夏のコミュニケーションツール

美優希みゆきー、仕事やるよー」

「はーい」


 小学四年生となった娘を呼んだ理由、仕事の傍ら学校の宿題をさせる為に、一緒に肩を並べる為だ。

 ダイニングで娘はプリントを広げ、俺はノートパソコンにモニターを繋いだ。

 娘の目標は一日一枚以上と設定しているのだが、八月の初旬で四十枚はあるプリントの束が残り数枚になっている。


「分からないところはすぐ聞くんだぞ」

「分かってる」


 なんていつもの会話をすると二人して黙々と進めていく。

 いつまで続くのかは分からないが、頭は良いらしく、これまで宿題は傍でやらせてきたものの、習ってすぐ以外で聞かれたことなどない。

 こうして肩を並べる時間と言うのは、夕食を食べて片付けが終わる二十時から二十一時まで。それ以外は娘が何をしていようと基本的に問題にしない。

 シングルファーザーになって早二年、いつまでこの子は俺に懐いてくれているのだろうかと不安がよぎっている。

 二次性徴が始まったのか、少しずつ体型に変化が現れており、この先で起こることを考えると頭が痛くてしょうがない。

 悶々とそんなこと考えながら一時間、娘はプリントの三枚目の終わりまで進んでいた。

 そのプリントが終わるまでやると言ったので、自身はキッチンに立って換気扇を回し煙草を吸う。


「できたー。パパ、パソコン使っていい?」

「ん、いいぞ」

「やったー」


 俺が座っていた椅子に移動するとブラウザを立ち上げて何か調べ物をしている。

 静かだな。今日は動画サイトじゃないのか。

 タバコの火を水で消してゴミ箱に放り込み、隣に座って何をしているのか覗き込む。


「なんだ、パソコン欲しいのか?」


 モニターに並ぶ文字を見てそう問う。


「うん、それもあるけど」

「けど?」

「自由研究にいいかなぁって」


 詳しく話を聞くと、読書感想文も終わらせており、さっきの様子からも分かるように、分厚いプリントの束もそろそろ終わりそう。

 新型ウイルスの所為で未だ外出もままならず、去年同様旅行に連れて行くこともできない。スマホは持たせているが、子供用なのであまり多くのことはできない。

 手持ち無沙汰でしょうがないのだろう。


「あとね、友達のお兄ちゃんがやってたゲーム、すごく面白そうだったから、私もやりたいなぁって」

「そうか」

「でも、いいのかなぁ。こんなの自由研究にして」

「悪くはないさ、先生に何か言われたら、俺が言い返してやるから安心してやりな」


 自分の口で興味があると言っているのだ。それを、例え先生だろうと、他人から否定される謂れはない。と言うかそれでは自由研究ではなく指定研究だ。


「うん」

「そしたらパソコンのこと色々分かるはずだから、これが欲しい、これだったら買ってもらえると言う一台を見つけるんだ。それが俺の目から見ても大丈夫なら買ってやる」

「いいの?」


 物で釣るのは確かに良くない。

 しかし、今回の場合はこうしないとならない理由がある。

 PTAで再三問題になっている五十代の二人の教員、うち一人は現在娘の担任であり、ゲームどころかデジタル否定派で、何なら俺の仕事にも難癖付けてくることがある。事あるごとに昔の話を持ち出してくるので、子供たちの人気も低い。

 子供たちを守る為にリモート授業を再三迫っても行わず、罹患者が出るまで通常の授業を敢行する愚行まで起こした。一人はこれで辞めさせられたのだが、片方は厳重注意処分で終わり辞めさせられなかった。それが今の担任だ。

 これによってネットリテラシーを身に付ける機会が学校に無く困っている。

 来年にはいなくなるのだが、同じような教員が担任にならない保証はない。だったら、この自由研究を機に身に着けさせようと言うわけだ。

 リモート授業の時は今使わせているノートパソコンを貸しており、その間の仕事は書斎にあるパソコンでやる。このご時世で、タブレットもあるので意外と間に合っているのだが、何とかしのいでいる感が拭えない。

