いじめられっ子、いじめっ子に手をかけかける




天音あまねさん、この仕事をお願いしてもいいかしら」

「見てから決めてもよろしいでしょうか?」

「構わないわ」


 天音頼人よりひと、一昨年大学新卒で、大原プロダクトに入社したSEである。

 頼人に声を掛けたのは、システムエンジニアリング部門の課長、山里やまざとあおいだ。


「ごめんなさいね。子供の授業参観と運動会に参加しようと思ったら、手が付かないのよ。協力してくれないかしら?」

「スケジュール調整は必要ですが、これなら俺の仕事に組み込んでも問題ないですから、引き受けさせていただきます」

「助かるわ。ありがとう」


 嬉しそうに葵は自分の席に戻っていった。

 名のとおり、課長は女性だ。

 女性ならではの視点がその仕事に生かされて、取引企業が名指しで仕事を依頼してくる程で、バツイチ子持ちの彼女は早くして課長にまで伸し上がった。

 優秀な分、社内のやっかみも当然あり、大原プロダクトはプログラムにおける技術屋集団と言う事も、それを助長させている。

 頼人が仕事を請け負って二ヶ月、葵に仕事を返した。

 それから一週間後、納品に同行すると、頼人の仕事にクライアントは驚いたが、葵と変わらない細やかなフォローの入った仕事に大満足して貰える。そして、翌日には課長の家に招待された。

