第2話「先輩、赤ですよ」
「お疲れさま。私、上がるね」
時計の針は21時を過ぎている。軽食しか出さないカフェなので、営業時間は20時までだ。
「お疲れ、雪姉」
いつものように彼女を見送って店の戸締まりを終える。実はこのカフェ、2階建てであり、その2階に俺の住む部屋があった。
俺は晩酌にと、酒を買いに向かいのコンビニへと出かける。
ビールとつまみを買って店を出たとき、女性の悲鳴のような声が聞こえてきた。
「やめてください!」
辺りは暗くなっていてぼんやりしか見えないが、車の前で一人の女性が二人の若い男たちに囲まれているようだ。
「いいじゃんかよ。一緒に行こうぜ」
「そうそう泊まるとこないんだろ?」
男たちは声質からして、20代くらいだと思う。
こんな状態で無視するのも心苦しい。が、俺はそこまで喧嘩が強いというわけでもない。助けに入ったら逆にボコられるだろう。
さて、どうしたものか。
警察に通報した方がいいかなとスマホを取り出す。が、事態は急変、女性が腕を掴まれて無理矢理車に乗せられようとしていた。
警官が到着するまでに彼女が連れ去られてしまっては通報する意味がない。いや、後日犯人は捕まるだろうが、それは女性が酷い目に遭った後だろう。
今動かなければ彼女を助けられない。
ならばと、俺は『とある悪知恵』を思い付いて、スマホの正面に向けながら男たちの元へ駆け出す。
「こんちわー」
見ず知らずの俺が声をかけたことで、男たちの攻撃的な目がこちらに向く。
「あ?」
「なんだ、てめえ?」
「ボク、ユーチューバーのミヨケヨでーす。今、ライブ配信やってるんですよ」
その一言で男たちの動きが一瞬固まった。俺は間髪入れずツッコんだ質問をする。
「その女の子知り合いですか? 嫌がっていませんでした?」
「お、おめえには関係ねえだろ!」
「いやぁ、犯罪だったら視聴者さんが通報しちゃうんで、正直に答えてもらえますか?」
黙り込む二人組。これくらいの年代ならYoutubeのライブ配信がどんなものかを知っているだろう。
これがただの動画撮影ならボコられて終わりだが、視聴者がいるという状況で下手なことはできないはずだ。
まあ、実際は何も配信していないんだけどな。
「……」
「……」
俺はスマホのカメラを下向きを維持しながら、女の子の方へと向ける。これはリアリティを出すために「顔は映していませんよ」アピールだ。
「ねぇキミって、この男の人たちと知り合い?」
「ちがいます! この人たちがわたしを無理矢理」
少女が説明しようとしたところで、男の一人が声を上げる。
「おめえ、ふざけんなよ!」
手に持ったスマホをたたき落とされそうになるが、それは想定済み。躱せるようには身構えていたので、男の攻撃は空振りすることになる。
「もしボクに手を出したら顔晒しますよ。いいんですか? ボクのチャンネル登録者って20万人くらいいるんですけどね」
ミヨケヨは実在するユーチューバーだ。ただし、俺はその成りすましのニセモノ。
登録者数がそこそこいて、それでも知らない人はまったく知らないというマイナーさ。そして自分と年齢が近いという条件で思い当たったもの。適当に捏ち上げればいいというわけでもない。
DQNよ! 全世界発信されて晒されることの恐ろしさに震え上がれ!
まあ、そもそもコンビニなら監視カメラが駐車場に向けて取り付けられているはずだし、仮に女性を誘拐したとしても証拠はばっちり残っているはずだ。
けど、それでは遅すぎる。
防げる犯罪なら防ぐべきだろ?