 学校経由で安いノートパソコンの案内が来たのだが、流石官僚と言うべきなのか、知っている人間から言わせると馬鹿にしているとしか言えなかった。


「もちろん。なんなら、そのお兄ちゃんがやってたゲーム、やってみるか?」

「できるの?」


 その目の前にあるパソコンでは無理だが、書斎にあるパソコンには相当お金をかけたのでなんでも可能だ。

 初日なので二十三時まで、と言う約束でやらせることにした。

 楽しみでしょうがないのか、先に行こうとしたのだが、パーカーのフードを捕まえてお風呂が先だと微笑みかけた。

 どんなゲームをやっていたのか聞き出して、娘がお風呂に入っている間に準備をする。

 シングルファーザーの所為なのか、三歳の頃から俺しか相手していない所為なのか、男の子が好きそうな物の方を娘は興味を示す。遠慮しているのかは分からないが、結局買うのは女の子が好きそうな物なのだが。

 女の子らしさと言うのは押し付けでしかないので、何も言わないようにしているが、学校での摩擦が怖い。

 お風呂から上がってきた娘は、操作を教えるとすぐにパソコンゲームに熱中してしまった。

 小さな頭に不釣り合いな大きなヘッドホン、キーボードもマウスも、椅子も机も娘には大きいので慣れるのに四苦八苦して操作は覚束ない。

 後ろで様子を眺めながら、自由研究に対する熱意が固まることを願う。

 また、これが友人関係を壊さないのか心配してしまう。


「ううー、敵が強いー」


 始めてから一時間半、負けが込んでおりかなり悔しがっている。俺のアカウントはそれなりには強い人たちと戦う、高レートになっている。カジュアルとは言え、そこに弩のつく初心者が入ったらどうなるかなど想像に難くない。


「次が最後だよ」

「分かった」


 ここまで見ていて分かった事は相当な負けず嫌いだということだ。運動会での娘の様子で薄々気付いてはいたが、ここまで理不尽な負かされ方をして心が折れないのには閉口せざるを得ない。


「やった、勝った、パパ、見て、やったよ」


 あれだけ負けてレートを落としたらそりゃ勝つだろう。マッチング運もかなり良かったと見える。

 とは言え、最後と宣言した試合で勝ちを収めるあたり、この子は相当持っているのかもしれない。よくやったと頭を撫でて褒めてあげると、スクリーンショットを残してゲームを落とした。

 興奮冷めない娘は自分の部屋に戻ろうとせず、結局一緒に寝ることになった。

 気が付かなければ触れることのできない世界を教え、自由研究の為のヒントを与えていると、その内に眠ってしまった。

 翌日。

 早く自由研究に手を付けて熱中したいのか、午前中にプリント集をすべて終わらせて、午後からはノートパソコンを取られてしまった。


「友達との約束はないの?」

「今日はないよ」

「そうか」


 書斎兼寝室で俺は仕事をしているわけだが、娘はその後ろでベッドに寝そべってノートパソコンとにらめっこしている。時折、調べたことをノートにまとめる音が聞こえた。

 いいと言ったにも拘らず自分の部屋でやろうとはしない。これまで、リモート授業以外は目の届くところでないと使わせず、授業が終わるとすぐに返させていたので、それが当たり前になってしまって、いざそうしようとすると落ち着かないのだろう。

