第9話「先輩はわたしの手のひらで転がされるべきなんです」


 メイド服を着た一叶いちかは、講釈でも垂れるかのように熱く語り始める。


「こういう服のイラストを描くときに、写真だけじゃわからない細かい部分の作りとかあるじゃないですか。生地がどういう風に重なって、どんな角度で縫い付けられているとか」

「ああ、そういうことね」


 そういや、こいつは絵描きなんだったな。


「しかも、エセメイド服じゃなくて、こういうちゃんとしたヴィクトリア朝時代のメイド服ってのが、勉強になりますね」

「おまえ、わりかしきちんと考えているんだな。絵なんて見たまんま描けばいいと思ってたけど」

「それは絵をナメすぎです。見えない部分がどうなっているかを把握しないと、絵に嘘が紛れ込んでしまいます。例えば、先輩だって遠近法がどんなものかをご存じでしょう?」「……ああ」


 一叶いちかが捲し立てるように説明してくる。


「消失点ってのをきちんと把握して、それでもその消失点は完成した絵からはあからさまにわからないようになってますけど、そういう見えない部分をきちんと設定するのも大切なんです」

「なるほど」


 絵を語るときの熱量に圧倒されてしまう。一叶いちかがどれだけ本気なのかが伝わってくるようだ。


「あれに忠実に描けとはいいませんけど、それを知っていた上で、どう崩すかってのも重要なんですから」

一叶いちかって、絵のことになるとめちゃくちゃ真面目になるんだな」

「ええ、わたしはわたしの野望を達成するためにも、自分自身に妥協したくないんです」


 偉いな。この子は放っておいてもプロの道へと進めるかもしれない。


「それじゃ亮ちゃん。わたしがクロージング作業をやるから、明日に備えて一叶いちかちゃんにこの店のこと教えてあげて」


 雪姉に言われたら聞かないわけにはいかない。


「わかりました。よし、一叶いちか。こっちに来い、一通り教えてやる。接客だから主にホールでの仕事がメインだ」

「ホールってこの客席があるところですよね。前から思ってたんですけど、本棚がけっこうありますけど、これって売り物ではないんですよね?」


 一叶いちかがぐるりと店内を見渡す。


「うちは本屋がやってるカフェじゃないからな。ある意味図書館に近いよ。本のほとんどは、雪姉の蔵書だ」

「これ全部雪姉さまが集めたんですか?」

「まあ、ざっとここにあるだけで1000冊以上はあるからな。雪姉の家にいったら、それの数倍あるぞ」

「はえー、雪姉さまって凄い読書家なんですね」

「読書家というより書物崇拝狂ビブリオフィリアだな。俺でさえ、ドン引きすることもあるよ」

「旦那さん大変そうですね」

「……悦司さんは、器の大きい人なんだよ」


 ほんの数回しか会ったことはないが、優しくて穏やかな人だった。きっと雪姉のすべてを受け入れてるのだろう。


 まあ、今はそんなことはどうでもいい。


「ここの看板のキャッチコピーを読んだことはあるだろ?」

「ええ。『当店は本を心ゆくまで楽しむカフェです』ってやつですね」

「時間制限はない。ただ、その分、コーヒーだけの値段は高い。逆に食べものが付くセットメニューはお得な値段だ。朝食はトーストと卵をサービスしている」

「どっかの名古屋の喫茶店みたいですよね」

「そこからヒントを得たみたいだけどな」

「なるほど」

「でもメインは本。回転率が悪くなるのを見越してる。だから、コーヒーは高く設定しているんだ。まあ、テーブルチャージが込みってところだな」

「ああ、だから、学生とか少ないんですね。ここ、うちの高校からも近いのに」

「まあ、たまに間違って入ってきて、飲み物の高さに驚く子もいる。だから、簡単に説明してやれ」

「説明ですか?」

「当店にある本は読み放題です。時間制限はありませんので、心ゆくまでおくつろぎください、と」


 俺は、一叶いちかを客に見立てて礼儀正しくお辞儀する。


「先輩。執事みたい」

「執事じゃねーよ。それを言うならギャルソンだろうが」


 そんなやりとりをしながら、一叶いちかに説明をしていった。



**



 一叶いちかが働き始めて二日目の出来事であった。


 アイシスはわりと常連が多く、初めて来店するという客の割合はかなり少ない。


 それでも時々、常識知らずのお客がいるので、その対応に時間をとられることもある。


「亮ちゃん。4番にキティちゃん。助けに行ってあげて」


 キティちゃんはトラブルを起こしそうな客の隠語だ。


 雪姉にそう言われて俺は気付く。


 奥の席にいる中年オヤジが、接客している一叶いちかに対して文句を言っているようにも見えた。


 そして、ニヤリと笑うと彼女の下半身を触ろうとする。驚いた一叶いちかは、過ってコップを床に落としてしまった。


 店内にはその音が響き渡る。


 俺は急いで箒とちりとりと雑巾を持って彼女のもとに駆けつける。


「お客さま申し訳ございません。ただいま片付けさせていただきます」


 俺は客のやったことを承知の上で、いちおう下手に出て謝罪する。


