第4話「わたし覚悟してきたんですよ!」
翌日。
「おはよう。眠れたか?」
「おはようございまーす。」
小さな欠伸をしながら彼女はそう答えると、カウンター席へと腰掛けた。さらに彼女は畳みかけるように言葉を続ける。
「もうぐっすりですよ。なんの心配もなく熟睡しましたよ。もうちょっとなんかあるかと思ってましたから拍子抜けです。わたし覚悟してきたんですよ! どうしてくれるんですか、わたしのこの無駄な覚悟は!?」
こいつは俺に襲われることでも期待していたのか?
まあ、どうでもいいからスルーしよう。
「今、朝食出してやるから待ってろ」
俺はモーニングセットをつくるためにトーストとゆで卵とカフェオレを用意する。
すると、奥の事務所からメイド服姿の雪姉が入ってきた。
「おはよう亮ちゃん。あら、その子が昨日言ってたかわいらしい宿泊者さま?」
いちおう店長でもある雪姉の許可は、昨日のうちに取ってある。
それに対して遠慮がちに会釈する
「おはようございます。ええ、ワケアリの宿泊者さまです。もちろん、俺の方から事情など一切聞いておりません」
向こうから事情を話す分には問題ないだろう。
俺の答えに、雪姉は無言で微笑みながらホウキを持って正面扉の方へ向かうと、鍵を開けて外の掃除を始める。
「あの人が店長さんですよね? 昨日話してた」
彼女には、昨日宿泊する時点でそこそこの説明をしている。このカフェと上の宿泊施設が同じオーナーのものであり、店長である雪姉が管理者であることも。そして、俺といとこ同士であるという事情も。
「そうだよ」
「美人さんですね」
「そうだな。誰かさんなんて眼中にないくらいな」
「あー、ひどいですよ。それ、わたしに対するセクハラじゃないですか?」
「俺個人の感想だ。別に
「そうまでは言ってませんよ。ただ、あまりにもわたしに対する扱いが雑すぎます」
「雑ではないぞ。
「昨日助けてくれたじゃないですか?」
「言ったろ、防げる犯罪を見逃すわけにはいかないって。あれが、銃を持った奴なら俺は躊躇してたと思うぜ」
赤の他人に自分の命を賭けられるほど、俺に正義感はない。
「極論ですよぉ」
「
「わかってます」
それから彼女は朝食を平らげると「おいしかったです」と言って、そのまま店を出て行った。おとなしく登校したのだろう。
まあ、家に帰りたくないだけで、不登校児というわけでもなさそうだからな。
彼女の母親の方も、娘が一晩帰ってこないとなれば、反省して男を連れ込むのもためらうだろう。
まあ、他人の家庭の事情なんぞ知ったことか、というのが俺のスタンスでもあるが。
彼女を見送りながら、俺は考える。
この時点で、
あの子と出会った時点で俺は、悪魔と契約をしてしまったようなものなのだから。
**
ランチタイムが終わると怒濤の忙しさから解放される。と思ったのもつかの間、デリバリーのオーダーが入る。
ホットコーヒーを12人分配達して欲しいという常連さんからの注文だ。
今のご時世、オンラインフードの配達業者に頼むという手もあるが、うちのような小さな店では採算が取れない。だから俺が直接配達する。
それに注文元は美浜高校の職員室。ここには従姉妹の月音が教師として勤めている。彼女は雪姉の妹であり、俺と同じ27歳の女性だ。
雪姉こと雪音は長女で、月音が次女、ときどき店を手伝ってくれる花音は三女ということだ。親戚連中の間では、美人三姉妹なんて呼ばれているらしいが、俺が興味があるのは雪姉だけである。
「亮ちゃん、お疲れのところ悪いけど、配達お願いね」
雪姉の特上スマイルさえあれば、疲れなんて吹っ飛ぶ。まあ、配達先にも似たような顔があるが、こちらは馴染み深すぎて癒されることもない、年が同じだけのただの従姉妹であるが。
「オッケーですよ。ここの食器を拭き上げたら、すぐに持ってきますから」