 それに、


「パパ、これなんて読むの?」


 専門的な用語は特にそうなのだが、習っていない漢字が読めず、すぐに行き詰ってどうしようもないことが分かっているからここにいるようでもある。

 せっかくなら机と椅子でやらせたい。

 しかし、俺が使っているこのパソコンはオープンフレームで組まれ、インテリアとしての機能を持たせる為に、本格水冷の壁掛けになっているので簡単に動かせない。


「そうか」

「どうしたの?」


 突然俺が声を上げたのを不思議に思ったらしい。

 娘に何でもないと伝えて、思いついたことを調べ、丁度いい物が存在することを突き止めた。

 分からないところはメモしておくよう伝えて、娘に留守番をさせて買い物に出かける。小さく収納可能なちゃぶ台と座布団を買いに行くのだ。

 一時間ほどで戻り、ダブルベッドを壁に寄せると思惑通りのスペースが空く。

 これで寝そべってやる必要はない。それに、俺が使っている机は低く、座椅子向けで、座椅子も回転するのですぐに分からないところを見てやれる。

 そう言えば、小学校の頃はこんな感じで宿題を見てもらっていた。両親はちゃんと俺とコミュニケーションを取って、忙しくても疲れていてもちゃんと相手してくれていた。

 去年、今年と孫の顔を見せてやれてない。まぁ、両親も美優希の為に帰ってくるなと言うぐらいで、美優希の顔を見る為にスマホとパソコンを覚えるんだ、と意気込んでいたので心配しなくていいだろう。

 ともかく、これでやりやすくなったはずだ。

 そうやって熱中していると、時間を忘れていることに気付いた。仕込む時間を考えるといつもより夕食が遅くなってしまう。これだけ集中している娘の姿が可愛そうに思い、ネットで出前の注文を入れた。

 夕食を食べると、朝からずっとやっているご褒美として、パソコンゲームをやらせてあげる。

 この時、ネットリテラシーの教育を施した。サイトへの登録の仕方、最適なパスワードの設定方法と運用方法、二重認証の重要性を教え、メモを取らせることも忘れない。自分のパソコンを持つことになり、そこに親の庇護が少なくなってしまうのだと自覚させる。

 そして、昼とは立場が逆転する。

 また、昨日とは打って変わって、勝てない事の疑問をぶつけてくるようになった。その疑問に答えて教えていると、娘はこんなことを言い出した。


「遊んでいても勝ちたいなら勉強と練習なんだね」

「そうだよ。知る、実践する、の繰り返しで強くなる。学校の勉強は知ること、宿題は実践することだと思えば、何で勉強するのか分かるよね?」

「うん。将来勝つ為、だね」

「どっちかと言うと成功する為だね。ちゃんと見ていてあげるから、頑張って」

「うん!」


 そんな日が続き、八月も下旬に入ろうかと言う頃、美優希はノートを見せてきた。

 見開きページには、自由研究を提出する為の大まかなレイアウトが、二つも書かれている上に内容が違う。

 片方はパソコンについて、片方はe-Sportsについてだ。

 パソコンは昼に調べたことが主であり、e-Sportsはプレイしていたゲームを例にとって紹介する物になりそうだ。


「二つとも提出するの?」

「ううん、でも、どっちがいいかなぁって」


 正直、片方をボツにするのはもったいない。見出しと簡略なことしか書いていないのだが、どっちもよくまとまっている。

 少し考えて見るが、答えが出そうにない。


「なぁ、美優希、二つとも完成までもっていってみないか?」

「え、でも、一つじゃないの?」


 顔は少し不安そうにしているが、その目には光が見える。


「いや、もし、二つ提出できるのなら、の話だ」

「うーん・・・せっかくここまでまとめたから二つとも書きたい」


 ここまでの苦労は自分が一番よく分かっているはずで、娘の性格ではそれを裏切ることが難しい。また、報われない努力と苦労があることを、ここで教える必要はない。


「分かった」


 学校に電話をすると、担任はいなかったが教頭先生はいたらしく、彼に聞いてみると、内容を聞いた上で彼が見てみたいからという理由で了承をもらった。また、そう多くはないが、二つ以上提出する生徒はいるらしい。

 二つ提出できると分かった美優希は俄然やる気を出し、一緒にリビングの机とマットを片付けて作成を開始しさせた。

 この時、俺は教頭自身が見てみたいと言った真意を理解していなかった。

 そして、娘の手によって仕上がっていく夏休みの自由研究と言う宿題は、娘を抱きしめながら嬉し泣きすると言う結果につながっていくのだが、それはまた別のお話としよう。

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