかふかに焼いて、焼きたての香りを胸いっぱいに吸い込みたい。

半ば中毒症状のような思いが胸に産まれ、私はもぞもぞと無意味にろくろ回しの動きをした。


「焼いていいの……?」

「いいっすよぉ。今日の訓練は午後遅くかららしいんで、昼過ぎまではたっぷり時間あるっす。あれ、そういえばリーナって何かやることありました?」

「今のところ特に無い。あとは黒幕をぶん殴るのが仕事」

「じゃあこのへんでちょっと息抜きするのも良いと思うっすよー。この建物の中だったら好きに過ごして良いって魔王様も言ってたっす」

「あれ、そうだった?」

「昨日リーナが寝落ちた後に魔王様が来て連絡してくれたんすよ」

「えっ」

「そういやリーナのことベッドまで運んでもらったんすよ。今日会ったら魔王様にお礼言うといいっす」

「ヴァ゛ッ」


喉がひしゃげたような悲鳴が出た。

すまねえ推し。勘弁してくれ。大丈夫? 私よだれとか垂らしてなかった?

無様に失神じみた睡眠をとっているところを推しに見られた上に手間をかけさせていたという事実に、羞恥心と若干の喜びをミックスした申し訳なさで胸がいっぱいになる。

エウエウと声にならない声を上げている私に構わず、博士はテディさんのブラッシングをしている。涼しい顔が恨めしいようなありがたいような、なんとも言えない気持ちだ。

私は心を落ち着かせるために小麦粉をモチモチにしまくる決意をした。


キッチンには粉類と調味料、バター、卵、ミルク、それからパン種、各種調理器具が用意されていた。

ドライイーストが無い世界なので、パン種には果物や野菜を発酵させて作った酵母が使われる。

今回用意されていたのは干し杏で作った酵母だ。

私は綺麗に手を洗い、用意されていたエプロンを付けた。

博士は浄化装置作りをしているので部屋には私一人きりだ。

まずは粉類を合わせ、パン種、卵、ぬるま湯なんかを混ぜて捏ねまくる。

モンスターを倒しまくっていたおかげでパン屋時代より腕力が付いたため、かなり楽にモッチモチになるまで捏ねられるのが嬉しい。

バターを入れたら捏ねすぎないよう、表面がつるんとする程度に生地をまとめて終了。


調理器具の中に発酵器らしきものがあったので、これを使わせてもらおう。

下は分厚いざらざらした石製、上はガラス製という容器の中に、生地を入れたボールと熱湯入りのカップを入れて、片付けをしつつ数十分待つ。

しっかり膨らんだら取り出して小分けにして丸め、ちょっと伸ばしてから生地を休ませる。

その後改めて伸ばした生地をくるくる丸めて成型し、二次発酵。

モチモチふかふかしたものを触っていると、なんでこんなに癒されるんだろうな。

魔王城のキッチンは清潔で使いやすくてストレスが無いから非常に気分が良い。

まるまるとしたパン生地の表面にとき卵を塗り、しっかり暖めたオーブンにつっこんで、様子を見つつきれいに焼きあがるのを待つ。

ふんわりと広がる焼きたてパンの香りに誘われて、博士とテディさんがやってきた。


「あー! めっちゃ美味しそうじゃないすか! くーださーいなー!」

「好きなだけお食べ……」


可愛い。

片付けた調理台の上にお行儀よく座っているテディさんと、そわそわしている博士の前に、ロールパンを乗せた小皿と紅茶を置いてあげる。私はオーブン用の天板から手づかみで食べるから皿は無くても問題ない。

ツヤツヤふわふわでまだちょっと熱いパンをほおばると、バターの香りがふわりと広がる。

噛みしめるほどに小麦の甘さが口に広がって、へにゃりと表情が緩む。

魔王城で使ってる強力粉、精製の状態がめちゃくちゃ良いな……。どこの粉屋さんのだろう。もしかして自家製なんだろうか。

頭を使っているせいで甘みに飢えていたらしい博士は紅茶にジャムをどぼどぼ溶かし、けれどパンには何もつけずに味わってくれている。


「あー、美味しい! これ美味しいっす! ふっかふかだぁ……。このうえで寝たい……」


テディさんは稲妻のような速さでロールパンを平らげてしまい、切なげに空になった皿を見つめていたので、その上に一個追加してあげる。今度はぬいぐるみのような両手で持って大事にもちもちと食べ始めた。可愛い。


「ねえリーナ、パンってまだいっぱいあるんすか?」

「あと10個くらい」

「そっか。訓練の時これ持って行ったらどうすか? お昼食べてからそこそこ時間あるから、多分お腹すくっすよ」

「いいかもしれない。持っていく」


いいなあ。お外でパン食べたい。

ピクニックしたい。

今はそんな暇ないけれど、この戦いが終わったら私、バタールでサンドイッチ作って綺麗な湖畔のお花畑とかに行くんだ……。

具はたまごとハムとゆでたエビとポークソテーを挟んでゴリッゴリに食べ応え抜群にしてやる……覚悟しておけよ……。

どこに向けているのか分からない恨み言めいた夢を胸に抱きつつ、私はパンをいくつか油紙とハンカチで包んだ。


昼食に出たキッシュっぽい卵料理やミートボール山盛りのトマトパスタ、馴染みのない味だけれど滅茶苦茶に美味しいサラダなんかを、最高過ぎるここのうちの子になると騒ぎつつ二人と一匹で食べた後、キースが部屋にやってきた。