 これをきっかけに、仲が深まると言うわけではない。

 もとから、葵は頼るべき時に人に頼れる人であり、葵の元旦那は元々大原プロダクトに勤めていた人物、部署内の人間は全員が離婚の理由を知っているので、葵に同情的なのだ。

 じゃあ、やかっみがどこから来ているかと言うと、他の部門である。

 ほぼ、仕事中は平和だが、インタフェースエンジニアリング部門、ウェブサイトエンジニアリング部門と連携する時は、かなり空気が悪い。

 離婚の理由を知らず、なかなか残業はしない、仕事はできる、げんなりする葵の顔も、部長ですらいつも同情している程だ。

 頼人も個人の事情に立ち入るつもりは毛頭ないが、いい加減話せばいいのにとは思っている。

 翌年、頼人は主任に昇進し、葵とタッグを組むようになった。

 と言うのも、頼人の組むプログラムはユーザーフレンドリーでありながら、細やかな機転にあふれているからだ。


「上に姉、下に妹、それで年子とは、なるほどねー」

「なので、かなり影響を受けているんですよ。おかげで、男らしくない、って別れる原因になるんですが」

「はっはっは、らしい悩みだな。山里課長に紹介してもらってはどうだ?」

「そんな子がいたら、天音主任なら、もう紹介してますよ」


 つまり、紹介できるような人はいないと言う事だ。それに、現在進行形で結婚を前提にお付き合いしている女性がいる。

 昇進した時期が忙しかったので、遅れて頼人の昇進祝いを行うのも、部長と課長だけである。因みに、夏休みなので葵は子供を実家に預けているそう。


「げ・・・」

「「ん?」」

「あ、天音じゃねーか」


 小中高と同じだった幼馴染とは言いたくない幼馴染に会った。いや、見つかった。

 頼人にとって、この男は最悪の相手である。小中高の思い出を地獄にしてくれた張本人だ。

 姉と妹の影響で女らしいところがある頼人、その中性的な顔に、声もあまり低くなく、いじめられ、物はなくなり、教科書もノートも使い物にならず、成績も悪かった。

 通信制の高校に変え、大学も何とか地元から離れた国公立大に受かり、それから順調そのものだった。

 名は大峰おおみね浩司こうじと言う。


「君は天音君と知り合いなのかい?」

「そうなんすよ。小中高と同じで、あんな陰キャで女みたいだった天音は、会社でも保護者見つけた感じかぁ?」


 机の下で拳を作り、青筋を浮かべている事に気付いた葵、その手を覆ってあげて、落ち着くように諭す。

 これまで頼人の怒ったところを見たことがない葵は、冷や汗をかきながら、割と必死だった。また聞きでしか聞いたことがないが、頼人を怒らせると色々まずいのである。


「君は随分失礼だな。うちの主任を馬鹿にしているのかね?」

「い、いや、そんなつもりはありませんよ」

「ここは彼の祝いの席だ。邪魔しないでくれないかい」

「あはは、失礼します」


 部長の睨みにひるんだのか、彼は去って行った。


「さぁ、天音主任、飲み直そう。無礼講だ、何でも聞くよ」


 そうして、胸の内を吐露した頼人、呑めや呑めやで呑まされて、呂律が回らない程のべろんべろんに酔った

 そんな頼人を迎えに来たのは彼女だった。


「頼人がご迷惑をおかけしたようですみません」

「いや、今日のは私たちが強引に飲ませたんだ。あまり責めないであげてくれ」

「はい。分かりました」


 彼女の名前は陸部りくべあや、姉の大学時代の親友で、結婚を前提として、半年前から付き合いしている。

 普段はふわふわとした性格をしているが、しっかりするべき時は毅然とした態度を取る。

 家に帰り着いた頼人は、ソファに寝かされて、譫言を言いながらずっと泣いていた。


「殺してやりたい」


 と。

 その晩、綾はずっと頼人の傍にいてあげるのだった。

 それから、頼人はミスを連発し始めた。

 葵や周囲のフォローがあるので、大事に至らないが、ミスの多さは問題視されるのだが、仕方がない面もあった。

 あれから、最悪の相手、飲みに行く先々で浩司と出会い、浩司にいじられ続けているのだ。


「あの男、浩司と言ったか」

「あれは相当怨み深いですよ」

「黙っていられるのも今の内ですよ」

「その内、行動を起こしそうなのが怖い」

「毎回嫌み言われてる時の彼の顔はすごいですから」


 聞き取り調査を終えた部長は、しばらく頼人に静養期間を与える決定を下し、上層部と相談、二ヶ月の時間を与え、加えて彼女である綾にも連絡を入れて、精神科の病院に行かせるよう頼んだ。

