第3話「初めてなんです」


 鍵を開けて中に入る。


 後ろからは「お邪魔しまーす」と一叶いちかが付いてきた。例の家出娘だ。


 彼女は部屋をくるりと見回すと、一言感想を呟く。


「先輩ってミニマリストなんですか?」


 広さは1Kの6畳。部屋の隅にはシングルベッドが置いてあるだけ。


 ほとんど家具はない。生活家電は電子レンジと冷蔵庫のみだ。


一叶いちかは、夕飯食べたのか?」


 いちおう後輩のことは下の名前で呼んでやる。あんまり相手の嫌がることをしても仕方ないからな。


「ええ、コンビニでおにぎり買いました」

「じゃあ、あとは寝るだけだな」

「先輩、シングルベッドで二人で寝るには狭いですよ」

「ベッドはおまえ一人で使うんだから問題ないだろ」

「あはは、先輩やっさしぃー!」


 小悪魔的な笑みを浮かべて、何かよからぬことを考えていそうな顔だ。


「風呂はないがシャワーならここで浴びれる。使い方はわかるか?」


 俺はキッチン脇にある一間ほどのシャワー室を開けると、その蛇口を指差す。


「電気給湯器タイプですね。うちもおんなじですからわかりますよ。バスタオルとか貸していただけるとありがたいですね……って、一式用意してありますね。先輩ってマメな性格なんですか?」


 シャワーヘッドに引っかかった透明のトートバッグに、バスタオルとタオルとリンスインシャンプーとボディソープが入っているのを彼女は見つけたようだ。


「他に説明はいるか?」

「いえ……まあ、泊めてくれるんですから、そのつど先輩に聞きますよ……それよりも」

 彼女は少し俯いて言葉を濁す。


「なんだ? 言いたいことがあるなら今のうちに言っとけ」

「わたし……その……初めてなんです……」

「ん? 何がだ?」


 わざとはぐらかす。彼女が何を伝えたいのか、それがわからないほど鈍感でもない。


「……男の人の部屋に泊まるのも初めてだし、その男の人からそういうことされるのも初めてなんです」


 男に身体の関係を求められてもおかしくはない状況だ。だからといって、俺も同類と思われるのは癪に障る。


「は? 俺がおまえに『何か』するというとでも?」

「だって、対価が必要じゃないですか。犯罪を犯してまで、わたしを泊めてくれようとしてるんですから」

「対価か。じゃあ、金をもらおうか」

「は? 普通、逆じゃないんですか? なに女の子からお金取ろうとしているんですか?」


 一叶いちかは俺の反応に混乱しているようだ。まあ、小悪魔に翻弄されるのは本意ではない。逆に手玉にとってやるくらいが俺には合っている。


「だって泊まるんだろ?」

「と、泊まりますけど。だからその……身体で」

「俺はおまえに興味はない。自分の身体に価値があると思い込んでいる『かわいそうな女の子』のお願いをきけるほど、俺は優しくない」

「せ、先輩、ヒドくないですか?」


 ま、からかうのはこれくらいにしておこう。俺は「ちょっと待ってろ」と言うと、彼女を部屋に残し、ある物を取りに行く。


「放置プレイはやめてくださいよ」


 ほんの数分いなくなっただけなのに、彼女は泣きそうな顔をしていた。


「お客さま、こちらへのご記入をお願いいたします」

「は?」


 俺が彼女に渡したのは宿泊台帳。


「当民泊は素泊まりで3000円、学生様でいらっしゃるなら学割で1500円の格安となっております。まあ、今日は俺が奢ってやるけどな」

「先輩、ふざけてるんですか?」

「いや、そもそも、ここ俺の部屋じゃないし」

「だって、鍵を開けて……」

「これか?」


 じゃらじゃらとわざと音の鳴らして鍵束をポケットから出す。キーホルダーには6つの別々の鍵が繋がっていた。


「え?」

「ここはな。下はカフェとなっているけど、上は宿泊施設なんだよ。正確には民泊として届け出している。俺は管理を任されているんだ」


 未成年が宿泊施設を利用する場合、本来は親の同意書が必要だ。


 だがそれは、未成年がした契約は簡単に破棄できるためだ。同意なしで泊めた場合は料金が支払われなくても、それは宿泊業者側の責任となる。


 だから同意書が必要な場合が多い。しかしながら、宿泊させること自体を咎める法律はないのだ。


 今回は、もし、こいつの親がごねて料金を返せと言われても問題はない。なにしろ、俺の情けで奢ってやるのだから。


「……」


 ネタばらしに一叶いちかは唖然としていた。


「数年前までは賃貸アパートだったんだけどな。事故物件で、住人が出てったんだよ。オーナーは、民泊にした方が儲かるって考えたみたいなんだ」

「事故物件って、誰か亡くなったんですか?」


 その単語の意味を理解したのか、寒気を感じるように自らを抱き締める一叶いちか


「ただの自殺だよ」

「も、もしかしてこの部屋が?」


 一叶いちかが震えた声を出す。


「いや、俺の住んでる部屋だよ。3つ右隣だ」

「せ、先輩、どれだけ図太いんですか? 霊とか出ないんですか?」

「見たことはないな」

「怖くないんですか?」

「幽霊が怖い? 馬鹿言うなよ。生きてる人間の方が怖いだろうが」


 それはわりと真理であり、今の世の中では当たり前に知られていることである。


「先輩とは会って数分しか経ってませんけど、なんとなくどんな人かわかりましたよ」

「それはそれは光栄です、お客さま。当民泊はお客さまのプライベートに関する事はいっさい伺いませんのでご安心を。あ、遠回し過ぎたけど、一叶いちかのことには興味はないってことだから」


 俺はニヒヒと笑う。


「……」


 一叶いちかは口をパクパクさせながら、言葉にならない怒りを空回りさせていた。


「いちおう、朝食は初回利用ということでサービスさせていただきます。朝7時半までに1階のカフェまでお越し下さい」




◇次回「わたし覚悟してきたんですよ!」にご期待下さい!

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