お腹いっぱいで幸せな私達は、女性の部屋に入るのはちょっととごねるキースを部屋の中へ引きずり込んでお茶とお菓子で勝手に持て成し、ついでに自分達も食後のデザートを頬張った。

キースはなんだこいつらという顔を隠そうともしない。

この男は人の感情が読める代わりに、自分の感情を隠すという発想にかけているのだ。

おかげで原作でも散々ボウヤ扱いされている。頭自体はめちゃくちゃ良いのに。

たいへん行儀が良いため不本意な状況でも礼儀正しくお茶を飲み、キースは話を切り出した。


「我が君の執務の状況にもよるが、本日の訓練はおおよそ3時間後に行われる予定だ。

迎えに行くので準備を整えておくように、とおっしゃられている。

回復薬はこちらから支給するので、装備品だけ持って行けば十分だ」

「おなかが空くかもしれないからパンも持って行っていい?」

「えっ」

「だめか」

「……かまわないが……」


めちゃくちゃ困惑されている。いやでも食料は大事では?

キースは咳払いをして気を取り直し、私から博士へ視線を移した。


「論文を読ませてもらったが……その、私には少々難解すぎた。後で数点質問しても良いだろうか。できれば装置の製作にも立ち会いたいのだが」

「ああ、いつでも見に来ていいっすよー。大事な魔王様の装備品っすからね。警戒し過ぎるってことはないっす」

「理解があって助かる。では私は仕事があるのでそろそろ失礼する」

「そっすか。ほらほらこの飴ちゃんも持ってくと良いっすよ。事務仕事には糖分が大事なんだから」

「待て、よせ、詰め込むなっ」


キースの服の、多分本来はペンなんかをしまうのだろう個所に遠慮なく飴ちゃんをねじこんでいく博士。

怯えるキースは女性相手なので強く反撃することも出来ず、おろおろとうろたえながらされるがままになっている。面白い。

ポケットをパンパンにされたキースが帰っていった後は、博士とテディさんは作業に戻り、私は昼寝をして英気を養ってから、ついでに瞑想もした。

心を落ち着ける必要があるのだ。

なにせ推しと二人きりである。

嬉しいと同時に、なんかもういっそ怖い。ころしてくれ。


しかし私のビビりまくりの心を置いて時間は過ぎ去っていき、ついに魔王がやってきた。

今日も昨日と同じコートタイプの装備を着込み、長剣を持っている。めちゃくちゃ格好良い。腰のベルトに付けられている試験管のような細いビンに入った回復薬までなんだかスタイリッシュに見える。

対して私は普段の丈夫な服にシャベルとネックレス、メリケンサックという装備だ。

さすがに着替えやら何やらも詰まった鞄丸ごと持っていくのもアレだったので、ウエストポーチっぽい鞄に貰った回復薬とおやつ代わりのパンを入れている。中にきちんと仕切りがあるタイプなので、パンが潰れることはないだろう。


「準備はできているか」

「問題ない」

「では移動する」


挨拶も抜きで魔王は即転移魔法を発動し、次の瞬間には私達は海辺の草原へと移動していた。

大きな刃物で切り刻まれたような特徴的な断崖から察するに、多分ここはゲームで海龍が住んでいた場所だ。

魔王は私を正面から見据え、深い低音で話し始めた。声が良い……。


「戦いというものを始めてそれほど経っていないからか、お前の動きは妙なクセが付いておらずシンプルだ。

力を入れるべきところ、抜くべきところを本能的に理解している。自分では気付いていないのだろうが、天才と言って過言ではない。

対人戦の経験が無いために駆け引きは慣れていないだろうが、この数日で無理に学ぶよりは長所を伸ばした方が良いだろう」


お褒めの言葉を頂いた。ちょっと照れてシャベルの柄をぎゅっぎゅと握る。


「しかし敵からの攻撃に無頓着すぎる。怪我を過剰に恐れないことは良いことだが、限度というものがある。

ある程度の怪我は薬や魔法道具で治るとはいえ、戦いの最中にあっては必ず適切な治療ができるとは限らない。後衛に回復役が控えていない状況で戦うなら、その考え方は直しておいたほうが良い。

だから今回は敵の攻撃を読むことに集中してもらう」

「……わかった」


言われた通り、私は確かに攻撃されても正面から突っ込んでいくし、怪我をした後も動けさえすれば構わないと思うタイプだ。

なんせこの世界はあまりに便利な回復薬がある。治り過ぎるのだ。

私だってシャワーを浴びたり寝返りを打つたびに体が痛くてしょうがない、なんて状況になるなら、怪我をしないよう今より気を付けていただろう。

けれど後遺症も何も残らない怪我なんて、ただ痛いだけだ。怖くもなんともない。

痛みに怯えて敵を仕留めきれないほうがよほど恐ろしい。

世界最強の推しからの指導なので勿論出来るだけ頑張ろうという気持ちはあるものの、果たして私のこの性格で、うまくやれるだろうか。

若干不安を抱えつつ返事をした私を見つめ、魔王は顎に人差し指を当てて少し考えた後、頷いた。


「ではこうするか。お前が訓練中怪我をしたなら、俺も俺の体の同じ場所に傷を付ける」

「どうして??」

「ある程度プレッシャーがあったほうが訓練に張り合いが出るだろう」

「なるほど??」


理屈としては少しわかったけれどなんで??

やめて??

もっと自分を大事にして……?

いくら回復薬があるとはいえ、そんなふうに無茶なことをしてはいけないぞ……?

推しがある種の効率厨だったことがここにきて発覚した。

そうして私は、推しが想定している千倍のプレッシャーを感じつつ訓練に挑むはめになったのだった。

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