 鬱直前、そう診断されてショックの頼人、彼女に連れられて、温泉旅行に行くことになった。


「よりとー」

「うっお・・・」


 家族露天風呂で後ろから抱き着かれた頼人、綾には普段から愛称で呼ばれている。


「少しは落ち着いた?」

「不甲斐ねぇ・・・」

「大丈夫よ?もうすぐ天罰が降りるからぁ」

「天罰?」

「うん。天罰、だから、今は落ち着くことだけ考えて、ね?」

「ああ」


 二週間後、綾は元に戻りつつある頼人を連れ出して、居酒屋へ外食に行った。

 彼女との楽しいひと時、綾がトイレへと席を外した時、頼人の所へ浩司が訪れた。まるでタイミングを見計らったように。


「なんだよ、えらくきれいな彼女じゃねーか。あ?ずっとつれない態度取りやがってよ」


 これまでは同僚が浩司を追い払っていたが、今回はいない。


「あんときは傑作だったよなぁ?姫様の女装してよ?女の子に抱っこされたんだっけ?」


 声を大きくしてわざと聞こえるように話す浩司、辱めるその様子は、他の客から冷たい視線を集めていた。


「そう言えばよー、なくなったとか言ってたシャーペン、でできた・・・か・・・」


 浩司は青ざめてしまった。

 思いっ切り、頼人が浩司めがけてテーブルナイフを投げつけたのである。浩司に傷一つ付けることがなかったナイフだが、浩司の後ろの壁に深々と刺さっている。

 さらに、頼人からは凄まじい殺気が放たれて、おもむろにもう一本あるテーブルナイフを握った。


「帰れ。次は外さない」

「ひっ」

「それは困るなぁ。我が社にこのような人間がいたとは思わなくてね。どうやら話をしなければならないようだ」

「しゃ、社長、と、陸部主任・・・」

「私のフィアンセいじめてたのはあんただったのね」


 腕を組んでいる社長と呼ばれた男、腰に手を当てて、髪が逆立っているようにも見える綾の会社の社長である。


「難しいとは思うが、矛を収めてくれないかね。制裁と言うのは法律で認められた方法で下してこそ、意味があると言うものだ」

「そうだよ、頼人、それにいい場所を用意してるから、ね?」

「はい」


 浩司は社長に首根っこを掴まれて、頼人は綾に腕を組まれて、広間に移動した。そこにいたのは、頼人の同僚と上司、副社長だった。

 副社長の隣に頼人は座り、浩司は社長と綾に挟まれる形で席から離れて座った。


「この度は、御社の社員様に、弊社の社員がご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます」

「「大変、申し訳ございませんでした」」


 二人の土下座に釣られるように土下座する浩司、頼人の顔は戻っているが、殺気が収まっていない。

 綾の策略によって、今日の浩司の行いは全員に筒抜けだった。

 また、綾は会社では度の強い眼鏡をかけており、前髪のセットを変え、ウイッグまで付けて、地味で真面目を演じている。その為、プライベートの姿とのギャップが激しく、綾のプライベートは知っている人しか知らないのである。


「謝罪は頂きましたが、残念ながら取引は一時停止させていただきます。彼は一社員ですが、一社員を守れない会社ではありませんし、診断書が出ているとおり、我が社の社員を壊そうとしたその罪を見過ごすわけにはいかない」

「当然のことと存じ上げます」

「それと、個人として、これから法的手続きを御社の社員に対して、開始することになるでしょう」

「逃げぬよう、弊社にてしっかり管理致します」

「ありがとうございます。因みに、なのですが、御社が御社の社員に、損失の補填を求めたとしても、弊社にはかかわりのない事ですから、悪しからず」


 このやり取りで、心臓が縮みあがった浩司は、少し過呼吸になっている。


「勿論でございます。弊社が弊社の社員に下す懲戒解雇処分は、御社に関わりがないことを、ここに明言いたします」

「分かりました」

「それでは、これにて失礼いたします」


 社長に連れられて、浩司は居酒屋を出て行き、『よりと、また、後でね』と言い残して綾も付いて行った。


「これで、留飲を下げてくれないかい」

「俺なんかの為に、ありがとうございます」

「あらあら、入社時にまで戻ってしまったの?」

「え、えっと・・・」

「これは、もう一ヶ月必要かねぇ」


 入社時、頼人の自分を卑下する態度は酷かった。能力は高いのだが、この所為で昇進が一年遅れている。

 その後は同僚や上司たちに諭され、さっき起こったことなど忘れてしまったかのように、楽しい時間が流れたのだった。

 帰宅後、綾はダイニングで待っていた。白ワインとおつまみを準備して。


「ごめんね?きつい思いをさせて」

「いや、いいよ。でも、取引停止の件は大丈夫なの?」

「それは裏があるの」


 取引停止は嘘ではない。実は、契約更新にかかる一連を行わず、新規契約に移行する為に必要な停止処置なのである。

 つまり、あらかじめ決まっていたことを、さも関連があるかのように、あの場で言ってのけただけなのだ。

 会社が一社員に対してできる事は非常に少なく、一社員のプライベートによって取引停止になるような事は、よほどの事でないとありえない。


「それで、管理するとか言いながら、懲戒解雇なのか」

「それは、法的処置が終わるまでの話、終われば懲戒解雇なのよ。どうする?法的処置、取る?」

「勿論。同僚も上司も協力してくれるそうだから」

「そう来なくっちゃね」


 ワイングラスを鳴らして、これからの戦いに備え、士気を上げる。


「ねぇ、よりと、これを受け取ってくれないかしら」

「え、それは・・・」


 そこにあったのは婚約指輪であった。


「女性から渡してはいけない、なんて法律はないでしょ?好きなのよ。全部ひっくるめて」

「ありがとう」


 互いに互いの指に嵌め合って、最後にキス、二人はワインがなくなるまで呑み明かした。

 示談だが、浩司は頼人に五百万の慰謝料を一括で支払い、クビになった。

 どちらにせよ首になっていたらしい。仕事の態度が悪く、仕事やミスの押し付けまで発覚していた。


「留飲は下がったようだな」

「はい。と言いたいのですが」

「積年の恨みだからな。心配するな。懲戒解雇を食らった以上、彼はこの辺りじゃ働けないから、出会う事もないだろうよ。でだ、これ。楽しみにしているよ」

「ありがとうございます。お待ちしております」


 仕事中、部長から手渡されたのは頼人と綾の結婚式の招待状だった。



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