 そして、放心しかけている一叶いちかをテーブルの下に引っ張り、コップの対処を手伝わせながら耳元でこう囁いた。


「大丈夫だ。この手の客の扱いは慣れている」

「……ごめんなさい」


 俺は一叶いちかより先に状態を起こして、客に対峙する。


「申し訳ありません。教育がなっておりませんでした。改めてお詫びいたします」

「ふん、最近の若い子はなってないからな」


 何が『なってない』のか理解できないけどな。


「ご安心ください。当店には防犯カメラが設置してありまして、店員がお客さまにどんな粗相をしたかの記録を見ることができます。それらを再確認し、この子には再教育をいたしますので、今後のこのようなことはないでしょう」


 俺のその説明に、男はぎょっとした顔でこう呟く。


「え? カメラがあるのか?」

「防犯のためですよ。ちょうどこちらの席もばっちりと映っておりますので、どんな失礼なことをしたかも、あとで映像を見ればわかります。本当に申し訳ありませんでした」


 わざとらしく深々と頭を下げる。そうじゃないと笑ってしまいそうな感じだ。


「い、いや、別に再教育なぞしなくてもいい。これから気をつけてくれれば」

「そうですか? でも、他のお客さまにもご迷惑をかけるかもしれません。やはり検証しないと」

「ワシが大丈夫だと言っているんだ!」


 男の口調が強くなる。そりゃ映像を見られたら、セクハラ……いや痴漢行為という犯罪がバレてしまうのだからな。


「そうですか。再教育のいい機会だったんですけどね」

「ワ、ワシは気にしてない」


 男の額からは汗が噴き出している。店内はそんなに暑くないのにな。


「そういえばお客さま。本日のオススメのコーヒーはこちらになります。大変貴重な豆を使ったブラックアイボリーというものです」


 俺はメニューを開き、該当の箇所を見せる。そこにあるのは『超稀少豆を使った最高級のコーヒー『ブラックアイボリー』税抜き価格7800円、と。


「なんでこんなに高いんだ?」


 中年の男はギョッとしてメニューに顔を近づける。


「製法が特殊なんですよ。これはタイの『象の保護センター』で作られたものなんです。象のお腹でじっくりと発酵され、たんぱく質を分解する消化酵素によって苦みが取り除かれた、とても口当たりの良いコーヒーなのです」

「ゾウのお腹って、まさかフンの中から回収したのか?」


 そうだよ。ウンコだよ。俺は笑いをこらえるのがつらかった。


 とはいえ、実際のところ罰ゲームになるほどの酷いものじゃない。逆に製法さえ気にしなければ、満足のいく最高級のコーヒーを味わえるだろう。


「ジャコウネコのフンから回収したコピ・ルアクって有名なコーヒー豆があるじゃないですか、あれよりもこれは希少性が高いんですよ。当店の目玉になります」

「そ、それはわかったが、なぜワシにこれを勧める」


 中年の男の顔がだんだん引きつっていく。


「なぜでしょう? ん? なんか、防犯カメラを検証したくなっちゃったんですけど」


 これは遠回しな脅し。うちの自称『美少女』を虐めたんだから、これくらいの対価は払ってもらわないとな。


「わかったわかった。このコーヒーを一つ頼もう。それでいいんだろ」

「ありがとうございます。コーヒーをお持ちするまで、ごゆっくりおくつろぎください」


 俺は満面の笑みで、お客さまにそう伝える。


 カウンターへと戻る時、一叶いちかがぼそりと「ありがとうございます。先輩」と礼を言ってきた。


 まあ、不可抗力だ。飲食店で働いていれば理不尽な客ってのは、けっこういるものだし、誰かが対処しなきゃいけない。


「雪姉。ブラックアイボリーのオーダーが入りました」

「あらまあ」


 と、彼女はクスクスと笑い出す。


 もともとブラックアイボリーは『アイシス』の正式なメニューではない。


 つい最近、雪姉の旦那がお土産にと、あのコーヒーを買ってきたのだ。


 製法を知っていた俺も雪姉も花音も飲む勇気がなく、それならば数量限定で店で出せばいいのではないか? という結論になったのだ。


 ちなみにブラックアイボリーは100gで30000円の超高級品である。


「先輩。改めてお礼を言わせてください。助けてくれてありがとうございました」


 一叶いちかがわざわざ頭を下げに来る。


「なんだよ。らしくないぞ」

「こういうのは貸しを作りたくないんですよ。むしろわたしに貸しを作ってください」


 いや、いつもの一叶いちかだった。思わずツッコみを入れる。


「なんでだよ!」

「先輩はわたしの手のひらで転がされるべきなんです」

「……」

「それこそが正しい小悪魔の在り方なんですから」


 あー、まあ、いいか。


 ようは一叶いちかに貸しを作れば作るほど、俺は有利になるのだから。



次回「なんかドキドキします」にご期待ください!


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