つぎはぎの二人
◇
彼女が、燃えている。
眼前の光景は、悪夢というより他にない。
とうに沈んだ筈の太陽が再び登ったように、空は赤く燃え上がっていた。
いや、燃えているのは俺の家だ。
ひっきりなしに喚くサイレンの音と周囲のガヤがやけに遠く頭に響く一方で、黒煙と業火に包まれる家から、彼女の悲鳴がはっきりと聞こえる。
「待ってください、待って……! まだ中に人がいるんです!」
そこそこ大柄な俺よりもガタイのいい消防隊員が、彼女を助けようともがく俺を阻む。
「落ち着いてください!」
天へと昇っていく煙が彼女を連れていきそうな気がして、俺はがむしゃらに腕を振り回した。非力な腕が消防隊員に押さえつけられる。
「比奈……っ比奈ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
孤独な叫びが、明るい夜に木霊した。
◆
〈ひなドリ!〉
「いいなー、比奈も一緒に行きたい! デスティニーランド!」
小さな体躯に似合わぬ大きな声が部室に響く。
「あの二人、誤魔化そうとしてたけど絶対デートだよ! ずるいな~」
「そんなことより、『使命』はいいのかよ」
次いで、大木のような巨躯に似合わぬ小さな声が、空気を少し震わせた。
「うーん、最近は魔獣も大人しいしなぁ」
比奈は、人間を脅かす魔獣を封印する、魔法少女としての使命を背負った少女だ。それをサポートするために、この『魔法少女部』は存在する。と言っても、部員はその平中比奈本人と、幼馴染である背の高い少年、大塚大貴だけだが。
「魔法少女も、意外と暇なんだなァ」
「それより、かわいい比奈が暇してるよ! 早くなんか楽しい話してよ! それかデスティニーランド!」
比奈が、長いツインテールを揺らし机をバンバンと叩く。彼女のわがままに大貴が辟易するのが、魔法少女部のいつもの光景だ。
「俺は比奈と一緒にいるだけで楽しいけど」
「もう、大ちゃんったら。相変わらず平気でそういう事言うんだなぁ」
比奈の頬が紅潮する。
「比奈、顔真っ赤だぞ。熱中症になったらいかん。ほら、プカリスエットを飲め」
「あ、ありがとう、大丈夫……って違う!」
☆☆☆
「比奈、良かったのか?」
「ううん、本当は敵を見逃すなんて良くないんだけどね…」
夕暮れの決闘後。比奈と大貴は、戦いを止め銀河の遥か彼方に飛び去っていった魔獣に思いを馳せていた。
「ああいうやつも、いるんだな」
「うん。勿論あれが全てってわけじゃないけど……でもあの魔獣、とっても綺麗な瞳だった」
宇宙魔獣『ミラクルユニバース』は、自分の力で星々を旅するという、ただそれだけの願いを持った純真な魔獣だった。
「今頃、宇宙をその目で見てるかな……」
「ああ、きっと満足してるさ」
☆☆☆
「マジカルスパイラルフィニッシュ!!!!」
怒号と爆音。それから虹色の光が天に登り、そして静寂が訪れた。
「比奈!」
魔獣退治が終わった比奈に、大貴が駆け寄る。
「良かった、大ちゃん、生きてたんだね」
ふらつく比奈を、大貴は咄嗟に抱きかかえた。
「まず自分の心配をしろ! ……ったく、無事で良かった……」
「うん、すごい強かった……『ザ・ワールド』と『レインボー・タワー』……。時間止めたり視力を奪ったり、色々してきたし……。まあ、比奈はそんなもんじゃ止まらないけどね!」
「身長は止まってるけどな」
「失礼ね!」
軽口を交えながら、二人は荒野と化した公園を見渡す。
「改めて、壮絶な戦いをしているな…」
「でも比奈には魔法があるから! それに、大ちゃんもいるしね」
大貴は、何があっても、このか弱い幼馴染の心の平穏を守ろうと誓った。
☆☆☆
「こんなに戦って……まだ、続くんだね」
魔獣達の死骸の山の頂上に立ち、比奈が独りごちる。
「最後まで付き合うよ」
避難誘導を終えた大貴が、背後からのっそりと現れた。
「大ちゃん……ちゃんと、来てくれたんだ」
今にも泣きそうな比奈の顔に、僅かな笑みが浮かぶ。それを見て、大貴はポケットから2枚の紙切れを出した。
「あのさ、戦いが終わったら……行かね? デスティニーランド」
「本当に!?」
「ああ……二人でさ」
「ほわぁ~っ! 大ちゃん、大好き……!」
夕日が、屍山血河に伸びる二人の影を大きくするのだった。
◆
6月下旬。少し早い梅雨明けの風が髪を撫でる。デスティニーランド、ライド入り口の荷物置き場でその姿を見つけた俺は、比奈に駆け寄った。
「比奈、ごめんな、待たせて」
「ううん、大丈夫。大ちゃん、楽しい?」
「ああ。とっても楽しかったよ」