俺は仕事を手早く終えると、保温バッグに入った12人分のコーヒーを持って店を出る。
美浜高校は、ここから歩いて5分くらいの場所だ。だからこそ、月音も気軽にデリバリーを頼むのだろう。
裏門の警備員さんに「どーも、アイシスです」と言うと、顔パスで俺は中に入ることができる。男子禁制の女子寮というわけでもないので、そこまで厳しくもなかった。
もう何十回も配達に来ているので、警備員さんにも顔を覚えられている。まあ、こちらも相手の顔は見知った感じだ。
「ご苦労様」
そんな挨拶を返されて、事務室脇の入り口から入ると職員室へと向かった。
校内に入ると独特の空気。卒業するまでは感じなかったもの。
現役高校生でないものが校内に入れば異物として見なされる。それが独特の空気となって俺に襲いかかるのだ。
見慣れた校内とはいえ、すでに過去の場所である。まあ、友人がほとんどいなかった俺にはあまり想い出深い場所でもないんだがな。
職員室へと入ると、ジャージ姿の女性が「おーい、待ってたよ!」と近くの事務机の席から声をあげる。
ショートカットのその女性が鹿島月音であり、美浜高校の国語教師だ。そして俺の従兄弟。
雪姉と姉妹なので似た顔だというのに、美人という印象は薄い。まあ、こいつ雪姉みたいな『しとやかさ』がないからな。かなり印象が変わってくる。
「コーヒーどこに置けばいい?」
「あ、そこのトレイの上に置いておいて」
月音が近づいてきて指示を出す。
「了解」
「最近、忙しいでしょ? 人手不足なのにゴメンね」
彼女は前もって用意しておいた料金を俺に支払う。
「まあ、常連さんだし。最初は月音だけだったから、さすがに配達も気が重かったけど今じゃ注文数は二桁台だからな」
俺は保温バッグからコーヒーを取り出すとトレイに並べていった。
「あたしの布教のおかげで、アイシスのコーヒー信者が増えているのよ」
「アイシスは宗教だったのか」
「もちろん、教祖様目当ての男教師もいるけどね」
教祖ってのは言い得て妙だ。まあ、雪姉……美人の店長目当てってのはよくあることでもある。とはいえ……。
「雪姉が結婚してるって言ってないのかよ」
「いやぁー、必要のない情報じゃん」
「まあ、俺には関係のない話だけどさ」
次女の月音とは軽口を叩き合う仲だ。友達でも男女の仲でもなく、親類ということで家族に近いのだろう。
ゆえにそこそこ仲がいい。幼い頃は年が近い頃もあり、よく遊んだ記憶がある。
「ありがとね」」
「んじゃあな!」
軽いノリで二指の敬礼をする。
あとは店に戻るだけ。
卒業後も、デリバリーで何度も来たこともある校舎なので、その風景を懐かしむこともなく歩いて行く。
ふと、この前の家出娘を思い出す。そういや、ここの高校だったよな?
年齢までは聞いていなかったので何年生だかわからないが……いや、何度も足を運んだ馴染みの業者とはいえ、不必要に校内の生徒たちを見つめるのもよくない。
不審者として通報されたら出入り禁止になってしまう。
キョロキョロするのはやめて、真っ直ぐ前を見て歩こうと思ったときだった。
視界の片隅に見知った人物が映る。
彼女が中庭のベンチのところに座っていた。その周りには男子生徒が数人集まって何か歓談している。
そのほとんどが女の子にモテなさそうな容姿の男子だ。まあ、一人だけ例外っぽいのはいるが。
「なんだよ。友達いないんじゃないのかよ」
思わず独り言として声が漏れてしまった。
その
まあ、どうせ赤の他人だ。
俺から声をかけることもない。
それでも何か、心が締め付けられるような苦しさを感じた。
◇次回「やったー! 先輩のオムライス食べられるんですね」にご期待ください!
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