「チッ! もういいよ」
「しらけたな……」
女性を置いて、二人は車に乗り込むと、やり場のない怒りをエンジンを空ぶかしすることで発散させているようだ。
爆音を垂れ流しながら、男たちは逃げるように車を発進させた。
「キミだいじょ……げっ!」
少女の顔をしっかりと見て、ようやく気付く。あの家出娘じゃねえか! これは痛恨のミス。男たちに気を取られすぎた。
「ありがとうございます。やっぱり、おにいさんはいい人なんですね」
しかも、俺のこと覚えてるのかよ!? まあ、声をかけるのにも選んでたみたいだからな。そりゃ覚えていてもおかしくはないか。
「いい人じゃねぇって! 防げる犯罪を見逃したら寝覚めが悪いだけだ」
「わたしがかわいい女の子だからぁ、助けてくれたんじゃないんですか?」
「暗闇で顔なんて見えてなかったって……おまえだってわかってたなら、助けなかったかもな」
「えー! ひどいですよぉ」
せっかく助けたというのにあまり気分がよくない。まあ、寝覚めが悪いよりはましか。
「そんなことはどうでもいいよ。それより早く帰れ! まためんどくさい男に声をかけられるぞ」
「……帰れないんですよ」
「ただの家出だろ。親と喧嘩したとかそんな理由だろ? 素直に謝っちまえよ。あったかい布団で寝てぇだろ?」
「喧嘩だったら良かったんですけどね」
彼女の表情が急に沈んでいく。
「何があったんだ?」
俺はいったん冷静になると、少女の表情を窺う。
「うち、母親だけの家庭なんですけど……その、男の人を連れ込んで……聞こえちゃうんですよ。わたしの部屋まで」
彼女は俯いて顔を赤らめる。俺もそこまで鈍感な人間でもない。事情はなんとなくわかった。
「だったら友達の家に行くとか……あ、悪い」
そういえばこの子、友達がいないって言ってたな。
「いいです。このまま誰も泊めてくれないのなら公園で寝ます」
「寒いぞ」
もう10月だ。夜の気温も下がってきた。制服姿のままベンチに寝たら風邪をひく可能性も高い。
「おにいさんの部屋に泊めてくれます?」
それでは犯罪になってしまう。まあ、法に触れないようする方法がないわけでもなかった。
雪姉の家に頼み込んで泊めてもらうことも考えたが、同性であれば問題がないわけではない。未成年を親の承諾なしに泊めること自体が法に触れるのだ。
だとしたら、あの方法しかないだろう。そういう意味では、この少女は運が良かったのかもしれない。
「おまえの泊まるところは確保してやる」
「おにいさん、やっさしぃ! やっぱりわたしってば、人を見る目はあるんですね」
「人を見る目がある人間が、無理矢理連れ去られそうになってるじゃねえか」
「あれは、向こうから声をかけてきただけし、わたしは初めっから悪人だってわかってましたよ」
彼女は口を尖らせて必死に言い訳をする。
「他の男に声をかけてたのを見られたんだろ? だから言い寄られただけだろ? おまえが悪い」
「おまえって言うのやめてください。自己紹介が遅れましたが、わたしはイチカです。願いが『一つ叶う』と書いて
「そういやおまえ、美浜高の生徒なんだよな」
名前のことより、制服の方に気がいってしまう。俺としては、偶然出会っただけの小娘に興味はないのだから。
「だ・か・ら、おまえって呼ぶのやめましょうよぉ」
「俺も美浜高に通ってたんだよ。もう10年前だがな」
話が噛み合ってないのはわざとである。見ず知らずの子をいきなり下の名前で呼ぶのはハードルが高いのだから。
「へぇー、じゃあ、先輩ですね」
「そうだな後輩」
話を逸らすのに成功。これで俺は、彼女をモブの一人として認識できる。彼女はただの後輩だ。
「うー、
「親しくもない子を、下の名前で呼べるかよ」
「わたし……苗字、あんまり好きじゃないんです」
彼女の表情が曇る。苗字にコンプレックスでもあるのだろうか?
「そんなに変わった苗字なのか?」
「いえ……岩石の岩に神様の神で
「めっちゃ、普通じゃねえか」
「岩って女の子っぽくないじゃないですか」
「理由、それかよ!」
もっと深刻な事情だと思っていただけに拍子抜けする。家庭が複雑そうだから、そう思い込んでいた俺の勘違いでもあるが。
「
「ちょ、おま、恩を仇で返す気か?!!!」
思わず狼狽えてしまう。この恩知らずが! やはり関わるべきではなかったか。
「だから、
「まったく、恩人に脅迫するとはとんでもない奴だな」
「岩神って、離婚した母親の旧姓で、つい数年前までわたしは
「……」
最初っからそう言えよ。
なるほど、やっぱり深い事情があったんじゃねえか。ただのワガママってわけでもなさそうだな。
俺がそう考え込んでいると、彼女はなんの躊躇もなく、俺の腕にしがみついてきた。
「先輩。寒いので、早く行きましょう」
「ちょ、馴れ馴れしすぎないか? お……」
「部屋に泊めてくれるってのに、馴れ馴れしいもなにもないと思いますけど。それから、
10歳も離れた少女に言いようにからかわれているようにも感じる。少しいらつくように声をあげた。
「行くぞ、
「先輩、赤ですよ」
俺が渡ろうとしている横断歩道の信号は真っ赤に点灯していた。
◇次回「初めてなんです」にご期待ください!
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