ジェットコースターを乗り終えた俺は、その足で比奈と合流した。絶叫系が苦手な比奈には、少しの間待っていてもらったのだ。比奈を置いていくのは忍びなかったが、どうしても乗りたかったのでやむを得なかった。
「比奈、暑くないか?」
日差しが強い。ポケットに入れた手が少し汗ばむ。
「そんなもん平気平気。比奈には魔法があるから」
比奈の扱える魔法は多岐に渡る。氷雪にも通じる彼女には、初夏の陽気など気にするべくもないのだろう。
「流石だな」
「それより一緒に『ワールドトレイン』行きたい!」
『ワールドトレイン』は汽車に乗り、世界中の風景を楽しむアトラクションだ。これなら確かに、比奈も一緒に乗れる筈だ。
「早く早く!」
「わかったよ」
比奈に急かされ、混み合っている列の後ろに付く。見たところ回転率がいいので、20分ほどで乗れるだろう。
「比奈と一緒だと待ってる時間も楽しいなぁ」
「もう、大ちゃんったら」
そんな感じで待ち時間は一瞬で終わり、俺達の番がやってくる。
「お兄さん、お一人様でよろしいですか?」
受付のお姉さんが俺に聴いてきた。こういう事にはもう慣れている。俺は巨体だし、比奈はその影にすっぽり収まってしまうほど小柄だ。その上、俺の醸し出す、いかにも一人ですみたいなオーラがそう認識させてしまっているのだろう。
「ああ、二人ですよ」
「デートだよ!」
比奈がひょっこりと顔を出す。かわいい。
「あ、し、失礼しました!」
慌てたお姉さんに、ポケットから手を出し、フリーパスポートを見せる。俺達は汽車の席に着いた。しかし、鞄を置くなり、比奈が少し不貞腐れる。
「こんなにかわいい比奈を見逃すなんて!」
「比奈が小さくて見えなかったんじゃないか?」
「失礼だなぁ」
『それでは、出発~!』
「ほら、発車するぞ」
軽快な車内アナウンスと共に、汽車が動き出す。
「ほわぁ~っ! あれ見て、すごい綺麗!」
出発とともに、プロジェクションマッピングによって周囲が無数の星を映し出す。
「星……」
それからも、汽車は舞台を地球に変え、世界中を次々と旅していく。
「楽しい~!」
「『ミラクルユニバース』のことを思い出すな」
ギアナ高地、ナスカの地上絵、ウユニ塩湖……。車窓の先に見える美しい風景の数々に圧倒され、ついつい比奈がいることも忘れ、スマホのカメラを構えてしまった。
「来てよかったな、比奈」
「うん。大ちゃんと来て、本当に良かった」
「また連れてくるよ。約束する」
景色が加速していき、俺と比奈、二人の世界が広がっていく。
そう。俺と比奈はずっと一緒だ。たとえ、全てが終わったとしても……ポケットの中の手を、固く握りしめた。
奈のデスティニーランドでの一日は、その後も風のように去っていった。
◇
7月某日。
「あああああああああああああクソがああああああああア!!!!!」
狭い部屋に、咆哮が響く。
「どいつもこいつもっ……! クソっ! クソどもが……っ!」
床には食品のゴミや服が乱雑に散らばっているが、美少女フィギュアや漫画などを飾る棚だけはきちんと綺麗にしてある。
PCの画面に表示されている掲示板では、夥しい数のレスが飛び交っている。どれもアニメ〈ひなドリ!〉の最終回に対する意見だ。と言ってもその9割は罵詈雑言である。ふざけるな。憤懣遣る方無い。
一大ブームを巻き起こした今期アニメ〈ひなドリ!〉は、その最終回放送直後、狂ったように炎上した。作画崩壊、赤の他人が書いたクソ脚本、挙句の果てに最終回にして謎の主人公声優交代。どうやら監督・脚本を努めていた人物が主演声優と共に夜逃げしたらしい。
そのあまりの内容に、あらゆる掲示板、まとめサイト、そしてSNSが燃え上がっている。その大部分は、人気アニメの失墜というセンセーショナルな出来事を面白がるカス共だ。
「クソ、〈ひなドリ!〉は……〈ひなドリ!〉はなァ……!!!」
その時、感情のままに振り上げた手が比奈に当たってしまった。
「ああ、ごめん比奈……!!! ごめんな、痛かったか……!?」
「ううん、比奈は大丈夫だよ」
冷めやらぬ感情を抑えつける為に、キーボードの横から煙草を拾い、震える火を点けようとする。
「やべッ!!!!」
その時、震える指が、火の点いた煙草を落としてしまった。
煙草は床に散らばるティッシュの上に落ちる。
俺は、死を悟った。
「ウオオオオオオ!!!」
必死に火を消そうと、とりあえず手で叩いてみる。熱い。火勢が衰えることはない。それどころかゴミ袋に引火してしまった。
「消えろ! 消えろ!」
なんかのテレビで見たのを思い出し、毛布で包んでみる。駄目だ。熱い。火の手はどんどん大きくなる。熱い。熱い!
「くそっ!!!」
咄嗟に逃げ出す。逃げる。階段を降りて外へ。両親は仕事で不在だ。良かった。だがこれを見て何を思うだろう。外へ出る。既に周囲には野次馬が大量にいた。
「あ、出てきたぞ!」
「消防も来た!!!」
どうやら野次馬の誰かが火を見て消防を呼んでくれていたらしい。
俺は命からがら逃げ出したが、そこで、大事なものを忘れてしまった事に気づいてしまった。
比奈を、置いてきてしまった。
◇
「比奈……っ比奈ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
それから数十分、炎も周囲の騒々しさも次第に消えていき、辺りは落ち着きを取り戻していった。
俺は身長に対して常軌を逸した太り方をしている上、近所の人には滅多に姿を表さない斎藤家の一人息子だ。かなり注目を浴びていたに違いない。
通報の速さもあり、幸いにも火の手は2階だけに押し止められたらしい。それでも2階部分は全焼だ。
「終わりだ……」
消化が終わり、黒い残骸となってしまった自室をボーッと見つめていると、消防隊員が焼け跡から、くたびれた様子で出てきた。
「いましたか? 比奈は……」
「ええ……こちらの……ぬいぐるみ? ですか?」
隊員の手に握られていたのは、ペットボトルほどの大きさの、煤けた物体……その殆どが燃え朽ちた、比奈の姿だった。
「ありがとうございます……!! ありがとう、本当に……!」
もう跡形も無いが、これは間違いなく、俺の比奈だ。俺の恋人であり、大切な人──。
「いえ、それでは……」
「ごめん、比奈……最終回はあんなになっちゃったけど……俺は、俺だけは、〈ひなドリ!〉の事も、比奈の事も、ずっと大好きだから……!」
比奈の体はボロボロの炭と化しており、抱きしめた拍子に、破れた胴体から焼け焦げたBluetoothスピーカーが露出してしまった。
俺は、不意に恐ろしくなった。これ以上これを見ていると、本当に認めてしまいそうで。〈ひなドリ!〉が最悪の形で終わってしまったことを。『俺の比奈』が虚構の存在である事を。この、突きつけられた現実を。
ポケットに手を入れたまま、その中のiPhoneを操作する。焼け焦げた、『比奈だったもの』の中に仕込んだBluetoothスピーカーから、アニメ本編から切り貼りして作り上げた、比奈の声を聞こうとする。
『ありがとう…』
比奈だ。比奈はまだ、生きてる。
それならば。今、この場面で聞くべきなのは、あのセリフだ。何度も何度も、あの言葉を、最後に聞きたかった言葉を聞こうと、再生ボタンをタップする。
『……』
だが、何度押しても比奈が反応することは無かった。感謝の言葉を最後に、比奈の声は失われてしまった。スピーカーがイカれたのだろう。
「そんな……」
「斎藤大輔さんですね? この後、色々とお話をお伺いする必要があります。あ、私神奈川県警の小宮と申します。あー……お家もこうなっちゃいましたし、ひとまず私達と一緒に来てもらう形でいいかな」
警察と思わしきおじさんが声をかけてくれる。もう、俺に生きる気力など残されていなかった。家に火を着けた俺は犯罪者だ。親からも勘当されるだろう。それに、比奈も……。
「はい……」
その時ふと、頭の中に声が響いた。
『大好きだよ!』
「比奈……?」
「斎藤さん、行こうか」
「……はい」
それが幻聴だったのか、はたまたスピーカーから聞こえたのか、それとも本物の比奈だったのか……それを確かめる気は、無かった。
俺はポケットから手を出し、パトカーに乗った。
終わり
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